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7日目

029 暴露

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 小雨が降り、向かい風に煽られ、彩の足取りがおぼつかなくなった時もあった。しがみつく力だけで、通学路を先へと進んできた。

 その道の終着点、行き止まり。つまりは、目的地。

「……着いたぞ、彩……」

 陽介と彩の所属する、四階建ての高校がそびえ立っている。正門は半開きになっていて、訪問者は好き勝手に入れる仕組みだ。泥棒や犯罪者はお断りである。

 授業は、つい一時間ほど前までこの身で受けてきた。体も動かせなければ頭も働かない、実に生産性の無い内容だった。大音量でBGMを付けようかと、何度迷ったことか。

 奴隷のように汗水を垂らしてノックを受ける野球部員が、グラウンドの奥に見える。部活の終了時刻は一応定められているのだが、運動部は平然と日没まで生徒を休ませない。休日が無いと嘆いていた生徒も見たことがある。お気の毒な事だ。

 彩の家からここまで、アクシデントは起こらなかった。通学路で彼女が恐れる、『中学からの報復』や『不運が呼び寄せる事故』は発生しなかった。

 彩の震えは、家を出発した直後と比べて落ち着いてきている。低温注意報の発令レベルから、木枯らしに直撃された程度に収まった。

「……みんな……、楽しそう……」

 指をくわえて見ているしかない彩。柵の外から見る動物たちは、どれも温厚で愉快に見える。本性を知るまでは、動物園を楽園と近似させていることだろう。

 ……実際は、自由時間が全部吹き飛ぶらしいけど……。

 平日はもちろん部活、休日も部活、テスト期間中だろうと気にせず部活……。スポーツに青春を注ぎ込むのは構わないが、脳まで筋肉として鍛えてしまうのはどうだろうか。少なくとも、留年回避を第一目標にする彩には遠い世界の話である。

「……想像してたのと、どう違う? 入学式だけだと、何にも分からないと思うけど」

 高校の楽しさを、彼女に体幹してもらいたい。女子のピラミッドに巻き込まれなければ、窮屈な自分に籠る必要は無くなる。街中を出歩いても、高区外に出ても、立ち食いしても自由。義務教育の重い足枷を脱いだことで、何者にも気遣いしなくて済むのだ。

 知人に見つからないよう身を隠した彩は、流動的な高校の生徒たちに度肝を抜かれていた。牢獄みたいな閉鎖空間だと思っていたのであろうか。機械的に勉強を受けるだけの期間に青春を求めて、人はやってこない。

「……自由で……、楽そう……」

 身なりから読み取った欲望を、そのままアウトプットしてきた。正直者でよろしい。

 彩の退路は、順調に狭まっている。高校へのマイナスイメージを削ぎ、通学の不安を持ち去る。計画が上手く運んでいる証拠だ。陽介も、計画書作成係と名を馳せる機会はそう遠くない未来かもしれない。

 ずっと高校の後者に目がやられていたのが、陽介に向けられた。

「……ねぇ……、今の心……、吐き出しても……?」

 高校の自由度が、彼女に何か働きかけたのか。青春と自由の魔物に手を引かれて、深層部が揺さぶられたのだろうか。

 ここは、正門のすぐ脇。会話の内容が漏洩してもおかしくない位置にいる。新聞の一面を飾る話題性は持ち合わせていないが、個人情報だ。

 彩を辛うじて反対側のブロック塀に寄らせた。決意を固めた目に、時間稼ぎは不可能だったのだ。

「……なんでも、かかってきやがれ」

 隠し持っていた猟銃でズトン、と血だまりができるのは避けたい。彼女の動き一つに、呼吸を止めて観察する。毛先が風で揺れるのすら、神経に障って気がかりだ。

 彩が大きく息を吸い、胸にため込んだ。一気にぶちまけて、肩がやや落ちる。

「留年……、したくない……」

 コンクリに覆われた地面を見るでもなしに、陽介をじっと見つめていた。そっぽを向くことを、彼女は許してくれない。心のアームに、陽介は固定されていたのだ。

 後ろから迫ってくる、中学校時代の後輩。入学してこない保障はどこにもなく、同じクラスになろうものならまた繰り返しの日々になる。リセットボタンは、恐怖への直行を意味している。

 『留年』は何としてでも避けたい。その魂の叫びがあったからこそ、今日高校まで歩いてきた。来週の復帰を目論んで、予行演習に来た。

 待ち伏せはなく、小さな幸せを拾った。通学路を歩いても、不幸は訪れなかった。孤立していた心と高校とを繋ぐ橋は、架けられたはずだ。

 ……まだ、折り返し地点だけど。

 帰路だって、悪夢を見させやしない。させてなるものか。

「二度と……、イジメられ……たくない……」

 彼女の右腕が、大きくよれた。フラッシュバックを払いのけようとして、防御反応が出てしまったのだ。

 僅か一年前の事象は、深い痕跡を残した。不登校になった主な原因であるし、人への不信感を募らせるきっかけにもなった。どこまで彼女を苦しめれば気が住むのだろうか、イジメっ子グループは。

 イジメた方は忘れ去っても、やられた方は一生覚えている。相手の名前、顔、どんな仕打ちをされたかまで、刻銘に記憶している。謝罪があったからといって、すぐ癒えるものではない。現在進行形で狙われる可能性があるとすれば、更に。

 ……される前に、俺が見つける。

 高校は、これまで同様一緒に登校することになるだろう。長考を察知し、先回りして立ち入り禁止の看板を立てておく。これで、イジメの発生を防ぐのだ。

「……学校は、……疲れる……」

 彩の性格は、認められてこなかった。口数が少なく、独特の言い回しで主張の激しい彼女は、トップグループからして目障りだ。上様の太鼓判が無いことで、取り巻きからも敬遠の対象になる。結果として、猫を被って生きていくしかなくなっていた。

 キャラを演じるのは、精神への疲労が半端ではない。漫画に没頭できても、それが必ずしも疲労の軽減につながるとは限らない。

 自身とはかけ離れた大人しい少女に、毎日なり切って授業を受ける。出しゃばった発言は慎まなければならず、言いたいことも言い返せない。ストレスは溜まる一方である。

「……独りぼっちも……、嫌……」

 かと言って、ありのままで生活する選択肢は初めから与えられていなかった。

 女子の連携が著しい場で、『風紀』を乱そうものならどうなるか。ハブられ、誰からも連絡がもらえなくなる。休み時間も、昼食も、その人物から一歳の会話が無くなるのだ。人に囲まれながら独りぼっちとは、圧力が作り出した見えない壁だ。

「……ありのまま……、受け止めて……」

 自分らしく生きられないのは、彩が悪いのか。のびのびと翼を伸ばせない環境は、彼女が作ったのか。答えは皆、否になる。

 学校は、そうあらねばならない。『本性』とやらを出し合って、尚笑い合える雰囲気を作っていかなければならない。中学時代に足りていなかった答えは、『自由』である。

 陽介は、何も発さない。同調も、反論も、頷きもしない。ただただ、彩の頭を緩慢な動作で撫でた。バラのトゲを一本ずつ抜いていくかのように、髪のほつれを直しながら。

 声に出して、同情して、一銭の得にもならない。体験談は本人しか持ちえない体験であり、他人が話を追従して『分かった』と口にしてはいけないのである。

 彩は、同情を求めていない。『聞いてほしい』と言っただけで、前に倣えで理解の言葉を発しろとは一言もお触れは無かった。

 『しっかりしろ』、『きっと良くなるさ』、『大丈夫』……。どこの目線に立てば、このような責任のとれない勘違いが出来るのだろう。過去の闇を暴いた人は、何も求めていないのに。

 もうケリを付けようと、家を発った彩。杖が無くても、二本の足で歩けるようになっていた。これでもしっかりしていないと断言するなら、証拠を提出してもらいたい。偽証罪は、立派な犯罪だ。

 未来は、予測できないもの。トレーダーが株で破産しているのを見かけていれば、たとえ数値であっても未来予知は不可能。『きっと良くなる』は、確証のない宙ぶらりんの励まし。無い方がまだマシである。

「……くすぐったい……。……小っちゃい頃……やってもらってたもん……ね……」

 底に沈んでいたヘドロを全てすくい上げた代償なのか、彩はまた胸へと潜り込んだ。甘えん坊に成り下がっていても、今はこれでいい。

 陽介は、闇を抱き続けた。いつまでも、いつまでも。この世に光が差して無くなるまで。
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