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001 課せられた制限

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 天変地異の前兆は、今日も現れなかった。地底帝国から使者が派遣される妄想話は、実現しないまま終わるのだろう。一度でもいいから、世界の存廃をこの手に担わせてくれないものだろうか。

 自転車の悪魔的スポットである、ジェットコースター型下り坂。速度を妨害するギミックは仕掛けられておらず、ペダルを漕がなくとも回転運動は増していく。危険極まりなく、地元ニュースでも度々事故が取り上げられている。観光スポットとして開発するのも難しそうだ。

 有名芸能事務所にスカウトされる未来は、当分やってきそうにない。懐に人っ子一人くるまず、陽介(ようすけ)は歩道を下っていた。曖昧な基準で建設されたアスファルトの凹凸は、靴の裏を通してでも神経に訴えかけてくる。金メッキでもして、派手さをアピールすれば町おこしにでもなるだろうに。

「……今日も、彩(あや)は来てくれなかったな……」

 校庭を桃色に染め上げたサクランボのなる木も衰勢に突入し、太陽高度も上がり始めた初夏日和。木漏れ日が、地べたを這いずりまわるアリにスポットライトを当てている。照明係の操作ミスで真っ暗闇になった陽介より恵まれていて、ついつま先で踏みつぶそうとしてしまう。

 交友関係が縫い針の角度と化してしまっている陽介でも、実線で繋がった異性はいるものだ。寸でのところで、非リア充の枠組みからは脱している。古傷を毒舌で悪化させ合う敗者の円陣には、もう加わりたくないのだ。

 彩は、一歳年下の女の子。自宅から直角に二回曲がると辿り着く。パズルならば、真っ先に消えている位置関係だ。

 彼女との縁は、前世から存続してきたのかもしれない。なにせ、クラス内で女子に見向きもされない陽介なのである。無愛想や無関心が原因だと陰口を叩いてはいけない。

 近所で生まれ育ち、親同士の親交が深かった。彩と陽介のラインを濃くハッキリと描くとするのならば、これくらいだろうか。親に助けられた交友関係であり、陽介が積極的にゼロから一を生み出したのではない事に留意する必要がある。

「……あと一区画でも離れてたら、違う地区に分類されてたしな……」

 立地に、年の差。性別と性格の難所を乗り越える条件が奇跡的に会合し、彩とは無礼講で物をぶちまける仲にまで成長したのだ。宗教を全否定する活動に身を投げうったこの陽介でも、神の悪戯を信じてしまうほどには。

 下校する方向も、時間も、彼女と一致。天から授かった、始まりのお告げ。彩の入学式には、盛大に心中で焼酎を三本開封したものだ。未成年ともあって、味は想像の範疇でしか付けられなかった。

 設定は事前にされており、あとは席に座るのみ。足を決められたスペースに運ぶことは、誰にでも簡単だ。逆に、こんな一歩も踏み出せない軟弱者に人生を降伏にする権利は無い。遠慮のプラカードでも掲げて、どぶ川にでも入水してしまえばよい。

 巷のルーレットで、初めから『7』のホイールが固定されている。当たり台を凌駕する金銭を生み出す、胴元泣かせの大甘設定だ。陽介とて、管理が杜撰な台を素通りする訳がない。

 店内で補充したメダルを投入口へとつぎ込み、レバーを引こうとする。ここまでは、順調だった。

「……中学校のが響いてるのかな、不登校が……」

 抽選が、始まらない。クレジットを示す液晶画面には確かにゼロ以外が映されているのだが、回転装置が動作してくれない。

 前から揺さぶっても、念仏にしがみついても、状況は変わらなかった。店員に告げたところ、『諦めてください』という余命宣告。大当たりの利潤を引き出すことは、叶わないと切り捨てられたのだ。宝くじの還元率を考慮に含むと、ギャンブルでもまだ元は取れると言うのに。

 最初の一週間は、彩も大人しく陽介に手を引かれていた。千鳥足で距離を稼ぐ彼女に不穏を抱きながらも、登下校時の雑談は良好そのもの。身体検査での異常は見られなかった。

 思えば、この猶予期間で彩の微妙な表情を感じ取るべきだった。ボケをかまされて爆笑する彼女の唇が固まっていることに、あと一日でも気付いてあげられれば、砲弾に心を打ち抜かれらなかったのだろうか。

 次の一週間、彩の投稿間隔は不定期になった。電話で律儀に連絡してくれていたのもつかの間、音信不通で登校することも増えてきた。校門の締め出しに間に合わず罰を食らわされたのは、彩が欠席連絡を怠ったのが元凶である。損害賠償を請求しているが、その申し立て裁判に出廷する様子はない。

「……休みすぎ、だよな……」

 はち切れんばかりの風船が、心情の溝から流れ出してしまった。人気ホテル並みの出席率なのだから、諦念も吐き出してしまうと言うものである。

 秒針が音を立てるごとに、彼女の復帰可能性は小さくなっていった。頻度がブラック企業から通常企業、ホワイト企業へ。給料が出ないことには気にも留めず、欠席日数は加算されていった。

 陽介は右手の指を折りはじめた。彩が元気よく挨拶をくれなかった日を想起するごとに、指が折りたたまれていく。元気印の彼女が横にいないだけで、順調に成長していた植物が茶色になる程には深刻である。

 高校がエレベーター式で進級できると考えた頓珍漢は、義務教育を受け直してから高校を受験すると良い。義務ではない以上、生徒たちは常に原級留置の危機に脅かされている。世間一般で言われる『留年』だ。

 考査で平均を大きく叩き割る得点を出した場合は、成績簿に禁断の赤文字が印字されることがある。家族は縁起が悪いと高校にクレームを入れるより、学業の成績を正させる方が先決だ。

「右手、すぐ埋まっちゃったよ……」

 彩が凛々しい姿を現さなかった日数が、第一堤防を突破した。右手だけには収まらず、利き手で無い左にも濁流が押し寄せる。数え方の効率に問題があるのは指摘されなくとも把握している。

 パタン、パタン。握りこぶしが生成される。蓄えられた欠席は、やがて竜巻となって彼女の牙をむくのだが、陽介にこれを止める算段は存在しない。莫大な資産の力を借りてようやく学業の履歴が捏造できる相場だ、陽介ごとき芋虫が教師の腕に上ったところで殺処分されてしまう。

 高校には、出席しなければならない日数が定められている。大雑把に捉えると、五分の一を欠席すると即留年というものだ。一日でも超過すれば、上層部に留年を確定させられる。この時期になってから懇願しても、定められたルールを改変するのは不可能だ。

 高校生で進級出来ないとなると、退学の二文字が現実味を帯びてくる。一学年下の生徒と共に授業を受けるのが苦痛でならないのでは、退学も仕方ない。もっとも、碌に学校へ通えていない彩が気にするかは別問題だ。彼女が進級すれば、全ては丸く収まる。

 ひょんなノリで上の空だった陽介にも、欠席日数が指に蓄えられていくにつれて冷や汗が滲み出てきた。安全圏など、とっくの昔に踏み越えられている。

 ようやく、今日までの数え上げが終わった。ゼロ進法では保持できず、二進数にしてようやく右手に収まった。最初からこうしておけば良かった。

「……学校の全登校日が……」

 分母と分子に定数をセットして、彩に許された残日数を求める。暗算での筆算が進むと同時に、陽介の行き所が無い不安が広がっていく。

 定期考査では、計算ミスを恐れる緊張がある。内申点というふざけた買収した者勝ち制度から解放されても、点数は一点でも取り逃したくないのだ。特に、地上スレスレの低空飛行を続ける初等パイロットにとっては。

 テストで執着心を露わにする陽介ですら、計算ミスを願っていた。何かの手違いで、このままの調子でも彩が進級できることにはならないのか……。

 数字は、冷酷に現状を示す。それも、とんでも計算式ではじき出された塾の大学進学率とは異なり、絶対的な基準が生み出した指標である。目をそむけて、ゴミ収集業者に今すぐ引き取ってもらいたくなった。

 前に投げ出される足も、歩幅が小さくなっていた。歩道は雨上がりで濡れており、気を大きくして走り出そうものなら滑り台よろしく滑落する。制服のズボンが削れることは確定だ。折角溜めた貯金が吐き出される事態は避けたい。

 未知数が、イコールで結ばれた。絶対的な数字が、陽介に提示された。解なしが導き出されていないのは、せめてもの幸いである。

「……これって……!?」

 現実を受け入れようとした刹那、摩擦力が仕事をサボった。体重を支えていた歩道からの反発が、いきなり消滅したのである。

 両手で受け身を取る間もなく、陽介は歩道に叩きつけられた。脂肪の塊がクッションになったことで内臓系にダメージは無いが、骨に響く。病院で骨折だと診断されたならば、彩に治療費でも請求しに行こう。

 関節の痺れで脚が動かない。教科書を学校で吐き出した空バッグは役立たず、衝撃をやわらげられなかった。

「……あと、二週間……」

 重力に身を任せた痛みは、体中に纏った驚愕で打ち消されていた。いや、パニックで神経が消去されたとでも言っておこうか。

 彩の時限爆弾が、ゼロを刻むまでの日数。裏を返せば、陽介が彼女の面倒を見られなくなるタイムリミット。お金では買えない、ふわふわとした概念。

 彼女が許された欠席日数は、十日。カレンダーで換算すると、きっかり二週間。手からこれらが零れ落ちた瞬間を以て、彩の進路は鉛の防護壁で閉ざされるのである。

 こうなっては、世界最強の武器を携えても突破できない。札束を詰めた弾頭を職員室に打ち込んでも、窓枠の木々を破壊するのでやっとだ。周囲の汚染代は別途請求される。

「……根はいい子なんだよ……。何とか気力を持たせて、やっと高校に入ったところなのになぁ……」

 握りこぶしから、切り忘れていた爪が飛び出しそうだった。いっそ手のひらを貫いてしまえば、少しの贖罪にはなったかもしれない。

 彩も、もう甘やかされるだけの子供ではない。そう理解していても、幼少期から手を引っ張ってきたご近所付き合いの女子を救えていない事実に打ちのめされる。

 天空には、彩の笑顔がおぼろげながら浮かんでいた。お星さまになるのは早すぎる。この身を挺してでも、陽介がとどめてみせる。

 通行人が煙たがって花壇へ迂回するまでの間、陽介は親友の危機を受け入れられなかった。
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