古神偃武

西崎 劉

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第一幕 アンドロギュヌスの鍵

プロローグ

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プロローグ
 
『シュレーン王子の事は、忘れることだ』
 半日ほど前、ファルグス王家に一通の手紙が届けられた。
 届けたのは浮浪者で、その浮浪者も見知らぬ誰かから頼まれたのだという。
 シュレーンとは、ファルグス王家の第二王子の名だった。
「……よりにもよって、あやつをさらうとは……」
 沈痛な面持ちで、深くため息をつく国王である。
「……陛下……」
 不安そうに王妃が国王を見た。
「あやつがどんな性格で、我が王家の汚点だと国中の誰もが知っていようとも、まがりなりもこの国の王子だ。そう簡単に諦めるわけにはいかないだろう。……触れを出せっ!」
 



 
世界に名は無く、島や大陸の区別を知る者も一握りだった。
 島や大陸を包み込む広い海は、人の生活の糧を与えると同時に異形のモノたちを多く育んでいた。その異形のモノたちの大半は人々の大いなる《脅威》となり、海岸沿いの漁村に暮らす人々などは怯えて暮らすことが常だった。
 そういった理由からめったにカレラ《魔物》の生息地である海原へ出ようと試みる者は少なく、例え必要にかられて船出したとしても、自然の理を具現した《神》と呼ばれる存在や、時空や異界に関与する《魔神》の力を《言葉》によって引き出す事の出来る魔術を扱う者の協力無しには、生存の確率は極めて少ない。
 島に生きる者は、島と海しか知らず、また魔物や精霊、妖魔や聖霊が好んで生息する高山や海岸沿いを避けて発展した内陸部の人々は、海や島の存在を言葉でしか知らない者が多かった。
 故に海原の存在を知らずに一生を終える者の多い、この大陸の上に散る数多ある国々の中で、内陸奥地に位置し、森林を多く所有するファルグスタ王国は、他の国々から比べると規模からいえば中堅と言える。
そのファルグスタ王国の東の果てにある国境沿いに、高低様々な山々に囲まれた村が一つあった。
 名をチヌルヌと言い、人口四十前後の小さな村落だ。
 その村に、神に生贄と定められ甘受する事無く戦いを選んだ伝説の勇者にちなんで名前をつけられたスタンギール・キリーという名の少女が居る。
 何でもその娘が生まれる時に、父親が息子欲しさに息子の名前しか考えてなかったそうだ。
 もっとも、スタンギールの下には弟が五人居た。
 娘は彼女しか生まれなかったわけで、母親はその《名付け》に失敗した事が未練なのか、弟たちのうち四人が娘のような名前になってしまっている。
 今度の春新たにスタンギールの兄弟が誕生するが、さてどちらが生まれるのだろうか。
 両親とも《娘》を願って《娘の名前》しか考えていない様だが……今度は同じ事を繰り返さないように、《息子の名前》も考えておいた方が良いのではと、呆れた気持ちで思っていた。
 そのキリー家のスタンギールは、黒褐色の髪、金茶の瞳、薄く頬にソバカスを散らした十七歳ほどの極普通の娘で、村人は《薬草探しのスタン》と呼んでいた。
 日課である山での山菜取りで、珍しい香草や薬草を捜し出して持ち帰るのが、村に住む誰よりも上手かったからである。
だが、実際はスタンが薬草を探すのが上手い訳ではなかった。
 本人はそれを誰よりも良く知っている。
 彼女が上手いのは《遊戯》なのだ。
 直感力が恐ろしく鋭い。
 そう、この大陸に住む《六人の魔神》と呼ばれるモノたちより《十二人の神》と呼ばれるモノたちより。
 今のところ一一二〇連勝更新中だ。
 舞台であるこの山の中で。
 スタンが山で遊戯に興じている間、魔神たちや神の下僕が《スタンが安心して遊びに来られる様に、代わりに香草や薬草を探してくれている》のである。
 真実は。
今でこそ魔神や神を相手に対等な付き合いをしているスタンだったが、初めは本当に魔神や神が実在することを知らない、《直観だけが鋭い》普通の娘だった。
だが、六歳の春、現在遊び場に成っている裏山《リスロイ》で山菜取りに出掛けた両親にはぐれた時、けがした一羽の烏を助けた。
菫色の瞳の綺麗な烏で、その烏は恩を受けたと思ったのだろう。
 スタンが山に入ると必ず遊びに来る。
 そんなある日、村で流行っているカード遊戯を烏に聞かせた事があった。
当時から同年代でスタンに勝つ事が出来る友達はその村に居なかったから、それが不満だったらしい。
 烏が興味深そうに聞いていたので、面白半分にそのカード遊戯の手ほどきをしたのである。
 その烏はとても頭が良かった。
 ルールを一度で覚え、その小枝の様な足で捲ってみせるという芸当までこなした。
 スタンはそれが面白くなり、問いかけた。
「じゃあ、ミルちゃん。あたしと勝負しない? ミルちゃんがあたしに勝つ事が出来たら、あたしの母さんの作ったミートパイを御馳走してあげる!」
 スタンの母ファルチャは、大変料理の上手な事で村でも評判だった。
 そうして、事もあろうに烏を相手に遊戯をする様に成ったのだ。
 だが、烏は一度もスタンに勝てなかった。
 スタンに烏が勝負を挑んで十連敗した時、烏は正体を現して本気で悔しがった。
 人間と魔神のカード遊戯は、この大陸に散る他のモノたちの興味をそそり、舞台であるその山に呼んだ。
 彼らもスタンに勝負を挑んだわけだが、誰もスタンに勝つことが出来なかった。
 そうして、スタンと彼ら……雲につくのではないかと思われるほど巨大な魔神たちは、スタン言う所の《遊び友達》と成ったのである。
十二人の神に出会ったのは、魔神たちが悉く勝負に破れ去ったのちの事で、魔神たちの一人がこの《遊戯》に招いたのが切っ掛けだった。
 やはり誰もスタンに勝つ事が出来ず、あまりの強さに呆れた様子である。
 だが、まだ何といってもスタンは恐るべきことに六歳の子供だった。
 カレラの意味を理解出来ない年齢と環境に住んでいた。
 だから「願い事は」と口々に訪ねられ「お友達になったのだから、また遊ぼうね」と怯える事も無く答えて返し、魔神たちの興味を更にあおったのである。
 もっとも、そういう《友達》が、スタンに居るとは村の誰も知らなかったし、目撃したとしても、スタンの前にカレラが現れて遊ぶ時は、兎や狐、鼬などと他の動物に身体を借りた姿だったので、特に問題視されるわけでも無かった。
 何より、烏の《ミルちゃん》同様、スタンが勝手にあだ名をつけて呼んでいたので、村人たちは、スタンを「動物好き」だと、微笑ましく思っていたりする。
 
 
「おーい、帰ったぞ」
 スタンの父フロウゼックは、この村でたった一人の薬剤師だった。
「いい材料あった? 父さん」
「そりゃあ、あったさっ! 何しろ今回は王都まで足をのばしたんだからな。リュウマチに効くシップを作るために必要な鉱物も仕入
れてきたし、けがをした時に飲む丸薬に混ぜる東方で取れる薬草の苗も仕入れた。これで、しばらくは大丈夫だと思う」
香草や薬草に事欠かない環境に暮らすキリー家だったが、それでも賄いきれないものがあり、時々こうして商用の他の村人と共に、材料を仕入れに遠出する事がある。
 今回も同じ理由で、二ヵ月ほど前に村を旅立って、ファルグスタ王国の王都《リャーメン》にフロウゼックは向かったわけだが、成果はまずまずだったようで満面の笑顔で答える。
 旅の疲れも見せる事無く、私用の荷物から次々と家族の者への土産を取り出した。
「母さんは?」
 スタンは、洗濯物を取り込み終えると、それを丁寧にたたみはじめる。
「父さんの留守の間、店を切り盛りしているのは、母さんでしょう。店頭にいると思うけど」
「……じゃあ、母さんには後回しだな。ザイは?」
 キリー家の長男の事だ。
 スタンの兄弟の中で、唯一《普通》の名前を貰った幸運な一つ下の弟で、母親似の容貌におっとりとした性格をしている。
「庭で父さんの薬草畑の世話をしているわ」
「マチルダにローズ、ビビアンにキャンディは」
 キリー家の麗しい名前を持ってしまった不運な弟たち。
 ちなみに次男、三男、四男、五男の名前だ。
 父親に似てガッチリとした体格に精悍な顔だちを持ち、それに比例して喧嘩も強かった。
 だから、名前の事で彼らをからかう様な根性のある同年令の若者は居ない。
 彼らが聞いたら最後、相手が悲鳴を上げて逃げだすくらいまで、徹底的に《教育的指導》を施してしまうからだ。
「マルとローズ、ビビは教会で今頃授業よ。キャンはザイの手伝いをしているわ」
 フロウゼックは残念そうに肩を竦めると、スタンに土産を渡した。
「じゃあ、取り敢えず一番にスタンギールにわたすかな」
 洗濯物をたたむ手を休めたスタンに、荷物を漁ると小振りの包みを放って渡した。
 スタンは喜色で歓声を上げると、上手に自分の土産をキャッチし、早速包みをあける。
 フロウゼックはその間、せっせと荷袋から様々な私物をテーブルの上に置いていった。
 スタンは取り出したものを見て、目を丸くする。
 中から出てきたものは、十二面のダイス二個と三角柱のコマが二個、そしてなめし革で作られたシート一枚だった。
 表面に様々な自然現象が記されていて数字がいたるところに散っている。
 縦横無尽にルートが設置されていて、どうやらシートの数字が、ダイスに対応しているらしい。
「……遊戯盤よね。どんな遊戯なの? 父さん」
 不思議そうに問いかけると、フロウゼックは「待っていました」とばかりに説明を始めた。
 スタンの遊戯好きはこの父親の影響が大きい。
 もっとも、フロウゼックは何事にもすぐ熱中するが、飽きっぽい性格でもあったので、自分が他人との勝負に負けると、すぐ娘のスタンにあげていた。
 父親が負けた分、娘が取り返しているので、トントン(?)というべきだろうか。
 スタンはフロウゼックから遊戯の説明をあらかた聞くと、ダイスを片手で振りながら色々空想していた。と、
「あっ、そうだ。スタン」
「……なに? お父さん」
 フロウゼックは服の内ポケットから一通の手紙を取り出した。
 豪華な金の飾り縁の封筒で、おまけに手紙が勝手に開封されない様に封じてある蝋に押された印は、蔦の絡んだ鷲だった。
 それを、フロウゼックは娘に押しつけるようにして渡す。
 スタンは目を丸くした。
「……なにこれ?」
「お前の友達が居るという《落ちぶれた商人の家》がある住所を訪ねたんだよ。そこで、貰ったのだ。お前にだそうだ」
 スタンはパッと顔を明るく綻ばせた。
「るりりん、居た? ねえっ、元気だった? 伝書鳩で文通だけしていて、もう七年も会っていないんだけどっ! ねえっ、お父さんっ」
るりりんとは、スタンギールが九歳の時に森で出会った少女の事だ。 出会い方は強烈だった。
 森でいつものように、ミルたちと遊戯に興じていた時に、小山ほどの大きさの狼が口にくわえてきたのだ。
 繊細な外見をそのまま反映した様な病弱な子だったが、スタンと出会った後ごろからだろうか。
 不思議な事に、みるみる元気になった。
「私はね、約束したの。山の神様と」
 スタンの後ろを付いて回る少女が、はにかむ様に笑いながら、いつもこう言った。
「そのために助けて貰った《命》なのだから。スタンギール、私はあなたを守る《従者》となる。……そのために、精一杯努力するの」
 スタンは目をパチパチさせて、幾分背の低い少女を見下ろした。
(……あの山に《山の神様》って、いたかな?)
 居るのは、山に住む獣と魔物。そして、ス
タンと《遊ぶ》ために集まってくる《ミル》と名付けた《魔神》とその仲間たちだけだ。
(それにしても、珍しい。人助けなんて)
その時は感心すらした。普段は人が遭難しようが、何しようがカレラは魔物を含めて関心を他者に向けないのだ。
放っているといっても過言ではない。
カレラが関心を引くのは 《遊び》だけ。遊ぶ時は子供で無邪気で正直で、とても少女が言うような畏敬を抱かせる姿ではない。
 もっとも、カレラが不可思議な力を持つ事は知っていた。
 スタンが連勝する度に「願い事を叶えてやろう」と切り出すからである。
 だがスタンはそれに頷いて《お願い》した事はない。
 だから、賭け事に興じるカレラがそれぞれどんな力を持ち、それを振るった時にどういう影響をまわりに与えるのかは、未だに知らないのだ。
 もっともそれらは、スタンにとって知る必要性が無い事柄だったのである。
ただ、これだけ付き合いが長いと、自然目の当たりにすることになる《力》がある。
それは、彼らはとても《変装》が旨いという事だ。
 何しろ、こうやってスタンに会いにくる姿こそがその《変装》の賜物だった。
「なに言っているの。あなたはあたしの妹なんだからね!」
 ちょこちょこついて回り、クスクスと妖精の様に笑う銀色の少女。
 実家がお金持ちなのか、いつもふんわりとした綺麗な服を着ていた。
 側に居たのは一年も満たなかったが、別れ際に伝書鳩を貰った。
 スタンはそれからずっとその少女に会っていない。
 伝書鳩で文通をしているだけだ。
 少女と文通する様になって、文字を書く事を覚えた。
 それまでは、自分の名前と家で扱う薬草の名前しか書けなかったのだ。
 大体スタンはその銀色の少女の《名前》も知らない。
 何しろ《るりりん》と呼び名をつけたのは、
その少女が綺麗な瑠璃色の瞳をしていたからである。
 名前を聞くと、悲しそうな顔をした。
 だからいつも問いを重ねる事が出来なかった。
「ねえ、父さん! るりりんは、どうだったの」
 長い沈黙があった。
 フロウゼックは、娘の問いに答えず、難しい表情のまま顎を杓った。
 どうやら手紙を読めという事らしい。
 スタンは訳が判らなかったが、取り敢えず勧められるまま渡された豪奢な手紙の封を切り、中に目を通した。
「……へえ。あたしたちの国の三番目の王子さまが、行方不明になったのねぇ。三番目っていったら、あの変わり者の王子様でしょ? 
三度のご飯より、勉強が好きな。結構国内外で、《奇人変人》で名を轟かせているというのに、そういう人を誘拐したんだ。犯人は」
 手紙は二枚入っていた。
「……………」
「………………でもこれ、捜索隊の募集要項の書かれた紙に見えるのだけど」
 フロウゼックは眉間に皺を寄せたまま黙って頷いた。
「父さん、なんでこれ、あたしに渡すの?」
 娘の最もな問いに、フロウゼックは頭を掻きむしると、頭を振った。
「判らん」
「……父さん?」
 フロウゼックは、スタンの両肩に手を置いた。
「スザンナさんを覚えているか?」
 スタンはキョトンとした目で父親を見つめ、次に首を傾げながら名前を口の中で反芻する。
 反芻する事数秒。
 ポンと手を叩いてにっこり笑った。
「るりりんの乳母をやっていた人だ」
 スタンの脳裏に綺麗な青い瞳をした、優しげな婦人を思い浮かべた。
「その人から渡されたのだ。お前にだと」
フロウゼックは人差し指を立てて、ぼそりと答える。
 お互いに目を合わせ、ニヘッと笑う。
「……おばさんから? 冗談でしょ」
「冗談じゃないんだな、これが」
スタンはフロウゼックをジッと見て、次に奇妙な顔をした。
「…………へ?」
「『へ』じゃあないっ! 俺も判らん。判らんが……《さるお方》から、渡してくれと頼まれたそうだ」
「……スザンナさんの言う《さるお方》って、るりりんのお父さんとお母さんかな?」
「スザンナさんの雇い主の事か? ……それだったら、そうだと言うだろう。だが、それにしたって、なんでこんな贅沢な作りの印の入った封筒がお前宛てに来る。……多分、彼女のご両親とは違うと思うぞ? 
もしかすると、その上に居る貴族あたりから頼まれたのかも知れん。案外《スタンギール》という名の者を片っ端から徴集しているのかもな」
「……あたしの名前って、そんなにありふれているのかな? 父さん」
「《スタンギール》は、この国の神話に出てくる伝説の勇者の名だ。それにあやかったのだ。強くて勇ましい《息子》になりますようにと願ってな。都会の男ではそう珍しい名ではないかもしれんが……女では……珍しいんじゃないか?」
フロウゼックは、名前の話題になると、何時も娘の顔色を伺いながら冷や汗を流す。
どうやら、多少は自分の命名時の迂闊さを反省しているらしい。
「…………父さん」
「……なんだ」
「あたし、剣も魔法も使えないのだけど?」
「……………知っている」
「旅なんてしたこともないのだけど?」
 フロウゼックは忌ま忌ましい様子で鋭く舌打ちした。
「それも十分知っている」
「……それでも、行けと?」
「……俺たち庶民は、上の決定に逆らえんからな。間違ってお前にその手紙が来たのだとしても、一応顔だけは出して義理を果たすべきなのだろうな」
「……………チヌルヌ村の《スタンギール》って、あたししかいないんだけど」
 フロウゼックはとうとう沈黙した。
「…………」
 スタンは深くため息をついた。
「でも、どうにかなるでしょ。内容を読んでみたら、どう見ても傭兵や剣士ではないと出来ない事ばかりだもの。顔だしたら、お役御免になったりして」
スタンはわざと明るい笑顔を作った。
「………スタンギール。笑っている場合ではないぞ。集合期限まで時間が余りない」
 フロウゼックは、娘が見落としている募集要項の一部を指で示した。スタンは示された部分を覗き込み、顔を顰める。
「………………お父さん」
「言わんでいい」
「この日までにこの場所へ行けと?」
 スタンは、冷や汗を流しながら、父親の顔を見た。
「……そういう事らしい」
 スタンは切れて叫んだ。
「無理でしょうがっ! 三日で、王都に行けるはず無いじゃないの! ……片道、二ヵ月もかかるというのにっ!」
 フロウゼックは頭を抱えて呻く。
「俺も、言ったのだ」
「…………開封してもないのに、良く日付に対しての抗議が出来たわね? 父さん」
「…………スザンナさんに、その手紙が何であるか聞いたからだ」
「……で? 間に合わないと言ったらなんて」
「間に合わないなら仕方がないけど、お前に渡す事に意味があるらしい」
 フロウゼックの言いように、スタンは不思議そうに目を瞬いた。
「……どういうこと?」
「参加するもしないのも、お前しだいだという事だそうだ」
スタンは、心持ち肩を落として手紙と遊戯道具一式を持ったまま部屋を後にした。
その背に、フロウゼックは声をかける。
「……スタンギール。お前、どうする?」
 スタンは一度振り返ってちょっと笑った。
「《間に合わないなら仕方がない》って、その物言いでは、間に合わなくて参加出来なくてもいいっていう事よね? 貴族からのお達しだからって、緊張して聞いていたけど、一応選択の余裕はあるんだ。……だから、少し考えてみる」
スタンは、父親に軽く会釈して部屋を後にした。
扉が重い音を立てて閉まり、娘が完全に部屋を出て行ったのを確認すると、フロウゼックは先程とは別な意味で顔を顰めた。
「まったく、訳が判らん」
片手で頭を掻きながら、側のソファに勢いよく座った。
フロウゼックは、脳裏に娘の文通相手が住むという住所を訪ねて行った時の事を思い出す。
 思い出しながら冷や汗を流した。
(……聞いていた話と全然違うじゃないか。なんで、尋ね当てた住所にアレがあったんだ?)
 
 
 その日の夜、スタンはスカートをからげて山道を急いで登っていた。
 スタンの横にはいつのまにか馴染みになった魔物たちが居て、しきりに鳴いている。
 魔物たちは何故かスタンに好意的だった。
だから、スタンは今まで魔物を怖いと思った事がない。
 山の中腹近くの小さく開けた場所にたどり着くと、軽く上がった息を整えながら、呼びかけた。
「チルル、ミル、ミリ、チャイ、ホウ、バクレリ、居るっ?」
 伝う汗を腕で拭いながら、辺りを見渡した。
 寝静まった山中にスタンの声だけが細く響く。
 スタンの声音に何を感じたのか、山鳥たちがわめきながら飛び上がった。
「ルクタ、タイトウ、ザザ、コリャクス、レイレイ、バンクウ、ヤナ、セルフィ、ファン、カラグス、シド、ミャン、用事があるのっ!」
 スタンの声が闇に沈んだリスロイの山に殷殷と谺して消えかかるころ、上空に螢火の様な光が生まれた。
 足元からは夜より昏い闇が生まれる。
 スタンは、それを見て小さく笑った。
「御免、今日は約束の日ではないのに。でもね、暫くここに来て、みんなと遊べなく成りそうなの」
 ――― 勝ち逃げか?
 頭上の光が不満げに唸り、瞬いた。
「その声はルクタね? 違う違う。用事で村を離れなくちゃ成らなくなったの」
 ――― ……用事?
 不思議そうに問いかけてきたのは、足元の闇の中からだ。
「そう。用事が出来たのよ、チルル」
 ――― 遊べない。
 ――― 遊べない。
 益々不満げな声が、頭上と足元で輪唱する。
 どうやら、様々な声が混じって響く所から、名前を呼んだモノたち全てが聞いていた様だった。
 ――― 楽しくない。
 ――― 勝負が出来ない。
 ――― つまらない。
 その様は、駄々をこねる子供の様だ。
 スタンは、微笑ましげにそれを聞きながら持ってきた遊戯盤を側に置いた。
「あたしはこれをマスターしてきたの。みんなに教えるために、家でがんばったのだから。……新しい遊戯だよ、これ」
 ――― ……楽しい?
 小さく震えるように響いたのは頭上の光。
「うんっ! 凄く楽しいよ、ミャン」
 ――― 楽しいっ!
 しわがれた声が足元から響く。
「うん、今から教える。まず、ルールからね? ザザ」
 教える方法は簡単。
 敵と味方の両方をスタンがしてみせるのだ。
 一通り流してした後、こう付け加える。
「あたしがここに帰ってきたら、一番にこの遊戯の勝者と対戦してあげる!」
 この発言に、否応なく歓声が上がった。
 やる気満々といった所であろうか。
 この面子でこれだけ強気で出られるのは、勝負事に絶対の自信と、何より実績を誇るスタンだけだろう。
 この場に魔法を操る魔導士や魔術師が居たら、恐怖で卒倒していたに違いない、それほど強気の態度である。
 スタンは、遊戯盤をその場に置いて、立ち上がった。
 中空に浮かんだ光と、足元に生まれた闇から、借りの姿を纏った異形のモノたちが、ぞろぞろと這い出し、遊戯盤を囲んだ。
 ざわざわとしている所から、どうやら順番を決めている様である。
 スタンは、軽くスカートの埃を払って、それらを掻き分けるようにして抜け出すと、その場を後にしようとした。
 スタンのここでの《用事》は、これで終わったのだ。
 あとは家に帰って旅の用意をしなければ成らない。
 いつもの様に薬草を摘んだ駕籠を猿に似た魔物から受け取ると、その魔物の頭を撫でて、山を下ろうとした。
 ――― どれくらい、旅にかかるのだ?
 馴染んだ声が脳裏に響いた。
 スタンは振り返って苦笑する。
 声の主は、遊戯盤を囲んでざわめく同胞たちの輪から抜け出すと、ヨタヨタとスタンに近づいてきた。
「……判らない。王都に行って、るりりんの様子を見てくるのだから」
 ――― 太陽が三つ登った頃には会えるのか?
 脳裏に響くのは底の知れない森の音。
 音が人の言葉としてスタンに届く。
 耳では別の物を拾った。
 夕焼けに空を渡る物悲しい鳥の鳴き声だ。
 闇より深く昏い色の羽根を持つ、菫色の瞳の烏ミルは、ここに集まるモノたちの中で一番付き合いが長い。
 ほとんど《幼馴染み》に近い存在だった。
 それだけに気安い。
 スタンが腕を延ばすとミルは羽ばたいて空に舞うと、器用に片足づつバランスを取りながら留まった。
 羽毛の温もりが、ふわりとスタンの腕に伝わる。
「ミルちゃんも知っているでしょ? 人間はね、みんなの様に早い足や様々な障害を感じさせない翼を持っているわけではない。他の生き物の力を借りて移動するのだから。順調にいって王都に到着するまで二ヵ月かかる。そして、これ見て」
 スタンはミルに一枚の紙を見せた。
 それには、捜索隊の募集要項が記されている。
「……何でこれがあたしに渡されたのか判らないのよ。しかも、相手はあたしを指名して来た。あたしに渡すように頼まれたのは、ミルちゃんも知っている、るりりんの乳母だった人なの。そのあたりの事情も聞きたいし」
 ――― …………。
 そして、スタンはふふふっと笑った。
「でも、それら全ては口実なの。一度、王都という物を見てみたいんだ。そして、るりりんの現在の姿を見てみたいの」
 ――― …………。
「きっと、すっごくかわいく成っていると思うんだ! あたし……弟しかいないでしょ? だから、あの娘はあたしの《妹》の様な存在なの。手紙で近況は知っているのだけどね。先日だって、手紙を伝書鳩で貰ったばかりなんだけど、なんか変なのよ。この頃、るりりんがこの村に居た頃の思い出話ばかりするの。きっと、困った事がるりりんにあったのではないかって、思うのよね。大事な子の相談にのってあげたいって思うの、間違っているかな?」
 ミルは少し首を傾げた。
 ――― 人間の肉の器は、我等と違って脆いのだぞ?
「王都までの旅が危険だっていいたいの? 大丈夫よ」
 ――― 壊れたら、我等との約束が果たせなくなる。
 ミルの言いように、スタンは困った様な表情をした。
「……あたしだって、痛いのは嫌だし、辛い事も嫌だ。ミルちゃんたちとまた山で遊びたいよ。ずっとね?」
 ――― 旅を止める事は出来ないか? そうしたら、器が壊れる心配は無い。ずっと我等の側におれる。
 スタンはじっとミルの菫色の目を覗き込んだ。
「あたしはね、《お姉ちゃん》なの。血は繋がっていないけど、妹が助けてって言っているなら、助けてあげなくちゃ」
 ふと、囁く様な澄んだ音がした。
 脳裏に響く風の音。
 その音は人の言葉でスタンの脳裏にその意思を伝えた。
 ――― 一緒に行く。
 スタンは驚いた様にミルから新たな声の主の方へ視線を向けた。
 視線の先に、淡く光る鼬がいる。
「……バンクウ」
 すると、バンクウの同胞たちが、顔を顰めて窘める。
 ふと気がつくと、遊戯盤を囲んでいた他のモノたちもこちらをじっと見ていた。
 ――― それは、駄目だ。関与は成らない。
 ――― 第一、スタンギールは、我等と契約を交わしていない。受け入れていない。
 それを聞いていたミルは、可笑しそうに告げた。
 ――― では、我も共に参ろうか。
 今度はミルの同胞たちがケチをつける。
 ――― 我等は契約を交わしていない。
 ――― 故にこの世界に接触出来ぬ!
 スタンは先程から頻繁に出てくる《契約》という言葉に、首を傾げた。
 話題がスタン自身の事でもあったので、暫く成り行きを見守っていたが、顔に振りかかった月の陰り加減から、山に入ってかなりの時間が経過している事に気付いた。
 そろそろ家に帰らなければ夜中に抜け出して山中に居る事が両親にばれてしまう。
 スタンは、フッと吐息をついた。
「ミルちゃん、バンクウ」
 呼ばれた一羽と一匹はそれぞれスタンを見上げた。
「気持ちは嬉しい。有り難う……でも、友達と喧嘩は駄目だよ? あたしは、大丈夫だから。……皆の話だと《契約》とかいうのが必要なんでしょ? そういう知識、あたしには無いもん」
 ――― …………。
「そろそろお父さんたちが心配しているかもしれないから、あたし帰るね? 旅の用意もあるし」
 スタンは腕にとまったミルの頭部を指で撫でて地面に下ろした。
 ミルはスタンを見上げたまま言い方を変えてきた。
 ――― スタンギールは、空を飛びたいと思わないか?
 スタンはキョトンとした。ミルが何を言いたいのか判らなかったのだ。
「…………ミルちゃん?」
 ――― その見せてもらった募集要項では、到着までの日数が三日後と成っているが、大丈夫なのか?
 スタンは、困った様に肩を竦めた。
「……それが、大丈夫じゃないのよね。だって、あたしの足だったら、少なくとも二ヵ月以上王都までかかるもん。でも、父さんが言っていた。遅れても構わないって」
 ミルは一度目を瞬いて人間臭い表情をした。
 つまり、悪戯を思いついた子供の様な目でスタンを見上げたのである。
 ――― 人で言う所の《雇う》気は無いか? スタンギール。
 スタンはミルの言いたい事が判らなくて、ミルを見つめた。
「………あたしに、ミルちゃんを《雇用》しないか、ということ?」
 ミルは小さな頭を上下に振って頷き「そうだ」と答えた。
 ――― 我の力でだったら、瞬き程で目的の場所へ行く事が出来る。……それに、だ。空からの眺めは格別だぞ?
 スタンは、目を徐々に大きく見開いた。
「…………期限に間に合う?」
 再び、手元の紙に視線を落とす。
「……でも……」
 それが本当なら、雇いたい。
 本当は初めての旅だ。
 心細いと感じないまでもなかった。
 ミルは、人では無いが幼馴染みである。
 旅をするにしても、きっと他の誰より楽しいだろう。
 だが、スタンは他人を雇うほど蓄えが無かった。
 だから、首を振って苦笑する。
「でも、ミルちゃん。あたしは人を雇えるほどお金を持っていないよ?」
 ミルは小さく笑った。
 耳では烏の鳴き声を拾う。
――― スタンギールは、勝負で得た戦勝点を使うのは嫌だというのだろう? 一一二〇点も有るのに。
 スタンはそれには頷く。
「だって、あれは《遊び》でしょう? あたしも皆と楽しんでいるのだから、フェアじゃない。ミルちゃんたちが損なだけでしょ」
 ――― 他の人間たちはそういう風に考えないぞ。それを切っ掛けに利用しようとするはずだ。……必ずな。
「……でも、あたしは嫌だ。友達に嫌な思いをさせたくないよ」
 ――― なら、我等の願いを叶えるという事で対等だ。
 今まで口を挟まなかったバンクウが、スタンに提案する。
 スタンは不思議そうにバンクウを見た。
 バンクウは同胞たちに何を話したのか、今度は諌めようとする事無く、沈黙を保っている。
 ――― 願いを叶えてくれるか? それを我等に対する代価とする。
 スタンはその場に座り込んだ。
 バンクウはしなやかな足取りで側に駆け寄ると、小さな前足をスタンの膝に乗せた。
 ――― スタンギールの《存在》は、貴重だ。我等と肩を並べるに相応しい。
スタンは目を瞬いた。
 意味が判らないのだ。
 すると、今度はミルが頼り無い足取りで側に近づいて来る。
 ――― 我等の《調停者》に成ってはくれないだろうか? その区別無い魂に相応しい、器を手に入れて。
 スタンは眉間に皺を刻んでミルを見つめた。
「…………へ?」
 その様子を、可笑しそうにバンクウが見つめる。
 ――― スタンギール、今でこそこの様に和んではいるが、本来我等とミルたち魔神とは相いれない存在だ。また、こういう争うことのない三者が集い交流する関係は、他の神々の一派にとって理解しがたいものであるのだよ。
バンクウの言いように、スタンは少し考えた。
考えて、小さく手を上げる。
するとバンクウが「なにか」と問いかけてきた。
「……ミルたちとバンクウの同胞たちって、そんなに違うものなの?」
 今度はミルが答えた。
 ――― 違う。例えるなら、その存在は水と火の様に存在する《意味》が違う。作りだすモノと壊すモノ。それくらい違う。
「…………」
 ――― 常に争い合うモノとして本来は 《対立》している筈のものだ。
 スタンは、対立という言葉に顔を顰めた。
「それは、嫌だ……」
 バンクウは、真紅の目を和ませる。
 ――― でも、事実だ。スタンギールと知り合う前は、我等とて戦っていた。互いの存在を抹消するために。だが、戦う形式が変わった。……持ち込んだのはミルだ。受けたのは我。我やミルに賛同したモノがここに集い、勝負した。そして……我もミルもスタンギールには勝てなかった。
「…………」
 ――― 我等の戦いは自己の意志を頂点に据えている故に、対立する《主張》からくるものだ。我等の抱える《意志》は、それの通る空間を欲する。……人で言う《領土争い》の様なものだ。それは属性の違いから誘うものではない。我等はスタンギールと知り合ってそれらが、 
《無意味》である事を知った。様々な《意図》を紡ぎだす可能性を秘めるスタンギールを安易に失いたくないのだ。
「…………なんで、ミルちゃんの申し出に最初にバンクウが答えたの?」
 少し間があった。
 ややしてミルが答えた。
 ――― 我とバンクウは究極にして最初のモノ。陰と陽の様な正反対のモノ。近しく遠いモノ。……同じ時に発生したものだからだ。
 バンクウは頷いた。
 そして「もう一つ」と今度は楽しそうに答える。
 ――― 我がスタンギールに勝つ事が出来たら、彼らはここに居なかった。負けたら居場所を明け渡すとまで言ってきた。ミルを負かす事が出来た存在に勝つ事が出来たら、この場所の覇権は我等に渡すとまで提案してきた。だからこの《勝負》を受けた。……まさか相手が力無きモノと言われた《人間》だとは思わなかったが。
「…………」
 スタンはトンでもない謂われ様だと苦笑する。
(まあ、確かにあなたたちからすると、小さい存在だよね)
 ここに集うモノたちの本体が巨大な事を、スタンは知っている。
 ――― 
勝負は神聖だ。そういう次元に生きている。我等は存在にかけて常に頂点に立たなければ成らない。前例が無くとも、勝者であるスタンギールが望むなら、我等は争う事を放棄する。……ただし、が付く。
 スタンも何とはなしにその先の言葉を知っていた。
「つまり、それが有効なのは《あたし》という存在がある限り、という事でしょ?」
 ミルは、スタンを見つめて「そうだ」頷いた。
「でもさ、その理屈からすると、あたしが居なくなったら自由じゃない? ……死ぬのは勿論嫌だけど、でもミルたちは《力》の無い人間に左右されるのって、屈辱なのではないの」
 バンクウはスタンの言いように顔を顰めて、不満そうに小さな前足を軽く動かした。
 ――― スタンギール。誰がお前を《無力》だと、言った? 誰が簡単にその存在の消失を許していいほど、軽い存在だと言ったのだ?
 スタンは目を丸くする。
「……だって……あたし、ミルちゃんやバンクウたちの様に、自由に姿を変えられないよ?」
 バンクウは、諭す様に二度スタンの膝を前足で突っ付いた。
 ――― だが、我等はスタンギール。お前に勝てないのだ。これは確かにお前たちの同胞が生み出した《遊戯》だ。だがな、それを受けたのは我等だ。そして……真っ向から勝負を挑んで勝てなかったのだ。
「…………それは、遊戯をやり込んでいないからじゃないの?」
 ミルはステップを踏む様に跳ねながらスタンの回りをグルリと回ると、呆れた様に一声鳴く。
 ――― ……判っていないな。
 今まで静聴していた他のモノたちも、うろんな目でスタンを見た。
「なっ、何をそんな抗議する様な眼差しであたしを見るわけ?」
 ――― 本当に判っていない。
 ――― 我等の《意味》を理解していないな、だから言えるのだ、スタンギールは。
「……チルル、ヤナ?」
 ――― 魔術使いでは無い故、知識が欠落しているのか?
 ――― ……我等の《力》を直接見せるべきなのであろうな。
 ――― さもあらん。さもあらん。
「…………レイレイ、チャイ、シド? 何を言っているの。みんなは変装上手な以外に何があるって言いたいわけ」
 スタンは段々混乱してきた。
 ――― レイレイ、チャイ、シド。それはスタンギールが頷いた後だ。
ミルが三者にクギをさした。
バンクウは宥める様にスタンに説明を続ける。
 ――― 落ちつけ。とにかく、後に説明する。スタンギールは我等に勝った。一度だけの勝負ではなく、我等にとっては瞬きほどの時間経過だとは言え、何度勝負を挑んでも勝てなかったのだ。ならば、強者の理だ。お前が我等の《頭》となるべきだろう?
 スタンはふと弟たちの論理と同じ事だという事に気付いた。
 つまり、勝負の世界では、一番強いのが大将なのである。
(……つまり、あたしが遊戯のガキ大将という訳ね? 何でそれに、他の事情が絡んでくるのか判らないけど……)
 事実、彼らに勝ち続けているのだから仕方がない。
 これ以上問答しても堂々巡りに成りそうな気がスタンにはしていた。
 だから、ここは腹を括るしか無かった。
「……で、お願いがあなたたちのガキ大将《調停者》になる事ね?」
 ミルたちは《ガキ大将》という言葉に首を傾げたが、調停者だという事と一括りにしている事で意味を察したのか「そうだ」と頷いた。
「……そうしたら、喧嘩もしなくなる?」
 バンクウたちは再び頷いた。
 ――― スタンギールが我等の代表という事になるからな。
 スタンは少し考えた。
(大体、なんでここまで話がややこしくなったのだろう?)
 リスロイにしばらく遊びに来られないという事を説明しに来ただけなのに。
 だから、みんなには暇潰しに新しく手に入れた遊戯で遊んでいて貰おうと思っていたのに。
 スタンは段々考えるのが面倒になってきた。
 第一、リスロイに入ってどれだけの時間が経過した事か。
 ……このままでは、朝確実に起きられなくなる。
「判った」
 スタンは、さっさと承知して帰って寝る事に決めた。
「今の生活に支障が無いなら、そのお願いを聞いてもいいよ。それに、王都まで送ってくれるのでしょ。その申し出は、すっごく助かるもん」
スタンの言葉を聞いて、ミルたちの目が異様に輝いた。
 ――― 《器》を作ってもいいか? このままでは我等の《調停者》に成る事が出来ない。
 スタンは深く考えずに手をヒラヒラと振った。
「好きにしていいよ。ルクタ」
すると、今までほとんど対話に参加して居なかったモノたちが嬉々として歓声を上げ、地面に映し出された月影に浮かぶ多重の影の一つを掴んで消えた。
一緒に渡していた遊戯盤も消える。
 スタンは訳が判らず消えた方向を見つめた。
「…………」
(……何がそんなに嬉しいんだろう?)
 スタンは頬を指で掻きながらそんな事を考える。
――― 代価は受け取った。我はスタンギールが真実我等の《調停者》となる日まで、守護の力となろう。
 バンクウは、スタンの右の手首に触れた。
すると飾り文字が刻まれた白銀の精巧な腕輪に擬態して嵌まった。
「……バンクウ?」
 ――― 何時でも会える。腕輪は、スタンギールの意思でしか外れない。会いたいときに、腕輪を外せばいい。
 ミルは宙に舞うと羽ばたきながらスタンの背に留まった。側面に留まるとは器用なものだと感心した瞬間、ミルの姿は消えてスタンの背丈の三倍はある巨大な翼に変化する。
 ――― スタンギール。我はスタンギールの時空を渡る翼と成ろう。脳裏に思い浮かべるだけでいい。風が……空間がスタンギールを受け入れる。
 驚くスタンは、瞬く間にリスロイの麓にある我が家の自分の部屋に居る事に気づいた。
「……凄い……」
 ――― 我は共に居る。普段は異端視されぬ様に、翼を鳥に変えて従わせよう。
「…………」
 ――― 我と会いたくなれば、その鳥を空に放てばいい。スタンギールの同胞と同じ形を得て会う事にする。
 スタンは「うん」と頷いた。そして、嬉しそうに笑う。
「……有り難うね? ミルちゃん」
道中の不安が取り除かれた事で安心したのか、急に眠くなる。
欠伸が出た。
 スタンは明日荷造りをしようと考えて、肩に留まっていた手のひらサイズの小鳥を椅子の背もたれに留まらせると、さっさと着替えてベッドに飛び込んだ。
 手を延ばすと届く位置にある、サイドテーブルの上に置いてあったランプのひねりを絞って、部屋を明るく照らしていた火を消すと、小鳥に声をかける。
「お休み!」
……なんだか、旅が楽しく成りそうな気がして、わくわくした気持ちを抱えたまま眠りについた。
 スタンは、かなりとんでもない事を承諾した自覚が、その時は無かったのである。
 
  
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