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三 妖精の国 下
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「か・え・し・て・よっ!」
「……それは、わたしの一存では判断出来ない事です」
背中にガラス細工の様な繊細で透明なトンボの羽根に似た物を持つ人物に連れられて案内された部屋は、通称「鏡の間」と呼ばれる応接間であった。初めは互いに意思の疎通が図れなかったが、珊瑚に似た色の石の輪を植物が主体の凝った象牙細工の箱から取り出すと、それを頭に嵌めるようにと身振り手振りで指示された。訳を聞こうと思ったが、通じないのが判っていたので、渋々それを嵌めると、不思議な事に今まで判らなかった言葉が判るようになった。
同時通訳出来るとは便利な物だと思いながら、つるぎは不思議そうにそれを撫でる。
つるぎが「これは何だ?」と聞くと、「意思を持つ不思議の石…レーニェの石だ」と答えた。それから、しばらく自分がここに連れられて来た訳を聞いて回ったが、その部屋にいる誰もが、「わたしは存じません。王が、それに答えて下さいます」と切り返してきた。
「……王?」
つるぎが聞き返すと、臣下らしい青年が頷いて微笑んだ。
「はい。このフェスタスール王国を治めておられる、妖精王でございます」
つるぎの頬がピクリと引きつった。
「…………冗談、でしょ?」
青年は首を振ると笑顔を絶やさないまま、真面目に答える。
「いいえ、本当でございます。決して、嘘、偽りをわたくしは申してはおりません」
「……じゃあ、その、妖精王というのが、家へ帰る方法を知っているのね?」
つるぎの言葉使いにピクリと今度は青年の方が反応する。……些細な仲違いの切っ掛けの到来だ。
「言葉使いに気をつけなさいませ」
答えた青年の声音に剣呑な物を含んでいた。
それをあっさり受け流すと、つるぎはにこりと笑った。
「白銀の髪を足先までズルズル伸ばしている人がそうなら、わたしにとって、それが相応しい態度よ」
ズイッと一歩前へ出た。反対に青年は一歩後ろへ下がる。つるぎの態度に気押されたようだ。
「無理矢理、なんですからねっ!それなのに、こんなゲームの世界の様な変な所に引きずり込んだ張本人を敬えというの?」
段々、理不尽な怒りがつるぎの中で鎌首を擡げはじめた。つるぎは気付いていないが、つるぎの感情に応呼するように、身体の回りで放電現象が起きている。
フワッと室内で風が吹いた。つるぎの短い髪がその風に乗ってバサバサと靡く。
つるぎの回りを光の輪が二重に包んだ。それを見て、青年は顔色を蒼白に変える。
「……お、おまえっ……!」
「わたしはね、ゲームをするのは好きだけど、自分がゲームのキャラクターになるのは、まっぴら御免なのよっ!帰るって言ったら帰るんだからっ!」
「化け……物……っ!」
ブッチンと何かか切れた音がした。つるぎは、相手の言葉を正確に理解していた。そして、何が切れたのかも知っていた。今まで抑えに抑えた感情の糸だ。
「こ・ん・な……っ」
目の前で何かが荒れ狂うのを見ていた。全て他人事で見ていたが、自分の回りを取り巻いている不思議な“力”が、色を変えたのを、つるぎは、こみ上げる感情と共に知った。
色は赤。……すなわち、怒り。
「一般庶民的な、無力で可愛い女子高校生を捕まえて、化け物といったわねーっ!」
外では季節外れの雷鳴が轟いていた。それが、段々と近づいてくる。まるで意思があるように、真っ直ぐこの建物「フェスタスール王城」の頭上へやって来たのだ。
鏡の間に続く廊下を悲鳴が連動的に響いた。
時々、物を落として割れる音が聞こえる。
つるぎが怒りに任せて叫んだのと、城に雷が落ちたのと、鏡の間に巨大なモノが扉を突き破って入って来たのが全て同時だった。
青年は、悲鳴を上げる。
「ふっ、風蛇龍だっ!……なんでっ」
風蛇龍とは、空を飛翔する尊き古い一族の一種族で、五大聖獣の一つに数えられる。他種族との関わりを嫌う事で有名で、その姿を見た者は、語り継がれる絵姿以外ほとんどいない。
『ボクハ、アナタヲ、エランダ』
扉の飛沫が部屋の中を荒れ狂う風に翻弄される中、風蛇龍は巨体をつるぎの側に寄せると囁いた。
『オネエチャン、ナマエヲボクニチョウダイ』
心の中に響く声だった。
まだ、成熟したと言えない、あどけない子供の声。
つるぎは、気勢を削がれた様にして、その風蛇龍を見上げた。
つるぎを取り巻いていた力の波動は也を潜め、荒れ狂っていた室内の暴風は、感情が落ちついてきたと同時に消え失せる。
浮遊力を失った飛び交っていた調度品の破片は、次々に床へ落ち、耳障りな音を響かせた。
「名前、無いの?」
つるぎが聞くと、頷く気配があった。
「……そうね、名前無いと不便だよね?」
柔らかな水色の毛並みを撫でながら笑顔を風蛇龍に向ける。つるぎは、少し考え込んでいたが、ある音楽のCDのタイトルが頭に浮かんだ。
「……“ヴァーユ”ってのは、どう?わたしの産まれた世界の異国の言葉で風の神という意味なの。……自己紹介まだだったわね?わたしの名は、風間つるぎよ。つるぎって呼んでね」
廊下をこちらへ駆けてくる足音が多数響いた。風蛇龍、ヴァーユは嬉しげに身体をゆすると、つるぎをくわえ込んで自分の背に乗せ、背後で数人の制止する様にとの要請の声を無視し、突き破った扉から空へ舞い上がった。
「うわあっ……!」
ぐんぐん青い空へ向けて飛翔する。翼ある種族の中で龍より早い飛翔力を持つ者はいない。後を追った王族に仕える妖精たちをあっさりと抜き去り、既に王城はゴマ粒になっていた。感嘆の声を上げるつるぎに、ヴァーユは言った。今度はぎこちない声でなく、滑らかな肉声で。
『ぼくが、ツルギの守護聖獣になるね。ぼくは、ツルギのモノだ』
つるぎは、首を横に振った。
「ううん、ヴァーユはわたしを助けてくれた。この世界で初めての、わたしの友達よ」
そう言って空を飛翔する、ヴァーユの首にしがみついた。
「これから、何処に向かうの?」
ヴァーユは少し考える仕種をする。
『……ぼくの種族の長老に会う。会ってまず、ぼくのトモダチのツルギを認めてもらう。そして、ツルギを国に返す方法を聞いてみるよ』
「……帰る方法を知っているの?」
ヴァーユはゆっくりと身体を揺らした。
『過度な期待はしないで。……でも、聞いてみる価値は有ると思う。例え知らなくても、手掛かりが掴めるかも知れないし。来る事が出来たんなら、帰る方法が有るはずだよ』
つるぎは「うん」と呟き頷いた。これほど頼れる友達を早期に手に入れる事が出来た自分の幸運に、この時ほど深く感謝した事が無い。
「……ねぇ。わたしを選んだ理由は何なの?わたし、普通の女子高校生だよ?」
ヴァーユは初めて進行方向へ向けていた顔を背に乗せたつるぎに向ける。
『……ぼくは、まだ幼くて理由はよく判らないけど、ツルギの姿がとても輝いて見えたんだ』
空中に停滞したまま、困ったように真紅の目をつるぎに向ける。
『金色の二重の光の膜。キラキラ、キラキラきらめいて、朝も早くて太陽も上がっていない暗闇の中なのに、一際、目立っていたんだよ。ぼくが、一番に見つけた。……好奇心もあって、会いに行ったんだ』
つるぎは困惑した様子を見せる。
『一族の掟で、普段は他の種族には会わない様にしているけど、自分が認めたナニカが現れた時は、そのナニカに名を示して受け入れて貰いなさいって、長老が言っていた。でも、そういう機会は滅多に無い事だとも言っていたよ』
「…………うーん。そんな、大層な者じゃないよ、わたしは」
ヴァーユは、考え込んでしまったつるぎを見ながら目で笑う。
『普通でも、いいじゃない。ぼくが、つるぎを選んだんだ。他には譲らないからね』
晴れ渡っていたはずの空が雲を呼び、雷鳴を呼んだ。閉め切られていたはずの室内で荒れ狂った暴風。なにより、強いこの力の波動……。不思議と目を引く無性の美しい容貌。見たことも無い褐色の瞳の持ち主である、この不可思議な存在。
───────ただ者であるはずがない。
『辞退しないでね、じゃないと、ぼく、泣くから』
不安げに声を震わせるヴァーユのこの巨体を見ながら親からはぐれた子犬を連想する。
つるぎは、「普通でいい」と言ってくれた、この幼い風蛇龍に笑顔を向けた。
「……うん、判った。改めて、よろしくね」
そう言って、柔らかい水色の毛並みに顔を埋めた。
ヴァーユは、人気のない深い森の中にある岩山近くの泉の辺に下りて、転変した。
真紅の目はそのままだったが、十才前後の人身になる。竜の時の水色の毛並みが、同色の髪に変わる。その水色の髪を腰まで垂らした、色白の可愛い少年が、つるぎの目の前に出現した。
つるぎは、木陰にいながらも、眩しそうに目を細めるヴァーユを見ながら、家に帰る旅にヴァーユが同行するなら、日除けの帽子と服がいるなと思った。
日除けの帽子は色素の薄い目を守るため。 服は、変身して人身になったその子供が、全裸で寒そうだったもので。
小さな柔らかい白い手が、つるぎの手を掴んで、泉の中央を示した。
つるぎは、少々怖かったが、覚悟を決めると、導かれるまま、泉の上へ足を踏み出した。
その頃、フェスタスール王城では、騒ぎが再び起きていた。
城の一角が原因不明の落雷で壊れた事と、つるぎの逃亡を阻止出来なかった事もかなりの大事だったが、一番の理由は、地下室に閉じ込めていた、ある魔術師が、誰かの手引きで逃走した事だった。
「あやつを逃がしたと王に知れれば、お叱りを受けるぞ!」
「探せ、探せーっ!」
バタバタと埃が舞うほどの慌ただしさの中、その騒ぎに紛れて、二匹の猫がその地下牢から抜け出した。
珍しい銀の毛並みを持つのと、つやつやとした漆黒の毛並みのものと二匹。
彼らはしばらく地下牢の並ぶ界隈をうろついていたが、それに気付いた地下牢の番人の一人から外へつまみ出される。
後は銀の猫が先頭に堂々と城壁を乗り越えて、次々とその身を湖に躍らせた。
トッポンと間の抜けた音が二つほど響き、近くを漂っていた木片の所まで、どうにか泳ぎ着くと、二匹はその上にはい上がった。
二匹がどうにか湖の岸辺にたどり着いた頃、もう一度、王城で騒ぎが起きる。
先程の比ではない、大騒ぎなのだが、その原因を随分後でつるぎは知る事になる。
「……それは、わたしの一存では判断出来ない事です」
背中にガラス細工の様な繊細で透明なトンボの羽根に似た物を持つ人物に連れられて案内された部屋は、通称「鏡の間」と呼ばれる応接間であった。初めは互いに意思の疎通が図れなかったが、珊瑚に似た色の石の輪を植物が主体の凝った象牙細工の箱から取り出すと、それを頭に嵌めるようにと身振り手振りで指示された。訳を聞こうと思ったが、通じないのが判っていたので、渋々それを嵌めると、不思議な事に今まで判らなかった言葉が判るようになった。
同時通訳出来るとは便利な物だと思いながら、つるぎは不思議そうにそれを撫でる。
つるぎが「これは何だ?」と聞くと、「意思を持つ不思議の石…レーニェの石だ」と答えた。それから、しばらく自分がここに連れられて来た訳を聞いて回ったが、その部屋にいる誰もが、「わたしは存じません。王が、それに答えて下さいます」と切り返してきた。
「……王?」
つるぎが聞き返すと、臣下らしい青年が頷いて微笑んだ。
「はい。このフェスタスール王国を治めておられる、妖精王でございます」
つるぎの頬がピクリと引きつった。
「…………冗談、でしょ?」
青年は首を振ると笑顔を絶やさないまま、真面目に答える。
「いいえ、本当でございます。決して、嘘、偽りをわたくしは申してはおりません」
「……じゃあ、その、妖精王というのが、家へ帰る方法を知っているのね?」
つるぎの言葉使いにピクリと今度は青年の方が反応する。……些細な仲違いの切っ掛けの到来だ。
「言葉使いに気をつけなさいませ」
答えた青年の声音に剣呑な物を含んでいた。
それをあっさり受け流すと、つるぎはにこりと笑った。
「白銀の髪を足先までズルズル伸ばしている人がそうなら、わたしにとって、それが相応しい態度よ」
ズイッと一歩前へ出た。反対に青年は一歩後ろへ下がる。つるぎの態度に気押されたようだ。
「無理矢理、なんですからねっ!それなのに、こんなゲームの世界の様な変な所に引きずり込んだ張本人を敬えというの?」
段々、理不尽な怒りがつるぎの中で鎌首を擡げはじめた。つるぎは気付いていないが、つるぎの感情に応呼するように、身体の回りで放電現象が起きている。
フワッと室内で風が吹いた。つるぎの短い髪がその風に乗ってバサバサと靡く。
つるぎの回りを光の輪が二重に包んだ。それを見て、青年は顔色を蒼白に変える。
「……お、おまえっ……!」
「わたしはね、ゲームをするのは好きだけど、自分がゲームのキャラクターになるのは、まっぴら御免なのよっ!帰るって言ったら帰るんだからっ!」
「化け……物……っ!」
ブッチンと何かか切れた音がした。つるぎは、相手の言葉を正確に理解していた。そして、何が切れたのかも知っていた。今まで抑えに抑えた感情の糸だ。
「こ・ん・な……っ」
目の前で何かが荒れ狂うのを見ていた。全て他人事で見ていたが、自分の回りを取り巻いている不思議な“力”が、色を変えたのを、つるぎは、こみ上げる感情と共に知った。
色は赤。……すなわち、怒り。
「一般庶民的な、無力で可愛い女子高校生を捕まえて、化け物といったわねーっ!」
外では季節外れの雷鳴が轟いていた。それが、段々と近づいてくる。まるで意思があるように、真っ直ぐこの建物「フェスタスール王城」の頭上へやって来たのだ。
鏡の間に続く廊下を悲鳴が連動的に響いた。
時々、物を落として割れる音が聞こえる。
つるぎが怒りに任せて叫んだのと、城に雷が落ちたのと、鏡の間に巨大なモノが扉を突き破って入って来たのが全て同時だった。
青年は、悲鳴を上げる。
「ふっ、風蛇龍だっ!……なんでっ」
風蛇龍とは、空を飛翔する尊き古い一族の一種族で、五大聖獣の一つに数えられる。他種族との関わりを嫌う事で有名で、その姿を見た者は、語り継がれる絵姿以外ほとんどいない。
『ボクハ、アナタヲ、エランダ』
扉の飛沫が部屋の中を荒れ狂う風に翻弄される中、風蛇龍は巨体をつるぎの側に寄せると囁いた。
『オネエチャン、ナマエヲボクニチョウダイ』
心の中に響く声だった。
まだ、成熟したと言えない、あどけない子供の声。
つるぎは、気勢を削がれた様にして、その風蛇龍を見上げた。
つるぎを取り巻いていた力の波動は也を潜め、荒れ狂っていた室内の暴風は、感情が落ちついてきたと同時に消え失せる。
浮遊力を失った飛び交っていた調度品の破片は、次々に床へ落ち、耳障りな音を響かせた。
「名前、無いの?」
つるぎが聞くと、頷く気配があった。
「……そうね、名前無いと不便だよね?」
柔らかな水色の毛並みを撫でながら笑顔を風蛇龍に向ける。つるぎは、少し考え込んでいたが、ある音楽のCDのタイトルが頭に浮かんだ。
「……“ヴァーユ”ってのは、どう?わたしの産まれた世界の異国の言葉で風の神という意味なの。……自己紹介まだだったわね?わたしの名は、風間つるぎよ。つるぎって呼んでね」
廊下をこちらへ駆けてくる足音が多数響いた。風蛇龍、ヴァーユは嬉しげに身体をゆすると、つるぎをくわえ込んで自分の背に乗せ、背後で数人の制止する様にとの要請の声を無視し、突き破った扉から空へ舞い上がった。
「うわあっ……!」
ぐんぐん青い空へ向けて飛翔する。翼ある種族の中で龍より早い飛翔力を持つ者はいない。後を追った王族に仕える妖精たちをあっさりと抜き去り、既に王城はゴマ粒になっていた。感嘆の声を上げるつるぎに、ヴァーユは言った。今度はぎこちない声でなく、滑らかな肉声で。
『ぼくが、ツルギの守護聖獣になるね。ぼくは、ツルギのモノだ』
つるぎは、首を横に振った。
「ううん、ヴァーユはわたしを助けてくれた。この世界で初めての、わたしの友達よ」
そう言って空を飛翔する、ヴァーユの首にしがみついた。
「これから、何処に向かうの?」
ヴァーユは少し考える仕種をする。
『……ぼくの種族の長老に会う。会ってまず、ぼくのトモダチのツルギを認めてもらう。そして、ツルギを国に返す方法を聞いてみるよ』
「……帰る方法を知っているの?」
ヴァーユはゆっくりと身体を揺らした。
『過度な期待はしないで。……でも、聞いてみる価値は有ると思う。例え知らなくても、手掛かりが掴めるかも知れないし。来る事が出来たんなら、帰る方法が有るはずだよ』
つるぎは「うん」と呟き頷いた。これほど頼れる友達を早期に手に入れる事が出来た自分の幸運に、この時ほど深く感謝した事が無い。
「……ねぇ。わたしを選んだ理由は何なの?わたし、普通の女子高校生だよ?」
ヴァーユは初めて進行方向へ向けていた顔を背に乗せたつるぎに向ける。
『……ぼくは、まだ幼くて理由はよく判らないけど、ツルギの姿がとても輝いて見えたんだ』
空中に停滞したまま、困ったように真紅の目をつるぎに向ける。
『金色の二重の光の膜。キラキラ、キラキラきらめいて、朝も早くて太陽も上がっていない暗闇の中なのに、一際、目立っていたんだよ。ぼくが、一番に見つけた。……好奇心もあって、会いに行ったんだ』
つるぎは困惑した様子を見せる。
『一族の掟で、普段は他の種族には会わない様にしているけど、自分が認めたナニカが現れた時は、そのナニカに名を示して受け入れて貰いなさいって、長老が言っていた。でも、そういう機会は滅多に無い事だとも言っていたよ』
「…………うーん。そんな、大層な者じゃないよ、わたしは」
ヴァーユは、考え込んでしまったつるぎを見ながら目で笑う。
『普通でも、いいじゃない。ぼくが、つるぎを選んだんだ。他には譲らないからね』
晴れ渡っていたはずの空が雲を呼び、雷鳴を呼んだ。閉め切られていたはずの室内で荒れ狂った暴風。なにより、強いこの力の波動……。不思議と目を引く無性の美しい容貌。見たことも無い褐色の瞳の持ち主である、この不可思議な存在。
───────ただ者であるはずがない。
『辞退しないでね、じゃないと、ぼく、泣くから』
不安げに声を震わせるヴァーユのこの巨体を見ながら親からはぐれた子犬を連想する。
つるぎは、「普通でいい」と言ってくれた、この幼い風蛇龍に笑顔を向けた。
「……うん、判った。改めて、よろしくね」
そう言って、柔らかい水色の毛並みに顔を埋めた。
ヴァーユは、人気のない深い森の中にある岩山近くの泉の辺に下りて、転変した。
真紅の目はそのままだったが、十才前後の人身になる。竜の時の水色の毛並みが、同色の髪に変わる。その水色の髪を腰まで垂らした、色白の可愛い少年が、つるぎの目の前に出現した。
つるぎは、木陰にいながらも、眩しそうに目を細めるヴァーユを見ながら、家に帰る旅にヴァーユが同行するなら、日除けの帽子と服がいるなと思った。
日除けの帽子は色素の薄い目を守るため。 服は、変身して人身になったその子供が、全裸で寒そうだったもので。
小さな柔らかい白い手が、つるぎの手を掴んで、泉の中央を示した。
つるぎは、少々怖かったが、覚悟を決めると、導かれるまま、泉の上へ足を踏み出した。
その頃、フェスタスール王城では、騒ぎが再び起きていた。
城の一角が原因不明の落雷で壊れた事と、つるぎの逃亡を阻止出来なかった事もかなりの大事だったが、一番の理由は、地下室に閉じ込めていた、ある魔術師が、誰かの手引きで逃走した事だった。
「あやつを逃がしたと王に知れれば、お叱りを受けるぞ!」
「探せ、探せーっ!」
バタバタと埃が舞うほどの慌ただしさの中、その騒ぎに紛れて、二匹の猫がその地下牢から抜け出した。
珍しい銀の毛並みを持つのと、つやつやとした漆黒の毛並みのものと二匹。
彼らはしばらく地下牢の並ぶ界隈をうろついていたが、それに気付いた地下牢の番人の一人から外へつまみ出される。
後は銀の猫が先頭に堂々と城壁を乗り越えて、次々とその身を湖に躍らせた。
トッポンと間の抜けた音が二つほど響き、近くを漂っていた木片の所まで、どうにか泳ぎ着くと、二匹はその上にはい上がった。
二匹がどうにか湖の岸辺にたどり着いた頃、もう一度、王城で騒ぎが起きる。
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