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第五章 帰還
118話
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「シアン! それにアレットも……懐かしいしまた会えて私、嬉しい……! にしても……今、コルド兄さまのこと、ロード・フィールズって……」
いくら令嬢ではなく少年になってからそれなりに経っていてもそれくらいはわかる。姓にロードということはシアンはコルドに対して子爵か男爵、と呼びかけたということだ。公爵や侯爵なら爵位の称号にロードをつけてくるし、伯爵なら爵位号に卿をつけるかそのまま伯爵とつけるだろう。逆に準男爵や騎士に対してならロードではなくサーをつける。というかそもそもコルドのように侯爵家の次男ならばロードとつけるならロード・フィールズではなくロード・コルドと呼ぶはずだ。優秀なシアンがあえて呼び間違えるなどするわけがない。
今のこの状況が何もかもわからなくてリフィルナは懐かしい気持ちに溢れながらも混乱した。
「シアン、何でわざわざくだけた呼び方とはいえあえてそういう風に呼んでくるかな」
「コルド様のことですからお嬢様に話しておられないだろうなと。俺はきっかけを作っただけですよ」
「余計なこと過ぎて苦笑しか出ないよ」
「まあまあ、とにかくこんなところで立ち話など。殿方はお気楽でいらっしゃるでしょうが、お嬢様はきっと寛きたいはずです。しかもなんですリフィルナ様の恰好は。私見ていられません。恐れながらお嬢様をお連れさせていただきます。積もる話は後になさってくださいませ」
さすがハウスキーパーだったアレットとでも言うのだろうか。大勢が集まっている中、堂々とコルドにそんなことを言ってのけ、まだポカンとしているリフィルナを「さ、こちらでございます。マリー、あなたも早くいらっしゃい」などと言いながら促してきた。
「マリー? マリーもいるのっ?」
「はい、リフィルナ様」
集まっていた使用人たちの後ろから懐かしい顔が前へ出てきた。小さい頃からずっとリフィルナの側で世話をしてくれていた侍女のマリーだ。
「っマリー! ああ、懐かしい、どうしよう、私すごく懐かしくて胸がいっぱい……」
「ええ、私もです。またリフィルナ様にお会いできるなんて……」
リフィルナは自分より少し年上のマリーを思い切りぎゅっと抱きしめた。マリーも抱きしめ返してくれる。だがアレットにまた促され、案内された部屋へ向かった。広いと言っても広すぎない、それに派手さはないもののところどころに洒落たデザインや置物が施されている、それでいてほんわかとどこかホッと寛げる部屋だった。そこでお茶でも飲むのかと思っているとさらに「こちらへ」と促される。隣の部屋にはバスタブが置かれていて、リフィルナは相当久しぶりに暖かいお湯に浸かることができた。しかもとてもいい香りのする香料が入っている。こんなお風呂になど、侯爵令嬢だった頃以来だ。
「すごくいい香り! まるで高級娼婦のラ・パルファン侯爵夫人のお風呂みたい!」
「なんですって?」
アレットが不思議な顔をしている。そういえば遠い国の話だから知らないのだろう。
ラ・パルファンは船旅の途中立ち寄ったとある国で有名だった夫人の名前だ。もう亡くなって何十年と経つらしいが、大変な美貌に加え、頭脳も行動力もあり、しかもとても強い意志を持った非凡な女性だったという。貧乏な家に生まれたものの自分の持つ才能を生かして結婚を何度かしつつ財産を蓄え、クルチザンヌと呼ばれる高級娼婦の地位を得た女性だ。娼婦という言葉はさすがにリフィルナも知っているが、クルチザンヌは一味違う。その辺の令嬢顔負けの知識や教育を身につけた女性しかなれないし、安っぽさがあってもなれない。また娼婦となる最初からクルチザンヌであることがそう呼ばれる条件なため、誰にでもなれるものではない。
ラ・パルファン侯爵夫人は何度目かの結婚で得た大きな屋敷に素晴らしい装飾のほどこされた、浴槽だけでも相当価値のある風呂を作らせたのだという。異国風装飾浴室の風呂には三つの蛇口があり、水と湯の他にもう一つ、そこからは香水や山羊の乳、はては高級酒が流れ出てくるようにしていたらしい。
特に何も冒険することなく一瞬しか滞在しなかったその国の酒場で夫人の話を聞いた時、思わずリフィルナは「僕もクルチザンヌになってみたい。あ、えっと女だったらってこと!」などと言っていた。財産云々よりも、夫人の力強い生き様に憧れたしちょっとその風呂に入ってみたいと思ったのだ。だが口にした瞬間、何故かフォルスが料理を喉に詰まらせていたのを思い出す。今思えばリフィルナが本当は女だと知っていたからだろう。それでもそんなに動揺する理由はわからないが、少年にわざわざなっているくせにそんなことを口にするから単に驚いたのかもしれない。
「えっとね、遠い国のクルチザンヌのお話。とても面白そうな素敵なお風呂を持ってた女性なんだ」
「クルチザンヌですって? お嬢様……ご令嬢がそんなことを口にするものではありませんよ」
ポカンとしていたアレットが窘めてくる。いつもリフィルナを見守ってくれていつつ礼儀作法には真面目だったアレットらしい。リフィルナはふわりと笑った。
「私、もう令嬢じゃないよ」
「まあ。リフィルナ様は昔も今もご令嬢ですよ。さて、そろそろお身体もさっぱりなさったでしょうし、マッサージをいたしましょう」
「え、そ、そんなのいいよ」
「ご安心なさってください。ちゃんと美容に詳しいメイドたちを厳選しておりますから」
「あの、そういう問題じゃなくて……」
「あとお嬢様、話し方が乱暴になられましたね。……きっとおつらいことも多かったんでしょうね」
ほんのり涙ぐむアレットに、リフィルナは「少年だったからつい。でも私元々あまりお嬢様らしい話し方じゃなかったよ」などとは言い返せずに、横で苦笑しているマリーを困惑しながら振り返った。
いくら令嬢ではなく少年になってからそれなりに経っていてもそれくらいはわかる。姓にロードということはシアンはコルドに対して子爵か男爵、と呼びかけたということだ。公爵や侯爵なら爵位の称号にロードをつけてくるし、伯爵なら爵位号に卿をつけるかそのまま伯爵とつけるだろう。逆に準男爵や騎士に対してならロードではなくサーをつける。というかそもそもコルドのように侯爵家の次男ならばロードとつけるならロード・フィールズではなくロード・コルドと呼ぶはずだ。優秀なシアンがあえて呼び間違えるなどするわけがない。
今のこの状況が何もかもわからなくてリフィルナは懐かしい気持ちに溢れながらも混乱した。
「シアン、何でわざわざくだけた呼び方とはいえあえてそういう風に呼んでくるかな」
「コルド様のことですからお嬢様に話しておられないだろうなと。俺はきっかけを作っただけですよ」
「余計なこと過ぎて苦笑しか出ないよ」
「まあまあ、とにかくこんなところで立ち話など。殿方はお気楽でいらっしゃるでしょうが、お嬢様はきっと寛きたいはずです。しかもなんですリフィルナ様の恰好は。私見ていられません。恐れながらお嬢様をお連れさせていただきます。積もる話は後になさってくださいませ」
さすがハウスキーパーだったアレットとでも言うのだろうか。大勢が集まっている中、堂々とコルドにそんなことを言ってのけ、まだポカンとしているリフィルナを「さ、こちらでございます。マリー、あなたも早くいらっしゃい」などと言いながら促してきた。
「マリー? マリーもいるのっ?」
「はい、リフィルナ様」
集まっていた使用人たちの後ろから懐かしい顔が前へ出てきた。小さい頃からずっとリフィルナの側で世話をしてくれていた侍女のマリーだ。
「っマリー! ああ、懐かしい、どうしよう、私すごく懐かしくて胸がいっぱい……」
「ええ、私もです。またリフィルナ様にお会いできるなんて……」
リフィルナは自分より少し年上のマリーを思い切りぎゅっと抱きしめた。マリーも抱きしめ返してくれる。だがアレットにまた促され、案内された部屋へ向かった。広いと言っても広すぎない、それに派手さはないもののところどころに洒落たデザインや置物が施されている、それでいてほんわかとどこかホッと寛げる部屋だった。そこでお茶でも飲むのかと思っているとさらに「こちらへ」と促される。隣の部屋にはバスタブが置かれていて、リフィルナは相当久しぶりに暖かいお湯に浸かることができた。しかもとてもいい香りのする香料が入っている。こんなお風呂になど、侯爵令嬢だった頃以来だ。
「すごくいい香り! まるで高級娼婦のラ・パルファン侯爵夫人のお風呂みたい!」
「なんですって?」
アレットが不思議な顔をしている。そういえば遠い国の話だから知らないのだろう。
ラ・パルファンは船旅の途中立ち寄ったとある国で有名だった夫人の名前だ。もう亡くなって何十年と経つらしいが、大変な美貌に加え、頭脳も行動力もあり、しかもとても強い意志を持った非凡な女性だったという。貧乏な家に生まれたものの自分の持つ才能を生かして結婚を何度かしつつ財産を蓄え、クルチザンヌと呼ばれる高級娼婦の地位を得た女性だ。娼婦という言葉はさすがにリフィルナも知っているが、クルチザンヌは一味違う。その辺の令嬢顔負けの知識や教育を身につけた女性しかなれないし、安っぽさがあってもなれない。また娼婦となる最初からクルチザンヌであることがそう呼ばれる条件なため、誰にでもなれるものではない。
ラ・パルファン侯爵夫人は何度目かの結婚で得た大きな屋敷に素晴らしい装飾のほどこされた、浴槽だけでも相当価値のある風呂を作らせたのだという。異国風装飾浴室の風呂には三つの蛇口があり、水と湯の他にもう一つ、そこからは香水や山羊の乳、はては高級酒が流れ出てくるようにしていたらしい。
特に何も冒険することなく一瞬しか滞在しなかったその国の酒場で夫人の話を聞いた時、思わずリフィルナは「僕もクルチザンヌになってみたい。あ、えっと女だったらってこと!」などと言っていた。財産云々よりも、夫人の力強い生き様に憧れたしちょっとその風呂に入ってみたいと思ったのだ。だが口にした瞬間、何故かフォルスが料理を喉に詰まらせていたのを思い出す。今思えばリフィルナが本当は女だと知っていたからだろう。それでもそんなに動揺する理由はわからないが、少年にわざわざなっているくせにそんなことを口にするから単に驚いたのかもしれない。
「えっとね、遠い国のクルチザンヌのお話。とても面白そうな素敵なお風呂を持ってた女性なんだ」
「クルチザンヌですって? お嬢様……ご令嬢がそんなことを口にするものではありませんよ」
ポカンとしていたアレットが窘めてくる。いつもリフィルナを見守ってくれていつつ礼儀作法には真面目だったアレットらしい。リフィルナはふわりと笑った。
「私、もう令嬢じゃないよ」
「まあ。リフィルナ様は昔も今もご令嬢ですよ。さて、そろそろお身体もさっぱりなさったでしょうし、マッサージをいたしましょう」
「え、そ、そんなのいいよ」
「ご安心なさってください。ちゃんと美容に詳しいメイドたちを厳選しておりますから」
「あの、そういう問題じゃなくて……」
「あとお嬢様、話し方が乱暴になられましたね。……きっとおつらいことも多かったんでしょうね」
ほんのり涙ぐむアレットに、リフィルナは「少年だったからつい。でも私元々あまりお嬢様らしい話し方じゃなかったよ」などとは言い返せずに、横で苦笑しているマリーを困惑しながら振り返った。
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