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第三章 旅立ち

63話

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 船旅の当初はじわじわとした不快感に悩まされていたリフィだが、ここのところフォルの魔法なしでも特に違和感なく過ごせていることにふと気づいた。

「すごくない? ねえディル! すごいよね」

 甲板から海を眺めつつ、リフィは高いテンションのままに嬉しさを言葉にする。海へ落ちないようリフィの腕に巻きついているディルはとてつもなくどうでもよさげに返答してきた。

『……ああ、すごいな』
「って、今適当に答えたでしょ」
『そんなことはないぞ』
「もう。だってね、フォルの力を借りなくても普通に過ごせるのが僕、嬉しいんだよ」
『それは私も甚くわかるぞ。あやつの力なぞを借りねば快適に過ごせないなど、忌々しさしかないだろうな』
「そこは違うから……! ほんとディルは何でそうなのかな。フォル、すごくいい人なのに」
『ふん』

 しばらく夕食毎にとても軽い治癒魔法をかけてもらっていたリフィに、フォルから「今日から少し、魔法なしで過ごしてみよう」と言われて一週間が経っていた。リフィとしてはただでさえ何かあった時に足を引っ張ってないかとさえ思っているくらいなので、軽い魔法であってもフォルの手間をかけずに済むことがとても嬉しかった。

「リフィ」

 自分の名を呼ぶ耳慣れた声に、リフィはニコニコと振り返る。

「こんにちは、フォル!」
「ああ。今日もどうやら体の具合はよさそうだな」
「はい! 多分僕、船酔いを完全克服しましたよね」
「そうだな」

 フォルが優しく頷いてきた。ただ単に船酔いを克服しただけだというのにリフィはまるで自分が偉業を成し遂げたような気持になったし、フォルが肯定してくれたおかげでその偉業を認めてもらえたような気持ちにもなった。嬉しさが顔に出ていたのだろうか、フォルが苦笑している。だがふと手を上げると、少し躊躇をみせてきた後にぎこちなくリフィの頭を撫でてくれた。

「フォル」
「あ、すまない。嫌だったか」
「え、何故。むしろ嬉しくて。兄を思い出しました」

 コルドがよく頭を撫でてくれた。あれは嬉しかったし好きだった。

「兄、か」
「え?」
「あ、いや。そうか」

 フォルがまた苦笑している。リフィの腕に巻きついていたディルはそこから鎌首をもたげて何故か威嚇音を出していた。そんなディルを怪訝に思っていると船が大きく揺れる。

「っ何?」
「リフィ」

 何事かと怪訝に思っているリフィを片腕で自分の懐に抱えるようにしてフォルが引き寄せてきた。見上げると真顔で何か警戒するような顔をしている。

「フォル。いった──」

 一体何がとリフィが言いかけたところでまた大きく揺れる。危うく舌を噛みそうになってリフィは口を閉じた。

「とりあえずこっちへ!」

 フォルがリフィを抱えるようにしたまま移動し始めた。リフィもそれに合わせて動く。

『魔物の進撃だ』

 ディルの落ち着いた声が腕の辺りから聞こえてきた。

「魔物っ?」
「魔物がどうした、リフィ。もしかしてディルが何か言ったのか?」

 中へ入る近くの壁までくると安全を確認してそこに留まり、フォルがリフィを見てくる。

「は、はい」
「魔物からの攻撃を受けているということか? ディルはその魔物がどういったものかわかるのか? どういった攻撃かなどもわかるのか?」
『偉そうに質問ばかりしおって。クラーケンの一種のようだな。今回のやつはどうやら硬い鱗のようなもので覆われてはいるようだが体は軟体で、攻撃は主に物理ではないか? 現に今もぶつかっておるわ』

 リフィはディルの答えを物腰を少々和らげて伝えた。
「クラーケンか……そして攻撃は物理が主。よし。……リフィ。君は中に入っておいで」
「ぼ、くも戦います」
「それはありがたいけど……頼む、危険だから隠れていて欲しい」
『こやつが言うんだ。ありがたく隠れておくがよい』
「……はい」

 確かにリフィと一緒にいるとフォルはリフィを守ろうとしてこちらに気を取られてしまうかもしれない。リフィが動き回ってもびくともしない、これほど大きな船を容易に揺らせる魔物に、もしそのせいでフォルがやられてしまったら。それはもう、取り返しのつかない後悔の念で押しつぶされてしまうだろう。
 リフィは渋々頷いた。フォルは安心したように小さくため息をつくと「隠れているんだよ」ともう一度言い残し、どこかへ行ってしまった。

『では中へ入るか』
「……ディル。そのクラーケンって魔物は強いの?」
『強い、というかあまりにデカい分力が半端ないのだろうな。魔力はさほどないと思うが』
「な、なら魔法で攻撃すれば僕でも何とかなる?」
『そなたの力ではどうにもならんよ。確かにそなたは剣も使え、一般の女よりは強いだろう。水魔法だって我々の加護によりかなりのものだ。あのフォルであっても驚くだろう力を秘めておると私が保証してやろう。だが水の中に生息する魔物に水魔法を使ってどう倒すと言うのだ? 何か決め手でもあるというのか?』
「そ、うだね」
『リフィ。無謀なことをする者を強いとは決して言わぬよ』
「……はい。ごめんなさい」

 確かに言われた通りでしかない。リフィは自分がお荷物にならないために焦っているに過ぎないのだと自覚した。自分が恥ずかしくて、何やらが込み上げてきて目や鼻を中から刺激しようとしてくるのをぐっと堪える。ここで泣くほど情けなく弱弱しいことはない。
 だがとりあえず中へ入ろうとした時、どこからかわからないが人が飛んできて甲板の床に激しく叩き打ちつけられるのを目の当たりにした。

「なっ」
『……おそらくクラーケンにやられたのだろう』
「だ、大丈夫で……」

 慌てて駆け寄り声をかけようとして、その人間がたまに顔を合わせると親切に声をかけてくれる船員のマーヴィンだと気づいた。
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