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クリスマスが終わるまで……
5 Saint-Nicolas
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「ずいぶん弾けるようになったじゃないですか」
「そ、そうかな」
照れながらも、倭は確かにつかえることなく弾けたバッハの「メヌエット ト長調」をまたもう一度弾き始める。やはり今回もつかえることなく演奏できた。思っていたよりも嬉しい。
「エリーゼのために、も弾けるかな」
友だちにからかわれた原因となった曲だ。
「どうでしょうね。駄目でも練習すればいいじゃないですか。練習、終わってしまうより続いたほうがマサも嬉しいでしょう?」
微笑みながら倭の指に、柚右は指をつたわせてきた。
「う、うん」
びくりと震えたのは怖いからでは当然ながら、ない。思わずボーッとしてしまいそうになり、倭はさりげに柚右から少し距離を取った。そうでもしないと、このまま下手すれば「もっと触って欲しい」などと自分の口から言いかねない。
どうしてこうなった感はもちろんめちゃくちゃある。むしろそれしかないくらい、ある。もしかして柚右に暗示にでもかけられたのかと疑うことさえした。
そういえば昔どこかの国での実験で、催眠状態にある被験者は様々な色が見えるという報告があったのを思い出す。たまたま見かけた内容だが覚えている。ちなみに友人からも、そしておそらく柚右からも「ちょろい」と思われているようだが、別に倭は頭が悪いわけではない。自分では普通より上だとさえ思っている。
話を戻し、その報告ではそもそも催眠にかかりやすいタイプの人間は、元々普段から様々な色を見ているのだという。MRIで脳を見た際に被験者が想像上の色を見ている時、実際に色の知覚に関係する脳の部位が明るく見えることで証明されているらしい。その上で催眠にかかると、さらに色の幻覚が強化されるとその報告で言っていた。
それを踏まえた上で倭は別に今までと見えている色に違いはないように思う。だから暗示にはかかっていない気がする。
……暗示にかかってたらそもそもそういうことも判断できないのか? いや、でも暗示にかかってたらまず暗示にかけれてるかもなんて疑うことすらしないんじゃ?
催眠状態だと注意の対象が狭まって意識が集中し、自分の内部に没入するという一種のトランス状態になるはずだ。だから疑う時点で違う気がする。とはいえ結局のところ洗脳されていると自覚なんてできないはずだ。
考えているとわからなくなってきた。自分の頭のレベルが普通より上というのもひょっとしたら妄想かもしれない。
「どう思う?」
ピアノの練習を終えてから、いっそもう本人に聞こうと倭が考えを述べると笑われた。
「本当にチョ……素直な人ですね、マサは」
「またちょろいって言おうとしただろ、お前……」
「まさか。あと僕が暗示をかけるとかよく思いつきますね。SFか何かの見過ぎじゃないですか。第一あなたがそうなるのは仕方ないんですよ」
「何で」
「僕のこと好きだから」
「は?」
「あれ? 今さら男同士で気持ち悪いとか、それとも言います? 触れられるだけでとろんとしているくせに? 笑っていいですか?」
「笑うなよ……! いや、まあ、うん……そう、かもだけど、でも何でそれが好きに……」
「むしろ何故好きじゃないと思えるんです? 僕の顔、綺麗だと思っているんでしょう? ピアノの演奏に惚れ惚れしたんでしょう? 指に見惚れてましたよね? それに話していると楽しいんでしょう? そもそもピアノを教えてもらうことに対してとても好意的に思っているでしょ、マサは。なのに好きじゃないと何故言えるんですか?」
「え? だって……」
「はい」
だって、何だ。
口にした後で倭は固まってしまった。反論が浮かばない。いや、しかしそれは一気に畳みかけるように言われたからかもしれないと、一呼吸おいてみたが浮かばない。
「……俺、お前が好きなの?」
「僕に聞かれても困りますが、でも答えていいならそうだと思います、と言っておきます」
「……そ、うなの、か……? じゃ、じゃあお前はどうなの? 俺に散々変なことしてきて──」
ハッとなり言いかけていると手を伸ばされ、頬に触れられた。それだけでその指や手のひらに頬を擦りつけたくなり、自分に引きそうだ。
「マサとつき合いたいと僕、言った気がしますが」
「そ、んなこと言ってた、……かもだけど、でもそれと好きとはまた違うかもだろ」
「好きですよ」
甘い声で囁かれたかと思うと顔を上げられキスされた。そのままチョコレートのように溶けてしまいそうな気持ちになった。
好きなのか、それならばつき合うのかと自分の中で意識すると、倭の受け入れ態勢が整うのは早かった。柚右が言うには「最初からチョ、素直で早かったと思いますけどね」だそうだが、倭としてはこれでも戸惑ったり反発したり考えたりしたつもりではある。多分。
「なあ、もう少ししたらクリスマス来るだろ」
練習する原因となった「エリーゼのために」どころか今ではモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の第二章、第三章なら弾ける。第一章と第四章はまだ無理だが、柚右に弾いてもらうと見惚れる勢いで弾いてくれた。
ところで気づけばもうすぐクリスマスじゃないかと倭が言えば「まだ一か月くらいありますけど」と返ってくる。柚右の部屋に来ていた倭は思い切り柚右のビーズクッションを叩きつける勢いで体を乗り出した。
「そうだけど! でもつき合って初めてのクリスマスだぞ。何かこう、いい感じのデートとか考えておかないとじゃねえ?」
「はは。楽しい人ですね、マサは」
「何で返しがそれなんだよ……!」
「デート、ですか……ああでも申し訳ありません。僕、イブとクリスマスは用事あって」
「マジで……」
「この世の終わりかといった顔しないでくださいよ。ごめんなさい、家の事情で」
「なら、仕方ない、よな……」
つき合って初めてどころか、誰かとつき合って初めてのクリスマスだけにべらぼうにテンションが上がっていた倭だったが、事情があるなら仕方ないと何とか笑いかけた。
「……。でも世間ではもうクリスマスの飾りつけしてますよね。イルミネーションだって至るところでしている。当日過ごせない分、今から時間ある時はずっとクリスマスのデートをしましょう」
笑みを浮かべ、柚右が手を伸ばしてくる。その心地よさを知っている倭は「マジで?」と今度こそ本当に笑いながら自らその手の中に納まりにいった。
「そ、そうかな」
照れながらも、倭は確かにつかえることなく弾けたバッハの「メヌエット ト長調」をまたもう一度弾き始める。やはり今回もつかえることなく演奏できた。思っていたよりも嬉しい。
「エリーゼのために、も弾けるかな」
友だちにからかわれた原因となった曲だ。
「どうでしょうね。駄目でも練習すればいいじゃないですか。練習、終わってしまうより続いたほうがマサも嬉しいでしょう?」
微笑みながら倭の指に、柚右は指をつたわせてきた。
「う、うん」
びくりと震えたのは怖いからでは当然ながら、ない。思わずボーッとしてしまいそうになり、倭はさりげに柚右から少し距離を取った。そうでもしないと、このまま下手すれば「もっと触って欲しい」などと自分の口から言いかねない。
どうしてこうなった感はもちろんめちゃくちゃある。むしろそれしかないくらい、ある。もしかして柚右に暗示にでもかけられたのかと疑うことさえした。
そういえば昔どこかの国での実験で、催眠状態にある被験者は様々な色が見えるという報告があったのを思い出す。たまたま見かけた内容だが覚えている。ちなみに友人からも、そしておそらく柚右からも「ちょろい」と思われているようだが、別に倭は頭が悪いわけではない。自分では普通より上だとさえ思っている。
話を戻し、その報告ではそもそも催眠にかかりやすいタイプの人間は、元々普段から様々な色を見ているのだという。MRIで脳を見た際に被験者が想像上の色を見ている時、実際に色の知覚に関係する脳の部位が明るく見えることで証明されているらしい。その上で催眠にかかると、さらに色の幻覚が強化されるとその報告で言っていた。
それを踏まえた上で倭は別に今までと見えている色に違いはないように思う。だから暗示にはかかっていない気がする。
……暗示にかかってたらそもそもそういうことも判断できないのか? いや、でも暗示にかかってたらまず暗示にかけれてるかもなんて疑うことすらしないんじゃ?
催眠状態だと注意の対象が狭まって意識が集中し、自分の内部に没入するという一種のトランス状態になるはずだ。だから疑う時点で違う気がする。とはいえ結局のところ洗脳されていると自覚なんてできないはずだ。
考えているとわからなくなってきた。自分の頭のレベルが普通より上というのもひょっとしたら妄想かもしれない。
「どう思う?」
ピアノの練習を終えてから、いっそもう本人に聞こうと倭が考えを述べると笑われた。
「本当にチョ……素直な人ですね、マサは」
「またちょろいって言おうとしただろ、お前……」
「まさか。あと僕が暗示をかけるとかよく思いつきますね。SFか何かの見過ぎじゃないですか。第一あなたがそうなるのは仕方ないんですよ」
「何で」
「僕のこと好きだから」
「は?」
「あれ? 今さら男同士で気持ち悪いとか、それとも言います? 触れられるだけでとろんとしているくせに? 笑っていいですか?」
「笑うなよ……! いや、まあ、うん……そう、かもだけど、でも何でそれが好きに……」
「むしろ何故好きじゃないと思えるんです? 僕の顔、綺麗だと思っているんでしょう? ピアノの演奏に惚れ惚れしたんでしょう? 指に見惚れてましたよね? それに話していると楽しいんでしょう? そもそもピアノを教えてもらうことに対してとても好意的に思っているでしょ、マサは。なのに好きじゃないと何故言えるんですか?」
「え? だって……」
「はい」
だって、何だ。
口にした後で倭は固まってしまった。反論が浮かばない。いや、しかしそれは一気に畳みかけるように言われたからかもしれないと、一呼吸おいてみたが浮かばない。
「……俺、お前が好きなの?」
「僕に聞かれても困りますが、でも答えていいならそうだと思います、と言っておきます」
「……そ、うなの、か……? じゃ、じゃあお前はどうなの? 俺に散々変なことしてきて──」
ハッとなり言いかけていると手を伸ばされ、頬に触れられた。それだけでその指や手のひらに頬を擦りつけたくなり、自分に引きそうだ。
「マサとつき合いたいと僕、言った気がしますが」
「そ、んなこと言ってた、……かもだけど、でもそれと好きとはまた違うかもだろ」
「好きですよ」
甘い声で囁かれたかと思うと顔を上げられキスされた。そのままチョコレートのように溶けてしまいそうな気持ちになった。
好きなのか、それならばつき合うのかと自分の中で意識すると、倭の受け入れ態勢が整うのは早かった。柚右が言うには「最初からチョ、素直で早かったと思いますけどね」だそうだが、倭としてはこれでも戸惑ったり反発したり考えたりしたつもりではある。多分。
「なあ、もう少ししたらクリスマス来るだろ」
練習する原因となった「エリーゼのために」どころか今ではモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の第二章、第三章なら弾ける。第一章と第四章はまだ無理だが、柚右に弾いてもらうと見惚れる勢いで弾いてくれた。
ところで気づけばもうすぐクリスマスじゃないかと倭が言えば「まだ一か月くらいありますけど」と返ってくる。柚右の部屋に来ていた倭は思い切り柚右のビーズクッションを叩きつける勢いで体を乗り出した。
「そうだけど! でもつき合って初めてのクリスマスだぞ。何かこう、いい感じのデートとか考えておかないとじゃねえ?」
「はは。楽しい人ですね、マサは」
「何で返しがそれなんだよ……!」
「デート、ですか……ああでも申し訳ありません。僕、イブとクリスマスは用事あって」
「マジで……」
「この世の終わりかといった顔しないでくださいよ。ごめんなさい、家の事情で」
「なら、仕方ない、よな……」
つき合って初めてどころか、誰かとつき合って初めてのクリスマスだけにべらぼうにテンションが上がっていた倭だったが、事情があるなら仕方ないと何とか笑いかけた。
「……。でも世間ではもうクリスマスの飾りつけしてますよね。イルミネーションだって至るところでしている。当日過ごせない分、今から時間ある時はずっとクリスマスのデートをしましょう」
笑みを浮かべ、柚右が手を伸ばしてくる。その心地よさを知っている倭は「マジで?」と今度こそ本当に笑いながら自らその手の中に納まりにいった。
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