隣に住むものは……

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「じゃあ俺、あがります。お疲れ様です」
「お疲れ様ー」

 総菜コーナーの仕事を終え、大聖はスーパーの従業員用出入り口から裏手へ入り、更衣室へ向かった。着替えながらふと秀真のことを思い出す。
 秀真はなぜあれほど昌氏を毛嫌いというか、恐れるのだろうと不思議に思う。大聖からすればとても洗練されている上、いい人としか思えない。それとも都会に慣れていない大聖だからこそ見抜けない何かでもあるのだろうか。
 外へ繋がる従業員用出入り口で警備員に挨拶し、今日はまだ買い物しなくても大丈夫だろうと、大聖はそのままアパートへ向かった。
 もしくは見逃している何かがあるのだろうか。そういえばふと思い出すのは、大聖がアルバイトを休む羽目になったことだ。しかしあれは結局のところ昌氏が強要したわけではない。話している時たまにほんのり気を遣うこともないことはないが、そもそも十歳も年上の立派な大人相手なのだ。気を遣わないほうがおかしいのではないだろうか。
 秀真は一体昌氏の何が駄目だと言うのだろうか。別に聞く耳を持たないつもりはないし、できればちゃんと聞き、改めて考えさせて欲しいとも思うのだが、聞いても埒が明かなくてどうしようもない。

「やあ、大聖くん。こんばんは」

 考えながら歩いていると、後ろから聞き覚えある声がした。大聖は振り返り挨拶を返す。

「こんばんは、柄本さん。仕事帰り?」
「うん。君もアルバイト帰り? 偶然だね」

 昌氏は優しげに微笑んだ。やはり大聖からすれば怖いところは窺えない。そもそもスーパーでも後日、「カッコいい人だよね」「大人だったなあ」「とてもいい人そう」などと皆から言われた。大聖以外の人もそう見えているわけだ。ずっとこの都会に住んでいる人でもそう見えているわけだ。ということは見えている通りなのではないのだろうか。
 とはいえ秀真がわけもなく嘘ついたり、他の誰かを悪く言ってくるとも思えない。別に秀真がとてもいい人だからなどと言う気はない。いくら責任を取って将来を誓った人だとはいえ、大聖も盲目ではない。嘘つかなさそうなのは人がいいからというより、面倒事が嫌だからという印象が強い。秀真なら「何でそんな面倒なことしなきゃいけねぇんだ」などと言いそうでしかない。誰かを悪く言わないのも、いい人だからというより他人にそこまで関心がなさそうだからでしかない。
 とにかく理由はどうあれ、秀真がもしヤキモチだとしても、あえて自分と関りない昌氏を悪し様に言うとはどうにも思えない。
 大聖に追いついた昌氏は空を見上げ「いい月だね」とまた笑いかけてくる。そういえば考えごとしていて、周りを特に見ていなかったなと大聖も空を見上げた。綺麗な満月が大きく見える。

「夏は満月も近く見えていいね。そう思わないか、大聖くん」
「そうだね」

 地球は太陽の周りを一年かけて回っている。よって自転軸は夏は太陽の方に、冬は太陽と反対側に傾いている。だから夏は太陽が高く冬は低くなる。満月は地球を挟んで太陽の反対側にあるため、その逆となる。

「月が出た直後はね、それはもう見惚れるくらい赤い月だったよ。夕日と同じ原理だろうけど夕日より見事な赤だった。素晴らしい赤だよ。ほんの半時間くらいで見られなくなったけどね」
「仕事中じゃなかったの?」
「……仕事中だったよ」

 一瞬の間の後に昌氏は大聖を見下ろしながら笑みを浮かべ、返してきた。

「そっか。赤い月、見てみたかったな」
「それはそうと、よかったら僕の家でコーヒーでもどうかな。またいい豆を買ったんだ」
「でも……」

 今日は秀真の仕事は休みだったような気がする。

「でもは、なし。頼むよ。せっかくのコーヒー、大聖くんと話をしながら味わいたいなとここのところずっと思ってたんだ。それを目標に仕事をがんばったと言ってもいい」
「まさか。柄本さんが?」
「本当だよ」

 そこまで言われると、つき合わないと悪い気がした。

「……なら、一杯だけ」
「ありがとう。そうだ、僕の元々住んでいるマンションならコーヒーメーカーもかなり本格的なんだ。そっちへ行かないか?」
「え、っと……それってどこにあるの? 遠い?」
「そんなに遠くはないよ。タクシーを使えばいいし」

 タクシーを使うということは少なくとも徒歩何分という範囲ではないということだ。

「ごめん、柄本さん。俺、一杯だけごちそうになったらすぐ帰りたいから、そこにはまた今度行かせてもらうよ」
「……そんなに遠くないけど?」
「悪いけど。ほんとごめん。コーヒーのために今日どうしてもそこへ行かないとなら、コーヒーもできたら次の機会にさせてもらえたらありがたいな」

 変に罪悪感が湧き、思わず「じゃあ行くよ」と答えそうになったが、大聖は何とか断った。

「……そう。まあ、それじゃあ仕方ないよね。とりあえず今日はあのおんぼろアパートで美味しく飲もうか」

 影に隠れて一瞬顔が見えなかったが、仕方ないと言ってくれた昌氏はいつものように笑顔だった。ホッとして大聖は頷く。そのまま二人でアパートへ向かった。
 罪悪感になど駆られないで、やはりどうしても次の機会にとはっきり断れていればまた変わっていたのだろうか。それとも結局はそうなるしかなかったのだろうか。
 うまく張り巡らされた蜘蛛の糸にかかると、待ちわびたとばかりに糸を巻きつけ、身動きを取れなくさせられ捕らえられる。そんな風に気づけばがんじがらめになっていた。後は消化液を注入されて液体にされ、飲み込まれて空っぽになるのを待つしかない状態になる。もしくは噛み潰され粉々にされる。
 そういう流れから、言われた通りに警戒していたら逃れられたのだろうか。それともすでに遅しで、やはり捕まるしかなかったのだろうか。
 今となってはわからない。
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