41 / 46
40
しおりを挟む
「じゃあ俺、あがります。お疲れ様です」
「お疲れ様ー」
総菜コーナーの仕事を終え、大聖はスーパーの従業員用出入り口から裏手へ入り、更衣室へ向かった。着替えながらふと秀真のことを思い出す。
秀真はなぜあれほど昌氏を毛嫌いというか、恐れるのだろうと不思議に思う。大聖からすればとても洗練されている上、いい人としか思えない。それとも都会に慣れていない大聖だからこそ見抜けない何かでもあるのだろうか。
外へ繋がる従業員用出入り口で警備員に挨拶し、今日はまだ買い物しなくても大丈夫だろうと、大聖はそのままアパートへ向かった。
もしくは見逃している何かがあるのだろうか。そういえばふと思い出すのは、大聖がアルバイトを休む羽目になったことだ。しかしあれは結局のところ昌氏が強要したわけではない。話している時たまにほんのり気を遣うこともないことはないが、そもそも十歳も年上の立派な大人相手なのだ。気を遣わないほうがおかしいのではないだろうか。
秀真は一体昌氏の何が駄目だと言うのだろうか。別に聞く耳を持たないつもりはないし、できればちゃんと聞き、改めて考えさせて欲しいとも思うのだが、聞いても埒が明かなくてどうしようもない。
「やあ、大聖くん。こんばんは」
考えながら歩いていると、後ろから聞き覚えある声がした。大聖は振り返り挨拶を返す。
「こんばんは、柄本さん。仕事帰り?」
「うん。君もアルバイト帰り? 偶然だね」
昌氏は優しげに微笑んだ。やはり大聖からすれば怖いところは窺えない。そもそもスーパーでも後日、「カッコいい人だよね」「大人だったなあ」「とてもいい人そう」などと皆から言われた。大聖以外の人もそう見えているわけだ。ずっとこの都会に住んでいる人でもそう見えているわけだ。ということは見えている通りなのではないのだろうか。
とはいえ秀真がわけもなく嘘ついたり、他の誰かを悪く言ってくるとも思えない。別に秀真がとてもいい人だからなどと言う気はない。いくら責任を取って将来を誓った人だとはいえ、大聖も盲目ではない。嘘つかなさそうなのは人がいいからというより、面倒事が嫌だからという印象が強い。秀真なら「何でそんな面倒なことしなきゃいけねぇんだ」などと言いそうでしかない。誰かを悪く言わないのも、いい人だからというより他人にそこまで関心がなさそうだからでしかない。
とにかく理由はどうあれ、秀真がもしヤキモチだとしても、あえて自分と関りない昌氏を悪し様に言うとはどうにも思えない。
大聖に追いついた昌氏は空を見上げ「いい月だね」とまた笑いかけてくる。そういえば考えごとしていて、周りを特に見ていなかったなと大聖も空を見上げた。綺麗な満月が大きく見える。
「夏は満月も近く見えていいね。そう思わないか、大聖くん」
「そうだね」
地球は太陽の周りを一年かけて回っている。よって自転軸は夏は太陽の方に、冬は太陽と反対側に傾いている。だから夏は太陽が高く冬は低くなる。満月は地球を挟んで太陽の反対側にあるため、その逆となる。
「月が出た直後はね、それはもう見惚れるくらい赤い月だったよ。夕日と同じ原理だろうけど夕日より見事な赤だった。素晴らしい赤だよ。ほんの半時間くらいで見られなくなったけどね」
「仕事中じゃなかったの?」
「……仕事中だったよ」
一瞬の間の後に昌氏は大聖を見下ろしながら笑みを浮かべ、返してきた。
「そっか。赤い月、見てみたかったな」
「それはそうと、よかったら僕の家でコーヒーでもどうかな。またいい豆を買ったんだ」
「でも……」
今日は秀真の仕事は休みだったような気がする。
「でもは、なし。頼むよ。せっかくのコーヒー、大聖くんと話をしながら味わいたいなとここのところずっと思ってたんだ。それを目標に仕事をがんばったと言ってもいい」
「まさか。柄本さんが?」
「本当だよ」
そこまで言われると、つき合わないと悪い気がした。
「……なら、一杯だけ」
「ありがとう。そうだ、僕の元々住んでいるマンションならコーヒーメーカーもかなり本格的なんだ。そっちへ行かないか?」
「え、っと……それってどこにあるの? 遠い?」
「そんなに遠くはないよ。タクシーを使えばいいし」
タクシーを使うということは少なくとも徒歩何分という範囲ではないということだ。
「ごめん、柄本さん。俺、一杯だけごちそうになったらすぐ帰りたいから、そこにはまた今度行かせてもらうよ」
「……そんなに遠くないけど?」
「悪いけど。ほんとごめん。コーヒーのために今日どうしてもそこへ行かないとなら、コーヒーもできたら次の機会にさせてもらえたらありがたいな」
変に罪悪感が湧き、思わず「じゃあ行くよ」と答えそうになったが、大聖は何とか断った。
「……そう。まあ、それじゃあ仕方ないよね。とりあえず今日はあのおんぼろアパートで美味しく飲もうか」
影に隠れて一瞬顔が見えなかったが、仕方ないと言ってくれた昌氏はいつものように笑顔だった。ホッとして大聖は頷く。そのまま二人でアパートへ向かった。
罪悪感になど駆られないで、やはりどうしても次の機会にとはっきり断れていればまた変わっていたのだろうか。それとも結局はそうなるしかなかったのだろうか。
うまく張り巡らされた蜘蛛の糸にかかると、待ちわびたとばかりに糸を巻きつけ、身動きを取れなくさせられ捕らえられる。そんな風に気づけばがんじがらめになっていた。後は消化液を注入されて液体にされ、飲み込まれて空っぽになるのを待つしかない状態になる。もしくは噛み潰され粉々にされる。
そういう流れから、言われた通りに警戒していたら逃れられたのだろうか。それともすでに遅しで、やはり捕まるしかなかったのだろうか。
今となってはわからない。
「お疲れ様ー」
総菜コーナーの仕事を終え、大聖はスーパーの従業員用出入り口から裏手へ入り、更衣室へ向かった。着替えながらふと秀真のことを思い出す。
秀真はなぜあれほど昌氏を毛嫌いというか、恐れるのだろうと不思議に思う。大聖からすればとても洗練されている上、いい人としか思えない。それとも都会に慣れていない大聖だからこそ見抜けない何かでもあるのだろうか。
外へ繋がる従業員用出入り口で警備員に挨拶し、今日はまだ買い物しなくても大丈夫だろうと、大聖はそのままアパートへ向かった。
もしくは見逃している何かがあるのだろうか。そういえばふと思い出すのは、大聖がアルバイトを休む羽目になったことだ。しかしあれは結局のところ昌氏が強要したわけではない。話している時たまにほんのり気を遣うこともないことはないが、そもそも十歳も年上の立派な大人相手なのだ。気を遣わないほうがおかしいのではないだろうか。
秀真は一体昌氏の何が駄目だと言うのだろうか。別に聞く耳を持たないつもりはないし、できればちゃんと聞き、改めて考えさせて欲しいとも思うのだが、聞いても埒が明かなくてどうしようもない。
「やあ、大聖くん。こんばんは」
考えながら歩いていると、後ろから聞き覚えある声がした。大聖は振り返り挨拶を返す。
「こんばんは、柄本さん。仕事帰り?」
「うん。君もアルバイト帰り? 偶然だね」
昌氏は優しげに微笑んだ。やはり大聖からすれば怖いところは窺えない。そもそもスーパーでも後日、「カッコいい人だよね」「大人だったなあ」「とてもいい人そう」などと皆から言われた。大聖以外の人もそう見えているわけだ。ずっとこの都会に住んでいる人でもそう見えているわけだ。ということは見えている通りなのではないのだろうか。
とはいえ秀真がわけもなく嘘ついたり、他の誰かを悪く言ってくるとも思えない。別に秀真がとてもいい人だからなどと言う気はない。いくら責任を取って将来を誓った人だとはいえ、大聖も盲目ではない。嘘つかなさそうなのは人がいいからというより、面倒事が嫌だからという印象が強い。秀真なら「何でそんな面倒なことしなきゃいけねぇんだ」などと言いそうでしかない。誰かを悪く言わないのも、いい人だからというより他人にそこまで関心がなさそうだからでしかない。
とにかく理由はどうあれ、秀真がもしヤキモチだとしても、あえて自分と関りない昌氏を悪し様に言うとはどうにも思えない。
大聖に追いついた昌氏は空を見上げ「いい月だね」とまた笑いかけてくる。そういえば考えごとしていて、周りを特に見ていなかったなと大聖も空を見上げた。綺麗な満月が大きく見える。
「夏は満月も近く見えていいね。そう思わないか、大聖くん」
「そうだね」
地球は太陽の周りを一年かけて回っている。よって自転軸は夏は太陽の方に、冬は太陽と反対側に傾いている。だから夏は太陽が高く冬は低くなる。満月は地球を挟んで太陽の反対側にあるため、その逆となる。
「月が出た直後はね、それはもう見惚れるくらい赤い月だったよ。夕日と同じ原理だろうけど夕日より見事な赤だった。素晴らしい赤だよ。ほんの半時間くらいで見られなくなったけどね」
「仕事中じゃなかったの?」
「……仕事中だったよ」
一瞬の間の後に昌氏は大聖を見下ろしながら笑みを浮かべ、返してきた。
「そっか。赤い月、見てみたかったな」
「それはそうと、よかったら僕の家でコーヒーでもどうかな。またいい豆を買ったんだ」
「でも……」
今日は秀真の仕事は休みだったような気がする。
「でもは、なし。頼むよ。せっかくのコーヒー、大聖くんと話をしながら味わいたいなとここのところずっと思ってたんだ。それを目標に仕事をがんばったと言ってもいい」
「まさか。柄本さんが?」
「本当だよ」
そこまで言われると、つき合わないと悪い気がした。
「……なら、一杯だけ」
「ありがとう。そうだ、僕の元々住んでいるマンションならコーヒーメーカーもかなり本格的なんだ。そっちへ行かないか?」
「え、っと……それってどこにあるの? 遠い?」
「そんなに遠くはないよ。タクシーを使えばいいし」
タクシーを使うということは少なくとも徒歩何分という範囲ではないということだ。
「ごめん、柄本さん。俺、一杯だけごちそうになったらすぐ帰りたいから、そこにはまた今度行かせてもらうよ」
「……そんなに遠くないけど?」
「悪いけど。ほんとごめん。コーヒーのために今日どうしてもそこへ行かないとなら、コーヒーもできたら次の機会にさせてもらえたらありがたいな」
変に罪悪感が湧き、思わず「じゃあ行くよ」と答えそうになったが、大聖は何とか断った。
「……そう。まあ、それじゃあ仕方ないよね。とりあえず今日はあのおんぼろアパートで美味しく飲もうか」
影に隠れて一瞬顔が見えなかったが、仕方ないと言ってくれた昌氏はいつものように笑顔だった。ホッとして大聖は頷く。そのまま二人でアパートへ向かった。
罪悪感になど駆られないで、やはりどうしても次の機会にとはっきり断れていればまた変わっていたのだろうか。それとも結局はそうなるしかなかったのだろうか。
うまく張り巡らされた蜘蛛の糸にかかると、待ちわびたとばかりに糸を巻きつけ、身動きを取れなくさせられ捕らえられる。そんな風に気づけばがんじがらめになっていた。後は消化液を注入されて液体にされ、飲み込まれて空っぽになるのを待つしかない状態になる。もしくは噛み潰され粉々にされる。
そういう流れから、言われた通りに警戒していたら逃れられたのだろうか。それともすでに遅しで、やはり捕まるしかなかったのだろうか。
今となってはわからない。
1
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
少年神官系勇者―異世界から帰還する―
mono-zo
ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる?
別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨
この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行)
この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。
この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。
この作品は「pixiv」にも掲載しています。

なんか金髪超絶美形の御曹司を抱くことになったんだが
なずとず
BL
タイトル通りの軽いノリの話です
酔った勢いで知らないハーフと将来を約束してしまった勇気君視点のお話になります
攻
井之上 勇気
まだまだ若手のサラリーマン
元ヤンの過去を隠しているが、酒が入ると本性が出てしまうらしい
でも翌朝には完全に記憶がない
受
牧野・ハロルド・エリス
天才・イケメン・天然ボケなカタコトハーフの御曹司
金髪ロング、勇気より背が高い
勇気にベタ惚れの仔犬ちゃん
ユウキにオヨメサンにしてもらいたい
同作者作品の「一夜の関係」の登場人物も絡んできます
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!

僕の王子様
くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。
無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。
そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。
見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。
元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。
※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。

ハイスペックストーカーに追われています
たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!!
と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。
完結しました。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる