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6話
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誰かをこの車に乗せたことは、そういえばないなと恵は思った。買ってからそんなに経っているわけではないというのもあるが、今までもレンタルしたり実家の車に乗っていたことはあるものの、せいぜい当時つき合っていた彼女を乗せるくらいだった。
運転に自信がないのではないが、まさか家庭教師をしている生徒を乗せることになるとは、と少々微妙な気持ちになる。だが「駄目ですか?」と悲しげに見られたら受け入れざるを得なかった。
あの表情は絶対に反則だと思う。
そう思ったところで恵は苦笑した。自分が把握しているよりも、恵は聖恒を気に入っているらしいと思った。一人っ子だが、まるでかわいい弟を持ったような気持ちになる。
そういえば、と恵は自分と同じ大学にいる聖恒の兄を浮かべる。知り合いではないが、遥希は目立つ存在なので恵でも知っている。その遥希が結構なブラコンだという噂があるのを思い出した。それを聞いた時は「あの彼が?」と内心あり得ないと思ったものだ。もちろんよく知りはしないが、男らしい顔立ちにぴったりの物静かでクールな印象があった。
今はブラコンだと思っても「だろうな」と妙に納得してしまう。それほど、聖恒がかわいい弟であることがわかる気がしている。
翌日、大学でその兄に会った。聖恒か親と話したのか、自分の弟に恵が家庭教師をしていることを知り、気になったらしい。
「お前が弟の?」
カフェテラスで昼飯を食べていると声を掛けられた。見ると遥希が立っている。
「あ、はい」
恵が頷くと、遥希は少しムッとしたような表情を浮かべる。
「……俺が勉強見るって言ったのに母さんは……」
表情だけでなくぶつぶつと呟いている言葉からも、当初の聖恒のように恵を受け入れがたい様子だ。聖恒は笑顔だったが、全然違う表情を見ながらも恵はやはり兄弟だなと苦笑した。どこか似ている。
「あ、聞いておいてごめん。……まぁ、弟のこと、よろしく」
遥希はそれだけ言うとどこかへ立ち去っていった。その後をぼんやり見ながら、改めて「ああ、弟のことが大好きなんだな」と恵はしみじみ思い、また少し笑った。
「何々? 大月くんが笑ってるとか珍しい」
「ってさっきの一個上の松原くんじゃないの」
この間グループワークのチームを組んだ野々村と馬場の二人がひょいと現れながらそんなことを言ってくる。
「もしかして仲いいの?」
「あ、いや。あの人の弟の家庭教師を俺、今やってるから」
「へえ、そうなんだ」
「でも大月くんが笑うとかレアだろ」
「だな、レア」
「……そんなに珍しいか?」
レアだと口をそろえたようにして言われ、微妙な顔で聞き返すと「うん」と同時に頷かれた。ますます微妙になる。
「だいたい、今もそんな笑ってないと思うけど」
「レアだから破壊力あるよね」
「ある。同じチームの女子が見たら絶対煩かったよな」
「……何それ」
最後の一口を口の中へ入れると、恵は立ち上がった。自分が話題になるのは得意ではない。
「あれ、もうごちそうさま?」
「うん。じゃあ」
「あ、明日だよね、集まるの。場所は教室にしてたけど、ここのテラスにしない? 明るいしさ」
そうだと思いついたように言われ、恵は立ち止まった。
「別に構わないけど、後の二人に連絡しないと……」
「ああ、SNSのアカウント聞いておいたから大丈夫。連絡するよ。そういえば大月くんの、まだ聞いてない」
あえて言っていないんだと内心思っていると、二人が無言で携帯を差し出してくる。この状況で「言いたくない」と理由もなく言える者がいれば顔を見てみたい。結局恵は教え合う羽目になった。教え合っても自分から連絡することは用事がない限りまずないだろうし、恐らく向こうからもないことが大抵だ。ただ、連絡先だけ知っている状態というのがあまり好きではない。
そう思っているとその日の夜、両方から『あの子らに連絡しておいたよ』という言葉とともに変なスタンプを送ってこられ、苦笑する羽目になった。
週末になると、恵は車で聖恒の家へ向かった。聖恒を車に乗せると、とりあえず走らせる。
「わー、マジで先生が運転してるんですね」
「嘘ついてどうするの……」
「いや、何か先生が運転するとこあんまり想像できなくて」
「そうなのか」
「はい。見られてよかった、カッコいいです」
ふわふわかわいらしい笑顔を向けながら、聖恒がそんなことを言ってくる。大学で自分の話題を出されるとどうにも落ち着かないのに、聖恒に言われるとくすぐったさはあるが素直に嬉しく思う。思わず照れながらも「え、ありがとう」と言うと「先生って免許いつ取ったんですか」と聞かれた。
「俺は高三の時かな。仮免試験が丁度誕生日に間に合うよう誕生日来る前から通ってた。早く取りたかったから」
「マジでっ?」
「うん。免許取るためにそれまでバイトしてお金貯めてて。でもさすがに足りなくて親に借りた分をその後も返しててさ。それは返し終わってるけど今は車のローンだろ。ずっと借金だよ」
「先生えらいですね」
「何で」
「俺だったらありがたく親に出してもらいそうです」
ああ、わかるよ。だって何ていうか、君はかわいがられそうだし、出してあげたくなりそうだ。
そんなことを思いながら少し笑う。
「出してもらえるならそれでいいんじゃないか?」
「それじゃあ荒波に揉まれないまま世間に出てしまいそうです」
「なるほど。でも君ならそれでも上手くやっていきそうだけどな」
「そして将来はヒモですか」
「せっかく今こうして勉強してるのにな」
そんな他愛もない話をしているだけだったが楽しかった。
正直、迎えにくるまではほんの少しだけ憂鬱でもあった。ほんの少しだが。面倒くさい、といういつもの癖が発動していた。最近かわいい弟のようだと思うようになったとはいえ、実際勉強以外で聖恒と交流するのは今回が初めてでもある。
だがとても楽しいと今は思っていた。
「ああ、そういえば大学でお兄さんと少しだけ話したよ。君をよろしくって」
「マジで?」
マジで、というのは口癖なのか、立て続けに聞いた気がして恵は少し笑った。運転しながらでも聖恒が目をキラキラさせながら恵を見てきたのがかる。
「はは、本当に聖恒くんはお兄さんのことが好きなんだな」
「そりゃもう尊敬してるし。あっ」
急に「あっ」と何かに気づいたように言う聖恒を何だろうと思っていると「呼び名」と続けてきた。
「え?」
「先生、俺のことはきよって呼んでくださいよ」
きよ。あだ名か。
恵は笑った。かわいいなと思う。
「わかった。きよくんでいい?」
「駄目です。くんはいらないですよ。えーっと俺はね、めぐちゃんって呼びます」
いやいやそれはない。
微妙な顔で否定しようとしたが、ニコニコ嬉しそうに微笑まれ、恵は結局「嫌だ」とも言えずに折れる羽目になりそうだった。
運転に自信がないのではないが、まさか家庭教師をしている生徒を乗せることになるとは、と少々微妙な気持ちになる。だが「駄目ですか?」と悲しげに見られたら受け入れざるを得なかった。
あの表情は絶対に反則だと思う。
そう思ったところで恵は苦笑した。自分が把握しているよりも、恵は聖恒を気に入っているらしいと思った。一人っ子だが、まるでかわいい弟を持ったような気持ちになる。
そういえば、と恵は自分と同じ大学にいる聖恒の兄を浮かべる。知り合いではないが、遥希は目立つ存在なので恵でも知っている。その遥希が結構なブラコンだという噂があるのを思い出した。それを聞いた時は「あの彼が?」と内心あり得ないと思ったものだ。もちろんよく知りはしないが、男らしい顔立ちにぴったりの物静かでクールな印象があった。
今はブラコンだと思っても「だろうな」と妙に納得してしまう。それほど、聖恒がかわいい弟であることがわかる気がしている。
翌日、大学でその兄に会った。聖恒か親と話したのか、自分の弟に恵が家庭教師をしていることを知り、気になったらしい。
「お前が弟の?」
カフェテラスで昼飯を食べていると声を掛けられた。見ると遥希が立っている。
「あ、はい」
恵が頷くと、遥希は少しムッとしたような表情を浮かべる。
「……俺が勉強見るって言ったのに母さんは……」
表情だけでなくぶつぶつと呟いている言葉からも、当初の聖恒のように恵を受け入れがたい様子だ。聖恒は笑顔だったが、全然違う表情を見ながらも恵はやはり兄弟だなと苦笑した。どこか似ている。
「あ、聞いておいてごめん。……まぁ、弟のこと、よろしく」
遥希はそれだけ言うとどこかへ立ち去っていった。その後をぼんやり見ながら、改めて「ああ、弟のことが大好きなんだな」と恵はしみじみ思い、また少し笑った。
「何々? 大月くんが笑ってるとか珍しい」
「ってさっきの一個上の松原くんじゃないの」
この間グループワークのチームを組んだ野々村と馬場の二人がひょいと現れながらそんなことを言ってくる。
「もしかして仲いいの?」
「あ、いや。あの人の弟の家庭教師を俺、今やってるから」
「へえ、そうなんだ」
「でも大月くんが笑うとかレアだろ」
「だな、レア」
「……そんなに珍しいか?」
レアだと口をそろえたようにして言われ、微妙な顔で聞き返すと「うん」と同時に頷かれた。ますます微妙になる。
「だいたい、今もそんな笑ってないと思うけど」
「レアだから破壊力あるよね」
「ある。同じチームの女子が見たら絶対煩かったよな」
「……何それ」
最後の一口を口の中へ入れると、恵は立ち上がった。自分が話題になるのは得意ではない。
「あれ、もうごちそうさま?」
「うん。じゃあ」
「あ、明日だよね、集まるの。場所は教室にしてたけど、ここのテラスにしない? 明るいしさ」
そうだと思いついたように言われ、恵は立ち止まった。
「別に構わないけど、後の二人に連絡しないと……」
「ああ、SNSのアカウント聞いておいたから大丈夫。連絡するよ。そういえば大月くんの、まだ聞いてない」
あえて言っていないんだと内心思っていると、二人が無言で携帯を差し出してくる。この状況で「言いたくない」と理由もなく言える者がいれば顔を見てみたい。結局恵は教え合う羽目になった。教え合っても自分から連絡することは用事がない限りまずないだろうし、恐らく向こうからもないことが大抵だ。ただ、連絡先だけ知っている状態というのがあまり好きではない。
そう思っているとその日の夜、両方から『あの子らに連絡しておいたよ』という言葉とともに変なスタンプを送ってこられ、苦笑する羽目になった。
週末になると、恵は車で聖恒の家へ向かった。聖恒を車に乗せると、とりあえず走らせる。
「わー、マジで先生が運転してるんですね」
「嘘ついてどうするの……」
「いや、何か先生が運転するとこあんまり想像できなくて」
「そうなのか」
「はい。見られてよかった、カッコいいです」
ふわふわかわいらしい笑顔を向けながら、聖恒がそんなことを言ってくる。大学で自分の話題を出されるとどうにも落ち着かないのに、聖恒に言われるとくすぐったさはあるが素直に嬉しく思う。思わず照れながらも「え、ありがとう」と言うと「先生って免許いつ取ったんですか」と聞かれた。
「俺は高三の時かな。仮免試験が丁度誕生日に間に合うよう誕生日来る前から通ってた。早く取りたかったから」
「マジでっ?」
「うん。免許取るためにそれまでバイトしてお金貯めてて。でもさすがに足りなくて親に借りた分をその後も返しててさ。それは返し終わってるけど今は車のローンだろ。ずっと借金だよ」
「先生えらいですね」
「何で」
「俺だったらありがたく親に出してもらいそうです」
ああ、わかるよ。だって何ていうか、君はかわいがられそうだし、出してあげたくなりそうだ。
そんなことを思いながら少し笑う。
「出してもらえるならそれでいいんじゃないか?」
「それじゃあ荒波に揉まれないまま世間に出てしまいそうです」
「なるほど。でも君ならそれでも上手くやっていきそうだけどな」
「そして将来はヒモですか」
「せっかく今こうして勉強してるのにな」
そんな他愛もない話をしているだけだったが楽しかった。
正直、迎えにくるまではほんの少しだけ憂鬱でもあった。ほんの少しだが。面倒くさい、といういつもの癖が発動していた。最近かわいい弟のようだと思うようになったとはいえ、実際勉強以外で聖恒と交流するのは今回が初めてでもある。
だがとても楽しいと今は思っていた。
「ああ、そういえば大学でお兄さんと少しだけ話したよ。君をよろしくって」
「マジで?」
マジで、というのは口癖なのか、立て続けに聞いた気がして恵は少し笑った。運転しながらでも聖恒が目をキラキラさせながら恵を見てきたのがかる。
「はは、本当に聖恒くんはお兄さんのことが好きなんだな」
「そりゃもう尊敬してるし。あっ」
急に「あっ」と何かに気づいたように言う聖恒を何だろうと思っていると「呼び名」と続けてきた。
「え?」
「先生、俺のことはきよって呼んでくださいよ」
きよ。あだ名か。
恵は笑った。かわいいなと思う。
「わかった。きよくんでいい?」
「駄目です。くんはいらないですよ。えーっと俺はね、めぐちゃんって呼びます」
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