緋の花

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56話

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 とりあえずそのことを考えるのは忌々しいとばかりに別のことを考えようとして、秋星は目が覚めた時に見ていた夢を思う。
 邦一の傷は実際目立たない。あえてじっと見つめてようやく違和感を覚えるくらいではないだろうか。だからこそ今まで邦一も全く気づいていなかったし、高校へ行くようになっても特に水泳などを禁止しようとは秋星も思っていなかった。関東へ戻ってきた当初の邦一は淡々とした風になってはいたが、それでも今の邦一よりはまだ可愛げが残っていた。水泳は禁止と告げたとしても「何でだよ」位は言ってきたかもしれないが、大人しく従っていただろう。当時は学校へ行けるだけでも嬉しそうだった。高校二年生という響きすら嬉しそうだったし、鍛えていた邦一は十分強くなっていたのもあり、秋星としても学校へ行くことにしてよかったとさえ思っていた。自分は正直全く興味がなかったし今もない。
 とりあえず邦一と同じ二年生になれないことに秋星はムッとしていた。人間界での実年齢はどうしようもないとわかってはいるが、多分この時点で既に秋星は邦一よりも成長はしていたと思われる。今もそうだが、邦一のほうが一つ上ではありながらも見た目は秋星のほうが上に見える。学校でも「年上みたい」「大学生っぽい」などと言われたこともある。ただ、邦一が「じゃあ俺が留年したことにして一年生になる」と言い出した為、そんなことはしていらないとばかりに秋星はむしろ大人しくなった。

「にしても水泳……禁止してたら良かったわ」

 秋星は布団の中に潜りながらぼそりと呟いた。エアコンが効いているので特に暑くはない。
 禁止にしていればと思ったのは邦一が傷に気づいたからではない。それに関しては別にいくらでも誤魔化しようがある。そうではなく、あの傷に気づく者がいたということがひたすら気にくわない。どういう目線であれ、少なくとも邦一の背中を凝視していた筈だ。普通だとあの傷に気づく訳がない。邦一の体を凝視する者がいるということが甚だしく気にくわない。
 人間は魔物よりも性別を確か気にする筈だ。凝視していた者は後で邦一に聞いたら男だと言っていた。邪な気持ちではなかったのかもしれない。それでも邦一の体に見惚れる位はしてたであろう。どのみち気にくわない。
 とはいえそれを邦一に言っても「は?」と微妙な顔をするだけだろう。目に見えている。

「あー、やっぱりクニのアホ」
「な、何だよ……」

 イライラと叫ぶと邦一の困ったような声が聞こえた。秋星は布団の中で固まった。急激に自分が邦一にしたことを思い出す。
 別に人間でも女でもないので、秋星にとってあの行為自体には恥ずかしさや照れなどない。だが邦一を思うと妙な羞恥心と腹立たしさが連なるようにじわじわと湧いてくる。
 布団の中に潜ったままでいると足音がすぐ傍まで近づいてくるのがわかった。そしてそのままその場に座ったようだ。
 何しに来たん、と言いそうになって秋星は口をむしろ閉じた。邦一がここに居ないことにも腹を立てていたくせにその台詞は陳腐過ぎると自分に呆れる。

「秋星……? 起きたんだよな? 具合、悪いのか……?」

 聞こえてくる声は本当に心配しているようだった。
 そういえば、と秋星はふと考える。身長などの体躯ばかり成長し、中身は全然成長していないと思っていたが、可愛げがなくなっただけでなく、ずいぶんと話し方や態度も男らしくなった。ずっと傍にいるとピンとこないが、夢で見ていた昔と比べるとそれなりに違う気がする。
 そう思うと秋星の中の小部屋がキュッと縮こまったり水気を含んで膨らんだかのようになる。

「秋星?」
「……煩い」

 別に煩くはないのだが、それくらいしか言えなかった。

「そんな言い方するくらいなら大丈夫なんだな?」
「……」

 確認だけしてまた部屋から出ていく気かと秋星が思っていると少しの間の後で邦一が続けてきた。

「おい、聞いてる?」
「……」

 聞いてるわ。ただ、何か喋りたないだけや。

 心の中で言い返していると邦一が布団の上に手を置いてきた。それだけでピクリ、と反応しそうになる。

「黙ったままだとわからないだろ。おまけに布団の中だと余計」
「……」

 それでも黙っていると、ため息が聞こえた。

 だいたい、ため息多いねん。俺に対してほんま失礼なやつやで……。

 ただ、そんなところも昔の邦一からは考えられない部分だなと思った。

「秋星。わからんって言ってるだろ」

そう言いながら、邦一は布団を剥がしてきた。

「な、にすんねん」
「……秋星……顔、赤い」

 様子を見る為だったのか、邦一がじっと秋星を見てきた。

「赤ないわ」
「赤いよ。まだ具合、悪いんじゃないのか? それとも……どこか痛む?」

 痛むかと聞いてきた時に、少しだけばつの悪そうな顔をしてきた。秋星こそ、ため息を吐きたくなる。心配してくれるのはいいが、真意を汲んでくれるほうがこちらとしてはありがたいのだが。

「……悪ないし痛ない」
「でも……お前、あれ……もしかして初めてじゃないのか?」
「クニこそ童貞やろ」
「言い返す意味がわからんけど、そうだな、童貞だったよ」

 堂々と認めつつもさりげに過去形で言われて、秋星は何となく落ち着かない気持ちになった。

「……なぁ、秋星。何であんなこと、したんだ」

 やはりわかっていない。
 そうだろうなとは思っていたが、安定過ぎて少々情けない気分になった。

「ほ……」
「お前……俺のこと、好きなの?」
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