緋の花

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10話

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 そもそも、マーキングということは向こうに同じ種族がいると知らしめることになるのではないのか。先ほど秋星が「ここで働いてるヤツはな、人間界にいるヴァンパイアは自分だけやと思ってんねん」「思わせといたらええやんか。なんしか面倒臭いことはしたないねん」と言っていたことを思い出し、邦一は微妙になる。
 だがそんなことを指摘してもまた飄々とかわされるだけなのは百も承知だった。なので話を変える。

「その辺ぶらつくなら猫より犬のほうがいいんじゃないのか」
「は?」
「だって散歩と言えば猫より犬って感じしないか?」

 邦一が何となく思ったことを口にしたら秋星は猫の癖に柔らかい笑みを浮かべてきた。

「ただでさえ何かに化けるとか屈辱やのにその上犬畜生?」

 笑みは柔らかいが言っていることがとてつもなく黒々しい。

「犬、嫌いなのか……?」
「別に好きでも嫌いでもないよ? 自分が化けたないだけや。化けるんやったら猫のがマシ」
「……」

 また微妙な顔をしていると秋星が「はよ行っといで」と邦一の手を噛んできた。

「っ痛」
「こんなん、痛ないやろ。じゃれただけやしなぁ」

 秋星は優しげな声で言った後、ひらりと邦一から降りてどこかへ行ってしまった。仕方なく邦一は秋星に噛まれて少し赤くなっている部分をペロリと舐めた後にビルの中へ入る。人間ではない者が存在するビル内だと思うと、観たこともやったこともないがまるでホラー映画かホラーゲームのようだ。
 だが橘家で慣れているせいだろうか、邦一は特に何も怯えることもなく、歯科医院が何階にあるか確認した上でエレベーターへ乗り込んだ。
 歯科医院は普通だった。どこにでもあるような雰囲気だ。日曜でもやっているのはここら辺がオフィス街といった感じなのもあり珍しい気がするが、それ以外では特に変わった感じはしない。
 初診ということでカルテを書かされ、しばらく待っていると呼ばれた。 邦一を診てくれた先生は男性で、綺麗な黒髪に色白の肌をしていた。邦一は内心、この人だろうかと考える。名前を聞いておけば良かったかもしれない。名札の名字を見ると「鈴木」とあり、ありふれすぎていてどう思えばいいのかすら分からない。
 秋星も綺麗な黒髪に色白の肌をしている。顔立ちは全然違うが、中性的な美形といった雰囲気が似ているかもしれない。とはいえ別に同じヴァンパイアだから似た傾向の容姿とは限らない。
 先生がやってきた時、邦一に対して何となくだがハッとなったように思えた。マスクをしている為、気のせいかもしれないが躊躇した気もする。

「先生?」
「……ああ、失礼しました。歯の検診でしたね」

 その後先生はニッコリとして邦一の歯を診てくれた。いつもは助手が付くらしいが、今日は日曜の為、従業員が少ないのだと先生は言っていた。そして「手際が悪かったりしたらすみません」と謝ってきた。
 ヴァンパイアといえば秋星や秋星の親などのように自信に満ち溢れたタイプしか知らなかった邦一は、目の前の相手はもしかしたらヴァンパイアではないかもしれないと思えてきた。

「んー、綺麗に磨いてるようですね」
「そうですか?」
「はい。虫歯もないようですし……歯茎もしっかりしていい色です。歯磨きの指導も必要なさそうな感じだなぁ」
 先生が微笑んだ。マスク越しとはいえ、とても優しそうな感じがする。同じように微笑むにしても、こうも違うものかと邦一は微妙な顔になる。

「……? どうかされましたか」
「い、いえ。虫歯なくて良かったです」
「ですね。……最後にもう一度診ておきますね」
「はい」

 丁寧だなぁと邦一がしみじみ思っていると、倒されて目にタオルが乗せられた状態で「……あなたは特殊な者と接触しましたか……?」と囁く声が聞こえてきた。恐らく口の中を見る風にして顔を近づけているのだろう。

 特殊な者。

 表現は曖昧にしているが、何が言いたいかは分かった。そして何故そんな質問をするのかだけでなく言い方やひっそりといった風に聞いてくる様子からも、先生が恐らくヴァンパイアなのだろうと邦一は確信した。

「知人のことを言っているのだと思いますが……」

 ただ邦一も返事はさらりと曖昧にしておいた。すると口元で息を飲む気配がした。
 どうしたらいいのだろう、と邦一は内心困っていた。秋星に「見せてやる」と連れて来られたのはいいとしても、こうもあからさまに目の前に現れさせられて、自分はどう対応すればいいのか。しかも相手は自分の他にヴァンパイアは人間界にいないと思っているらしい相手だ。向こうからすれば邦一は得体の知れない存在だろうし「一体何故ここへ来た」となるだろう。これは下手をすれば自分の身が安全ではないのではとさえ思える。
 ただ、秋星がいくら捻くれた性格をしていようが、邦一をいつだって弄ってこようが、本当の意味で危険な目に合わせてくるとはさすがに思っていない。普段ろくでもなくとも、これでもずっと一緒に育ってきたのだ。底意地がどんなものかくらいは見極めている。

 見極めてるけど……本当に俺はどうしたら……っ?

 目を覆っているタオルをどうにかすることすら躊躇して固まっていると「佐和先生ってば浮気ですか」という声が今度は聞こえてきた。途端、この場に張りつめていた触れたら切れてしまいそうな危うい空気が緩和された。
 邦一は小さく息を吐く。

「は……? ち、違います! というか何故勝手に……っ」
「えー。俺、患者だしー。ちゃんと呼ばれて三番の椅子に座ってたんですよ? でも先生は来ないし。おまけにこっそり様子を伺ってたら佐和先生がここにいるの気づいて。しかもその彼にキスしようとしてたから」
「し、し、しようとなんてしてません……!」

 一体どういう状況なんだ。

 さすがにこのままではいられなくなり、邦一は目を覆われていたタオルを取りながら体を起こした。
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