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橘家の歴史はおよそ二百年前に遡ることが出来る。江戸時代幕末辺りだろうか。
とはいえそれはあくまでも橘流という流派で名を馳せている橘家の歴史というだけであって、秋星たち本来の家系を遡ることは途方もなさ過ぎて邦一にはできない。ちなみに邦一の家系に関しては正直あまり知らない。これに関しては遡れないというのではなく、一般人過ぎて家系の記録が残っていないと言うのだろうか。
ただ邦一が知っているのは自分の祖父が秋星の父親に助けられ今に至るということだ。助けられ、と言っても仲間にされたというのではない。言い伝えとして聞かされているのは実際に命を救われた祖父が忠誠を誓い、ずっと仕えてきたということだ。
――ヒトのまま。
山井家は今も純粋に皆、人間だ。
「お前にやるなんて、言って、ないだろ……!」
いくら邦一がそう言おうが聞かないし、もちろん抵抗しようにも力で適うはずもない。腹立たしい程見惚れるような表情で微笑むと、口づけた手首を秋星はまず舌でペロリと舐めた。邦一はピクリと一瞬手を震わせる。その後少しピリッとした感触が伝わってきた。恐らく歯を立てられている。
恐らくと言ったのは痛みを感じないからだ。もちろん少々刺さるような感覚はあるのだが秋星に舐められた後に噛まれても痛くない。むしろ変にゾクゾクとした感覚を覚える為、邦一としてはあまり歓迎したくない行為ではある。
おまけに毎回ではないが頭というか額の辺りがたまにひやりとする。恐らく貧血に似た症状なのかもしれないと思うと少量であろうがやはり歓迎できない。
今も手首から口を離してきた秋星に「勝手にとるな」と少し距離を開けて離れると言った。
「勝手? なに言うてんのん。お前は俺のもんや言うてるやろ……そういう時は大人しいしとき」
「だから言い方……!」
邦一は微妙な顔を秋星へ向ける。どうにも秋星は邦一を甚振るのを楽しんでいる節がある。とはいえある意味邦一は秋星のものだというのは間違ってはいない。
山井家は橘家に仕えてきた。江戸時代や近代でもあるまいし、今時雇われるならまだしも仕えるというのは普通に考えるとどうかとは思うが、邦一がとても小さな頃からそういうものだと親に言われて育っていた。しかも邦一は秋星の専属なのだと。
「専属は誇れることだぞー」
「ほこ?」
「そう。とても嬉しいこと」
「しょーなの? おとしゃんもしょーなの?」
「お父さんは違うんだよ。残念ながら。でもお父さんのお父さんがそうだったぞ」
「じぃじ!」
「そうだ。邦一も精一杯、秋星様に仕えるんだぞ」
「ちゅかえる!」
仕えるという言葉の意味なんて分からない頃からそう言われて育った。もはや擦りこみの勢いだ。
ちなみに秋星の上には姉がいるが、姉には専属として山井家は仕えていない。邦一の母親がお世話をすることはあったが多分別の人、というか身内が専属としてついていたと思われる。邦一の母親は邦一の母親だからだろうか。専属という訳ではなかった。そして邦一が兼任ではないのは、誰かに聞いた訳ではないが異性だからかなと、邦一はなんとなく思っている。ずっとそばにいるだけに万が一間違いがあってはならないからだろうかな、と。
それもあり、親と離れて秋星と共に関西へ移った時も寂しくはあったがそばにいるのは当たり前のことなのだと思っていた。
一緒に関西へ行くと決まった時、邦一は両親に改まった形で呼ばれたことがある。
「邦一、しっかり秋星様に仕えるんだぞ」
「うん」
小学生だった邦一は親と離れることも、それまで通っていた学校の友だちと離れることも寂しくて本当は行きたくないと言いたかった。だが叶わないことだと思い込んでいた。
「まだお前に言ってなかったことがある。しっかり聞くんだぞ。そしてこれは外へ漏らしてはいけない重要な秘密だ。分かるか?」
「分かったよ、お父さん」
こういう場合は絶対に守らねばならないことだと子どもながらに把握していた。とはいえ本当に小さな子どもである。いくら理解していても普通ならうっかりということも考えられる。だがその辺は周りとしても心配していなかったようだ。何故なら邦一は関西ではずっと秋星の祖母の家で過ごしていたからだ。
これは言葉のままだ。学校へ行くこともなかった。小学生中学生は学校へ行くのが義務などと子どもの邦一に知る由もない。なので家の中で家庭教師に勉強を教えてもらっていたことに疑問はなかった。
「橘の皆様はな、人じゃない」
「ひと、じゃない?」
「ヴァンパイアという種族だ」
それを聞いても慄くことはなかった。よその家ではどうか知らないが、邦一は生まれてきてから一度も「魔物」に関する物語すら読んだことがなかった。家にある本は伝記や文豪の小説くらいだろう。そんな邦一に発することができた言葉はせいぜい「……へえ」だった。
「反応がいまいちだな」
「お父さんは俺にどんな反応求めてたの……。だって聞いてもなんかよく分かんないよ」
邦一の言葉に対して父親は「そうか」と笑った後に説明してくれた。人間ではない、魔の生き物であり古い歴史を持つ種族についてだ。
色んな種族がいる中で、ヴァンパイアは人間界でよく知られている魔族だという。多くは死体から蘇った者という認識が持たれているらしいが、実際は元々魔物として存在している。ただ人間界へ進出するにあたって人の血を好む傾向にある為否応なしに存在が有名になったのと、生死が関わるイメージがついてしまった為に死者が蘇った者といった認識になっていったのではと言われている。
「でも今まで俺、他に見たことないよ」
「大抵はここじゃない世界の住人だからな。それに人間界にいる魔物も大抵はひっそりと生きているんだよ」
「そうなの? でも橘の人たちって有名なんでしょ?」
「それな」
「え?」
「……いや。ほら、人間でも色んな人たちがいるだろう? お前の友だちにも。大人しい子や目立ちたがりな子」
「うん」
「……そういうことだ」
「えっ? ごめん、お父さん、意味、分からなかった」
邦一がそう言うも、それ以上は教えてくれなかった。
もちろん今では邦一も分かっている。元々ヴァンパイアは目立ちたがりのタイプが多いということと、この橘家の者はそれが顕著なのだということを。とはいえこれほど長い間名が知れていて一度も疑われたことがないというのはそれだけ汚いこ──いや、上手くやってきているのであろう。
「ねえお父さん。さっきの質問はもういいからさ、」
「うん」
「人の血が好きな魔族なんでしょ? だったら俺も血を取られちゃうの? 死んじゃう?」
「いや……死なないよ。現に邦一のように専属をしていたじぃじだって普通の年寄りと同じだけ生きていただろ」
「そっか! よかった!」
邦一はニッコリと笑った。ずっと一緒にいる相手なのだ。血なんて取られる訳なかった、と当時は安心したものだ。これも子どもだったからちゃんと把握出来ていなかった訳だが、今思い返せば分かる。
父親は一度も「血を取られたりなんてしないよ」とは言わなかった。
とはいえそれはあくまでも橘流という流派で名を馳せている橘家の歴史というだけであって、秋星たち本来の家系を遡ることは途方もなさ過ぎて邦一にはできない。ちなみに邦一の家系に関しては正直あまり知らない。これに関しては遡れないというのではなく、一般人過ぎて家系の記録が残っていないと言うのだろうか。
ただ邦一が知っているのは自分の祖父が秋星の父親に助けられ今に至るということだ。助けられ、と言っても仲間にされたというのではない。言い伝えとして聞かされているのは実際に命を救われた祖父が忠誠を誓い、ずっと仕えてきたということだ。
――ヒトのまま。
山井家は今も純粋に皆、人間だ。
「お前にやるなんて、言って、ないだろ……!」
いくら邦一がそう言おうが聞かないし、もちろん抵抗しようにも力で適うはずもない。腹立たしい程見惚れるような表情で微笑むと、口づけた手首を秋星はまず舌でペロリと舐めた。邦一はピクリと一瞬手を震わせる。その後少しピリッとした感触が伝わってきた。恐らく歯を立てられている。
恐らくと言ったのは痛みを感じないからだ。もちろん少々刺さるような感覚はあるのだが秋星に舐められた後に噛まれても痛くない。むしろ変にゾクゾクとした感覚を覚える為、邦一としてはあまり歓迎したくない行為ではある。
おまけに毎回ではないが頭というか額の辺りがたまにひやりとする。恐らく貧血に似た症状なのかもしれないと思うと少量であろうがやはり歓迎できない。
今も手首から口を離してきた秋星に「勝手にとるな」と少し距離を開けて離れると言った。
「勝手? なに言うてんのん。お前は俺のもんや言うてるやろ……そういう時は大人しいしとき」
「だから言い方……!」
邦一は微妙な顔を秋星へ向ける。どうにも秋星は邦一を甚振るのを楽しんでいる節がある。とはいえある意味邦一は秋星のものだというのは間違ってはいない。
山井家は橘家に仕えてきた。江戸時代や近代でもあるまいし、今時雇われるならまだしも仕えるというのは普通に考えるとどうかとは思うが、邦一がとても小さな頃からそういうものだと親に言われて育っていた。しかも邦一は秋星の専属なのだと。
「専属は誇れることだぞー」
「ほこ?」
「そう。とても嬉しいこと」
「しょーなの? おとしゃんもしょーなの?」
「お父さんは違うんだよ。残念ながら。でもお父さんのお父さんがそうだったぞ」
「じぃじ!」
「そうだ。邦一も精一杯、秋星様に仕えるんだぞ」
「ちゅかえる!」
仕えるという言葉の意味なんて分からない頃からそう言われて育った。もはや擦りこみの勢いだ。
ちなみに秋星の上には姉がいるが、姉には専属として山井家は仕えていない。邦一の母親がお世話をすることはあったが多分別の人、というか身内が専属としてついていたと思われる。邦一の母親は邦一の母親だからだろうか。専属という訳ではなかった。そして邦一が兼任ではないのは、誰かに聞いた訳ではないが異性だからかなと、邦一はなんとなく思っている。ずっとそばにいるだけに万が一間違いがあってはならないからだろうかな、と。
それもあり、親と離れて秋星と共に関西へ移った時も寂しくはあったがそばにいるのは当たり前のことなのだと思っていた。
一緒に関西へ行くと決まった時、邦一は両親に改まった形で呼ばれたことがある。
「邦一、しっかり秋星様に仕えるんだぞ」
「うん」
小学生だった邦一は親と離れることも、それまで通っていた学校の友だちと離れることも寂しくて本当は行きたくないと言いたかった。だが叶わないことだと思い込んでいた。
「まだお前に言ってなかったことがある。しっかり聞くんだぞ。そしてこれは外へ漏らしてはいけない重要な秘密だ。分かるか?」
「分かったよ、お父さん」
こういう場合は絶対に守らねばならないことだと子どもながらに把握していた。とはいえ本当に小さな子どもである。いくら理解していても普通ならうっかりということも考えられる。だがその辺は周りとしても心配していなかったようだ。何故なら邦一は関西ではずっと秋星の祖母の家で過ごしていたからだ。
これは言葉のままだ。学校へ行くこともなかった。小学生中学生は学校へ行くのが義務などと子どもの邦一に知る由もない。なので家の中で家庭教師に勉強を教えてもらっていたことに疑問はなかった。
「橘の皆様はな、人じゃない」
「ひと、じゃない?」
「ヴァンパイアという種族だ」
それを聞いても慄くことはなかった。よその家ではどうか知らないが、邦一は生まれてきてから一度も「魔物」に関する物語すら読んだことがなかった。家にある本は伝記や文豪の小説くらいだろう。そんな邦一に発することができた言葉はせいぜい「……へえ」だった。
「反応がいまいちだな」
「お父さんは俺にどんな反応求めてたの……。だって聞いてもなんかよく分かんないよ」
邦一の言葉に対して父親は「そうか」と笑った後に説明してくれた。人間ではない、魔の生き物であり古い歴史を持つ種族についてだ。
色んな種族がいる中で、ヴァンパイアは人間界でよく知られている魔族だという。多くは死体から蘇った者という認識が持たれているらしいが、実際は元々魔物として存在している。ただ人間界へ進出するにあたって人の血を好む傾向にある為否応なしに存在が有名になったのと、生死が関わるイメージがついてしまった為に死者が蘇った者といった認識になっていったのではと言われている。
「でも今まで俺、他に見たことないよ」
「大抵はここじゃない世界の住人だからな。それに人間界にいる魔物も大抵はひっそりと生きているんだよ」
「そうなの? でも橘の人たちって有名なんでしょ?」
「それな」
「え?」
「……いや。ほら、人間でも色んな人たちがいるだろう? お前の友だちにも。大人しい子や目立ちたがりな子」
「うん」
「……そういうことだ」
「えっ? ごめん、お父さん、意味、分からなかった」
邦一がそう言うも、それ以上は教えてくれなかった。
もちろん今では邦一も分かっている。元々ヴァンパイアは目立ちたがりのタイプが多いということと、この橘家の者はそれが顕著なのだということを。とはいえこれほど長い間名が知れていて一度も疑われたことがないというのはそれだけ汚いこ──いや、上手くやってきているのであろう。
「ねえお父さん。さっきの質問はもういいからさ、」
「うん」
「人の血が好きな魔族なんでしょ? だったら俺も血を取られちゃうの? 死んじゃう?」
「いや……死なないよ。現に邦一のように専属をしていたじぃじだって普通の年寄りと同じだけ生きていただろ」
「そっか! よかった!」
邦一はニッコリと笑った。ずっと一緒にいる相手なのだ。血なんて取られる訳なかった、と当時は安心したものだ。これも子どもだったからちゃんと把握出来ていなかった訳だが、今思い返せば分かる。
父親は一度も「血を取られたりなんてしないよ」とは言わなかった。
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