彼は最後に微笑んだ

Guidepost

文字の大きさ
上 下
145 / 193

145話

しおりを挟む
 そもそも今のデニスと接することで、もう大丈夫だと確信したはずだっただろうとエルヴィンはとりあえず自分に言い聞かせた。
 ただ、まさかラヴィニアとも接することになるとは思っていなかったし、遡る前を忘れられなくて恐れていたはずが思った以上に拍子抜けする流れだったせいで、どうにも落ち着かない。

 でも……確かに本当にこれで大丈夫なのだろうな……。

 デニスは明らかに変わった。あの恐るべしラヴィニアとて変わったのかもしれない。それにもし根本が変わっていなくとも、とりあえず今のエルヴィンやラウラたちにとって脅威となる状況ではないと、さすがにエルヴィンも思えた。

「エルヴィン? ほら、息吸って?」

 ふとリックの声で自分がどうやら考えながら息をつめていたらしいとエルヴィンはようやく気づいた。思いきり息を吸う。そしてその吸った息を吐きだすと自分の体がようやくリラックスしてくるのが感じられた。

「さて、じゃあそろそろ」
「はい、仕事ですね」

 にこやかに立ち上がろうとして、エルヴィンはリックに笑われた。

「違うよ。ほんとお堅いんだからエルヴィンは」
「少なくとも休憩を取っていただけただけでまだお互い職務中でしたので」
「残念、エルヴィン。俺と話している間に拘束時間は過ぎてるよ」
「えっ?」

 リックの言葉にエルヴィンは唖然とした。確認すると確かに過ぎている。

「大丈夫だって、エルヴィン。そんな青ざめなくてもちゃんと君の直属上司には、俺についてもらってそのまま退勤だと話をしているから」
「……それは、どうも」
「あまり、どうもって顔じゃないねえ。何? 君は俺より仕事が好きなの?」
「おかしな質問やめてください」

 ため息をつくとリックが笑いながら「とりあえずお茶にしようよ」とベルを鳴らした。

「お茶は今も飲んでいましたが」
「口を湿らせるためのお茶とゆったりとする休息のお茶を一緒にしないで欲しいな。エルヴィンは時折ニルスみたいだよねえ」

 苦笑しつつ今度はリックがため息をついてくる。

「そのニルスが見当たりませんが、また買い物へ走らせてるんですか」

 エルヴィンとの話のため、その必要は全くないながらもあえてニルスを下がらせていたのだろうかと何となく思っていたが、ベルによってティーセットを運んできたのはニルスではなくリックの執事だった。

「人聞きが悪いなあ、走らせてるなんて。あと買い物じゃないよ、仕事だよちゃんと」

 ということはたまに行かせている買い物は仕事らしくないという認識は少なくともあるということだろう。
 何の仕事ですとうっかり聞きそうになったが、王子と補佐の仕事に口を挟む権限などないエルヴィンが聞いていいことではないだろう。

「安心して、ちゃんともうすぐ戻ってくるから」
「何の安心ですか」
「はは。……ん、このフルーツはどうしたの?」

 お茶を淹れ終えた執事が置いてきた焼き菓子や果物が乗ったトレーを見て、リックが執事を見上げた。

「こちらのことでしたら、ノルデルハウゼン卿がお土産にとお持ちになられたものです。せっかくですのでお出しいたしました」
「エルヴィンが?」

 リックがエルヴィンを見てきたので頷いた。ニルスと町を散策していた時にいくつかの果物を買ったが、皮が堅そうだったので持って帰ることにしたザイフォンクプアスという果物だ。結局ニルスと食べるタイミングがないまま帰国した翌日だったのもあり、ちょうどいいと持って来ていた。

「ゼノガルトの市場で見つけた果物なんですけど、見たことなくてどんなのか気になってたんですよ。ニルスもここにいるかなと思ったんですけど。とりあえず食べてみませんか」

 エルヴィンが執事に渡した時に「ザイフォンクプアスっていう果物なんだけど」と言えば「聞いたことないですし見たこともないですが……ザイフォン特有の果物なんでしょうか」と執事も首を傾げていた。だが今テーブルにセットし終えてから「コックに言えばザイフォンクプアスは知らないようですが、ただのクプアスなら知っているらしく、一応そのコックが知っている果物として扱ったようです」と説明してくれた。
 普通のクプアスは栄養価が高く神秘的で刺激的な香りのする果物らしい。柑橘類とはまた違う酸味とほんのりとした甘みのある、ねっとりとした質感が特徴なのだという。

「ただ、このザイフォンクプアスは少々発酵しているように思えるとのことで、もしかしたらアルコールみを感じられるかもしれないそうです。現にほんの少しだけ味見をしてみたコックは少々酔ったような気分になると申し上げておりました。そのあと少々気分が優れないと言っていたようですが、リック様もノルデルハウゼン卿もお酒にお強いのは私もよく存じ上げておりますし、むしろお好きかもですね」
「……はは」

 第二王子の執事に、どうも変なことを存じ上げられてしまっているようだとエルヴィンは苦笑した。
 トレーの上のザイフォンクプアスは白っぽい果肉が綺麗にカットされ、その上にきらきらとした蜂蜜がかけられていた。何とも美味しそうに見える。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

俺の彼氏は俺の親友の事が好きらしい

15
BL
「だから、もういいよ」 俺とお前の約束。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……? ※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...