彼は最後に微笑んだ

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137話

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 どうする、とエルヴィンがニルスに聞こうと顔を向ければ、ニルスはすでに懐から護身用のナイフを取り出しているところだった。

 わあ、めちゃくちゃやる気だった……!

 とはいえ向こうがどういった人物かもわからない。だから警戒が必要だとエルヴィンが言いかけた時、向こうの部屋から「そんな説得で私が乗るとでも思ったのかしらクソ貴族様?」と比較的大きな声が聞こえてきた。おかげでグラスを当てて耳をつけてなくとも聞こえてくる。

「……」
「はぁ? 何を勘違いしているのかわからないけどね、そりゃ玉の輿に乗れるなら何でもするわよ? でもね、あくまでも私は私のしたいようにするだけ。誰かの言いなりになるような女じゃないのよ」
「……」
「静かにしろですって? そんなの私は知ったことじゃないわ」
「……」
「ちょっと! 何すんのよ! 言いなりにならなければ暴力? ほんっとクソ野郎ね!」

 思わずエルヴィンはニルスと無言で顔を合わせていた。だがお互い頷くと急いで隣の部屋へ突入した。鍵がかかっていようが蹴破れば済む。蝶番の関係で、外開きのドアなら蹴破ることは難しいが内開きのドアは鍵穴近くを蹴れば案外簡単に蹴破れる。ましてやこの宿屋の作りは頑丈ではない。

「な、んだお前ら!」
「次から次に何な……、まあ、カイセルヘルム侯爵! 私を助けに来てくれたの?」

 ラヴィニアの手首をつかんでいた男性が動揺している。逆に暴力を振るわれたか振るわれようとしていたラヴィニアは戸惑いすら見せず、すぐにニルスを認識して顔を輝かせてきた。そしてポジティブだ。
 そこからはあっという間だった。
 貴族が抵抗したり逃げる暇もなくニルスが腕を捻り上げて拘束したので、仕方なくエルヴィンがラヴィニアを彼らから引き離して保護した。それに気づいたニルスが少々きょときょとと貴族とエルヴィンたちに視線を動かしていたのでおそらく戸惑っているのだろうなと、こんな場だというのにエルヴィンは内心少し笑いそうになった。
 ニルスからすれば一番危険な可能性のある貴族を真っ先に拘束したのだろうが、その後でエルヴィンがラヴィニアを見るだけで具合が悪くなるほど苦手としていることを思い出したのだろう。かといって捻った貴族の腕を離すわけにもいかないといったところだろうか。

「あなたのことは申し訳ないけど存じ上げないのよね。でも感謝するわ」

 ラヴィニアにそう言われ、引き離すためにラヴィニアの肩あたりに触れていた手をエルヴィンは慌てて離した。さすがにこんな状況だからだろうか、具合が悪くなることはないものの妙な展開に戸惑いが隠せない。

「いえ……」
「? あなたもカイセルヘルム侯爵の友人か何かなら貴族なんでしょう?」
「そうです。ですがその……今はゆっくり自己紹介している場合ではないので」
「まあ! 確かにそうね、ごめんなさい。何があったのかはちゃんと証言するわ」
「売女め!」

 ラヴィニアの言葉に、ニルスが拘束している貴族が罵り出す。だが無言のニルスがさらに腕を捻ったらしく、すぐにうめき声に変わった。それを見ながらラヴィニアがニルスに微笑む。

「カイセルヘルム侯爵、そいつを縛りたいんじゃなくて? ねえあなた。多分そこのサイドチェストに縄があるんじゃないかしら」
「え? 縄?」

 ニルスに微笑んでからエルヴィンを見てきたラヴィニアに言われ、怪訝な顔をしながら言われたチェストに近づき、引き出しを開けた。すると確かに入っている。

「どうして……?」
「清廉潔白そうなお貴族様はご存じないでしょうけど、こういう宿の部屋にはちょっとしたお遊びの道具がそっと隠されたりしてるのよ」

 ちょっとしたお遊び?

 ぽかんとした後に何となく察知してエルヴィンの頬が熱くなった。

「あら、そんなことで赤くなるの? あなた、カッコいいってよりかわいくて素敵ね」
「そ、そうじゃなくて! あなたはレディなんですからそういうこと、口になさらないほうが」
「平民女に対してそんな扱い、光栄だわ。それともカイセルヘルム侯爵から私が元男爵令嬢だって聞いたのかしら?」
「どういう身分だろうと、女性は女性でしょう! と、とにかくこれ」

 ほんと何この状況。何で俺は俺の家族全員を殺したようなラヴィニアとこんな会話してんの?

 ラヴィニアが散々「カイセルヘルム侯爵」と呼んでいるので今さら隠す必要もないが、とりあえず名前を呼ぶことなくエルヴィンはニルスに縄を渡した。

「……ちょっとしたお遊び……」

 ニルスは手にした縄を見ながらぼそりと呟くと、その縄で手際よく拘束していた貴族を縛っていく。
 何の騒ぎですとやってきた宿屋の主に簡単な説明をしてから、リックたちに報告するためエルヴィンは宿屋を出た。縛られている貴族のことはニルスだけに心配していないが、あのラヴィニアと一緒に待たせることは正直嫌で仕方がない。とはいえエルヴィンが残ると言えば頑なに首を振られたのでこれまた仕方がなかった。
 この町の衛兵を呼びに行けば早いだろうが、マヴァリージ王国やサヴェージ家の王位継承に関わることだ。下手に騒ぎにするよりリックやデニスに判断を仰ぐほうがいいだろう。
 ラヴィニアは「じゃあその間に職場へ行っていいかしら? 今は単に休憩中なだけなのよ」と飄々としたものだった。少なくとも大変な内容を持ちかけられ、挙句襲われたか襲われようとされた女性の様子ではない。

「……申し訳ありませんが、一緒にここで待機していてください。あなたの職場には連絡を入れますので」
「あら、そう? じゃあよろしくね、名無しの貴族さん」

 エルヴィンが微妙な顔で言うと、ラヴィニアはにっこりと微笑んでいた。
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