彼は最後に微笑んだ

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136話

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 宿屋の主だろう。おそらく気になりつつもさすがにプライベートは詳しく聞いてこず、鍵を渡してくれた。それを受け取る際に『思い出の部屋ってとこかね。身なりはいいからまあ、やばそうなものでもないんだろうが……そんなに慌てるくらい早く抱き合いたいのはいいけど、できればあまり汚さないで欲しいな』と主の心の声が聞こえてしまった。思わず顔が熱くなるが、勝手に読んでしまったため否定できないし、そもそもそんなことをしている暇もない。一瞬で何とかジレンマを飲み込み、エルヴィンは階段を急ぎたくない気持ちをも飲み込みつつ急いで上がった。今頃宿屋の主は「やはりそんなに急ぐほど早くやりたいんかね」などと思っているかもしれないし、正直居たたまれない。

「エルヴィン……顔が赤いが……」
「……。具合悪くはないからな」
「わかってる」

 エルヴィンが顔を赤らめるごとに「具合が悪いのか」と不必要なぐらい心配してきたニルスもようやくわかってくれたようだ。

「それはよかった」

 階段を上りきり、部屋が近くなるため小声で頷くと「いかがわしい宿が落ち着かないか?」と同じく小声で気がかりそうに言われた。確かにそれもないとは言わないが、さすがにこれで赤くなるほどエルヴィンも純情じゃないというか、無垢じゃない。

 もしかしてニルスは俺のこと、勘違いしてやしないか?

 まさか夢を見られているのではと少々心配になる。そうだとしたらエルヴィンを知れば知るほど幻滅されることになるわけだが、幼馴染だけにエルヴィンをある程度よく知っているはずだとも思う。

 いや、でもエロいことに関しては昨日お互い知ったばかりでもあるよな……。

 キスは今までもしていたが、それ以上のことは昨日したばかりだ。ということはこれからエルヴィンのそういう部分を知っていき、幻滅される可能性もあるのではないだろうか。

 い、いやいや……昨日したばかりっつってもほぼ不眠でひたすら絡み合ってたってのに今さら……。

「エルヴィン?」
「え、あ……?」
「中に入らないのか?」
「あ……ああ、入る」

 ハッとなりつつも小声のまま、エルヴィンは頷いた。

 しっかりしろよ俺。今それどころじゃない。

 鍵を開けて部屋へ入ると、二人は隣の部屋の壁に近づいた。だがいくら壁が薄そうとはいえ、聞こえるのはくぐもった声らしき音くらいだ。

「さすがに聞こえないか……リックくらいの魔力の持ち主なら魔法でどうにかできるのかもだけど」
「……いや、グラスを壁に当ててそれに耳を添えれば聞こえる」
「は? 何で?」
「壁とグラスの間に音響結合が生まれる」
「何て?」
「向こう側の音波が……壁からコップに伝達されるから聞き取りやすくなる。……ガラス製だと音がさらに伝わりやすい」
「え」
「あと壁の構造によって……音が通りやすい位置と通りにくい音がある……、……うん、ここが聞こえやすい」

 指で軽く壁を叩いていたニルスの言動を怪訝に思いつつ実際やってみると『第一王子と接し……親しくなっ……もらうため……』と男の声が聞こえてきた。

「何でそんなこと知ってんの?」

 普通に生きてきたら知る必要のない知識のような気がしてならない。

「仕事絡みだ」

 どんな仕事だよと突っ込みたさしかなかったが、王子の補佐ともなればそういうこともあるのだろうと思うことにする。エルヴィンは壁に集中した。

『……君はただ……私を介して上手く王子と接してもらえば……仲よくなってくれれば……幸い私は王子たちと接する機会も……君はもちろん王子と面識などない……君なら親しくなるなんてわけない……』
『第一王子……結婚したはず……』
『そうだ……まさか……そんなことを気にする女性だったか……』
『……それに……そんなことをしようとしてるのか聞いていいかし……』
『それは君……関係ない……君……綺麗なドレスやアクセサリーを手にできるだけじゃな……誘惑できるできない関わらず報酬ももら……第一王子のいい人になれ……私とて王子に姪と紹介……利益がある……君に負担はない……こんないい……袖にする方がおかしいと思わ……』

 ところどころ途切れて聞こえるとはいえ、ほぼはっきり聞き取れていた。

 じょ、冗談じゃない……。

 エルヴィンは血の気が引くのを感じた。
 ラヴィニアが企てているのではないとわかったものの、話から間違いなく男性がラヴィニアをそそのかし、何やら陰謀を企てているのがわかる。
 何を企てているのかは明確ではないが、おそらくは第一王子派か第二王子派のどちらかが、相手側の失脚を目論んでの行動ではないだろうか。もしくはラヴィニアを使って王権への介入でも望んでいるのだろうか。
 それに対しラヴィニアが引き受ければ、展開は違うものの遡る前の悪夢がよみがえる可能性はあまりに低くない。
 いくら今のデニスが遡る前と違っていい人柄のように思えたとしても、ラヴィニアにかかれば元の木阿弥になるのではないだろうか。そんなことない可能性もあるが、それに賭けるなんて無謀なことをエルヴィンは絶対にしたくなかった。

 あんなの、二度とごめんだ……。

「ニルス……」
「……ああ、これは放置できない」

 ただ、盗み聞きしただけの状況で今隣の部屋に乗り込んでも、身分を証明するものもなければ剣すら持っていない。護身用の食事にも使えるナイフなら持っているが、それは向こうの貴族も同じことだろう。むしろ向こうは貴族という身分を隠そうとさえしていなさそうな恰好だったため、エルヴィンが気づいていないだけで帯刀しているかもしれない。
 とはいえ、ここで何もしなければ現行犯として捕まえることもできなかった。
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