彼は最後に微笑んだ

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51話

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 自分が猫だったならば全身の毛が毛羽立っていたかもしれない。覆っていた顔を上げることもできず、エルヴィンは体を固まらせたまま「平常心。平常心」と心の中で唱えていた。

「何が平常心なんだ?」

 だがいつの間にか近くまできていたニルスに問われ、心の中じゃなく声に出して唱えていたと気づく。

「……おはよう、ニルス。あれだよ、具合もよくなったことだし、何ていうか、そう、俺よ元気になれというおまじない?」

 俺は馬鹿かな?
 馬鹿なのだろうな。何、おまじないって。

 取り繕ったような笑顔で顔を上げながら言ったものの、ろくでもない言い訳しか出てこなかったことにエルヴィンはその笑顔も固まる。だがニルスは笑いもせず馬鹿を見るような顔もせず、ただ「そうか」と頷いてきた。

 そうか? ニルス……俺よ元気になれっておまじないに、そうか、だけ?

 自分で言ったにも関わらず思わず微妙になりつつも、多分ニルスの懐が深いから何でもなかったかのような振りをしてくれているのだと思うことにした。

 そうそう。だってニルス、優しいし。

 うんうんと思いながらニルスを見て、エルヴィンは思い出した。

 おまじない云々はどうでもいいんだよ……それよりもキス……じゃなくて、キスは多分俺の夢! 何で見ちゃったのかは謎だけど多分熱のせい。そうじゃなくて昨日うっかり話しちゃった遡る前の話、ニルスどう思ってんだろ……。

 固まっていた笑みも、それを思い出したことで解れたようで、エルヴィンはむしろ真顔でじっとニルスを見ていた。

「……あの」
「な、何、ニルス」

 少し言いにくそうな様子を感じ、エルヴィンは唾をゴクリと飲み込む気持ちで聞き返した。

「何でそんなにじっと見てくるんだ」

 そっちかよ……!

「そこじゃない……」
「うん?」
「え? あ、ああ! あー、いや、えっと、た、たまたま?」
「たまたま……」
「そう。たまたま。ごめんな、意味もなく見られたら気になるし居たたまれないよな、悪い」
「……いや。悪くは、ない」
「そ、そう?」
「ああ。見ててくれて構わない」

 いや、そう言われるとむしろ見づらいというか。じゃなくて、ニルス、昨日のこと、気にしてないのかな。

 かといって「昨日話したことだけどさ」と持ちかけにくい。ただでさえ何故話してしまったのだろうと少し後悔している上に顔を合わせるのも気まずかったというのに、また自分から持ちかけたくはない。

「えっと。とにかく、迷惑かけて悪かった。俺、もう元気になったからさ。ありがとうな、ニルス」
「うん」
「で、ニルスはどうしたの? 様子、見にきてくれたのか?」
「ああ」
「朝食をさ、自分で食べに行くってさっき執事さんに言ったとこなんだ。よかったら……」
「ああ。一緒に食べよう」

 ニルスは頷いてきた後に「失礼」と呟き、エルヴィンの額にそっと触れてきた。それだけのことなのに妙に緊張するのは、多分キスの夢だけでなく昨日話してしまったことが居たたまれないからだろう。

「うん、やはり熱もなさそうだ。……一応元気そうだし、よかった……」

 ニルスが妙にホッとしている気がする。ところで「一応」とついたのは挙動不審だったからだろうか。

 今、何考えてるんだろ。よかった、って思ってるだけかな。いっそ触ってみる……? いや駄目だ、自分が知りたいだけでそういうことは駄目だ。つか、どのみち俺、今寝間着だな?

 今さらながらに自分の恰好を顧みる。手を上げると長めの袖に少々微妙な気持ちになった。
 エルヴィン自身そこそこ身長はある。だというのにこの袖丈。

「この寝間着はニルスの?」

 聞くと、ニルスもそういえばと今さら気づいたかのようにエルヴィンを見てきた。

「ああ」
「やっぱり。俺が着てもでかいもんな。さっき着替えさせてもらったんだけど、寝間着も貸してもらって悪いな」
「いや……とてもいいと思う」
「何が?」

 思わず即答していたが、ニルスの返事が少し変なので仕方がない。文法を間違えたのだろうか。怪訝な顔でニルスを見ると、心なしかそわそわしているようにも見える。

「ニルス?」
「……朝食はここへ運ばせなくていいのか?」
「ああ。俺ももう元気だし、そこまでしてもらうのもな」
「そうか……。ではもう着替えるのか?」
「そういやせっかく着替えさせてもらったとこだけど、そうだね。さすがに寝間着でダイニングへは行けないよ」
「別に構わないが」
「いや、構うだろ……」
「……そうか。じゃあ服も用意させよう」
「いいよ、俺が着ていた服で。どこにあるんだろう」
「だが仕事着だろ」

 確かに騎士の服ではあるが。

「うーん、まあそうだね。駄目かな」
「駄目ではない、が、それなら寝間着も同じでは」
「いやいや、さすがに同じじゃないだろ」
「……とにかく、俺の服を用意させよう」

 騎士服では何か支障でもあるのだろうか。確かに仕事中でない限りあまり食事をする時にする恰好ではないが、朝たまに時間がない時は先に着て朝食をとる時もあるエルヴィンとしては少々怪訝に思う。
 だが大公爵家ではそれも寝間着でうろつくくらいはしたないことなのかもしれない。もしくは「騎士服やその他仕事着で食事をとるべからず」といった家訓でもあるのかもしれない。

「えっと、じゃあすまない。お借りする」
「ああ」

 ニルスがこくこくと頷いてきた。
 今のやり取りは少々首を傾げることもあったが、ニルス自体はやはり至っていつもと変わらない。昨日の話を、やはりニルスは夢だからとあまり気にしていないのかもしれないなとエルヴィンは少しホッとした。
 ちなみに借りた服もでかかった。
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