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50話
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ただの夢だというのに、もっと早くエルヴィンに出会えていたら、もっと早くにエルヴィンを救えていたらとニルスは心底悔やんだ。
夢の中でエルヴィンは、あの美しい目を悲しみに曇らせ歪めていた。牢から立ち去る時も後ろ髪を引かれる思いでいっぱいだった。青の美しい瞳から目を離したくなかった。
そしてその美しい瞳が悲しみで暗くなるのをどうにかして防ぎたかった。切なくて胸が苦しくて仕方がなかった。
朝、目が覚めた時もまだ、心に深く突き刺さっているような気がした。執事のノエルからは「お加減が悪いのでしょうか」と心配されてしまった。
「問題ない」
「左様ですか」
「エルヴィンは?」
「目を覚まされておられます。まだ一応ベッドで休んでいただいておりますが、熱もおそらく下がっているかと。朝食の後でまた医師に診てもらう予定です」
「そうか」
「具合はよさそうでしたが、どこか心もとないというか、困惑されておられるようでしたので、差し出がましいようですが朝のご挨拶がてら、ニルス様自身がご様子を見に行かれるのがいいかと」
「わかった」
ニルスはにこにこ微笑んでいるノエルに頷くと、エルヴィンが休んでいる部屋へ向かった。
どのみちニルスも顔を見たいと思っていた。あの話を聞いてあんな夢を見た後だけに、エルヴィンがちゃんと悲しくもつらくもなさそうな姿を確認しておきたかった。
エルヴィンの話が本当にただの悪夢なのか実際の話なのかは正直どちらでもよかった。いや、エルヴィン自身を思えばただの夢であって欲しいとは思うが、どちらにしてもエルヴィンをあんな風に悲しませるのならニルスにとっては同じだ。
そしてあの話を聞いただけでなくニルスも妙な夢を見た。エルヴィンの話の影響かもしれないが、ニルスは夢で確かに必ず助けると言っていた。ただエルヴィンの話によるとニルスは小さな包みを抱え、約束を果たせなかったと、すまないと何度も謝り続けていたらしい。
昨夜も思ったが、それが現実だったとしたらニルスはその後一生後悔し苦しみ続けただろう。エルヴィンやその甥を助けるという約束を果たせないまま、ニルスの夢の中では面識がなくとも美しい瞳から目を離すことのできなかった人をも毒殺により失ってしまうことになる。
せめて。
せめて俺は今のエルヴィンを支えたい。俺の気持ちに応えてもらえなくていい。ただ、夢の中では果たせなかったらしいエルヴィンを助けるという約束の代わりに、せめて今はどんなことからでも守りたいし助けたいし支えたい。
ドアの前までくるとノックしてからニルスは返事を待たずに中へ入った。
エルヴィンが目を覚ました時、あまりの心地よさに起きたことはなかったことにしてもう一度眠ろうと無意識に寝返りを打って目を閉じていた。だが次の瞬間には勢いよく体を起こし、頭を抱えていた。
俺、何やってんだよ。
別に二度寝を無意識に目論んだことに頭を抱えているわけでも、頭痛がしているわけでもない。違う意味では頭痛もしそうだったが、どうやら熱も下がったようだし体自体はいたっていい感じだ。
やってしまった……。
抱えた頭をふかふかの掛け布団に打ちつける。当然ふかふかすぎて頭が沈み込むだけだったが、エルヴィンは何度かそれを繰り返した。だがドアのノックが聞こえて体がぎしりと固まる。
「は、はい?」
ニルスだったらどうしよう。俺、今とてつもなく顔合わせんの気まずいんだけど……!
「失礼いたします。おはようございます閣下。お加減はいかがですか」
だが違った。ニルスではなかった。確か昨日タオルを変えてくれたメイドだ。
「あ、お、おはようございます。もうすっかりいい感じです」
「よかったですね。私の主もとても喜ぶでしょう」
「ニルスが?」
「ええ。とても心配しておられましたから。では失礼します」
「な、何を失礼するの?」
近づいてきてエルヴィンの寝間着に手をかけようとする相手に、エルヴィンは慌てて聞いた。
「熱も下がっておられる分、眠られている間にずいぶん汗をかかれたと思いますので、お体を拭いてお着替えを」
自分の家だと別に気にならないが、ニルスの屋敷でありニルスのメイドだと思うと「じゃあ頼むよ」と言い難い。ついでに今気づいたけど結構綺麗な人だ。余計お願いし難い。
「自分でやります」
「そんなことさせられません。……あ、では執事を呼んでまいります」
「執事さんにそんなこと余計させられないよ……」
そもそも執事の仕事ではない。
「まあ! お気になさらず。閣下は私たちの大事な主の、大切な方なんですから」
ニルスの大切な人、とニルスの使用人から言われて何だか妙にくすぐったいものの素直に嬉しく思った。使用人に慕われているニルスが知れて嬉しいのと、使用人にすら大切な人だと伝わっていることが嬉しい。
……あ、でもえっと、大切なってのは、親友、として、だよな?
ふと、昨日脳内に浮かんだニルスとのキスがまた過り、ただでさえニルスと顔を合わせるのが気まずいというのにますます居たたまれなくなった。
結局少々緊張しつつもメイドに着替えまでしてもらい、執事には「朝食後にもう一度医師に診てもらいましょう」と朝の挨拶とともに言われた。
一旦彼らが出ていった後、熱や具合の悪さとは違う疲れを少々感じつつ「ほんと何で俺は昨日、ニルスに遡る前のことまで話してしまったんだろう」と顔を覆っているとまたドアのノックが聞こえた。
朝食は自分で食べに向かいますと言っていたがもしかしたら持ってきてくれたのかもしれない。顔を覆ったままそう思っているとニルスの声で「おはよう」と聞こえてきた。
夢の中でエルヴィンは、あの美しい目を悲しみに曇らせ歪めていた。牢から立ち去る時も後ろ髪を引かれる思いでいっぱいだった。青の美しい瞳から目を離したくなかった。
そしてその美しい瞳が悲しみで暗くなるのをどうにかして防ぎたかった。切なくて胸が苦しくて仕方がなかった。
朝、目が覚めた時もまだ、心に深く突き刺さっているような気がした。執事のノエルからは「お加減が悪いのでしょうか」と心配されてしまった。
「問題ない」
「左様ですか」
「エルヴィンは?」
「目を覚まされておられます。まだ一応ベッドで休んでいただいておりますが、熱もおそらく下がっているかと。朝食の後でまた医師に診てもらう予定です」
「そうか」
「具合はよさそうでしたが、どこか心もとないというか、困惑されておられるようでしたので、差し出がましいようですが朝のご挨拶がてら、ニルス様自身がご様子を見に行かれるのがいいかと」
「わかった」
ニルスはにこにこ微笑んでいるノエルに頷くと、エルヴィンが休んでいる部屋へ向かった。
どのみちニルスも顔を見たいと思っていた。あの話を聞いてあんな夢を見た後だけに、エルヴィンがちゃんと悲しくもつらくもなさそうな姿を確認しておきたかった。
エルヴィンの話が本当にただの悪夢なのか実際の話なのかは正直どちらでもよかった。いや、エルヴィン自身を思えばただの夢であって欲しいとは思うが、どちらにしてもエルヴィンをあんな風に悲しませるのならニルスにとっては同じだ。
そしてあの話を聞いただけでなくニルスも妙な夢を見た。エルヴィンの話の影響かもしれないが、ニルスは夢で確かに必ず助けると言っていた。ただエルヴィンの話によるとニルスは小さな包みを抱え、約束を果たせなかったと、すまないと何度も謝り続けていたらしい。
昨夜も思ったが、それが現実だったとしたらニルスはその後一生後悔し苦しみ続けただろう。エルヴィンやその甥を助けるという約束を果たせないまま、ニルスの夢の中では面識がなくとも美しい瞳から目を離すことのできなかった人をも毒殺により失ってしまうことになる。
せめて。
せめて俺は今のエルヴィンを支えたい。俺の気持ちに応えてもらえなくていい。ただ、夢の中では果たせなかったらしいエルヴィンを助けるという約束の代わりに、せめて今はどんなことからでも守りたいし助けたいし支えたい。
ドアの前までくるとノックしてからニルスは返事を待たずに中へ入った。
エルヴィンが目を覚ました時、あまりの心地よさに起きたことはなかったことにしてもう一度眠ろうと無意識に寝返りを打って目を閉じていた。だが次の瞬間には勢いよく体を起こし、頭を抱えていた。
俺、何やってんだよ。
別に二度寝を無意識に目論んだことに頭を抱えているわけでも、頭痛がしているわけでもない。違う意味では頭痛もしそうだったが、どうやら熱も下がったようだし体自体はいたっていい感じだ。
やってしまった……。
抱えた頭をふかふかの掛け布団に打ちつける。当然ふかふかすぎて頭が沈み込むだけだったが、エルヴィンは何度かそれを繰り返した。だがドアのノックが聞こえて体がぎしりと固まる。
「は、はい?」
ニルスだったらどうしよう。俺、今とてつもなく顔合わせんの気まずいんだけど……!
「失礼いたします。おはようございます閣下。お加減はいかがですか」
だが違った。ニルスではなかった。確か昨日タオルを変えてくれたメイドだ。
「あ、お、おはようございます。もうすっかりいい感じです」
「よかったですね。私の主もとても喜ぶでしょう」
「ニルスが?」
「ええ。とても心配しておられましたから。では失礼します」
「な、何を失礼するの?」
近づいてきてエルヴィンの寝間着に手をかけようとする相手に、エルヴィンは慌てて聞いた。
「熱も下がっておられる分、眠られている間にずいぶん汗をかかれたと思いますので、お体を拭いてお着替えを」
自分の家だと別に気にならないが、ニルスの屋敷でありニルスのメイドだと思うと「じゃあ頼むよ」と言い難い。ついでに今気づいたけど結構綺麗な人だ。余計お願いし難い。
「自分でやります」
「そんなことさせられません。……あ、では執事を呼んでまいります」
「執事さんにそんなこと余計させられないよ……」
そもそも執事の仕事ではない。
「まあ! お気になさらず。閣下は私たちの大事な主の、大切な方なんですから」
ニルスの大切な人、とニルスの使用人から言われて何だか妙にくすぐったいものの素直に嬉しく思った。使用人に慕われているニルスが知れて嬉しいのと、使用人にすら大切な人だと伝わっていることが嬉しい。
……あ、でもえっと、大切なってのは、親友、として、だよな?
ふと、昨日脳内に浮かんだニルスとのキスがまた過り、ただでさえニルスと顔を合わせるのが気まずいというのにますます居たたまれなくなった。
結局少々緊張しつつもメイドに着替えまでしてもらい、執事には「朝食後にもう一度医師に診てもらいましょう」と朝の挨拶とともに言われた。
一旦彼らが出ていった後、熱や具合の悪さとは違う疲れを少々感じつつ「ほんと何で俺は昨日、ニルスに遡る前のことまで話してしまったんだろう」と顔を覆っているとまたドアのノックが聞こえた。
朝食は自分で食べに向かいますと言っていたがもしかしたら持ってきてくれたのかもしれない。顔を覆ったままそう思っているとニルスの声で「おはよう」と聞こえてきた。
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