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49話
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そんなエルヴィンに困惑したのか、慌てたように手を離すとニルスは「じゃあ」と部屋を出て行こうとする。
「待って」
思わずエルヴィンはニルスを引き留めようとした。
まだ熱はあるようだが、薬も飲んだらしいだけあってずいぶん楽になっている。気持ちだってかなり安定してきた。だがまだもう少しだけ、一人にはなりたくなかった。メイドがタオルを変えてくれた時はまだ朦朧としていたようでうたた寝すら気づけばしていたが、むしろ今こうしてはっきりしている状態ではもう少しだけ、眠りたくない。
「どうかしたのか」
ニルスはすぐにエルヴィンに向き直ってくれた。
「座って。ベッドの上でもそこの椅子でもいいから」
エルヴィンの言葉に、ニルスは何故とも聞かず、黙って近くにあった椅子に座ってくれた。
「あの、何か楽しい話、してくれないか」
「……無茶を言うな」
座る時は従順に座ってくれたが、さすがに本当に困ったように言ってくるニルスに、エルヴィンは楽しい話をされたわけでもないのに笑いがこみ上げてきた。
「何故すでに笑ってる?」
「今のニルスが楽しかったから」
「そうか」
そして今度はほんの少し、静かに笑ってきた。
何だろうな。
エルヴィンはニルスのほうを向いて横になりながら、まるで体そのものが解れるような気持ちになった。ずっとこのままこうしていたいような気さえ、する。そして何を話しても受け入れてもらえるような気がする。
「……もっと早く出会っていれば……」
牢を挟んで初めて会った時、ニルスはじっとエルヴィンを見て呟くように言ってきた。
「とにかく……信じて待っていてくれ」
あの時は、もっと早く出会っていれば何か変わっていたのだろうかとぼんやり思っていたが、ニルスの信じて待っていてという言葉は、当時ニルスのことを知らないままだったにも関わらずエルヴィンの記憶にずっと残っていた。結局毒殺されてしまい、待ちたくても待てなかったが、時間を遡ってからはリックやニルスにもっと早く出会えば未来も変わるかもしれないとさえ思えた。ずっと二人に会うことを願い、子どもが出られるパーティーなどでも探せる限り探していた。
そしてエルヴィンは思わぬ形で二人に出会えた。まだ年端もいかない少年だった二人と友情を育み、親友と呼べる関係にもなれた。
そう、親友……親友だ。
エルヴィンはニルスをじっと見た。
「エルヴィン?」
「……悪夢を、見たんだ」
横たえていた体を起こす。そしてエルヴィンはニルスに話した。昨夜見た悪夢だけではない。時間を遡る前のあのつらい出来事を、悲しい出来事を、話した。
話し終えるとエルヴィンは疲れを感じたものの、とてもスッキリとしていた。
「……眠そうだ」
ずっと黙って聞いてくれていたニルスが呟く。
「ああ、眠いかな。さすがにちょっと疲れたみたい。というか、ニルスに話してスッキリしたから、かも……」
「横になるといい」
「そうだ、ね……」
このままでも舟をこいだ後寝落ちしそうだ。ここまで眠いと一人が嫌だとか眠るのが怖いと考える余裕もない。
エルヴィンはニルスに言われるがまま、もぞもぞとベッドにもぐりこむ。ニルスが布団をかけ直してくれた。ぽんぽんと優しく布団の上からされたのは覚えている。だがその後すぐにエルヴィンは静かに眠りの底へと落ちていった。
ニルスはそんなエルヴィンを見つめていた。穏やかそうな寝息を立てている。
エルヴィンの語った悪夢は実際、とてもつらく悲しそうな内容だった。
そんな夢を見ていたのか……。
そっと青みがかった銀色の艶やかな髪に触れ、ニルスは優しく撫でた。
熱のせいもあるかもしれないが、確かにそんな夢を見たら一人で眠るのも怖くなるかもしれない。ただでさえエルヴィンは自分の家族をとても大切に思っている。きっと現実に起きたことだったら耐えられないだろう。
どうか、もうエルヴィンが恐れるような夢を見ませんように……。
幸せで穏やかな夢を見られるようにと祈りつつ、ニルスは顔を近づけてそっとエルヴィンの額にキスをする。
俺が実際は存在しないエルヴィンの小さな甥の遺体を布に包んで抱えていた……何故俺がそういう役割で出てきたんだろう。もしそれが現実だったとしたら俺もきっと耐え難いほどの後悔と絶望を味わったに違いない。
せめて夢なら、どうせなら夢の中だけでもエルヴィンの恋人として出たいとエルヴィンの今は穏やかそうな寝顔を見て思う。エルヴィンとしては楽しくない夢かもしれないが、さすがに悪夢とまではいかないだろう。
……いかない、よな?
少し考えつつ、ニルスはそのままエルヴィンの頬、鼻の頭、そして唇にも静かにキスをした。すでに奪ってしまっているからか、申し訳ないことに罪悪感はそろそろ薄い。
エルヴィンを起こさないよう、そっと部屋を出てニルスは廊下を歩きながら考えていた。
悪夢だと、エルヴィンは言っていた。だが何故だろうか。妙に心に残る。夢にしてはとてもはっきりとした内容だからだろうか。まるでニルスのまぶたの裏にも浮かびそうだった。
「ニルス様」
執事に声をかけられ、ニルスはハッとなる。
「ああノエルか。俺は少し書斎で仕事をする。俺の代わりにエルヴィンの様子を気にしておいてくれるか」
「かしこまりました」
「穏やかに眠っているようならそのまま寝かせて。うなされてるようならいっそ起こしてあげなさい」
「承知いたしました」
「起きて具合がよさそうなら、体に優しそうな食事をとらせて」
「ご用意いたします」
ノエルは度々エルヴィンの様子について報告してくれた。どうやらひたすらぐっすり眠っているらしかった。
その夜、エルヴィンに夢の話を聞いたことが心に残っていたからか、牢の中から哀れな様子で「どうかシュテファンを救ってくださいませんか」と涙を流すエルヴィンの姿をニルスは夢の中で見た気がした。
「待って」
思わずエルヴィンはニルスを引き留めようとした。
まだ熱はあるようだが、薬も飲んだらしいだけあってずいぶん楽になっている。気持ちだってかなり安定してきた。だがまだもう少しだけ、一人にはなりたくなかった。メイドがタオルを変えてくれた時はまだ朦朧としていたようでうたた寝すら気づけばしていたが、むしろ今こうしてはっきりしている状態ではもう少しだけ、眠りたくない。
「どうかしたのか」
ニルスはすぐにエルヴィンに向き直ってくれた。
「座って。ベッドの上でもそこの椅子でもいいから」
エルヴィンの言葉に、ニルスは何故とも聞かず、黙って近くにあった椅子に座ってくれた。
「あの、何か楽しい話、してくれないか」
「……無茶を言うな」
座る時は従順に座ってくれたが、さすがに本当に困ったように言ってくるニルスに、エルヴィンは楽しい話をされたわけでもないのに笑いがこみ上げてきた。
「何故すでに笑ってる?」
「今のニルスが楽しかったから」
「そうか」
そして今度はほんの少し、静かに笑ってきた。
何だろうな。
エルヴィンはニルスのほうを向いて横になりながら、まるで体そのものが解れるような気持ちになった。ずっとこのままこうしていたいような気さえ、する。そして何を話しても受け入れてもらえるような気がする。
「……もっと早く出会っていれば……」
牢を挟んで初めて会った時、ニルスはじっとエルヴィンを見て呟くように言ってきた。
「とにかく……信じて待っていてくれ」
あの時は、もっと早く出会っていれば何か変わっていたのだろうかとぼんやり思っていたが、ニルスの信じて待っていてという言葉は、当時ニルスのことを知らないままだったにも関わらずエルヴィンの記憶にずっと残っていた。結局毒殺されてしまい、待ちたくても待てなかったが、時間を遡ってからはリックやニルスにもっと早く出会えば未来も変わるかもしれないとさえ思えた。ずっと二人に会うことを願い、子どもが出られるパーティーなどでも探せる限り探していた。
そしてエルヴィンは思わぬ形で二人に出会えた。まだ年端もいかない少年だった二人と友情を育み、親友と呼べる関係にもなれた。
そう、親友……親友だ。
エルヴィンはニルスをじっと見た。
「エルヴィン?」
「……悪夢を、見たんだ」
横たえていた体を起こす。そしてエルヴィンはニルスに話した。昨夜見た悪夢だけではない。時間を遡る前のあのつらい出来事を、悲しい出来事を、話した。
話し終えるとエルヴィンは疲れを感じたものの、とてもスッキリとしていた。
「……眠そうだ」
ずっと黙って聞いてくれていたニルスが呟く。
「ああ、眠いかな。さすがにちょっと疲れたみたい。というか、ニルスに話してスッキリしたから、かも……」
「横になるといい」
「そうだ、ね……」
このままでも舟をこいだ後寝落ちしそうだ。ここまで眠いと一人が嫌だとか眠るのが怖いと考える余裕もない。
エルヴィンはニルスに言われるがまま、もぞもぞとベッドにもぐりこむ。ニルスが布団をかけ直してくれた。ぽんぽんと優しく布団の上からされたのは覚えている。だがその後すぐにエルヴィンは静かに眠りの底へと落ちていった。
ニルスはそんなエルヴィンを見つめていた。穏やかそうな寝息を立てている。
エルヴィンの語った悪夢は実際、とてもつらく悲しそうな内容だった。
そんな夢を見ていたのか……。
そっと青みがかった銀色の艶やかな髪に触れ、ニルスは優しく撫でた。
熱のせいもあるかもしれないが、確かにそんな夢を見たら一人で眠るのも怖くなるかもしれない。ただでさえエルヴィンは自分の家族をとても大切に思っている。きっと現実に起きたことだったら耐えられないだろう。
どうか、もうエルヴィンが恐れるような夢を見ませんように……。
幸せで穏やかな夢を見られるようにと祈りつつ、ニルスは顔を近づけてそっとエルヴィンの額にキスをする。
俺が実際は存在しないエルヴィンの小さな甥の遺体を布に包んで抱えていた……何故俺がそういう役割で出てきたんだろう。もしそれが現実だったとしたら俺もきっと耐え難いほどの後悔と絶望を味わったに違いない。
せめて夢なら、どうせなら夢の中だけでもエルヴィンの恋人として出たいとエルヴィンの今は穏やかそうな寝顔を見て思う。エルヴィンとしては楽しくない夢かもしれないが、さすがに悪夢とまではいかないだろう。
……いかない、よな?
少し考えつつ、ニルスはそのままエルヴィンの頬、鼻の頭、そして唇にも静かにキスをした。すでに奪ってしまっているからか、申し訳ないことに罪悪感はそろそろ薄い。
エルヴィンを起こさないよう、そっと部屋を出てニルスは廊下を歩きながら考えていた。
悪夢だと、エルヴィンは言っていた。だが何故だろうか。妙に心に残る。夢にしてはとてもはっきりとした内容だからだろうか。まるでニルスのまぶたの裏にも浮かびそうだった。
「ニルス様」
執事に声をかけられ、ニルスはハッとなる。
「ああノエルか。俺は少し書斎で仕事をする。俺の代わりにエルヴィンの様子を気にしておいてくれるか」
「かしこまりました」
「穏やかに眠っているようならそのまま寝かせて。うなされてるようならいっそ起こしてあげなさい」
「承知いたしました」
「起きて具合がよさそうなら、体に優しそうな食事をとらせて」
「ご用意いたします」
ノエルは度々エルヴィンの様子について報告してくれた。どうやらひたすらぐっすり眠っているらしかった。
その夜、エルヴィンに夢の話を聞いたことが心に残っていたからか、牢の中から哀れな様子で「どうかシュテファンを救ってくださいませんか」と涙を流すエルヴィンの姿をニルスは夢の中で見た気がした。
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