彼は最後に微笑んだ

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8話

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 気づけば毎日が穏やかに過ぎていく。だが着々とラウラが十四歳となる時期が近づいてきていた。もうすぐだ、もうすぐラウラのデビュタントがある、とエルヴィンは考え込んだ。ついでにエルヴィンは十六歳なので成人する年なのだが、心は七年前から大人なのでそちらに関してはどうでもいい。
 時間が遡る前、ラウラは十一歳で第一王子デニスの婚約者候補にあげられた。そしてラウラが十四歳で迎えたデビュタントの時、当時十八歳だったデニスと正式に婚約した。

 それらは何があっても避けなければ。

 エルヴィンはずっと自分に誓ってきていた。アルスラン家に迷惑がかからないように、何とかラウラとデニスの婚約を阻止する。
 今のところ、遡る前とは諸々変わってきてはいる。ラウラが十一歳の時には恐ろしいことに婚約者候補として名前があがったが、あくまでも候補な上に前と違い、他にも候補がいるようだった。その上ラウラは「できればお断りしたい」とはっきり両親に告げていた。
 遡る前のラウラは昔からおとなしい妹で、子ども同士の茶会にも出たことがないまま、何もわからないままデビュタントを迎えていた。エルヴィンやヴィリーもおとなしいわけではなかったもののそういった社交に全く関心がなく、面倒だとさえ思っていた。成人すれば否応なしに他の貴族と関りを持つようになる。なら社交も成人してからでいいだろうと考えていた。
 だが遡った今ではエルヴィンもヴィリーもラウラも茶会などに出るようになり、他の令息や令嬢とも知り合うようになった。親しい相手もできた。
 間違いなく変化はある、に違いない。
 というかそう思いたい。十一歳の時も候補には上がったが前とは違った。変化は、ある。
 とりあえず今のところ、デニスの周りでは明確に婚約者を決めていないようだ。リックが言っていた。

 デニス王子……。

 エルヴィンは思い返す。



 当時のラウラは十八歳でデニスと結婚した。第一王子との結婚だ。あの頃は誰もがラウラは幸せになれると思っていた。心から信じていたし、そう願っていた。
 だが結婚後、以前から体調が度々思わしくなかった王ラフェドがとうとう病で亡くなった。その頃からラウラの幸せは遠のいていった。
 デニスに王権が渡ると王妃だったラモーナは政治に関わるのを嫌い、すぐに引退し離宮へと下がってしまった。その頃すでに第二王子のリックは外国へ留学しており、王宮に残った王族サヴェージ家はデニスと、妹であり政治のことも国民のことも興味のない第一王女のアリアネしかいなかった。
 そして気づけばデニスには恋人の存在があった。
 ラヴィニア・ヒュープナー。
 ラウラより一つ年上の男爵令嬢だった。すでに二年前にはとあるパーティーでデニスと出会っていたものの、恋人として誰の目にもつくようになったのはこの頃だったようにエルヴィンは記憶している。
 ラフェド王が生きていれば、侯爵令嬢だったラウラを妻にした上で男爵令嬢という低い身分のラヴィニアを恋人にするデニスに対し、何らかの処罰が与えられていたのではないだろうか。カリスマ性はなくとも厳格でしっかりとした王だった。
 しかし今やデニスに対し反対できる者すらいなかった。重臣たちすら、下手に口を出すとそれこそ処罰された。
 デニスとラヴィニアは人目をはばかることさえしなくなっていった。ラウラは名前だけの王妃だった。
 それでもおとなしく心優しいラウラはただ耐えた。エルヴィンたちもそんな事情を知っていながらも、王となったデニス相手に何も言えなかった。
 だがそんな中ラウラが懐妊しているとわかり、エルヴィンたちに希望の光が差し込んだし大いに喜んだ。跡取り云々よりも何よりも、これできっとデニス王も目が覚めて何もかもよくなると思えたのだ。

「きっとね、男の子よ。お腹の中ですごく元気なの」

 ラウラも嬉しそうに言っていた。
 その嬉しそうな笑顔が忘れられない。
 元気そうだったラウラの体調はしかし急変し、赤子を産むとすぐに帰らぬ人となってしまった。その報告を受けた時、アルスラン家の誰もが理解できなかった。受け入れられなかった。だがラウラが本当に亡くなったのだとわかると心底悲しみに沈んだ。
 ラウラは結婚後わずか一年と八か月だけの王妃だった。
 子どもまでなしたというのに、デニスの悲しみは表向きでしかなかった。現にデニスは自分の命と引き換えとなったラウラの子どもに笑顔を向けたことさえなかったはずだ。
 生まれた子はデニスの髪色にラウラの瞳の色を持つ男の子だった。生まれた途端母親を亡くし、父親から愛されることのない第一王子はシュテファンと名付けられた。ラウラが妊娠中に言っていた名前だ。デニスは名前にすら関心を寄せなかった。
 その後男爵家だったにも関わらず、ラヴィニアが正妃となった。
 ラヴィニアが正妃となる前からこの国、マヴァリージは傾きかけていた。ラフェド王が正しく治めていたマヴァリージはその後、デニスの圧政によりますますひどい状態となっていく。
 さらにラヴィニアが懐妊し子どもが生まれると、亡きラウラの一粒種シュテファンはますます冷遇されるようになっていったと後でわかった。
 ラウラの死によりショックで寝込んだエルヴィンの母親、ネスリンはそんなシュテファンと会う時だけは多少元気を取り戻したようになったが、どんどん衰弱していき結局帰らぬ人となってしまった。
 数年後のある日、エルヴィンとヴィリーが仕事のため王宮へ出向いた時に、偶然知ってしまったことがある。
 たまたま普段あまり立ち寄ることのない、新しいほうではなく古い図書室へ資料を探すために出向いた際、ラヴィニアが誰か知らない者と話しているのを耳にしてしまった。

「私があなたを使ってラウラを毒殺させたことを今頃あなたがどうこうできると本気で思っているの? ふ。馬鹿な女。母親の病気が悪化したから治療費が必要? そんなこと知ったこっちゃないわよ。いい? あなたがいくら言おうが誰もあなたを信じないわよ。私は王妃なの。あなたのようなそれも落ちぶれた男爵家の娘とどちらを信じると思ってるの? 前王妃を毒殺した女として処刑されたいのなら好きにすればいいわ」
「そんな……」
「あと王妃の力を侮ってるようね。あなたの命くらい、いつでも誰でもどうこうできるのだと知っておくがいいわ」

 思わずその場に飛び出したくなったのを懸命にも堪えられた。出ていればラヴィニアを糾弾できるどころか、逆に捕らえられていただろう。それほど今の王政はろくでもなかった。
 しかし憤りを抑えることなどエルヴィンにもヴィリーにも不可能だった。とりあえず早速父親であるウーヴェに伝えたものの、王族、それも今のデニス王相手には抗議することすら難しいと言われてしまった。
 わかっている。わかってはいるが、耐え難かった。
 ふと、難しいと口にした父、ウーヴェのこぶしは固く握りしめられており、体は怒りでだろう、震えていた。それにより、エルヴィンとヴィリーは父親がその事実を以前から疑っており、ずっと耐えていたのだと把握した。
 なら証拠固めだとばかりにまずはラヴィニアと話していた「落ちぶれた男爵家の娘」をこっそり見つけるところから始めればと思ったのだが、その後何人もがラヴィニアにより解雇されたことはわかっても、どうやっても見つけることができなかったし、解雇された者たちの消息を追うことすらできなかった。
 おそらく解雇された者たちは大抵消されてしまったのだろうとその後何年か経ってからエルヴィンは理解した。
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