彼は最後に微笑んだ

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 苦しい。
 息が、できない。
 喉が焼けつくように痛い。
 頭がガンガンする。
 眼球が飛び出そうなほど痛い。
 もう、死ぬのか。
 俺は結局死んでしまうのか。
 でも、そうだ……死んだら家族に会えるかもしれない。懐かしい、愛しい俺の両親や弟妹……会いたい、会いたい……会える、なら、もう、いい……か?
 ──、いや。
 駄目だ!
 駄目だ、俺が死んでしまったらシュテファンが独りぼっちになってしまう。駄目だ。
 いや、でもシュテファンは……?
 もう……ああ……、いや、まだ……。
 リック王子は……ニルスという男は……信じていいのだろうか……。
 ああ、駄目だ……もう、何も、見え、な──



 思いきり息を吸い込んだ。そしてエルヴィンは自分が目を覚ましたことに気づく。

 ……ゆ、め……?

 呼吸が荒い。とても苦しかった気がする。
 思いきり肩で息をしながらエルヴィンは辺りを見回した。自分の部屋だ。

 どうなってる……?
 俺は確か……牢に……。

 意味がわからない。牢に入れられ、不便で不潔な環境を強いられ、そして確かに死ぬところ、いや、死んだはずだった。

 それとも、そっちが、夢、だった……?

 いやまさか。
 そんなはずはない。例え死にかけたのが夢だったとしても、それまでのあれほどつらく悲しい思い、今もまだ浮かべるだけで胸が痛む数々の出来事が夢なはず、ない。
 それに死にかけていたのも夢ではない。かけがえのない愛する甥を最期に思っていた自分の気持ちを考えると間違いなくそれらが夢だったと思えない。

 どっちかといえば……今が夢、では?

 もしかして走馬灯とか? と思ってみるが、知識として何となく知っている走馬灯はこういうものではなかったはずだ、と微妙な気持ちになった。
 ただ、ここが自分の部屋だという認識はあるが、違和感が拭えない。何だろうか、部屋の雰囲気が違う気がする。やはり夢なのか。
 とりあえず一旦ベッドから降りようと、ぼんやり考えごとをしながら降りたところでまた違和感を覚えた。妙に体が軽い上に、ベッドから床という着地点までの間隔が長かった気がする。
 怪訝に思い、下を向いたところで自分の体にますます違和感を覚えた。

 どうなってる……?

 何気に手のひらを見て確信した。小さい。

「……いやいや、何だ? 死にかけて幻覚を見てるとかか?」

 声に出してみると、その声は明らかに幼子のそれだ。微妙な気持ちで首を振っているとベッドサイドに置いてある水差しが目についた。水を飲めば幻覚も消えるかもしれない。もしくは死んでからの幻なら、そもそも水を飲もうにも飲めないかもしれない。
 水差しに手を伸ばすも、何とか届く自分の小さな体にまた違和感を覚える。

 これが幻覚?
 毒で脳が完全にやられたか?
 もしくは死んでからも夢って見るのか?

 こぼさないよう必死になって水差しからグラスへ水を移し、エルヴィンはそれを飲んだ。少しぬるくなっている水は間違いなく水の味がした。コクリと飲み込む。そしてグラスを持つ手を見る。

「……まだ小さい」

 いやいやいや、おかしいだろ。何だこれほんと。もしくは死にかけたもののまだしぶとく生きてる俺に、誰かが魔術具などでまやかしを見せてる、とか?

「……だとしたらそいつも殺す」

 これ以上俺を混乱させるな。苦しめるな。

 ただ、少なくともあの恐ろしく痛くて呼吸のできない感覚はもう完全にない。エルヴィンは正常な呼吸をしている。
 そういえば、とベッドサイドの引き出しを開けた。ここがもし自分が小さな頃の部屋ならば、そこに日記帳と一緒に手鏡も入っていたはずだ。
 開けるとやはり入っていた。手鏡を取り、エルヴィンは一瞬躊躇した後に思い切って自分の顔を見た。そこに映っていたのは顔色の悪い死にかけの男でもなく、ましてや顔の映らない幽霊でもない、子どもの頃のエルヴィンの顔だった。
 小さな体や手を見て何となく薄々わかっていたというのに改めて驚愕し、エルヴィンは手鏡を下へ落とした。もちろんその衝撃でこの状況ともども割れて牢の中へ戻るなんてこともなく、手鏡はふかふかとしたラグに包み込まれるようにして落ちた。
 考えがまとまらないまま、エルヴィンは一緒に入っていた日記帳も取り出す。大人になってからは中々書く暇もなかったそれを読むと、今の自分がこの間九歳になったばかりだとわかった。
 あの牢でエルヴィンが死んだのは二十七歳の時だ。あり得なさすぎて実感もないが、ひとまず一旦受け入れたとして計算すると、エルヴィンは十八年前に戻ったということになる。
 ときめきが止まらないなどだったら楽しいのかもしれないが、とにかく戸惑いが止まらない。頭を抱えて十回くらい床を転がりまわり、その後で壁にその頭を打ちつけてから叫びたいしそうしようと思い立ったところで「起きておられるんですか?」というメイドの声が部屋の外から聞こえてきた。ハッとなり、我に返れたエルヴィンは深呼吸をしてから「うん、起きたよ」と返事した。
 着替えなどの支度を済ませ、食事を取りに部屋を出たエルヴィンは慎重に周りを窺った。廊下も壁も、窓から見える庭園も、同じようでいてどこか少し違う。とはいえ別物でもない。
 ダイニングとして使っている大部屋に着くと、両親も弟妹もすでにテーブルについていた。その両親が若々しい。ヴィリーとラウラに至っては小さい。
 それもそうかもしれない。エルヴィンが本当に九歳なら、この双子の弟妹は七歳ということになる。十八年後の家族の姿を知っているだけに妙な感覚だ。

 いや、何より……何より、生き……生きてる……!

 生きている。話している。目が口が、手が体が、彼らが動いている。彼らの命が、そこにある。

「エルヴィン? どうしたんだ? 早く席に……」
「……っうっ」

 いきなりぼたぼたと大粒の涙を落とし始めたエルヴィンを見て、両親は慌てて立ち上がり、弟妹たちはつられて泣き出した。
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