満月の夜

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116話

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 体が熱かった。倒れる寸前に思ったことは、ひたすら体が燃え尽きそうだということ。
 契約の時、前に聞いたのと雰囲気の違う、なにを言っているのかは全く分からない言葉を月時は今回もまるで歌うように唱えていた。詠唱を終えて淡く、だが鋭く光る陣が浮かび上がると月時は海翔を引き寄せてキスをしてきた。軽いキスではなく、唾液のやり取りをするような深いものだ。少しピクリと反応していると月時の唇が離れた。そのまま離れようとする月時に、海翔は唖然となった。

 え? 今ので終わり?

 いや、仮にしても本契約にしても、それぞれ専用の呪文を唱えている為、それだけで十分なのかもしれない。あとは仮だと噛みつき、本契約だと接触をする。
 仮では分泌物のやりとりではなく歯形をつけるという意味があり、本契約ではなんらかの分泌物でのやりとりをすることに意味があるのだろうとはなんとなく理解してはいた。そもそも最初に本契約では性交をするものだというイメージがついてしまったのがいけないのかもしれない。一旦他に方法がないか確認をするということになった際に月時が赤い顔をして「接触っていうのは……」と、海翔の思い込みを訂正してくれた時は自分が少し恥ずかしかったが、その時点では少々心にゆとりが出来ていたのでそんな月時の様子を可愛いと思えていた。
 それにしても本当にキスによる唾液のやり取りだけで大丈夫なのだろうか。
 月時が大丈夫だと思っているなら問題ない筈だし、月時を信用していない訳ではないのだが、海翔は絶対に失敗だけはしたくなかった。だから月時を引き寄せた。そして改めて自分からキスを仕掛けて月時の舌を絡めとる。

 トキ、ごめん、噛むね。

 心の中で謝ると、驚いている月時の舌を噛んだ。鉄の味がする。
 仮契約の時は噛まれた際に海翔の血も舐められた。その時もてっきり、血の契約がいるものだとばかり思っていた。それもあって、こうして血のやり取りをすることで安心出来るのかもしれない。

 ああ、魔物の血もちゃんと鉄分あるんだ。

 そんなどうでもいいことが浮かびながらも、海翔は月時の舌に自分の舌を這わせて執拗に血を味わった。要は自己満足だ。間違いなく契約が成立するという安心を得たかった。自分勝手な満足の為に月時の舌を傷つけたことは申し訳なく思いつつも、海翔は唇を離すとホッとしたのもあってニッコリと笑いかけた。月時が妙な顔をしている。
 そう思った途端、ズキンと胸の奥が痛んだ。まるで心臓の奥に鋭利なものが突き刺されたような、もしくは強い力でひねられたような痛みに、海翔は胸元の服をつかみながら顔を歪めた。

「っく」

 息が止まりそうになっていると月時が強引に海翔の腕を退かせて服をはだけさせてきた。なにをするんだと脳のどこかで思いつつも、それを意識することすら出来ない。
 心臓が潰れそうだと唇を噛み締めようとした途端、自分の心臓がむしろ静かに優しく鼓動した。一気に痛みが楽になり放心しそうになると、痛みはないが表現しがたい力を感じ、体が仰け反る。
 少しぞわりとしたものが自分の皮膚の内側を這ったような気がした。だが次によく分からないが自分の中に何かが入ってくるような感覚にとらわれる。その何かは自分の体をまるで拘束するかのような、そして奥へ染み込んでいくような感覚を与えてきた。

 体が熱い。

 海翔は放心したような様子のまま思った。
 心臓はゆっくり動いている。汗が出る訳でもない。だが心臓の奥から熱が体中へ伝わっていっているような感じがする。そして意味の分からない圧迫感にも似た感覚が否応なしに押し寄せてくる。

 なんだろう……よく、分からない、けど……体が、まるで作り替えられているような、そんな――

 その後で海翔は意識を手放した。
 ふと気づくとよく分からない空間に浮いていた。
一体なにがどうなって、と思っていると体があり得ない程にねじれてくる。

「な、にが」

 どう考えてもそんなことがある筈はないし、こんなにねじれていたら激痛どころじゃないと思うのだが、痛みはない。ただ自分の脳内も視覚も、まるでペーズリー柄を見ているような感じでなにもかもが意味のなさない歪みに見えた。
 ぐらぐらとそして脳みそが揺さぶられる気がする。気持ちが悪い。吐きそうだと思ったが、吐ける気もしない。

「っな、んだ、これ……っ」

 吐きたい。
 いっそ吐きたい。
 気持ちが悪い。
 自分がねじれたまま溶けてしまう。

 歯を食いしばり、見ないように目を閉じても脳内も同じようにぐにゃりとした歪みがうねるように動いているせいで意味をなさない。

「う、ぁ……っ」

 トキ……、トキ……助けて。
 トキ、どこにいる、の……。

 寂しさを感じたり不安になる余裕すらないのだが、それでも月時がいれば楽になれるような気がした。

 もう、嫌だ。
 歪む。
 なにも形を成さない。
 気持ち、悪、い……!

『っひろ……!』

 トキ……。

 月時の声が聞こえた気がした。だが目の前は相変わらずペーズリー柄が更に歪んだような光景しか見えない。脳は今にも溶けてなくなりそうだった。

 助けて。
 トキ。
 トキ。

「っ、トキ……!」
「ひろ」

 ハッとなる。自分の手をなにかがぎゅっと握っている感覚がする。その感覚の後に、だんたんと目の前の歪みがなくなっていく。
 脳内はまだぐらぐらとしている。だが耐え難い程の気持ち悪さはなくなった。

「ひろ……大丈夫?」

 声がしたほうを見れば、泣きそうになっている月時の顔が見えた。

「……俺、あんたのそんな顔……ちょくちょく見てる気がする……」

 少し笑ってみせたが、まだぐるぐると目が回る気がするし気持ち悪さも残っていて、またすぐに自分の表情が少し歪んだのが分かった。

「だって心配だろ! 体、きつい? 動けなさそう?」
「……気持ち悪い……」
「そ、そっか。吐く?」
「今はそこまでじゃ、ない、かな……。でもちょっとキツイ……」

 そこに月凪が顔を覗かせてきた。

「起きたんだね、ひろ。初めまして、魔物のひろ」
「……俺、もう魔物に、なってんの……?」

 言葉とは裏腹にすごく優しく微笑んできた月凪に、海翔はゆっくりと顔を向ける。

「多分ね。凄く具合悪そうだし……。あ、見た目はそんなに変わってないけど……まあ自分で見てみるといいよ」

 ニッコリと月凪は鏡を差し出してきた。横で月時が「相変わらず鏡持ち歩いてんの、気持ち悪いからね、ナルシスト」と呆れたように言っている。
 海翔は恐る恐る覗いてみた。あまり変わってないと言っても、猫や犬のような髭が生えていたらどうしよう、人間の耳が無くなって動物の耳どころか角になっていたらどうしようとドキドキする。
 だが鏡を覗いた瞬間ホッとした。月凪の言う通り、ほぼ変わっていない。
 髪が一房だけ白くなっている。思わず「白髪……」と微妙になったが恐らく白髪というよりは月時たちのような銀髪なのかもしれない。
 そしてぎょっとしたのは目だった。

「……金色……」
「綺麗だよ、ひろ」

 唖然としていると月時が優しく言って額にキスをしてきた。
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