満月の夜

Guidepost

文字の大きさ
上 下
80 / 128

79話

しおりを挟む
 冬休みに入る前日に、海翔は月時に美術室へ来てもらった。美術室は明日から冬休みだからか、誰もいない。いや、普通は明日から休みなら皆出てくるのかもしれないが、この辺がこの部の緩いところだろうか。

「どしたの?」
「絵、見て貰おうと思って……」
「わぁ、なんの絵だろ」

 普段は美術に全然関心がない月時だが、海翔の絵にはちゃんと関心を持ってくれる。海翔が好きだからというのもあるかもしれないが、形だけではないのは絵を見ながら「ここのこういうところが好き」などとしっかり見た上で感想をくれるので分かる。元々お世辞を言う性格ではないから尚更かもしれない。
 海翔は結構前に完成しつつもずっと大事に保管しておいた絵を取り出した。

「……、あ。この絵」

 どれどれ、と海翔が壁に立て掛けた絵を見ると、月時がハッとした。

「うん。あの時の絵」

 天使の視点での絵を描こうと思って挙げ句屋上から落ちた時のことが恐らく海翔だけでなく月時の中でも浮かんだだろうと思われた。
 その絵をスケッチしている時に落ち、そして月時に助けられた。その時は暗示にかけられていたのもあって、助けられたことは分かっていなかったが仮契約もして暗示が完全に解けている今ではしっかり海翔は覚えている。
 仮契約前に完全に解けていたと思っていたのだが、見ていた月時の姿をぼんやりではなく本当にはっきり思い出したのは仮契約後だ。

 耳と尻尾を生やし、仮契約の時のように髪が白っぽく、そして金色の目をした俺のワーウルフ。

「あ……、えっと。ってあれ? 天使の絵じゃないの?」

 何故か一瞬動揺したような顔をした後で月時が聞いてきた。

「あー。天使の絵は……なんていうか、ちょっと想像しにくくなって」
「え……? う、上から落ちてるような視点だから?」

 変な質問だなと首を傾げつつ、海翔は「まあ」と相槌を打った。この魔界をイメージした絵だと、上からの視点は活かしているとはいえ、下を見るよりは視点はそこに留まっている感じというのだろうか。下へこのまま落ちるのだろうと思いつつも下へ向けている目線ではない。

「それにあんたの正体知って、なんていうか魔界のイメージのほうが気になって。あの赤い月と絡めてみたくなったっていうか」
「そっか。……いい絵だと思う。ひろってなんていうか、特徴捉えて表現するの上手いよね」

 海翔の顔を見た後で月時はじっと絵を見て微笑んだ。ふと前に悠音にも「あんたの絵はなんだろう、特徴つかむのほんと上手いよね」と言われたのを思い出す。

「って赤いってよりピンクだね。まるであの時の月だ」
「うん。あの月の印象がすごいから」
「魔界はやっぱ暗いイメージなんだね」
「もしかしてやたら明るいとか?」
「あはは、それはないな! やっぱうん、暗いよ。うーん、いやまあ空って概念とはちょっと違うけどもね、ここで言う曇りとかね、昼や夜もあるんだけどね」
「へえ。面白いな」
「……俺、これ見てたらね、なんか俺とひろが一緒に魔界にこれから落ちようとしているような気持になる」

 更にじっと見つめた後、月時が言ってきた。まさにそんなつもりで描いていた海翔は妙に嬉しくなった。方向を変えて今の絵にし始めた頃は月時の正体を知ったばかりの頃で、まさか契約だのなんだとということになるとは思ってもみなかった。なので本当に一緒に落ちるというつもりで描いた訳ではない。ただそういう想像は絵を描きながらした。そういうイメージで描いた。

「うん」
「なんていうか、明るい絵じゃない筈なのに、凄く嬉しくなってくる絵って感じする」
「うん」

 お互い微笑み合った。

「いい絵だね……。あのスケッチブックの絵がこんなすごい絵になるなんて、美術って、ていうかひろって凄いね」
「……あ、ありがとう」

 ストレートに褒められ、さすがに照れた。その後で「これ……」と続ける。

「ん?」
「これ、良かったら貰って欲しい」
「えっ? え、いい、の? だってせっかくひろが一生懸命描いた絵なのにっ?」
「うん……嫌じゃなければ」
「嫌な訳ないよ! 凄い嬉しい」
「良かった。あんたに貰って欲しいなって思いながら描いてた」
「マジでっ?」

 月時が嬉しそうにキラキラした目で海翔を見てきた。だがその後で急に悲しそうな顔をする。

「どうしたんだ?」
「……ひろ、あの事故がなかったらきっと今頃はこの絵、天使が下を覗いてるよーな絵になってたんだよね」
「……まあ、途中で気分が変わらなかったら……」
「……俺、あの時程自分の不甲斐なさ感じたことなかったかも」

 月時が絵を眺めながら呟いてきた。

「なんで……俺を助けてくれたのに?」
「ユーキならきっとひろが落ちる前に支えてた。俺は力が出し切れず、結局ひろは空中へ落ちて高いとこ、怖くなっちゃった」

 えへへ、と笑いながらもやはり顔が悲しそうで、海翔は月時の髪をそっと撫でた。そして一房つかむと軽くピッと引っ張る。

「な、なに?」
「馬鹿だなって思って」
「ええっ? なんで」
「普通だったらそもそも俺はあのまま落ちてた。あんたが助けてくれたんだ。それに俺はかすり傷すらなかった。次の日、あんた顔に傷作ってたよな? あれ、落ちた時に俺を守ってくれたからだろ」

 言いながら海翔は笑いかけた。

「さすがに落ちると思った後の記憶は定かじゃないんだ。暗示とか関係なく、俺がほぼ意識失くしてたから。でも木の中っていうイメージがすごく残ってる。多分衝撃を和らげるためにあんたがしてくれたんだろ? そして枝で俺が傷つかないよう守ってくれた。俺、あの時どれだけあんたに守られたんだろうなって思う」
「……ひろ」
「いくらあんたらでも、人一人抱えてバランス崩したまま落ちたらヤバイんじゃないの? なのに全身で俺を守ってくれた。不甲斐ない訳ない。あんたは俺のヒーローだよ」

 静かに言い切ると月時がぎゅっと抱きしめてきた。

「ここ、学校だから」
「……もう。これくらいはさせてよ。ひろ、ありがとう……大好きだよ」

 更にぎゅっと抱きついてくる月時を海翔は仕方ないなとばかりに受け入れる。さすがにこの時間だと誰も来ないだろうことは把握している。
 それでもやはり落ち着かないでいると、月時が海翔の耳元にキスをしてきた。

「っおい。これくらいって言っておきながら更になんかしてくるなよ」
「だって。ひろが好き過ぎて俺、もう堪んなくて……」

 耳元で言われて海翔はゾクリと体になにかが走る。
 月時の声は基本的には高めだと思う。明るい月時に似合う声だ。なのにたまにこうして少し低く艶っぽい声で囁かれると海翔だって堪らなくなる。あの時は女役を受け入れているとはいえ海翔も正真正銘の男であり、好きな相手なのだ。反応しない訳がない。
 ただ基本的に常識やら羞恥心が上回るだけだ。

「ひろ……、絵、ありがとう。凄く嬉しい。それに、ひろが今言ってくれた言葉がマジで嬉しくて……俺……」

 耳元にキスをしていた月時の唇が首筋へ動く。

「……っ。……トキ……」
「あっ、ご、ごめんね! ひろ、学校でとか凄く嫌がるってのに、ほんとごめん」

 海翔の低い声に、月時が我に返ったようにハッとなり体を離してきた。

「……ここの教室、鍵、かかるから……」
「へ?」
「鍵、かけてきて」

 絞り出すような低く静かな海翔の声に、月時は一瞬ポカンとした後で「はい!」と急いで閉めに行く。
 その夜は美術室でのことを思い出し、海翔はあまりの恥ずかしさで死ねるとベッドの中でのたうち回った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】孕まぬΩは皆の玩具【完結】

海林檎
BL
子宮はあるのに卵巣が存在しない。 発情期はあるのに妊娠ができない。 番を作ることさえ叶わない。 そんなΩとして生まれた少年の生活は 荒んだものでした。 親には疎まれ味方なんて居ない。 「子供できないとか発散にはちょうどいいじゃん」 少年達はそう言って玩具にしました。 誰も救えない 誰も救ってくれない いっそ消えてしまった方が楽だ。 旧校舎の屋上に行った時に出会ったのは 「噂の玩具君だろ?」 陽キャの三年生でした。

捨てられ子供は愛される

やらぎはら響
BL
奴隷のリッカはある日富豪のセルフィルトに出会い買われた。 リッカの愛され生活が始まる。 タイトルを【奴隷の子供は愛される】から改題しました。

からっぽを満たせ

ゆきうさぎ
BL
両親を失ってから、叔父に引き取られていた柳要は、邪魔者として虐げられていた。 そんな要は大学に入るタイミングを機に叔父の家から出て一人暮らしを始めることで虐げられる日々から逃れることに成功する。 しかし、長く叔父一族から非人間的扱いを受けていたことで感情や感覚が鈍り、ただただ、生きるだけの日々を送る要……。 そんな時、バイト先のオーナーの友人、風間幸久に出会いーー

そばかす糸目はのんびりしたい

楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。 母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。 ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。 ユージンは、のんびりするのが好きだった。 いつでも、のんびりしたいと思っている。 でも何故か忙しい。 ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。 いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。 果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。 懐かれ体質が好きな方向けです。今のところ主人公は、のんびり重視の恋愛未満です。 全17話、約6万文字。

僕の心臓まで、62.1マイル

野良風(のらふ)
BL
国民的女優と元俳優の政治家を両親に持つ、モデル兼俳優の能見蓮。 抜群のルックスを活かし芸能界で活躍する一方、自身の才能に不安を抱く日々。 そんな蓮に、人気バンドRidiculousのMV出演という仕事が決まる。 しかし、顔合わせで出会ったメンバーの佐井賀大和から、理由も分からない敵意を向けられる。蓮も大和に対して、大きくマイナスな感情を持つ。MVの撮影開始が目前に迫ったある夜、蓮はクラブで絡まれているところを偶然大和に助けられる。その時に弱みを握られてしまい、大和に脅されることになりーー。 不穏なあらすじとは裏腹な、ラブ&コメディ&推し活なお話です。

【完結】魔法薬師の恋の行方

つくも茄子
BL
魔法薬研究所で働くノアは、ある日、恋人の父親である侯爵に呼び出された。何故か若い美人の女性も同席していた。「彼女は息子の子供を妊娠している。息子とは別れてくれ」という寝耳に水の展開に驚く。というより、何故そんな重要な話を親と浮気相手にされるのか?胎ました本人は何処だ?!この事にノアの家族も職場の同僚も大激怒。数日後に現れた恋人のライアンは「あの女とは結婚しない」と言うではないか。どうせ、男の自分には彼と家族になどなれない。ネガティブ思考に陥ったノアが自分の殻に閉じこもっている間に世間を巻き込んだ泥沼のスキャンダルが展開されていく。

婚約破棄と言われても・・・

相沢京
BL
「ルークお前とは婚約破棄する!」 と、学園の卒業パーティーで男爵に絡まれた。 しかも、シャルルという奴を嫉んで虐めたとか、記憶にないんだけど・・ よくある婚約破棄の話ですが、楽しんで頂けたら嬉しいです。 *********************************************** 誹謗中傷のコメントは却下させていただきます。

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

処理中です...