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5話
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その夜もまたあの夢を見ていた。靄はもうほとんどなくなり、着物の柄だけでなく姿自体もよく見える。前から気づいていながらも、泣いている少女があの人形であることは間違いないと確信できた。だが逃げたくとも、やはり体が動かない。修紀はなんとかして動こうとあがいた。結果、体はびくともしないが辛うじて声は出た。
「何で……泣く……の」
絞り出すようにして出した声は掠れている。だが聞こえたようで、少女、いや日本人形は泣くのをやめて俯いたまま「首が痛いの」と答えてきた。
「ごめ、なさい……」
「恨んではないの。むしろ見つけてくれて嬉しい。でも痛いの」
「くっつける……から」
「本当?」
頭を上げて人形が修紀を見てきた。思わず「ひ……っ?」っと声が漏れる。
人形の目の部分は穴になっていた。深淵を覗いても底がないと思えるほどの穴に見える。そこから涙の代わりに血が流れていた。他が綺麗なままなだけに余計に目立ち、おぞましかった。その上今まで普通にしていたはずの首が修紀を見てきた拍子に不自然なほど曲がった。人間じゃなくてよかったと思えばいいのか、人形だからこそ怖いと思えばいいのか。
「ねえ……本当?」
「ひ……、来るな……」
今すぐ走って逃げたいのに相変わらず体が動かない。修紀は歯を食いしばって指先を動かそうとした。するとようやくぎしり、とわずかに動いてくれた。と同時に体を支えられなくて崩れ落ちる。まるで自分こそ人形のようだ。まさか乗り移られるのではとつい思ってしまい、ますます恐怖に震える。
「どこへ行くの……」
何とか必死になって這ってでも逃げようとした修紀のふくらはぎを小さな手がもの凄い力でつかんできた。
「う、わぁああ……!」
目が覚めると朝だった。遠くで蝉の声が染み入るように聞こえる、いつもと変わらない静かな朝だ。
叫んだのは夢の中なのか現実なのか。とりあえず起き上がると寝汗が酷いことに気づいた。おまけに自分が泣いていたことにも気づいた。恐怖で涙するなんて覚えている限り初めてだ。
「……夢」
そう、夢だ。
荒かった息も次第に整ってきた。現実ではなく、夢。
だがいくら夢でも、同じ夢を、それも見るたびにどんどん修紀に近づいてくるような夢を普通見るだろうか。こればかりはやはり気のせいではない。
最後に深呼吸をすると、修紀はとりあえず起きるため体を起こす。体はますます怠くなっていた。ため息を吐きながらベッドから足を下ろすと、ハーフパンツのため、その際に片方のふくらはぎに痣があることに気づく。
「……どこかでぶつけたっけ?」
怪訝に思ってよく見ると、それはとても小さな手の平の形をしていた。
「あんたはほんとにもう!」
予想通りといえば予想通りだが、母親は烈火のごとく怒ってきた。祖母の遺品を壊したからか、高級な日本人形を壊したからか、修紀が怖い目に合っているからか、修紀のうっかり具合にか、どれに対してお怒りなのか一見わからない。だが修紀の足に軟膏を塗ってくれたりして、きっと多分これでも心配してくれているのだろう。
祖父はとりあえず人形の首を臨時とはいえ補修してくれた。とはいえ接着剤で首をくっつけているのを見ると少し微妙に思う。
「そんな接着剤でくっつくの」
「市松人形の頭ぁ桐塑か木でできてるからなぁ。問題ない。人形も折れたままよりかぁ、いいだろう」
桐塑というのは粘土の一種らしい。てっきり陶器かなにかでできているものだと修紀は思っていた。
「肌なんてつるつるだし」
「日本の伝統工芸の一つだなぁ。でもそんなこたぁ今はいい。人形包んでる紙もあれだけどな、そんなおかしな夢ばっか見るんはおかしい。高松の住職んとこにこれ、持ってって相談しよう」
「……うん」
母親はまだしも、どうやら祖父も人形の由来を知らないようだった。自分の妻がこの人形を飾ったり持っていたりしているところを見たことすらなさそうで、首を傾げていた。
幸明の家へ行くと、運よく手が比較的空いている時だったのか住職である幸明の祖父は少しだけ待ってもらうことになるが、と時間を作ってくれた。待っている間に何度か幸明がやってきて、修紀のことを心配しては母親に連れ去られていくというのを繰り返していた。
「……俺は大丈夫だからさ、お前はすることしとけよ。おばさんマジで怒ってんだろ」
「だって。それに檀家さんの松田さんとこのさ、じいちゃん夜中にぽっくりいったらしくて。俺のじいちゃんが葬祭供養すんのは今日の夜と明日だけどその前に葬儀準備の手伝いしてこいって言うんだよ?」
「すればいいじゃないか」
「だって! 松田のじいちゃんまだ自分がぽっくりしちゃったの把握してねーんだもん!」
「は?」
幸明は一体何を言っているんだと修紀はぽかんと見つめた。
「……、あ、いや。何でもない。うろついてなんてない」
「は?」
「あー、もう。行ってくる! まさ、俺がいなくても泣いたりしちゃダメだぞ。ちゃんと後で守ったげるから!」
「さっきからお前が何言ってんのかさっぱりわかんない。いいから行ってこい。お疲れ様」
本当によくわからないやつ、と思いながらも、ずっと張りつめていた何かが解れたのは間違いなかった。こっそり笑っていると幸明の祖父がやってきた。
「ああ、それな」
修紀と修紀の祖父から話を聞いた住職であり幸明の祖父はどうやら祖母が持っていた日本人形のことを知っているようだった。
「何で……泣く……の」
絞り出すようにして出した声は掠れている。だが聞こえたようで、少女、いや日本人形は泣くのをやめて俯いたまま「首が痛いの」と答えてきた。
「ごめ、なさい……」
「恨んではないの。むしろ見つけてくれて嬉しい。でも痛いの」
「くっつける……から」
「本当?」
頭を上げて人形が修紀を見てきた。思わず「ひ……っ?」っと声が漏れる。
人形の目の部分は穴になっていた。深淵を覗いても底がないと思えるほどの穴に見える。そこから涙の代わりに血が流れていた。他が綺麗なままなだけに余計に目立ち、おぞましかった。その上今まで普通にしていたはずの首が修紀を見てきた拍子に不自然なほど曲がった。人間じゃなくてよかったと思えばいいのか、人形だからこそ怖いと思えばいいのか。
「ねえ……本当?」
「ひ……、来るな……」
今すぐ走って逃げたいのに相変わらず体が動かない。修紀は歯を食いしばって指先を動かそうとした。するとようやくぎしり、とわずかに動いてくれた。と同時に体を支えられなくて崩れ落ちる。まるで自分こそ人形のようだ。まさか乗り移られるのではとつい思ってしまい、ますます恐怖に震える。
「どこへ行くの……」
何とか必死になって這ってでも逃げようとした修紀のふくらはぎを小さな手がもの凄い力でつかんできた。
「う、わぁああ……!」
目が覚めると朝だった。遠くで蝉の声が染み入るように聞こえる、いつもと変わらない静かな朝だ。
叫んだのは夢の中なのか現実なのか。とりあえず起き上がると寝汗が酷いことに気づいた。おまけに自分が泣いていたことにも気づいた。恐怖で涙するなんて覚えている限り初めてだ。
「……夢」
そう、夢だ。
荒かった息も次第に整ってきた。現実ではなく、夢。
だがいくら夢でも、同じ夢を、それも見るたびにどんどん修紀に近づいてくるような夢を普通見るだろうか。こればかりはやはり気のせいではない。
最後に深呼吸をすると、修紀はとりあえず起きるため体を起こす。体はますます怠くなっていた。ため息を吐きながらベッドから足を下ろすと、ハーフパンツのため、その際に片方のふくらはぎに痣があることに気づく。
「……どこかでぶつけたっけ?」
怪訝に思ってよく見ると、それはとても小さな手の平の形をしていた。
「あんたはほんとにもう!」
予想通りといえば予想通りだが、母親は烈火のごとく怒ってきた。祖母の遺品を壊したからか、高級な日本人形を壊したからか、修紀が怖い目に合っているからか、修紀のうっかり具合にか、どれに対してお怒りなのか一見わからない。だが修紀の足に軟膏を塗ってくれたりして、きっと多分これでも心配してくれているのだろう。
祖父はとりあえず人形の首を臨時とはいえ補修してくれた。とはいえ接着剤で首をくっつけているのを見ると少し微妙に思う。
「そんな接着剤でくっつくの」
「市松人形の頭ぁ桐塑か木でできてるからなぁ。問題ない。人形も折れたままよりかぁ、いいだろう」
桐塑というのは粘土の一種らしい。てっきり陶器かなにかでできているものだと修紀は思っていた。
「肌なんてつるつるだし」
「日本の伝統工芸の一つだなぁ。でもそんなこたぁ今はいい。人形包んでる紙もあれだけどな、そんなおかしな夢ばっか見るんはおかしい。高松の住職んとこにこれ、持ってって相談しよう」
「……うん」
母親はまだしも、どうやら祖父も人形の由来を知らないようだった。自分の妻がこの人形を飾ったり持っていたりしているところを見たことすらなさそうで、首を傾げていた。
幸明の家へ行くと、運よく手が比較的空いている時だったのか住職である幸明の祖父は少しだけ待ってもらうことになるが、と時間を作ってくれた。待っている間に何度か幸明がやってきて、修紀のことを心配しては母親に連れ去られていくというのを繰り返していた。
「……俺は大丈夫だからさ、お前はすることしとけよ。おばさんマジで怒ってんだろ」
「だって。それに檀家さんの松田さんとこのさ、じいちゃん夜中にぽっくりいったらしくて。俺のじいちゃんが葬祭供養すんのは今日の夜と明日だけどその前に葬儀準備の手伝いしてこいって言うんだよ?」
「すればいいじゃないか」
「だって! 松田のじいちゃんまだ自分がぽっくりしちゃったの把握してねーんだもん!」
「は?」
幸明は一体何を言っているんだと修紀はぽかんと見つめた。
「……、あ、いや。何でもない。うろついてなんてない」
「は?」
「あー、もう。行ってくる! まさ、俺がいなくても泣いたりしちゃダメだぞ。ちゃんと後で守ったげるから!」
「さっきからお前が何言ってんのかさっぱりわかんない。いいから行ってこい。お疲れ様」
本当によくわからないやつ、と思いながらも、ずっと張りつめていた何かが解れたのは間違いなかった。こっそり笑っていると幸明の祖父がやってきた。
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