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12話
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仕事帰りの心地よい疲れに、利一は満足げに小さなため息を吐く。
駅から自宅まではさほど歩かないが、歩いたとしても基本的には特に苦にならなかっただろう。日々、申し訳ないくらい楽しみを与えられている気がするし、家までの道のりはその満足感を反芻する時間でもある。
もちろん罪悪感も持っている。自分には決まった相手がいるというのにふらふらとしており、その相手にとても申し訳なく思っている。ただ、どうにも抗えないというのだろうか。魅力的な電車が多すぎて本当に困る。
今日の帰りに乗った電車もまず手すりのラインからして堪らなく悩ましかった。危うく乗り過ごすところだった。
本命の電車に朝乗る時に、あまりの申し訳なさに心の中でひたすら謝ったりもする。
「違うんだ、本当は他のになんて乗りたくないんだ。お前だけなんだよ」
「仕事へ向かったり帰ってくるにはどうしても仕方がないんだ。ねえ、他のに乗る俺を軽蔑する? 俺は汚れてしまってる?」
すると本命であるみどりは「仕方ないなあ」とばかりに軽く揺れてくる。少し拗ねつつも許してくれるところがまた好きだと利一は思い、かわいさと悩ましさについ変な声が出そうになって必死に堪えたりした。
だというのに今日も帰りの電車についふらふらとしてと、申し訳のなさと心身ともに満たされた満足感にまみれていると「……兄さん」と呼ばれた。振り返ると信太がいた。
「……? あれ、偶然だね。仕事帰りにどこか寄ってたの」
「あ、えっと……まぁ」
いつもハキハキと口にしてくる信太が、どことなく歯切れが悪い。
「どうした、何かあったのか?」
心配になり、信太の肩に手を置いて顔を覗き込んだ。すると困惑した顔を少し赤くしながら「見るなよ」と離れてくる。
「まさかのその年で反抗期……」
「んな訳ないだろ! なあ、今から兄さんの家行っていいか」
「もちろん。ご飯何作ってくれるんだ?」
「……たまにはお前が作ろうとかは」
「思わないよね。だって作れないしな」
「だから作らないからだっつってんだろ」
ため息を吐かれたが、利一はとりあえず安心した。一瞬様子がおかしいように思えたが、いつもの信太のようだ。
自宅に着くと、信太が食事の用意をしてくれるのをいいことに利一は風呂へ入った。風呂から出ると丁度筑前煮が後は煮込むだけとなっていた。
「俺が見とくから信太もここで風呂、入ってったら?」
「着替えがないからいい」
「俺のを着ればいいだろ」
「兄さんの服はちょっと小さいんじゃないかな」
「嫌みだなー。ズボンはそのままでいいじゃないか。あと上はブカブカのやつ貸してやるし、下着も洗ってるんだしいいだろ。兄弟なんだしさ」
わざとムッとした顔をした後に笑いかけると、何とも複雑な顔をされた。
結局「焦がすなよ」と念を押されつつ信太も風呂へ入った。何となく風呂の時間は早そうなイメージだったが意外にも長くて、利一はつい油断していた。
「……弱火で煮込むだけなのに何で本当に焦げんの」
「俺も不思議」
「不思議、じゃないんだよ! 汁気がなくなりそうなら火を止めるなり兄さんでもできるだろ」
「あ、止めなきゃなのか」
あははと笑うと、ものすごく馬鹿を見るような目で見られてしまった。
「にしても風呂、けっこう長かったな。何となくお前って風呂早いイメージだったけど」
また笑いながら言えば、今度は顔を赤くしながらしどろもどろになってくる。
「どうかしたのか」
「何でもない」
「そう? ならいいけど……」
また笑いかけながら手を伸ばし、信太のまだ濡れている髪をというか頭を利一が撫でようとしたら、その腕をつかまれた。
「信太?」
「……ちょっと……確認したいこと、あって……」
「確認?」
「いい?」
いい、と聞かれても「何が?」としか思いようがないのだが、利一としてはかわいい弟のお願いなら聞いてやるしかないなと微笑む。
「何か知らないが、構わな──」
言いかけている最中につかまれた腕を軽く引かれ、利一の体が信太に引き寄せられる。とっさに信太の体をつかんで支えようとすれば、むしろ腕を背中に回された。そしてそのまま利一の顔を上げられ、何故かキスをされた。
合わさった唇は軽く触れたかと思うと一旦離れる。
「……、……し、んた?」
「……マジ、かよ……」
唇が近いまま、信太が呟いている。
いや、そう言いたいのはこちらだろと口にしようとしたらまたキスをされた。しかも今度はしっかりくっついている。
「っん、信、んー、んーっ」
離れない唇に、とうとう利一がもがき出すと「何で暴れんの」と言いながらも信太は利一を離してくれた。少し乱れた息を整えつつ、利一は呆れたように信太を見上げる。
「何でって……お前がふざけて馬鹿なことしてくるからだろ」
「ふざけたつもりなんてないけど」
ため息をつく勢いで言えば、信太は心外だと言わんばかりに利一を睨んでくる。
「えぇー……ふざけてないなら何だよ今の。世間一般ではキスって言うんだぞ?」
「……っていうか兄さん、キス知ってたんだ?」
「はぁっ? それくらい知ってるぞ。俺を何だと思ってんだ?」
「サイダロドロモフィリア」
「何て」
駅から自宅まではさほど歩かないが、歩いたとしても基本的には特に苦にならなかっただろう。日々、申し訳ないくらい楽しみを与えられている気がするし、家までの道のりはその満足感を反芻する時間でもある。
もちろん罪悪感も持っている。自分には決まった相手がいるというのにふらふらとしており、その相手にとても申し訳なく思っている。ただ、どうにも抗えないというのだろうか。魅力的な電車が多すぎて本当に困る。
今日の帰りに乗った電車もまず手すりのラインからして堪らなく悩ましかった。危うく乗り過ごすところだった。
本命の電車に朝乗る時に、あまりの申し訳なさに心の中でひたすら謝ったりもする。
「違うんだ、本当は他のになんて乗りたくないんだ。お前だけなんだよ」
「仕事へ向かったり帰ってくるにはどうしても仕方がないんだ。ねえ、他のに乗る俺を軽蔑する? 俺は汚れてしまってる?」
すると本命であるみどりは「仕方ないなあ」とばかりに軽く揺れてくる。少し拗ねつつも許してくれるところがまた好きだと利一は思い、かわいさと悩ましさについ変な声が出そうになって必死に堪えたりした。
だというのに今日も帰りの電車についふらふらとしてと、申し訳のなさと心身ともに満たされた満足感にまみれていると「……兄さん」と呼ばれた。振り返ると信太がいた。
「……? あれ、偶然だね。仕事帰りにどこか寄ってたの」
「あ、えっと……まぁ」
いつもハキハキと口にしてくる信太が、どことなく歯切れが悪い。
「どうした、何かあったのか?」
心配になり、信太の肩に手を置いて顔を覗き込んだ。すると困惑した顔を少し赤くしながら「見るなよ」と離れてくる。
「まさかのその年で反抗期……」
「んな訳ないだろ! なあ、今から兄さんの家行っていいか」
「もちろん。ご飯何作ってくれるんだ?」
「……たまにはお前が作ろうとかは」
「思わないよね。だって作れないしな」
「だから作らないからだっつってんだろ」
ため息を吐かれたが、利一はとりあえず安心した。一瞬様子がおかしいように思えたが、いつもの信太のようだ。
自宅に着くと、信太が食事の用意をしてくれるのをいいことに利一は風呂へ入った。風呂から出ると丁度筑前煮が後は煮込むだけとなっていた。
「俺が見とくから信太もここで風呂、入ってったら?」
「着替えがないからいい」
「俺のを着ればいいだろ」
「兄さんの服はちょっと小さいんじゃないかな」
「嫌みだなー。ズボンはそのままでいいじゃないか。あと上はブカブカのやつ貸してやるし、下着も洗ってるんだしいいだろ。兄弟なんだしさ」
わざとムッとした顔をした後に笑いかけると、何とも複雑な顔をされた。
結局「焦がすなよ」と念を押されつつ信太も風呂へ入った。何となく風呂の時間は早そうなイメージだったが意外にも長くて、利一はつい油断していた。
「……弱火で煮込むだけなのに何で本当に焦げんの」
「俺も不思議」
「不思議、じゃないんだよ! 汁気がなくなりそうなら火を止めるなり兄さんでもできるだろ」
「あ、止めなきゃなのか」
あははと笑うと、ものすごく馬鹿を見るような目で見られてしまった。
「にしても風呂、けっこう長かったな。何となくお前って風呂早いイメージだったけど」
また笑いながら言えば、今度は顔を赤くしながらしどろもどろになってくる。
「どうかしたのか」
「何でもない」
「そう? ならいいけど……」
また笑いかけながら手を伸ばし、信太のまだ濡れている髪をというか頭を利一が撫でようとしたら、その腕をつかまれた。
「信太?」
「……ちょっと……確認したいこと、あって……」
「確認?」
「いい?」
いい、と聞かれても「何が?」としか思いようがないのだが、利一としてはかわいい弟のお願いなら聞いてやるしかないなと微笑む。
「何か知らないが、構わな──」
言いかけている最中につかまれた腕を軽く引かれ、利一の体が信太に引き寄せられる。とっさに信太の体をつかんで支えようとすれば、むしろ腕を背中に回された。そしてそのまま利一の顔を上げられ、何故かキスをされた。
合わさった唇は軽く触れたかと思うと一旦離れる。
「……、……し、んた?」
「……マジ、かよ……」
唇が近いまま、信太が呟いている。
いや、そう言いたいのはこちらだろと口にしようとしたらまたキスをされた。しかも今度はしっかりくっついている。
「っん、信、んー、んーっ」
離れない唇に、とうとう利一がもがき出すと「何で暴れんの」と言いながらも信太は利一を離してくれた。少し乱れた息を整えつつ、利一は呆れたように信太を見上げる。
「何でって……お前がふざけて馬鹿なことしてくるからだろ」
「ふざけたつもりなんてないけど」
ため息をつく勢いで言えば、信太は心外だと言わんばかりに利一を睨んでくる。
「えぇー……ふざけてないなら何だよ今の。世間一般ではキスって言うんだぞ?」
「……っていうか兄さん、キス知ってたんだ?」
「はぁっ? それくらい知ってるぞ。俺を何だと思ってんだ?」
「サイダロドロモフィリア」
「何て」
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