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10.宥める蛇
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千景が久しぶりに優史が住むマンションのドア前で待っていると、思っていたとおり元気のない優史が帰ってきた。
「お帰り、優史」
そうニッコリと声をかけると、千景に気づいた優史はおかしなほど驚いた表情を隠す事もせずに千景を見てきた。
「どうしたの、そんな顔して?」
「……ど、どうしたの、って」
優史は言いかけた後、唇を噛むとそのまま千景のほうに近づき、用意していた鍵でドアを開けた。そしてドアノブを持ったまま背を向けた状態で囁くように言ってきた。
「俺は……君が何を考えているか……わからないよ……」
「そう? 今はあなたの事だよ」
「……っ。何で……」
優史の肩が震えた。
「何で俺を……。いや、いい。来てくれてありがとう。でも、帰って欲しい……」
「……そう。わかった。じゃあね」
千景は戸惑う事もせず、素直に頷くとニッコリと笑ってその場を離れた。ちらりと見た優史は相変わらず背中を向けたままだった。
……かなり堪えてるんだろうねぇ。
他人事のように思うと、千景は下まで降りて一旦傍にあるコンビニへ寄ってパックジュースを買った。そして店を出ると逆U字型の車止めに腰掛けてそれを飲む。店に入ろうとしていた綺麗なお姉さんがチラチラとこちらを見てきたので、ニッコリと笑って手を振っておいた。すると向こうもニッコリと笑い返してきた。そして店へ入って行く。
野菜ジュースって結構甘いよねぇ、などと思いながらゆっくりそれを飲むと、きちんとゴミ箱の中に捨て、千景はマンションへ戻った。多分あのままあそこにいたら店から出てきたお姉さんをお持ち帰りできそうだと思うが、あまり積極的に態度を返してくるタイプは好みじゃない。
……やっぱり優史は、美味しいよね。
千景は薄らと笑いながら優史の家のフロアまで戻った。そして玄関の前までくると躊躇なくインターホンを押す。多分カメラがついているはずだろうからとニッコリと笑いかけた。
しばらく反応はなかったが、ガサガサ音が聞こえると玄関が直接開いた。
「……何で。帰っ……」
「優史。泣いてたの?」
ドアを開けてきた優史の目が赤い。千景が聞くと、顔をそらせてきた。
「中、入れてくれる?」
だがそう言うと、黙ったままだが引き下がったので千景はそのまま中へ入った。
優史は何も言わず、部屋の中へ入っていく。まだ着替えてもいなかったようだ。
後に続いた千景が立ったままでいると、「コーヒー、淹れるから……座ってて……」と小さな声で言ってきた。こんなに千景のせいで泣いていただろうに、相変わらず律儀で真面目で、丁寧な人だなと千景は思う。
「優史、コーヒーはいらないよ、ありがとう。座るから優史も座りなよ。大丈夫?」
近かったベッドの上に千景が腰かけると、優史は少し離れた一人用のソファーに座った。
「……君のせいで、大丈夫じゃ、ない……」
「そうなの? 何故?」
千景が聞くと、珍しくキッと見据えてきた。
「何故、って。……君が、痴漢、してた、の……?」
だがすぐに目は伏せ気味になる。そんな優史をかわいがりたいという思いと、もっといたぶりたいという思いが千景の中で交差する。
「うん」
「……。……って、それだけっ?」
「そうだよ? だって事実だし。それ以上言いようがない」
「……っ。じゃ、じゃあ、何で……、何で痴漢なんて。それにまるで君は痴漢から俺を守ってくれてるように感じたの、に……」
「うーん、そうだね。あなたが……凄く真面目そうに見えたあなたを、最初はからかってみたくなって。でも反応が思いの外よくってねぇ。凄く気に入ったから、かな? 結果あなたは俺に関心、持ったでしょ?」
「そ、そんな、悪びれる事も、な、ない、の……?」
「……ごめんね? 優史」
途端、優史がポロリと涙を落した。
「……おいで、優史」
そう声をかけると、黙って俯き、首をふる。
「何故? もう俺の事、嫌いになった?」
それでも黙って首を振り続ける。千景も同じようにそのまま黙った。するとしばらくしてから小さな声で優史がとぎれとぎれになりながら言ってきた。
「き……らいに、なれたら、どん、なに……」
「嫌いになんて、ならなくていいよ」
そう言うと、今度は鼻をすすりだした。
「だ、め……だよ……。何、で……。何で、千景は……高校生だって、言ってくれなかった、の……」
俯きながら絞り出すように優史は言う。
ああ、やはりそこが一番気になるんだろうね。
千景はニッコリと笑う。今だって制服姿のままだ。
「年齢の話なんてしなかったじゃない? 俺は成人してるとも言ってないよ?」
「……そ、うだね……。そうだね、ごめん……でも、でも」
「俺が高校生なら何がいけないの?」
するとようやく優史が泣き濡れた顔をあげてきた。
十分な大人なのに、高校生にそんな泣いちゃった顔、見せるなんてほんとかわいいな。
「だ、だめに、駄目に決まってるだろっ? 俺は……俺は二十五歳で、そして教師してて……! 君くらいの生徒教えてて……」
「へぇ? ちなみに教え子って何年?」
「……三年」
「じゃあ俺とほんと同じだね。いいじゃない別に?」
「よく、ない……!」
本当に真面目だな。
千景はそっと苦笑した後で立ちあがった。
「そう。じゃあいい。もう来ないよ。会わない。それでいい?」
そう聞くと、優史は千景を見上げたまま、静かにボロボロと涙を落していった。
本当に、真面目。そして。
「……バカだねぇ。ほら……おいで、優史」
ため息をついた後で千景はまたベッドに座る。とうとう優史が立ちあがり、ようやく千景の前に来た。
だが立ったままだったのでそのまま手を持ってひっぱってやった。抵抗しないままの優史は、だが力が抜けていたのかそのまま千景の前にまるで平伏すかのようにしゃがみこんだ。
「優史はどうしたいの?」
「……で……」
その場にへたり込んだまま俯いている優史の声が籠っている。
「ん? 聞こえない」
すると今度はその体勢のまま見上げてきた。泣いて真っ赤になっている目や頬が千景をそそってくる。
「……好きで、いたい……」
何とか伝えてくると、優史はまたポロリと涙を流した。きっと内心相当葛藤し、苦しんでいるんだろうなと思うと千景はゾクゾクと体が震える。そんないたいけな兎がかわいいくてならない。
「ほんと、バカだねぇ」
優しくそうとだけ言うと、優史が膝をついたまま千景を抱きしめてきた。
「お帰り、優史」
そうニッコリと声をかけると、千景に気づいた優史はおかしなほど驚いた表情を隠す事もせずに千景を見てきた。
「どうしたの、そんな顔して?」
「……ど、どうしたの、って」
優史は言いかけた後、唇を噛むとそのまま千景のほうに近づき、用意していた鍵でドアを開けた。そしてドアノブを持ったまま背を向けた状態で囁くように言ってきた。
「俺は……君が何を考えているか……わからないよ……」
「そう? 今はあなたの事だよ」
「……っ。何で……」
優史の肩が震えた。
「何で俺を……。いや、いい。来てくれてありがとう。でも、帰って欲しい……」
「……そう。わかった。じゃあね」
千景は戸惑う事もせず、素直に頷くとニッコリと笑ってその場を離れた。ちらりと見た優史は相変わらず背中を向けたままだった。
……かなり堪えてるんだろうねぇ。
他人事のように思うと、千景は下まで降りて一旦傍にあるコンビニへ寄ってパックジュースを買った。そして店を出ると逆U字型の車止めに腰掛けてそれを飲む。店に入ろうとしていた綺麗なお姉さんがチラチラとこちらを見てきたので、ニッコリと笑って手を振っておいた。すると向こうもニッコリと笑い返してきた。そして店へ入って行く。
野菜ジュースって結構甘いよねぇ、などと思いながらゆっくりそれを飲むと、きちんとゴミ箱の中に捨て、千景はマンションへ戻った。多分あのままあそこにいたら店から出てきたお姉さんをお持ち帰りできそうだと思うが、あまり積極的に態度を返してくるタイプは好みじゃない。
……やっぱり優史は、美味しいよね。
千景は薄らと笑いながら優史の家のフロアまで戻った。そして玄関の前までくると躊躇なくインターホンを押す。多分カメラがついているはずだろうからとニッコリと笑いかけた。
しばらく反応はなかったが、ガサガサ音が聞こえると玄関が直接開いた。
「……何で。帰っ……」
「優史。泣いてたの?」
ドアを開けてきた優史の目が赤い。千景が聞くと、顔をそらせてきた。
「中、入れてくれる?」
だがそう言うと、黙ったままだが引き下がったので千景はそのまま中へ入った。
優史は何も言わず、部屋の中へ入っていく。まだ着替えてもいなかったようだ。
後に続いた千景が立ったままでいると、「コーヒー、淹れるから……座ってて……」と小さな声で言ってきた。こんなに千景のせいで泣いていただろうに、相変わらず律儀で真面目で、丁寧な人だなと千景は思う。
「優史、コーヒーはいらないよ、ありがとう。座るから優史も座りなよ。大丈夫?」
近かったベッドの上に千景が腰かけると、優史は少し離れた一人用のソファーに座った。
「……君のせいで、大丈夫じゃ、ない……」
「そうなの? 何故?」
千景が聞くと、珍しくキッと見据えてきた。
「何故、って。……君が、痴漢、してた、の……?」
だがすぐに目は伏せ気味になる。そんな優史をかわいがりたいという思いと、もっといたぶりたいという思いが千景の中で交差する。
「うん」
「……。……って、それだけっ?」
「そうだよ? だって事実だし。それ以上言いようがない」
「……っ。じゃ、じゃあ、何で……、何で痴漢なんて。それにまるで君は痴漢から俺を守ってくれてるように感じたの、に……」
「うーん、そうだね。あなたが……凄く真面目そうに見えたあなたを、最初はからかってみたくなって。でも反応が思いの外よくってねぇ。凄く気に入ったから、かな? 結果あなたは俺に関心、持ったでしょ?」
「そ、そんな、悪びれる事も、な、ない、の……?」
「……ごめんね? 優史」
途端、優史がポロリと涙を落した。
「……おいで、優史」
そう声をかけると、黙って俯き、首をふる。
「何故? もう俺の事、嫌いになった?」
それでも黙って首を振り続ける。千景も同じようにそのまま黙った。するとしばらくしてから小さな声で優史がとぎれとぎれになりながら言ってきた。
「き……らいに、なれたら、どん、なに……」
「嫌いになんて、ならなくていいよ」
そう言うと、今度は鼻をすすりだした。
「だ、め……だよ……。何、で……。何で、千景は……高校生だって、言ってくれなかった、の……」
俯きながら絞り出すように優史は言う。
ああ、やはりそこが一番気になるんだろうね。
千景はニッコリと笑う。今だって制服姿のままだ。
「年齢の話なんてしなかったじゃない? 俺は成人してるとも言ってないよ?」
「……そ、うだね……。そうだね、ごめん……でも、でも」
「俺が高校生なら何がいけないの?」
するとようやく優史が泣き濡れた顔をあげてきた。
十分な大人なのに、高校生にそんな泣いちゃった顔、見せるなんてほんとかわいいな。
「だ、だめに、駄目に決まってるだろっ? 俺は……俺は二十五歳で、そして教師してて……! 君くらいの生徒教えてて……」
「へぇ? ちなみに教え子って何年?」
「……三年」
「じゃあ俺とほんと同じだね。いいじゃない別に?」
「よく、ない……!」
本当に真面目だな。
千景はそっと苦笑した後で立ちあがった。
「そう。じゃあいい。もう来ないよ。会わない。それでいい?」
そう聞くと、優史は千景を見上げたまま、静かにボロボロと涙を落していった。
本当に、真面目。そして。
「……バカだねぇ。ほら……おいで、優史」
ため息をついた後で千景はまたベッドに座る。とうとう優史が立ちあがり、ようやく千景の前に来た。
だが立ったままだったのでそのまま手を持ってひっぱってやった。抵抗しないままの優史は、だが力が抜けていたのかそのまま千景の前にまるで平伏すかのようにしゃがみこんだ。
「優史はどうしたいの?」
「……で……」
その場にへたり込んだまま俯いている優史の声が籠っている。
「ん? 聞こえない」
すると今度はその体勢のまま見上げてきた。泣いて真っ赤になっている目や頬が千景をそそってくる。
「……好きで、いたい……」
何とか伝えてくると、優史はまたポロリと涙を流した。きっと内心相当葛藤し、苦しんでいるんだろうなと思うと千景はゾクゾクと体が震える。そんないたいけな兎がかわいいくてならない。
「ほんと、バカだねぇ」
優しくそうとだけ言うと、優史が膝をついたまま千景を抱きしめてきた。
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