守りたいもの

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 暗闇の中、たった一人の少年が泣いている。一人は嫌だ、寂しい、切ないと嗚咽を漏らしている。
 その悲痛な嗚咽からはひたすら悲しみが伝わってきた。ただ声だけでなく、その悲しい気持ちはなぜか手に取るようにわかった。

 誰……。

 そっと手を伸ばそうとしたら、泣いていた少年が顔を向けてきた。その顔は自分の顔だったか、それとも──



 気づけば目の前には体に絡めていたタオルケットの端があった。

 ……夢。

 陸史(あつし)はまだ覚醒しきっていないぼんやりした頭で、寝返りを打った。体に絡まったタオルケットのせいで上手く動けない。少し前まではエアコンのタイマーが切れる度に目を覚ましていたというのに、ここ数日は無意識にタオルケットにくるまっているようだ。そろそろ布団を出すべきかもしれない。もそもそ動きながらぼんやり思った。
 その後しばらくだらだら横になったまま「夢……あれ、そういえば、何の夢だっけ……」などと考えていたが、いい加減起きることにした。
 部屋を出て階段を降り、何とはなしに台所へ向かうと、一つ下の弟、克海(かつみ)が何やら作っているところだった。

「おはよ、克海」

 陸史が声かけると、克海は笑顔で振り返ってきた。

「おはよう兄さん。もう少しで朝食できるから」
「あれ? 母さんは?」
「もう仕事行ったよ。今日は会議と接待あって朝から忙しいんだって。ちなみに帰りも遅いらしいから、夕食も俺が当番」

 そんな話を交わしていると、末の弟が二階から降りてきた。二人に気づくと眠そうな目で「おはよ」とぼそぼそ言ってくる。なぜだろうか。猫は小声で「おはよ」などと言わないというのに、相変わらず末っ子である智空(ちあき)を見ると何となく猫を連想してしまう。そして頭をわしゃわしゃ撫でたくなるが、四つ下の高校生である智空は未だに思春期っぽいので、思い切り反抗されるのが目に見えている。

「兄さん、智空に構いたそうだけど朝からそんなだといい加減嫌われるよ」

 克海が淡々と言ってきた。陸史と同じく大学生である克海に猫っぽさはない。だが陸史にとってこの男前なイケメンはひたすらかわいさに溢れて見えるので、同じく構い倒したい。

「じゃあ克海構い倒していい?」
「よくないし皿出して」

 こちらも朝から相変わらずいい具合に素っ気ない。陸史はニコニコ言われた通りに皿を準備した。
 克海が作った朝食を食べながら、陸史は朝の至福の時間を噛みしめていた。ちなみに今日はご飯だ。作る人にもよるが、朝食でのご飯とパンの割合はだいたい同比率といったところか。だし巻き卵がとりあえずとても美味しい。

「智空、夕食俺が作るんだけど、何か食べたいものあるか?」

 陸史がだし巻き卵を味わっていると携帯電話を取り出しながら克海が智空に聞いている。

「え? 俺には聞かないの?」

 そんな陸史への返事はないまま、智空がぼそりと答えてきた。

「……コロッケ」
「コロッケ?」
「コーンいっぱい入ってるやつ。……、行って、きます」

 わずかに赤くなった顔を陸史と克海から隠すようにして、智空は立ち上がりカバンを持って出ていった。
 俺の弟が本当にかわいい、と陸史はしみじみ思う。コロッケの希望を言うだけであれほど恥ずかしがれるのは智空くらいだろう。とはいえ他にも理由があるのを陸史はわかっているが、それにしてもかわいすぎると、ニヤニヤしながら隣に座っている克海を見た。克海は希望を聞けたことが嬉しいのか、口元を綻ばせながら携帯電話に食材のメモを打っているところだった。

「あ、ねえねえ。俺はね、玉ねぎの味噌汁が飲みたいな。たっぷり入ってるやつ」

 智空の希望を取り入れるのならこちらのもとばかりに陸史が言うと、克海は一応顔を上げてきた。

「俺はナスがいい。ナスの味噌汁」
「え」

 待って俺の希望は? 俺の希望は聞いてくれないの?

 むしろニコニコしたままの陸史に、克海も笑いかけてきた。

「とうもろこし売ってるかな。季節的にないかな。コーンの缶詰めでもいいかな」
「……缶詰めで十分美味しくなると思うよ?」
「うん。たっぷり入れないと」
「玉ねぎたっぷりの味噌汁も」
「俺はナスがいい」
「ねぇ、お兄ちゃん泣いていい?」
「いいけど俺はあまり見たくないな」
「冷たいなぁ。そんな克海も大好きだよ」
「うんうん。あ、そろそろ俺も出ないと。ごめん、兄さん。洗い物、頼んでもいい……?」

 克海が申し訳なさそうに陸史を見てきた。

「構わないよ。全く、魔性の男だな克海はほんとに」
「それこそほんと何言ってんの……」
「あ、そうそう。帰りは今日、同じくらいだろ。せっかく一緒の大学なんだし、一緒に帰ろ」
「うん、わかった」
「で、帰りに買い物デートな」
「……いつもほんとお前……。あ、時間ほんとヤバいかも。とりあえずごめん、じゃあ頼んだから、兄さん。いってきます」

 呆れた顔を隠すことなく言い放つと、克海も出て行った。

「うーん、つれない」

 頬杖をつきながら陸史はニコニコ克海が行った後を見つめた。
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