水晶の涙

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139話

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 四度目の出会いも街中だった。

「君は神の子だというのに、護衛もつけず一人で歩いていいの?」

 勇気を出してフォルアが声をかけると、少女は少しだけいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「ご褒美なの」
「ご褒美?」
「ええ」

 頷くと少女はフォルアを共犯者に仕立てるかのごとく、唇に指を立てると小さく微笑んでから「こっち」と人気のない片隅へとフォルアをいざなった。そんな様子の少女に対して抗えるわけなどなく、フォルアは素直に手を引かれる。自分の腕に伝わってくる熱が、決して少女は神がかった精霊でも何でもなく、フォルアと変わらない人間なのだと思わせてくれる。

 っていうか、俺、この子に手を引かれてる……この思い出だけでもう一生過ごせるかもしれない。

「ごめんなさい。あそこにずっと留まっていてもし周りに思い切り気づかれて騒がれちゃったら私、もう神殿に戻るしかないかもだから。えっと……ああそうそう。普段私は神殿から出られないだけじゃなく、ずっと決められたことだけで一日を終えるの。それも仕方ないとわかっているんだけど、たまにはほんの少しだけ羽を伸ばしてもきっとモーティナは許してくださると思うのね。それを言ったら、ではひと月に一度だけ、ほんの少しの時間だけは町に出ていい、と」

 尊い存在である少女のおもいがけない茶目っ気に、フォルアは思わず笑みがこぼれた。

「危険だって言われなかったの?」
「正体知られたら騒がれることはあってもね、この世界で、それもこの町で、罰を恐れず神の子をどうこうしようなんて人、おそらく百人に一人さえいないでしょう」
「ああ……確かに。でもよく話を聞いてもらえたね」
「あら、だって私は神の子でしょう。敬虔な信者である神殿の人たちに真摯な思いを切々と口にして、皆さまが感銘を受けてくださらないとでも?」
「はは。ますます気に入っ……じゃなくて、えっと」

 想像以上に話しやすい様子に、フォルアはつい気が緩んだのだろう。気に入ったとさらりと口に出すところだった。慌てて口をいったん閉じ、何か別の話題をと目を泳がせていると少女がそっとフォルアの手を取ってきた。

「あ、あの?」
「あなたの視線、会うたびに感じていた」
「そ、れはその……えっと、違うんだ、その、じゃなくて……あの……ごめん」

 神の子に懸想しているなど、今まで前例がないのでわからないが少なくとも称賛されることではないだろう。下手すればそれこそ罰がくだるかもしれない。

「お願い。否定しないで。謝らないで。わかっています。私は神の子で、気軽に誰かと恋になど落ちてはいけない。でもどうして? あなたに対して抱く気持ちは誰からも非難されるいわれない、私だけの純粋な思いなのに」
「……っ」
「自分でもわからないの。何故あなたに対してこんなに惹かれるのか。こんなにも思いが募るのか。だってあなたのこと、私何も知らないはずなのに」
「俺もだ。元々どちらかといえば人から冷めてるって言われるくらい、物事に執着することも特にないのに……何故か君を初めて見て以来……もうずっと忘れられない」

 お互い、気持ちはどんどん溢れていき、手を取り合わないなど考えることさえできなくなっていた。
 それ以来、二人は逢瀬を重ねた。会うたびに相手を思う気持ちは穏やかになるどころかますます強くなっていく。

「フォルアは私の一つ上なのね」
「そうだよ。俺のほうがお兄さんだから、もう少し敬ってくれてもいいよ」
「ふふ。でも私のほうがしっかりしてる」
「よく言うよ! そんなことない。俺のほうがずっとしっかりしてる」

 たわいもない、幼い恋心はだがどんどん成長していく。折しもお互い十五歳、十六歳と思春期には少々遅くとも気持ちが燃え上がりやすい年ごろであったせいもあるかもしれない。もしくはこれもまた、運命だったのかもしれない。

「本当にいいの?」
「あなたこそ」
「俺はむしろ嬉しい。……でももし、俺のせいで施設や周りに迷惑がかかるかと思うと……それだけは……」
「大丈夫。咎があるのは私とあなただけだと書きおきに残すから。決して二人以外に転嫁してはならない、と。神の子ではなくなるかもしれない私の、最後の神の子としての言葉となるわ。……ごめんなさい。あなたの周りの方に迷惑を少しでもかけないためにはあなたにも罪はない、とは言えなくて」
「当然だよ。むしろ罪を背負うのは俺だけでいい」
「駄目。そこは絶対、二人で背負うの」
「……うん」

 そしてとうとう二人は駆け落ちした。互いへの気持ちにこれ以上嘘をつきたくなかった。隠れて嘘ついて逢瀬を重ねることに何より罪悪感がひどかった。禁忌を犯すことより二人にとってはそちらのほうがつらかった。
 だが、それは認められた行為ではなかったのだろうか。
 禁忌を犯した二人にはやはり罰がくだったのだろうか。
 二人で生きる幸せな生活は一瞬で終わってしまった。そしてある日を境に少女は眠りから覚めなくなった。
 死んではいない。鼓動はある。だが目を覚まさなくなった。どれほどフォルアが起こそうとしても駄目だった。
 自分にも罰はくだっていた、とフォルアはある日ふと気づく。
 眠り続ける少女をずっと気にかけていたせいで意識していなかったが、少々と言うには過言すぎるくらい年月が経っていた。気づいて改めて周りを確認し、自分たち以外の世の中ではすでに百年は経過していると知った。
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