シロツメクサと兄弟

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2.楽しみ

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 この間の休みに様子を見に来てくれた叔母が「律ももういい歳になってきたんだし、そろそろ、ねえ」などと言いながらまた魔の白い台紙をすっと出してきた。今時こんな台紙で用意することある? などと思いながらも律は何とか笑みを浮かべる。

「……いえ、俺はまだとてもとても……それにりおも心配だし、その……」
「だからこそでしょう?」
「……はぁ」
「この間はせっかく持ってきたのに見てもくれないんだから。せめて、ね? 見るだけでも。ね?」
「……いや、でも見ても……ほんと俺、今はまだそんな気は……」

 しどろもどろになりながらも、何とか今回も切りぬけることができた。叔母が帰った後に律は深いため息をつく。
 叔母はいい人だ。そして律たちが子どもだった頃に面倒をちゃんと見れなかったという負い目もあるのか、こうして未だに兄弟を心配して訪れたりしてくれる。とはいえ最近はやたらお見合いを律に勧めるようにもなっており、律はそれに関してかなり閉口していた。
 だいたいこの歳でお見合いとかおかしいし何て言うか、切ないものがある。

「……兄貴、結婚、するの?」
「まさか。しないよ、そんな余裕もないし」

 律はニッコリ笑って利央の頭にポンと手を置いた。すると利央は何だか複雑な顔をしてきた。昔はこうして頭を撫でると嬉しそうに笑ってくれたのになあと律は少し寂しくなる。

「それはお前、弟だってもう高校生だろう? いつまでも兄ちゃんに子供扱いされてたらムッとくらいするんじゃないの? 中学や高校生くらいって背伸びしたい時期でもあるだろうしねえ?」

 会社の同僚である藤堂 海(とうどう かい)がおかしそうに笑いながら言ってきた。
 最近あまり笑ってくれなくなったような気がするとため息をついていた律に「何だい、悩みごと?」などと声をかけてくれた海は、仕事帰りに律を誘ってきた。そしてどこか知らないバーへ連れて来て話を聞いてくれていた。
 ほんの数年前まで未成年だった律は、成人しても飲みに行くことはなかった。だが本人が酒を嫌いなのではないと最近知ると、周りはようやく居酒屋などに誘ってくれるようになったという状況なので、律も子ども扱いという感覚はわからないでもない。
 それでも弟は弟だし……とまた少し落ち込む。兄としてできることはしたいし、やはり笑っている弟の顔が見たい。
 ちなみに律よりも三歳年上である二十六歳の海は仕事でも親身になってくれる、それこそ律にはいない兄のような人だった。基本的に軽い性格なので普段は律をからかったりもしてくるが、いざという時には真面目に受け答えしてくれる。
 もちろん他の職場の人も皆いい人ばかりだ。個人経営の工場なので羽振りはさほどよくない。だが社長も律をとてもかわいがってくれていた。
 雰囲気もとてもいい所なのもあり、基本的に従業員は皆辞めない。それに大きなところでもないので律を雇ってくれた後、新入社員は一切雇われていない。本当にたまにだが入ってくることもあるが、中途採用であり律よりも年上の男性か、パートの女性ばかりだ。そしてパートの女性に若い人はおらず、中卒で入った律が未だに職場で一番年下だった。
 律はそこでひたすら真面目に働いていた。脳内は基本仕事と弟でできているため、容姿はとてもいいにも関わらず二十三歳の今なお女っ気は全くもって、ない。通勤も自転車なので若い女性への免疫もなく、当然いかなる経験もなかった。
 そんな律にとってお見合いなどハードルが高いなんてものじゃない。絶対に無理だと思っている。どのみち今はまだそんな事に気をとられたいとは思わなかった。せめて利央が無事大学を卒業するまでと思っている。

「お前さあ……。弟くん、今いくつなんだい?」
「え? 十五だけど。今年誕生日きたら十六になるよ」

 弟が大学を卒業するまではと律が言うと、海がカクテルを口にしながら呆れたように聞いてきた。
 透明なグリーンが美しいそのカクテルは「グリーンアラスカ」と言うらしい。お酒のことが、いや、お酒のこともわからない律が「じゃあ俺もそれ……」と言いかけると「やめておけ」と苦笑された。
 そして出てきたカクテルは薄暗い中でもわかるほんのりとブルーの色合いが美しいカクテルだった。

「これも色、綺麗でしょう?」

 バーテンダーの青年がニッコリと笑ってくる。彼は堂崎 元貴(どうざき もとき)という名前らしい。きちんと自己紹介してくれた。

「ありがとう。でも何でやめておいた方がいいんだろ」

 律が不思議そうに言うと、元貴は柔らかい口調で教えてくれた。

「海さんのお酒は深い味わいと香りが素晴らしいんですが、上級者向けだと。律さんはあまりお酒を飲まれてないとの事ですしね。これ『チャイナブルー』ていう名前のカクテルなんです。ライチの香りとグレープフルーツの酸味が名前や色と合っていてとても爽やかでしょう?」

 海が飲んでいるカクテルはマティーニグラスのように脚のついたグラスに注がれているショートカクテルと言って、お酒そのものを味わうタイプなのらしい。一方律に出してくれたカクテルはコリンズグラスに注がれているロングカクテルと言って、お酒をジュースやソーダなどのソフトドリンクで割っている事が多いのでアルコール度数も低めのものが多いそうだ
 おまけに出してくれたカクテルは、アルコール度数の高いスピリッツがベースなのではなく、リキュールベースなので度数も低いらしい。

「奥が深いんだね」
「楽しいでしょう?」

 元貴はニッコリ微笑んでくれた。すると海が呆れたように元貴を見る。

「元貴。こいつには手を出さないようにね」
「やだなあ海さんたら。俺ちゃんと彼氏いますよー? でもまあ、律さんがその気になってくださるなら俺はいつでも」
「え?」

 律が何の話だとポカンとすると、元貴はさらに楽しげにニッコリ笑っていた。
 そして今、その元貴が作ってくれた飲みやすいチャイナブルーを口にしながら律が弟の歳を答えると、海はため息をつき首を振ってきた。

「弟くんがストレートで大学入って留年せずに卒業したとしてもお前二十九だよ? それまで一切何も経験することも楽しむこともなく、ただ仕事だけして過ごしてく気なのかい」
「え、でも俺それで十分楽しいよ?」
「……はぁ。全く。きっとあれだ、弟くんもお前がそんなだから心配なんじゃない?」
「え……? りおが心配……?」

 海に言われた途端、律は悲しくなり俯く。

「お、おい。そんな落ち込むなよ。あれだ、お前が弟をかわいく思っていつも楽しく過ごして欲しいと思うように、弟もそう思ってるだろうってことだから」
「……そうだね。だからまだ結婚しないとか言ったら微妙な顔されたのかなぁ」
「かもね。だからさ、こうやってたまには飲みに行ったりして遊んでさ。そうだ、今度合コンしよか!」
「え?」
「ちょっと海さん何それ。とーるに教えてやろー」

 元貴がニヤリと笑う。海は「余計なことすんな」などと言い返している。

「……とーる? て?」

 律が怪訝そうに聞くと、海はああ、と笑いながら「俺の恋人」などと答えてきた。

「え? 藤堂さんて恋人いたんだ? 俺全然知らなかったよ。水臭いなあ、いつから?」

 驚いて律が聞くと、海は苦笑してきた。

「まあそりゃ公言してないからね。職場も皆いい人ばかりだけど、何ていうか言ったら思いきりからかうかもしくはドン引きだろうしね」
「え? 何で?」
「とおるて名前じゃピンとこない? 亨は男だよ。俺の恋人、男」

 その言葉を飲み込むまでに、律は暫くかかった。

「……っえ? あ、え? え? え……え、ええ?」
「え、言い過ぎだよ」

 海がまた苦笑してくる。

「あ……ご、ごめん。いやその、別にその、いや……」
「海さん、何も知らなさそうな律さん相手にストレート過ぎなんじゃないのー?」
「俺はいつだってまっすぐだし」

 海はニヤリと元貴に笑った後で、真っ赤になって動揺している律に優しい眼差しを向けてきた。

「無理するな。気持ち悪いと思うならそう言えばいいよ。女にすら免疫のないお前にはそりゃ驚きだもんな」

 そんな風に優しく言われて律は慌てて首を振った。

「き、気持ち悪いとか! そ、そんなのは全然……! その、ごめん、確かに驚いたしその、俺にはよくわからないことだから……。でもだからといって藤堂さんを否定するつもりなんてない。変な反応しかできない俺でごめん……」

 何とかそう言って項垂れると「あーやっぱお前ってかわいいよね」と海に抱きつかれた。
 普段からよくからかわれては抱きつかれていたので驚くことでもないのだが、つい今しがた誰かと付き合っているというのを聞いたばかりだからだろうか、律は何となく顔が赤くなるのがわかった。
「ほんとかわいいねえ。律さん、いいなぁ。優しそうで真面目そうだし。俺の今カレは頼りないヘタレだし、過去カレなんて目も当てられないドSだったからねえ。男、気になんないなら俺と遊ぼうよ」
 そして元貴にそんなことを言われ、ますます顔を赤くする。とりあえず何とか顔をブンブン振る律に、元貴は楽しそうに笑っていた。
律はどうしていいかわからないものの、それでも利央のことで落ち込んでいた気分はいつの間にか上昇しているのがわかった。海や元貴が元気づけてくれたような気がして、ニッコリ笑う。

「次は違う色のカクテル、飲んでみたい」

 今日くらいは、こんな楽しみも、いいかもしれない。
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