シロツメクサと兄弟

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1.誓い

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 利央が八歳の時、両親が事故で死んだ。
 さすがに「死」という概念は理解していたが、両親の死は理解できなかった。雨が降る中の式でも、利央はただひたすら呆然としていた。
 周りでは親戚たちがコソコソ話し合っている。利央がボンヤリしていると歳の少し離れた兄、律がポンと頭を軽く撫でてきた。見上げると、何やら厳しい顔つきをしている。いつも穏やかな兄だけにそんな表情が珍しく、利央はしみじみと兄を見ていた。すると一人の親戚が話しかけてきた。

「大変だったわねぇ……。それでね、二人とも。貴方たちはまだ子どもでしょう? だからおばさんたちの家に来てもらうことになったんだけどねぇ……」

 彼女は少し言い淀んだ後、ため息をついてから続けてきた。

「二人を同じところに引き取るのはやっぱりね、おばさんたちも大変なのよ。わかってくれるかしら……?」

 わからない。おばさんは何を言っているの?

 利央は戸惑ったように親戚と兄を交互に見る。兄の律は唇をギュっと噛みしめた後で口を開いた。

「わかり……ます……。でも、俺たち、親も……、こんな急にお父さんもお母さんもいなくなって……だのに……弟とまで離れてしまうのは……」

 離れる……? どういうことなの……?

 兄は何を言っているのか、親戚は何を言っているのか、利央には全くわからなかった。ただ、何故か不安が胸を押しつぶしてくる。

「それはわかるんだけどねぇ……。一応、あなたはあのおじさんところに行ってもらおうかってことになってて。ああ、そして利央くんは私のところにっていう話なのよ。ちょっと住んでる所も離れてしまうけれども……」

 そこで初めて利央は理解した。

 お父さんもお母さんも、もう、いない。二度と、会えない。どんなに会いたくても。
 そして、今ここにいる兄ちゃんも、どこかに、行って、し……ま、う……?
 兄ちゃんまでもが、会えなくなると言うの?

「ぅ……うわぁぁぁぁぁん」

 今までひたすらボンヤリとしており、周りを密かに心配させていた利央がようやく泣きだしたことに、律は少しホッとしつつも一緒になって泣きそうな気分になったようだった。

「りお……」
「兄ちゃ……っ、いや、だ。いや、だぁ! いなくなっちゃ、いやだよ! いや、だぁっ」
「利央くん、いなくなるわけじゃないのよ? 会えるんだから。ね? ほら、ちょっと遠くなるけど……」
「いやだ、いやだぁ、兄ちゃん、やだぁ……っ」
「りお……っ」

 律は、暴れ出しそうな勢いで大泣きし出した利央を抱きしめた。

「大丈夫、大丈夫だから……。な? お前を一人になんてしないから……」
「ほ、んと……? 兄ちゃん、ほんと……?」
「うん。兄ちゃん、いつも嘘なんてつかなかったろ?」

 そう言って笑った兄の笑顔があまりにも綺麗で、なのに切なくて、そして雨の中に消えてしまいそうで、利央はさらにギュっと律を抱きしめ返した。



 結局二人は住んでいた家に残ることになった。もちろん本来なら子どもだけで生活するなどありえない。親戚たちもなかなか頭を縦に振らなかったのだが、あまりに幼い利央が嫌がる姿がかわいそうで無理強いなどできなかった。
 それに実際、いきなり子どもを二人も抱え込むことなど、誰も手放しで受け入れられるほど余裕があるわけでもなかった。ましてや律はこれから中学を卒業して高校生になるところだった。まだまだ幼い子ならまだしも、いきなり今から一番何かと入り用になる年頃の男の子を育てる準備など、もちろん誰もしているわけなかった。
 だが。
 律は高校進学を結局やめた。頭がよく、レベルの高い進学校へ行くと決まっていた律は、だが親戚にも教師にも相談することなく、家から自転車で通えるところにある工場に就職を決めてきたのだ。
 当然それがバレた時には、周りから散々考え直すように言われていたらしい。だが考えを変えることなく今に至る。



「兄貴、何で相変わらずバイト反対なんだよ!」

 利央はむぅっと膨れながら自分が焼いた魚の身をほぐして箸でつかみ、口へ頬り込んだ。そして少し苦い、と顔をしかめる。
 最近ようやく一人で夜ご飯を作っていいと律に言われ、ウキウキと作るようになった。だがどうにも上手く作れない。
 煮物は味が薄かったり生煮えだったり逆にドロドロになったり。そして魚を焼けば、いい具合がわからずに生焼けだったり焦げていたりする。
 それでも律は利央が作ってくれたことに「ありがとう」と言うだけで、いつも残さず食べてくれる。そんな兄だから、利央はもっと美味しいものを食べさせたいと強く思っていた。
 本当はもっと昔から一人で料理したかったのだが、律が許してくれなかった。いつも優しい律だが、そういうところは厳しいというか、頑固というか。小学生の頃は危ないからと言われ、中学生になると「それよりもちゃんと勉強して、りお自身が納得できる高校に行ってくれた方が嬉しい」などと言われ、それに乗せられた。
 高校に入ればもう、文句はないだろうと思ったら高校一年生になった今、ここにきてまた「危ないから」などと言われた。
 いくらなんでも高校生なのだから、火の始末くらいできる。実際何が危ないのかと聞けば、「包丁で手を切るりおや、火でやけどするりおを見たくない」などと言われ閉口した。
 それでもしつこくお願いした結果、晴れてようやくお許しが出たというわけだ。

「だって何でバイトしたいの?」

 焦げた魚に文句も言わず、綺麗に食べながら律が首を傾げてきた。

「何でって……」

 兄貴の役に立ちたいからだろうが!

 そう思いながらも、利央は言い淀んだ。自ら高校を諦め、今まで愚痴一つこぼさず働いてきた兄を、そして普段からただひたすら自分のために尽くしてくれた兄を、利央は本当に尊敬していたし、大好きだった。
 だが小学生の頃から「俺が兄ちゃんを守る」と言ってきた利央を、律はいつまで経っても小さな子ども扱いしかしてくれない。
 利央が幼い頃から仕事しながらもご飯の支度から掃除から何から何までこなしていた兄の、少しでも助けになればとただひたすら思っている。だが律はいつも「お前はお前のしたいことしてくれるのが、俺は一番嬉しいから」などと言って頭を撫でてくるだけだった。

「せっかくの高校生なんだから、それを楽しんだ方がいいよ。友だちと一緒に短期バイトをする、とかなら経験にもなっていいけど、長期バイトはそれに時間とられるだけじゃない。そんなことより友だちと沢山遊んで、そしてちゃんと勉強して入りたいと思う大学を目指した方がいいと思うけど」
「俺はっ、俺は……。いや、ううん……、わかった」

 本当は少しでも休んでもらいたいがためにアルバイトをしようと思った。でも考えたら自分が稼げる金額なんて多分たかが知れている。そんな金額のちめに結局兄にまた家事の負担までかけるくらいなら、やはりアルバイトは諦めて料理や掃除を極めたほうが兄のためになるのかもしれない。
 そして律の言う通り、勉強をちゃんとして、そして奨学金でいい大学へ行く。
 高校に入った頃は、高校を出たら自分もすぐに就職をして今度こそ兄を守ると思っていた。しかし「ちゃんと大学まで行って」と律に言われ考えを改めていた。
 律としては、利央自身のために大学に行って欲しいと思って言ったのだろう。だが利央は律のために行く。世間で言ういい大学を出ていた方が、割のいい仕事に就きやすいはずだ。
 申し訳ないが兄を見ても思う。本当なら律こそいい高校、いい大学を出て凄い所に就職していただろうにと思うと悔しいし切ない。その分、絶対に将来自分が兄にいい思いをさせたいと心に誓っていた。例えその頃には、兄が結婚していようともだ。
 そしてそう思うと、利央は何となくツキンと胸が痛くなる。
 今年十六歳の自分に対して兄はもう二十三歳だ。利央が大学を出る頃には二十九歳にはなっている。結婚していてもおかしくない。当然、利央と離れ離れに暮らす事になる。
 結婚してしまう兄に対して胸が痛いのか、離れ離れに暮らすことに対して胸が痛いのかよくわからない。だが小さな頃から「俺が兄貴を守らなきゃ」とずっと思っていただけに、どちらにしても切ないものがあった。

「まあ、先の事なんてまだわからないし……」
「え?」
「あ、なんでもない。独り言だし。ああちょ、洗いものは俺がするから。兄貴は座ってなよ」
「でも」
「いいから」
「じゃあ一緒に運ぼうか」

 律はそう言ってニッコリ笑ってきた。二人で食器を運んだ後、利央は律を追い払って食器を洗う。

「大きくなったら俺が兄ちゃんを守る!」

 二人で住むようになって暫く経ったある日、利央は小さな庭に咲いていた白詰草を摘んで律に渡しながら言った。律はとても嬉しそうに笑って、白詰草を受け取ってくれた。
 あの光景が忘れられない。

 だから。例え何があっても、俺が兄貴を守る。

 食器を洗い終えると、利央は改めてそう思い、気合いを入れた。
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