猫と鼠

Guidepost

文字の大きさ
上 下
44 / 45

44.鼠捕る猫は爪を隠す

しおりを挟む
「俺が入ってくるよう言ってから、すみませんが入ってきてくれませんか」

 俺は幾名か来てもらった相手に言う。その中には子どもの頃から知っている相手もいる。

「でも、もし和実さんになんかあったら俺ら、ぶちのめされるくらいじゃ済みませんが」
「相手は一人なんで。問題ないですよ。むしろ後で処理をお願いすることになるのが申し訳ない」

 言ってきた相手が目上なので敬語で言い返してから、俺は中へ入った。玄関は当然施錠されているが、こんなアパートの鍵などピッキングの道具さえあれば解錠に一分もかからない。
 よくドラマや映画などでドアに体当たりしたり蹴破って入るシーンがあるが、あれができるのはせいぜい外国くらいだ。日本の玄関は大抵外開きであり、そんなドアを蹴破るのは少なくとも普通の人間では無理だ。外国のドアは内開きが多いのと蝶番が案外雑なものが多いためできる技である。鍵穴近くを踵から全体重をかけて蹴る。ちなみに肩からぶつかっていけば脱臼するだけだ。
 とはいえ、ドラマの世界なら俺はドアをぶち壊したい勢いだった。

「かわいがって飼ってやるって。つか大人しくしろっつってんだろが! それ以上暴れると手足もぐぞ。俺は組のもんなんだぞ? 手足をどうこうするくらい……」

 そんな風に押し倒され罵られている内藤先生の手足は縛られ、唇は切れており、服はボロボロだった。俺にはそれしか目に入らなかった。駆け出し、邪魔なものを突き飛ばして退けると「大丈夫ですか……」と声をかける。

「……っさ、つきせん……っ、ぅ、しろ」

 青ざめた内藤先生が掠れた声で漏らすように言う。俺も小さな声で「少し待っててください……」と囁くとすぐ向き返り、俺に殴りかかろうとしていた変態の拳を左手で受け流した。しゃがんでいるのは力量的に不利なのでその腕をつかんだまま立ち上がる。

「っく……。何で俺の家、知ってんだ……」
「……馬鹿か。そんなもの簡単に調べがつく。そんなことどうでもいいんだよ……!」

 絞り出すよう言うと、その後は無言で殴り返した。相手が何か言ったり叫んだりしているが耳になど入らない。ひたすら殴る、蹴るを繰り返していると「五月せん、せい……」と震えるような内藤先生の声がようやく耳に入り、我に返った。
 見ればストーカーもどきはヒューヒューと変な呼吸をしている。多分どこか折れたな、などとふと冷静に思った後で胸倉をつかみ上げた。

「……おま、え……俺に、こん、なことして……あとで……俺のバックには、組の……」
「うるさい。お前、俺の名前、知ってるよな? ちなみにお前が所属してるという組の名前、何ていうんだ?」

 俺が軽く締めながら言うと、苦しげにしながら「……は? 何て、って、さつ、……き……ぐ……」と名前を言おうとし、そいつは既に腫れてきている顔を固まらせた。

「前に言った、警察に捕まった方がよかったと思えるほどの恐ろしい目にあわせてやる、てのはハッタリじゃない。いっそお前がカタギじゃなくて、しかも配下のもんでよかったと思う」
「ま、さか、だってお前、学校の……」
「ああ、俺はただの教論だ。俺は、な。……貴生をこんな目に合わせたこと、いっそ今すぐ死にたいと思うくらいの目に合って後悔、しろ」

 俺は相手の腕をつかみ、横方向から無理やり上へ動かした。そいつの叫び声に内藤先生が耳を塞いでるのが見える。既にどこか折れているであろうに、あからさまに腕を変な風に曲げられ派手な音がしたせいで心理的にきたのだろう。

「大げさな。脱臼させただけだ。まあ下方脱臼になるだろうし腕、下がらんだろうがな。腕を最大に上げた位置で、さらに上へ引っ張ったらもどるんじゃないか? 俺はもどしてやらんがな。医者じゃないんでね」

 そうとだけいうと、痛みで転がっているストーカーもどきを蹴り倒し、俺は内藤先生の手足をようやく自由にした。上着を内藤先生にかけてから待機している、兄の部下を呼びに行った。

「後はどうとでも。お手数おかけします」

 それだけ言うと、唖然としている内藤先生を抱き抱え、もういちど顔も隠れるように彼にジャケットをかけなおしてから外へ出た。周りの住民はいたらもしかしたら覗いているかもしれないが、関わらないに越したことないと思っているかもしてない。どこのドア付近もシンとしている。構わず乗ってきた車の後部座席へ内藤先生を座らせた。そしてそのまま俺も運転席に乗り込んで車を走らせる。

「……あの……どういう……」

 バックミラーに見える内藤先生の顔は蒼白だった。それはそうだろう。

「……あんな目に合わせてしまって、本当にすみませんでした」
「……あの人は、一体……? 五月先生は、一体……?」

 俺は元貴につきまとっていたストーカーの話を説明した。

「完全に逆恨みであなたを酷い目に合わせてしまいました。ほんとうに申し訳ない」
「……そ、んな」

 内藤先生はさらに青ざめた。俺はもう、この人に関われないのだろうかと、こんな目に合わせながらもつい自分のことを考えてしまった。

「だから、五月先生は怪我をしていたんですね……? あの、堂崎さんは大丈夫なんでしょうか……? 五月先生も大丈夫なんですか……?」
「え? ああ、ええ。元貴はまったくもって大丈夫ですよ。今は彼氏の家にいますしね。俺も問題ありません。大丈夫じゃないのは内藤先生、あなたです。本当にすみません……」

 俺が再度謝ると、内藤先生はハッとして震えだした。先程のことを思い出してしまったのだろうか。

「あのストーカーはもうあなたの前に現れることありません。それは本当に安心してください」
「……あ、あの人は、ど、どうなるんですか? さっき入ってきた人たちは何ですか……? け、警察の人?」
「……あー……いや、そうではないですが……」

 俺は言葉を濁す。だが怯えた目でじっと俺を見ている内藤先生に気づき、ため息ついた。
 今さら躊躇してもな。元々この人は俺に怯えている。さらに怯える要素が増えようが、どのみちあんな目に合ったんのだし、俺から本気で逃げるのは変わらないだろう。

「……俺の実家が組関係でして。五月組という、結構大きな。あのストーカーはその五月組の末端の欠片にも満たないようなチンピラだったみたいです。それでもウチ……いや、実家の名を名乗るなら、どう落とし前をつけられても仕方ない」

 もう目も合わせてこないであろうと覚悟した。内藤先生は「……そうなんですか……」と言ったきり黙っている。やはり怯えているのだろうと思っていると、不意に聞いてきた。

「……あの、今はどこへ向かっているんですか……?」
「ああ。あなたの住むアパートですよ。管理人も心配しておられました」
「神野さん……。…………あの……神野さんにはとりあえず電話で大丈夫だと、その、連絡しますんで、……できたらその、あの……」

 内藤先生はどこか言い淀んでいる。

「そうか。病院へ行った方がいいですか?」

 どうやら頬のあたりを叩かれるか殴られるかされているみたいだし、手首もちゃんとは見ていないが傷ついているようだった。体をまだ奪われてはいなかったことに安堵して、ついそれらを忘れていた。

「あ、いえ、それは大丈夫です……。その、さ、五月先生のお家に、つ、連れていってもらえません、か……」
「……は……」

 聞き間違えたのだろうか。俺が運転しながらポカンとしていると、内藤先生が顔を赤らめながらもう一度言って来た。

「五月先生の、家に……、お願いし、ます……」
「だが……」
「その、僕今もまだ震えとまらなくて……。こんな状態を神野さんが見ても余計心配するだろうし……」
「ああ、なるほど……」

 そういうことか。

「それに、その、さ、五月先生のとこに行けば、その、多分、さっきの怖いのも、あの、消えてくれるような気が、して……お願い、します……」
「え? なぜです?」

 思わず俺は聞き返したが内藤先生は俯いて黙っている。

「……俺は多分いい加減我慢できるとは思いませんよ。申し訳ないと言いながらも、あなたをあんな目に合わせておいて、同じような目に合わせますよ」
「五月先生が僕を怖い目に合わせた訳じゃ、ないです……」
「……それでも俺のせいだと俺は思うし、あなたは俺に関わらない方がよかったんだろうと思う。なのに家に来られたら」
「……あなたのせいじゃないと言っても納得いただけないなら、別にあなたのせいでもいいです……。僕がそう思わないだけですから……」

 俯いていた内藤先生がまた頭をあげ、珍しくしっかりと俺を見てきた。とはいえ、俺の後頭部ではあるが。

「その、それに僕は元々……五月先生が怖いので……先生のご実家がどうだとかお知り合いがどうだとかでは変わりません……。元々、怖いんですから……。いつもの五月先生のままで、お願いします……」

 内藤先生はたまに俺が何を考えているかわからないと言っていた。だが俺からしたら今の内藤先生の方がよほどわからない。未だに青白い顔色で、恐ろしかった気持ちから立ち直っていないはずだ。だと言うのに、むしろいつもよりしっかり話してきているような気、すらする。

 先生のご実家がどうだとかお知り合いがどうだとかでは変わりません。

 怖いとは言った内藤先生だが、この言葉が俺の心に沁み込む。

「じゃあお言葉に甘えさせてもらって、いつもの俺のままで。帰してとおっしゃられても遅いですよ」

 そう言うと、俺は自宅へ向かった。内藤先生が何を考えているのかはわからない。それでも俺を怯えてはいても拒否していないというだけでとてつもなく嬉しいと思った。
 上にサイズの合っていない俺のジャケットを着ているせいで、余計どこか頼りなげに見える内藤先生を家へ入れると、俺はそのまま有無を言わさず寝室に連れ込んで内藤先生を横たえた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ハルとアキ

花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』 双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。 しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!? 「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。 だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。 〝俺〟を愛してーー どうか気づいて。お願い、気づかないで」 ---------------------------------------- 【目次】 ・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉 ・各キャラクターの今後について ・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉 ・リクエスト編 ・番外編 ・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉 ・番外編 ---------------------------------------- *表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) * ※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。 ※心理描写を大切に書いてます。 ※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪

初恋はおしまい

佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。 高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。 ※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

思い出して欲しい二人

春色悠
BL
 喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。  そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。  一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。  そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

本ばっか読んでたら死ぬぞ

BL
本ばかり読む僕といじめっ子の幼馴染と精神疾患のお兄さんの薄暗い話。 恋愛要素は薄目です。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

処理中です...