猫と鼠

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22.ありがたい鼠

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 その日最後の授業をようやく終えると、僕はそっとため息ついて職員室へ向かう。自分の机で書類整理してから、ここ数日は残業続きだったので今日はこのまま帰ることにした。

「あ、お帰りですか内藤先生」

 職員室を出たところで丁度職員室へ向かってきた、一年生を受け持っている鬼崎先生が僕に気づきにこやかに声をかけてきた。
 この先生はまだ若い先生だが優秀で、二年目にして担任を受け持つ先生だ。背が高く、とても整った顔をされているのだが目つきがかなり悪い、というか怖い。でも僕はこの先生に関しては五月先生や他の先生方に比べ、さほど怖いと思わなかった。
 年下だからだろうか。しかし他にも年下の先生は沢山いる。

 あれかな、年齢のわりにとても落ち着いていてしっかりされておられるからかな?
 ……五月先生こそ落ち着いてしっかりされておられるけど、あの人はもう僕の想像を超える勢いで怖いから……。

「……先生? 大丈夫ですか?」
「え? っあ、はい。す、すみません……」
「いえ、謝られなくても、アハハ。お疲れ様でした。あ、そうだ」
「お疲れさ……、はい?」

 僕も軽く頭をさげて立ち去ろうとしたら鬼崎先生が思い出したかのように言ってきた。

「あ、引き留めるようですみません。今度お時間ある時に、よかったら飲みにいきませんか? ああ、お酒じゃなくてもメシでもいいですけど」
「え」
「都合悪かったらいいんです。いや、俺新米じゃないですか。だから是非ベテラン先生とお話する機会あれば色々聞きたいなと思いまして」
「ああ……そんな。ベテランの先生なら他にも」

 先生という人種は不思議なもので、普段適当だったりふざけていても勉学など教育に対しては真摯な人が多い。なので尊敬する先生やベテランの先生と飲みに行って色々話を聞かせてもらうのは凄く楽しいと思う人も実際多かった。
 僕もできるなら様々な方に話を聞かせてもらいたいと思いつつ気後れしてしまい、到底誘ったりそういう場に参加したりは中々ままならないけれども。
 やはり鬼崎先生は見た目は怖そうだけれども真面目でいい先生だと思いながら、僕は恐縮した。

 僕がベテランなどと。

「他……ああ、例えば木村先生ですか? 確かに木村先生はある意味神様くらいの勢いでベテラン先生ですよね」
「あ、いや、他にも……」

 さすがにあのおじいちゃん先生を誘うのはとても誘いにくいだろう。とても人のよさそうな方だが、やはりベテランすぎて気おくれするだろうし。

「そりゃ他にもいらっしゃいますが……。俺は内藤先生にお話聞けたらいいなと思ったんです。ですが、すみません。ご無理なら全然……」

 鬼崎先生が困ったような表情を浮かべて手を頭にやった。

「あ、い、いえ、決して無理とかじゃ……。そ、その、僕は本当に人様にお話しできるような先生では、ない、ですから……」

 僕が慌てて否定しながらも苦笑しつつ答えると、鬼崎先生はポカンとした顔をしてきた。

「え? 何をおっしゃっておられるんです? 内藤先生は立派に先生をされてると思いますが。確かにかなり物静かだしその、控えめな方だなとは思いますが、教育実習に来ていた時、見学させてもらった時の授業も立派でしたし。その、こんな言い方したら失礼なのを承知で言いますと、先生みたいに控えめな方って普通、生徒はもっと舐めてかかりますよ。でも驚くくらい皆、内藤先生の授業ちゃんと聞いてました。それってやはり先生の教え方がいいからだと俺、思うんです。それに他の先生だって結構内藤先生のこと、一目置いてるように思えますよ。そういえば保健の五月先生も内藤先生の事気に入っておられますよね。あの先生基本、事なかれ主義だし、きっとよほど内藤先生のこと認めておられるんだろうなって思ってました」

 真面目な顔をして鬼崎先生はそう言ってきた。僕は顔が熱くなるのがわかる。
 五月先生に関しては一番甚だしく間違っていると思われるが、それでもとてつもなく嬉しい。そんな風に思ってもらえるなんて、と頭を下げた。

「そんな風に言ってもらえるなんて……、その、ありがとうございます」
「え、ちょ、や、やめてくださいよ内藤先生、先生は俺の先輩なんですから……!」

 途端、鬼崎先生は困ったように僕の頭を上げさせようとしてくる。やっぱり真面目な先生なのだなと思っていたら「ゆーきのバカ!」などという声がした。ポカンと声がした方を見ると、一年の男子生徒が怒ったようにこちらを見ている。

「え?」
「ったく! こら! 学校では先生と呼べと……」
「るせー! バカ! ゆーきのバカ! 男ったらしー!」

 その生徒は何やら言いたい放題暴言を吐くとその場から走っていってしまった。

「あ、コラ! まったく……。あ、先生、失礼しました。じゃあ是非今度、メシでも。とりあえずお疲れ様でした」

 鬼崎先生は苦笑した後、そう言って僕に頭を下げてから、その生徒が走っていった方に向かって行った。

 何だろう、担任をしているクラスの学生だろうか? 鬼崎先生人気あるからなぁ。

 僕は少し笑いながら出口へ向かって歩き出した。
 鬼崎先生からあんな風に思っていてもらえたのが本当に嬉しかった。ただひたすら目立たず存在感のない、いてもいなくても変わらないような先生なのだろうなと自分でも思っていた。鬼崎先生の言ってくださったことがおせじだったとしても嬉しい。

 ……五月先生に関しては本当に間違っておられるが。

 五月先生が僕を気に入り認めているなんてことは到底あり得ない。むしろどちらかと言うと五月先生が猫だとしたら、いたぶる対象である鼠のように思われている気、しかしない。
 ふと週明けに保健室でされたことを思い出してしまい、僕は熱くなる顔を冷まさせるかのように頭を振った。
 あの後、自分で試してみてもやはり一人ではできなかった。だが一度だけ、あの時のことを再現するかのように想像しながらすると、達しそうにはなった。
 僕は本当にどうしてしまったのか。まさか本当に五月先生に見てもらったりしてもらわないと達せなくなったのだとしたら生きていけない。別にマスターベーションをしなければいいだけの話なのだが、どうにも切ない。
 嬉しいのだか悲しいのだかわからない気持ちをぐるぐるさせたまま、僕は買い物にも寄ってアパートへ帰ってきた。今週は残業が続いていたからスーパーに寄るのも数日ぶりだった。明日は週末だし明後日にでも買いに行けばいいのだが、それでも夕方のダンピングに間に合うと勝負に勝ったような気がする。

 安いって、いいよね……。

「やあ、お帰りなさい、内藤さん。何だか嬉しそうだね」

 表を掃除していたらしい管理に……神野さんがニコニコ声をかけてきてくれた。

「あ、た、ただいま。嬉しそう、ですか……?」

 確かに鬼崎先生の言葉がとてつもなく嬉しかったし、お得な買い物も嬉しい。でも五月先生を思うと複雑ですがと密かに思いつつ、僕は頭をさげて階段を上っていく。

「あ、内藤さん。ほんと今度一緒にご飯食べようよ。俺も自炊できるからさ、二人で何か作ったら結構豪勢かも。ね?」

 神野さんが階段の上にいる僕を見上げながらさらにニコニコ言ってきた。今日はこんな僕に声をかけて誘ってくださる人が多い日だ。盆と正月が一度に来たみたいな。
 僕はありがたく思いながら神野さんに笑いかけた。

「はい、是非」

 僕の顔を見て、神野さんがどこかポカンとしたような顔をしていた。笑ったつもりなのだけれども変な顔になったのだろうか。僕が少し心配していると神野さんが「楽しみだね」とまたニッコリしながら言ってくれた。
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