猫と鼠

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16.動けない鼠

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 なぜ五月先生がここに。

 僕は考えが纏まらないまま震える手で何とか家のドアの鍵を開けようとした。だが鍵が穴に上手く入らない。

「貸して」

 それを見かねたのか、五月先生が手を伸ばしてきた。それすらもが落ち着かなくて、僕は鍵を大人しく奪われた後でその場から飛び退るように退いた。そんな態度を取ってしまったにも関わらず、五月先生は黙って鍵を開け、そしてドアを開けると黙って僕を見てきた。

「?」
「どうぞ」

 ここは僕の家ですが、などと思うよりも何よりも、あの五月先生にドアを開けられ、掌で僕を中に誘導してきたことの方が気になったし恐ろしかった。それでも入らないわけにいかないので「す、すみません」と謝りながら恐る恐る自分の家に入る。
 するとやはりというか、五月先生も中に入ってきた。

 本当になぜ、五月先生が……?

 僕は気になりながらも、とりあえず手を洗った。どうしても外から帰ってくると手を洗う習慣からは逃れられない。

「いいことですね、ちゃんと手を洗うのは」

 それを見た五月先生がニッコリ言ってくる。そして「俺も手を洗わせてもらっても?」などと言われたので頷いた。
 買い物から帰ってきて、五月先生と手を洗う。そのどこかシュールでもある光景に微妙になりながら、僕の頭の中はまだぐるぐるしていた。

 本当に、いったい、なぜ。

「あ、あの……」
「ん? ああとりあえずはお買いものなさってきたものをしまわれてはどうです? 手伝いますよ」
「へ? あ、ああ、い、いえ! け、結構、です、ので」

 僕は焦りながら慌てて野菜などを冷蔵庫にしまったりした。その間、後ろから感じる視線に落ち着かないまま。
 一応全部あるべきところにしまい終えると、僕は勇気を出してもう一度五月先生を見た。

「……っあの」

 何の用ですか。意味わからないですし、できれば帰ってください。

「はい」

 五月先生はニッコリ僕を見てきた。

「……っあの……お、お茶でも、いかが、です……」

 僕の、バカ。

 とてつもなく自己嫌悪に陥りそうになっていると、五月先生がさらに笑って近づいてきた。

「あなたは本当に。ふふ」

 そして僕のすぐそばまで近づく。

「っひ?」

 やはりこの人は苦手だ。何でこんなに近づく必要があるのだろう。人と人との距離、パーソナルスペースをこの人は完全に無視してくる。それに何を考えておられるのか、本気でわからない。
 僕が耐えがたい思いになって目をそらせると、五月先生の手が伸びてきて僕の頬をつかんできた。

「っな、何、を?」
「駄目ですよ、先生。人と話をする時は目を合わせないと」

 それを言うならまずもっと対話するための距離感を大切にしてください……!

 そう思っても、もちろん口になど出せるわけもない。僕は否応なしに両頬を五月先生の大きな手でつかまれ、先生の顔を見る羽目になった。

 ……凄く男前だと思う。

 綺麗で整った男らしい顔立ち。そして実際男らしいであろう先生が羨ましい。

 僕はと言えば……そう、一人で抜くことすら、ままならない。男として、どうなのだろう。

 この場の雰囲気にそぐわないことが頭をよぎる。

「ねえ、内藤先生」
「は、はひ?」

 間抜けな声が出た。本当にこの先生の前で僕は普段以上に情けないところしか見せていないような気がして死にたい。

「先生に聞いて思ったんですが」

 な、何だ、ろう。

 だいたい僕は五月先生に何か、言っただろうか。

「内藤先生って、普段からご自分でして、あまりイったこと、ないんですか」

 本当に、いったい、何なんですか……っ?

 僕は何だか泣けてきそうになった。この人本当に怖い。そして僕は本当に情けない。

「どうなんです?」
「っぁ、あなたに、関係、ない、で……す」

 何とか、言えた。

「そんなことないですよ?」

 だがあっさり返された。

「ぅう」
「ねえ、内藤先生」

 本当に、何なのだろう。僕は恐る恐る五月先生を見る。どのみち顔をつかまれていて逸らすこともできない。

「先生がするところ、見ててあげますよ」
「……は?」
「俺が診察、してあげます」
「な、にを」

 この人何言って……?

 唖然としていると体を抱えられ、そのまま座らされた。そして背後から抱きすくめられる。
 包み込むように抱かれ、僕は固まった。怖いし落ち着かない。

 ……ほんと、落ち着か、ない……。

「ほら、してみて?」
「な、に言って、何言ってるんですっ? そ、そんなこと、できるわけ、ないじゃ、ないじゃないですか……!」

 顔が熱い。この人の考えていることが心底わからない。

「できますよ……」

 五月先生は後ろから僕の耳元でそう囁くと、耳や首筋に唇を這わせてきた。

「っひ、ぁ?」

 僕はもっと顔が熱くなる。心臓がドキドキ脈を打ち過ぎて爆発してしまうかもしれない。
 怖い、そして逃げたい。なのに僕は動けなかった。恐ろしいからだろうか。

 それとも?

 がんじがらめに体を拘束されているわけでもないのに、振りほどき逃げることすらせず、僕はただただ体を震わせ、されるがままになっていた。
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