猫と鼠

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4.追いつめられる鼠

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 静かな誰もいない教室は好きだ。落ち着く。書類仕事を大抵の先生は職員室で行っておられるが、僕は自分が受け持っているクラスの教室でする方がはかどる。もちろん、生徒達がいない場合に限るが。
 別に先生方や生徒たちが嫌いなのではない。むしろどちらかと言えば好きだ。ただ、どう接したらいいのかわからないことが多く、おどおどとしてしまうので、一人の方が楽なだけだ。
 三学期がもうすぐ終わろうとしている。僕はここのフロアとも、もうすぐお別れだなと思いながら、使っていたエンピツをカッターナイフで削っていた。シャープペンシルよりエンピツが好きだし、エンピツ削りで削るよりもカッターで削る方が好きだ。だが考えごとをしながら、というのはやめるべきだったようだ。

「っつ……」

 情けないことに指を切ってしまった。舐めていれば治るかと思ったが、表面とはいえそこそこ切ったようだ。様子を見ていても血が止まらない。

 どうしよう。

 絆創膏は切らしていた。おとつい学校の帰り、思い出した時に薬局に買いに行けばよかった。今度買い物の時にまとめてでいいかなど、思わなければよかった。

 職員室に行けば誰か持ってるかな。でも聞いて回るなんて僕にできるとは到底思えない。
 でも……。

 できれば保健室には行きたくなかった。行けば五月先生がいる可能性が高すぎる。あの先生は怖い。何となく怖い。
 そう思いつつも、やはり血が止まらないのでとりあえず向かうことにした。いない場合もあるだろう。

 そうだ。そっと覗いて、いなければ中に入らせてもらって絆創膏を使わせてもらおう。もしいたら……うん、諦めて逃げよう。指はティッシュか何かで誤魔化そう。

 一階まで降りると、ばったり生徒の水橋くんに出会ってしまった。いとこの優しそうな方じゃなくて、僕が受け持っている方の、水橋くんだ。

「おや先生。どうかされました?」
「い、いえ。み、水橋くんこそ、ど、どうしたんです」

 この生徒も苦手だ。本当になぜだろう。いつも、そして今もこんなに彼はニコニコしているのに。

「俺はクラブの帰りです。ちょっと先輩の一人を探してまして。て、怪我されてるじゃないですか」
「ひ? あ、は、はい。そ、それでちょっと、保健室へ……」

 すると水橋くんがさらにニッコリして近づき、僕の怪我をしている腕を持ってきた。

「保健室、ですか。ふふ。どうぞ、お気をつけて?」
「は……」
「どうされたんです? 俺が怖いんです? おかしいな。俺は先生、好きですけどね」
「……ぇ」
「先生のように、かわいい人は好きですよ? 何ならこの指、俺が舐めてあげましょうか?」

 水橋くんはそう言って少し見上げてきた。僕はなぜかゾクリとして、慌てて首を振った。

「い、いえ! だ、大丈夫ですので、は、離してください」
「そうですか、残念ですね。では、お気をつけて」

 水橋くんは相変わらずニコニコしたまま、素直に手を離してくれた。僕は「じゃ、じゃあ気をつけて、か、帰りなさいね」と何とか先生らしいことを言って、その場を慌てて離れた。
 やはり、どこか怖い。あの生徒は怖い。そう思いながら、必死になって走り出したいのをこらえつつ早歩きをした。

 廊下は走ってはいけないし、ね……。

 保健室についたので、呼吸を整えてからそっとドアを開けてみた。目をキョロキョロさせてみて、人がいないのを確認すると、僕は急いで中へ入った。

「絆創膏……絆創膏、どこだろう……」

 中の戸棚などを探してみるが見つからない。あまり来ないので、備品を置いてある場所がわからない。

「おかしいな……どこだろう……」
「何がです」

 何が、って絆創膏……と返事しそうになって、僕はハッとして手をとめた。

 この、声、は……。

 そして恐る恐る振り向く。

「どうも」

 そこにはやはり五月先生が、いた。とてつもなくニコニコしている。

「っひ……?」
「おやおや、何です、その反応は? 勝手に入ってきて漁っておられたのは、内藤先生ですよね?」
「ひ……、ぁ、ご、ごめんな、さい! すみません、ごめんなさい……!」

 僕は慌てて後ずさった。すると五月先生は笑顔のままそんな僕に近づいてくる。後ずさる、近づかれるというのを繰り返すとあっと言う間に壁際まで追いやられた。

「そんなに謝られなくても。どうされたんです?」

 五月先生は壁を背にした僕にますます近づき、右腕を壁にもたれさせながら、僕に密着するかのようにさら追い詰めてきた。
 怖い。どうしたらいいのかわからない。僕が萎縮していると、左手で僕の右手を持ち、手を握ってきた。まるで僕は追い詰められた鼠のようだ。どうしたらここから逃げられるのかわからない。

 あ、でも、そうだ。

 五月先生は保健医。きっと手を怪我したとわかれば僕から離れて、治療の道具か何か出してくれるかもしれない。

 そ、その間に、逃げよう。

「あ、あの! 手、手を」
「ええ」

 近い……!

「左手を、怪我しまし、て。そ、その、血が……」

 すると少し離れて、五月先生は僕の左手を持ってきた。

「ああ。まだ出てますね」

 これでようやく、離れてもらえる。よ、よし。

 だが五月先生はその血が出ている指を手にし、あろうことか指をつかんで口に含んできた。

「っひ……っ?」

 指に、指に人様の舌の、か、感触が……!

「は、離し、て、くださ……!」

 何とかそう言っても、五月先生はニヤリとしたまま僕の怪我をした指を舐めている。

「治療しているだけですが? ……ん」
「……っ?」

 挙句の果てに血を吸うためなのか、指を吸われた。

 誰か助けてください。怖い。どうしたらいいのかわからない……!

 この変な、何とも言えない感触に戸惑いつつ、僕はもう泣きそうだった。
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