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14:平穏の先
新しい日々と古き穏やかな日々
しおりを挟むぬるいミルクが舌から伝い、喉から胃へと流れていく。少し前までは外に水と共に置いていればある程度は冷えたものだが、今はどれだけ置いてもそこまで冷えない。水から引き上げて置けば、少し経てば常温へと戻ってしまう。そんな常温のミルクをちびちびと飲んでいたイヴの手が止まる。持っていた容器ごと腕を下げた。
睫毛が上下する。瞳は何もない空間に向いていた。一点を見続けているものの、どこか遠くを見ているようで心ここにあらずといった調子だった。不意に少女の小さな肩が叩かれる。
「何ボーッとしてるんだい。せっかくの陽気な空がもったいないだろう。休みの日くらい遊んできな。最近全然出かけないんだしさ」
「あ……」
肩を叩いたシェリーに声を掛けられ、背中を押してドアの方へと押し出していく。目を丸くしている間に扉は開き外へと出される。片手のミルクはシェリーの手に攫われていき、扉は目の前で閉まった。
暫く閉ざされたドアを見つめていたが、戻っても仕方がないため歩き出した。空を見上げれば、空は青く白い雲が浮かんでいる。風は吹いておらず、気温も穏やかだ。
昨日からイヴが勤めているパン屋は休業している。グレンの仕入れの関係だ。イヴは少しずつパンの開発を手伝っており、その事もあって以前より新しいパンを生み出している。必要な物の買い出しだけでなく、新作のパンの材料になりそうな珍しい食材を手に入れにグレンは行っているのだ。新作となると、仕込みも変わってくるため、帰宅後ももう一日休業だろう。
今まで通りなら、その期間はフェリークの元にイヴは通い詰めていたが――今はそれもない。何もする事がなく、ぼんやりと空を眺めていたイヴだったが、農地の方へと向かった。
農地では実り始めた農作物を、様子を見ては汲んである水を与えたり、既に収穫可能な物は収穫したりと、何人もの人間が作業に取り掛かっていた。自然と、知っている間柄であるミランダをイヴは探す。しかし、それらしき姿は見えない。外には出ていないのか、休憩か、買い出しか、はたまた休みなのかもしれない。
どのみち見付けられそうにない。視線を左右や奥にまで送っていたイヴだったが、中央へと焦点を合わせた。すると、屈んでいた人影が動き立ち上がる。二つの三つ編みが揺れ、正面に向いた目がイヴを捉えた。視界に認めるやイヴへと駆け寄る。
「あれ。イヴ……ちゃん? 覚えてる? 収穫祭の前に会ったよね。アメリアだよ」
「は、はい。覚えてます」
駆け寄ってきたアメリアに圧されながらもイヴは肯定する。収穫祭の準備でミランダと共に三角旗を作っていたアメリアだ。イヴは最近は必要以上には外には出ない事もあり、アメリアと会ったのはあの日以来である。
関わったのはあの時のあの短い時間だったが、互いに覚えていた。アメリアは人懐っこい性格のようで、昔からの友人のようにイヴに嬉しげな笑みを浮かべている。
「今日はどうしたの? イヴちゃんも収穫する?」
「あ、えっと……今日はパンはお休みで」
「そうなんだ! じゃあ、特にやる事がないなら一緒に収穫しよぉ。人手は足りてるからお試しみたいなものだけどね。どう?」
誘いかけられて、しばし悩んだイヴだったが、やがて首を縦に振った。
──収穫可能な野菜を、一つずつ丁寧に収穫していく。長らく農業に従事していた者達はその動作が素早く、イヴが一つ収穫した頃には二つ三つ収穫し終えていた。土で手を汚し、太陽からの熱を浴びて額から汗を滲ませながらも収穫する。ある程度集めると息を吐いた。農地を見渡せば、他のエリアで収穫している何人もの人間がいる。すぐ近くでは二つの三つ編みが揺れた。
「結構とれた? 中持ってこっかぁ」
イヴが体勢を戻したのに合わせて、アメリアが立ち上がる。収穫した物を持って、アメリアと共にイヴは収穫した物を収納している中へと入った。
中で作業している人間達と一言二言挨拶を交わし、収穫物を渡す。その場にもミランダの姿はなかった。数拍の間のあと、イヴはアメリアに顔を向ける。
「あの……今日はミランダさんはいないんですか?」
「うん、おやすみ~。アンネさんの相談にでも乗ってるんじゃないかな」
「……相談……?」
アンネという相手について、記憶を掘り返しながら問いを投げる。首を傾げるイヴに、アメリアはため息混じりに肯定した。
「アンネさん、やっぱりここを出て行くんだって。花舞祭だけ見て出て行くって言ってた。花舞祭は綺麗だけど、出入りが激しくなるからわたしは良い思い出あんまりないんだけど……イヴちゃんは好き?」
「わたしがいたところでは花舞祭はなくて」
アメリアの言葉でアンネはここを離れて、もっと発展した街に憧れた娘である事を思い出すと同時に花舞祭について考える。
この町で行われている花舞祭。花で町が彩られ、町が花の町のように様変わりする催し。収穫祭ほどの規模ではないが、町の名物としては十分だ。花が咲く喜びを祝うもので、町中の花を見て回るくらいだが、豊かな彩りの町を眺められる。華やかな行事だが、旅立ちなどの転機として花舞祭を境に人が出入りするようだった。
「他の町ではないんだ! そっか、ここから出た事ないから知らなかった。綺麗だよ~花舞祭。あーあ、ああいう素敵なお祭りもあるのになあ……」
心底残念そうにアリシアは溜め息をつく。この町だけを知り、この町に留まるアメリアにとっては、年の近い知り合いがいなくなる事は、ひたすらに辛い事だろう。悲しそうな瞳は、イヴを捉える。
「イヴちゃんは他からこっちに来たんだよね? って事は……イヴちゃんはずっとここに住んでくれるの?」
「えっ……と」
肯定も否定も出来ない。彼女に嘘をついて、ここにいると言う事も。それが嘘なのかもわからない。
ただ、曖昧に笑ってみせるしかなかった。
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