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6:呑み込む想い
種が芽吹くまで
しおりを挟む「今日も美味しそうですね」
「え。は、はい」
年の近そうな青年に声をかけられて目を瞬かせる。丁度パンの補充をしているところだった。話しかけられる事は多くはない。反応が遅れたイヴだがよく見ればその青年は何度か見ている。つまりは常連客だ。パンに関しての質問というよりは世間話を出された。このパン屋の従業員として慣れてきた証拠に思えてイヴは少し嬉しくなった。
「美味しいですよ。おすすめです」
「じゃあそれもらおうかな」
「ありがとうございます」
自然と笑みをこぼして注文の品を包む。支払いを済ませてから渡して彼を見送った。
常連客の顔も覚えられる程になってきていたが、こうして声も掛けられるようにもなった。少しずつ馴染んできているのは確かだ。その事に浸っていたイヴだったが、すぐに仕事へと戻った。
本日の営業を終えて閉店準備をするとエプロンを外して息を吐いた。今日も一日忙しなく動き回った。店での動きは身に付いてきたものの、次から次になくなっていっては出来上がってゆくパンには苦戦している。一口にパンの補充とは言っても、そう容易ではない。あまり大きな店ではないため、店内はさほど広くはない。客が入れば扉に向かうだけの動作でも通常より時間がかかる。それも一因だ。
そのような事もあってか一日を終えると達成感と共に疲労感がある。まだ入ってそう経っていないイヴならば尚更だ
椅子に座ればイヴの眼前にミルクが置かれる。すぐに口をつけた。ぬるいミルクだったが、イヴには十分な水分だ
漸く人心地になり、テーブルにミルクを置く。半分ほど減っていた
「これを二人だけでしていたなんて……」
「いやぁ、前より忙しいよ。最近は売り切れて閉店が多いし」
「そういえば……。早くになくなりますよね」
言われて思い起こす。最近はオレンジ色の空が見えるよりも早くに店を閉めることが増えてきていた。いつから経営しているのかイヴは知らないが、入った時点で人気店だったが今はより人気のパン屋になっていた。決して広くはない店内に客がたくさん入り、売り台の上にあるパンは気付けばなくなっているのが現状だ。
「しかし売れ残りのパンが食べられなくなるねぇ」
「売り切れる順番はありますけど……それでも全部なくなってしまいますね」
「ま、売れた方がいいんだけどね」
種類は然程多くはないがほとんどが日常的に――変わり種もあるものの――食べられるものばかりだ。そのため今では人気なものから順に完売となっている。食事に使うパンの確保が出来ないが時間が空くためシェリーが仕事のあとに買い物に行っているのを度々見るようになった。味わえないのは残念ではあるものの、嬉しい悲鳴というものだ
今日も早く終わった。陽が沈むまでは幾分もある上に本日の業務を終えている。そうなるとイヴの頭に浮かぶ姿は決まっている。ここ最近は行けなかったあの場所に行けるのだ。
椅子から立ち上がって棚の近くにいるシェリーの方を向いた。
「あの……ちょっと出かけてきていいですか?」
「ああ、構いやしないよ。けど」
「暗くならないうちに帰るように気をつけます。遅くなっても明るくなるまでには」
何か言いたげなシェリーの言葉を読んでいたように言葉を続けた。前回は心配をかけてしまった。そのことはイヴはよくわかっている。だから忘れずにその事を告げるとシェリーは満悦げに口角を上げた。言葉にはしなかったが「それでいいんだ」と言っているようだった。
「そうかい。気をつけて行ってきな」
「はい。行ってきます」
挨拶を交わして、裏口の扉を開ける。一度振り返ればシェリーは見送ってくれていた。片手を軽く上げてから家を出た。ほんの少し、こそばゆい気持ちを胸の奥に感じながら。
家を出て森を前の前で息を吐く。僅か数日しか経っていないはずだかとても久しい気がしていた。だからか初めて会った時のような緊張感が蘇ってきていた。
――……今日は、ただ会うだけじゃなくて……伝えなくちゃ。
最後に会った時に話してもらったあの竜の事実。衝撃的で、一介の小娘であるイヴには遠くかけ離れた話。イヴなりに言葉を尽くしても彼の黒竜を癒せはしなかった。
それでも伝えたく思い、イヴは森の中へと入っていった。
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