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5:それは小麦と恋の香り

女の子の内緒話4

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 ミランダとイヴが初めて出会った場所である広場
 適当に目に付きやすい場所へと腰を降ろしてバスケットを隣へと置く。中を覗き込めば当然パンが詰まっている。待っているように言われたものの、することがない。自分用のパンでも食べようかとイヴの頭を過ぎるが覗き込むのをやめた。それほど空腹ではないというのもあったが憚られたのが大きな点だった。
 手をつけなかったものの、ただ待つ事になるという事実に変わりはない。時間がかかるだろうと思ったイヴは広場までの道のりをゆっくり、遠回りしてやってきていた。イヴなりに時間潰しはしてきたのだ。それでもまだミランダの姿はない。もう少し時間を潰す必要があると見て大きく息を吸って、溜めた息を吐いてから空を仰ぎ見た。

 白い雲と海のような澄んだ青色の空だ。陽射しは暖かい程度で強くはない。快晴とは呼べないが気分を良くさせるには十分な天気だった。


 ――あの時の空には勝らないけど、良い天気


 そよ風が髪を揺らして目を閉ざした。瞼の裏に浮かぶのはあの運命の日だった。木々に囲まれた中で見上げた空。雄大な空を大きく羽を広げて飛んでいた黒い影を思い出してぼんやりと呟く


「もう見られないのかなぁ……」


 いくら見上げてもあの空はどこにもない。黒竜とは森に行けば会える距離ではあるが、言葉を交わした限りではもう悠々と飛ぶ事はなさそうであった。足繁く通うイヴは痛感してはいるもののあの空をどうしても探してしまうのだ。
 目を開ければ描いたように美しい空がある。遮蔽物がないため一面に空が見えるが当然黒い形はない。それに寂しさを抱いてしまう。視点を戻して今一度目を閉じて体で風や太陽の心地よさを味わった。


「ごめんね、待たせちゃって。休憩もらってきたわ」


 次に目を開けた時には人の形が映った。小走りで向かってきたミランダの姿に立ち上がった。到着するや謝罪するミランダに首を振ると胸をなで下ろした様相に変わる。隣へと腰を落とし大きく息を吐いて休息をするミランダを見てからイヴは再びその場に腰掛けた。脇にあるバスケットを手にとって膝に乗せる。中から一つパンを取り出して差し出した


「まだ他にもあります、けど。お腹がすいていればどうぞ」
「まあ……私に?」
「シェリーさんからです。昨日の……」
「ああ! そう。ちょうど良かった。お腹すいていたのよ、ありがとう」


 活動時間であり今先程まで労働に徹していたのだ。本当に空腹だったのだろう。納得すると共に嬉しそうに受け取った。
 ミランダの元へとパンが渡ったのを目で確認してから視線をバスケットへと落とした。調理――他の材料を挟んだだけの代物だが――したパンはもう一つある。イヴは二つ作っていたのだ。ミランダを盗み見る。既に食べ始めており口は頻りに動いていた。どうせならばとミランダの分も作っていたのは正解だったと確信する。
 食事を済ませてから空腹まではまだ時間が足りない。手をつけずにいるイヴだったが、美味しそうに食べ進めているミランダを見ているとパンに手が伸びた。自分の分もバスケットの中から取り出した


「いけない。美味しくってつい。ねえ、この街に来た理由、教えてもらえない?」


 半分ほどを食べ終えたところでミランダは今日の目的を思い出した。パンを持ったものの未だ食べずにいたイヴは本題を切り出されて機会を見失う。


「色んな街で噂を聞いて……この辺りに黒」


 黒竜様がいると知って、と明確に黒竜の事を出そうとして言葉を止めた。
 この街の黒竜に対しては十分に知っている。大体決まってはいるが今のところ友好的ではないのは確かだ。祀られている訳でも親しき友としている訳でも頼れる長のようにしている訳でもない。安易にその存在を示唆するのは良くないのははっきりとわかった。

 二の句が見付からずに黙り込む。揚々として今日のこの場に臨んだものの、黒竜の事をそのまま口には出来ない。さりとて誤魔化すための言葉を上手く並び立てるにはあまりにも幼い。
 イヴの頭の中でふと過ぎったのはかつてシスターへ出した質問だった。そしてその返答。差し込んだ陽の光を浴びたようなどこか神々しい澄んだ答え。彼女の声を思い出しながら自然と口を開いてゆく。


「とても……惹かれる、ずっと会いたかった相手がここにいるって聞いたから会って、みたくて……。ごめんなさい。理由なんて、それだけで」


 この街自体に興味があった訳ではない。この場所には森の竜を除けば際立った特徴はない。強いて言えばイヴが働いているパン屋くらいだろう。それでもミランダはこの街の住民だ。遠方からわざわざこの地に来た事を嬉しく思っていたに違いない。その考えに至ったイヴは謝罪を口にしていた。
 しかし、ミランダは落胆している訳でも憤っている訳でもなかった。微笑ましげにイヴの事を見ていた


「そうだったのね。それで?」
「え?」
「会えた?」
「……はい」


 予想外の言葉にイヴは一瞬面食らったが頷いた。探していた相手と会うことが叶った。それだけではなく会話をすることも。口元はおのずと緩んでいた。


「良かったわね。それからそれから?」
「は、はい。えっと……少しずつお話しています。仲良く、とかではないですけど……」


 ミランダは興味深そうに続きを促してくる。それに少し戸惑いながらも話していった。
 全てを話す訳にはいかなかったが、今まで誰にも言わずにいた事を話す事が出来た。ミランダは次第に目を輝かせて深く頷いては相槌を打っていた
 ただの恋話を話しているかのよう。聞き手側からすれば実際にそうだったのかもしれない。一目惚れした誰かを噂だけで探し歩き、あまり名の知られていないこんな地まで追い求めてきた。ただ会いたいがために。
 少女であるが故のエネルギッシュな恋物語のようだと。


「ありがとう。よくわかったわ。時々でいいからまた話してくれる? 近況とか!」


 一通り聞き終えたミランダはまっすぐに見つめた。目を丸くしたイヴだがこくりこくりと何度も頷いて承諾する。どちらかというと窈窕たる女性。長閑な日のような。そんな女性が珍しく語調が強めである事に気圧され気味な返事だった。

 それからパンを食べた。ミランダはまだ仕事が残っているらしく談話はそう長くは続かなかった。バスケットを渡してもう一つの目的も果たす。仕事に向かうミランダを見送って、イヴも踵を返した
 ふと、空を見る。変わらぬ空がそこにはあった。


「美しいものを、美しいと思うのはおかしなことではない……ですよね、シスター?」


 今この場にいない彼女にもう一度問うた。胸の奥に僅かに何かが引っかかりながら。


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