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5:それは小麦と恋の香り
女の子の内緒話1
しおりを挟む「それ、いただける?」
「はい。……あ」
客に言われてレジ近くにある指定のパンをとって袋に入れる。客を見上げて、イヴは声を発した。ブラウンの髪を指で後ろに流し、目が合うと相好を崩すミランダだった
ミランダは表情をそのままに、硬貨を出して手渡した。数拍してから受け取り上へ持ち上げて差し出すようにしてカウンターへと袋を置けばミランダは引き寄せて腕で抱えた。
「お仕事中に会うのは初めてね。どう? 仕事には慣れた?」
「……まだまだ教えてもらうことが多いですけど、少しは」
「まだ始めてからそう経っていないものね。お仕事頑張ってね、また来るわ」
微笑を残してミランダは踵を返していった。
それを最後まで見送る余裕もなく次の客がイヴに声をかけた。対応をしていればシェリーにパンの補充を頼まれ、空になった籠を持って中へと戻ってテーブルに籠を置いた。グレンがいる部屋の扉を開ければ熱風が顔や体を直撃した。依然中は蒸し暑く、すぐに汗が噴きでてきそうだ。吸う息すら熱い。
そんな中でグレンは次々とパンを焼いていた。焼きあがったパンは置かれており、粗熱をとられていた。それを籠へと入れ、売れてしまって店内にないパンについて伝えておく。グレンが了承に肯いてからパンの入ったカゴを持って店へと戻った。補充したパンに札をつけてから、人で賑わう中を掻き分けるようにして進んでいき、カウンターへと入るのだった
そうして追われていけばあっという間に閉店時間だ。空になった籠を中へとしまっていく。新作の小さめのパンは太陽が中天にかかるよりも前に売り切れてしまった。その事をグレンに話すと微笑を湛えていた
店内の清掃もして、エプロンを外すと大きく息をついた
「お疲れさま。食事の時間まではゆっくりしておくといい」
「はい。……なんだか今日はいつもよりもっと人が多かったような気がします」
「明日はうちは休みだからかもしれないね。有難い話だ」
「え、おやすみなんですか?」
「ああ。市場まで小麦を買いに行かなければならないから」
小麦は貴重で売買が制限されている。決まりで町の中で済ませることが出来ないため、市場のある街まで赴かねばならない。パンを焼けるのはグレンだけだ。そうなると自然と休みになるのも頷けた
「だから明日はイヴ君も好きに過ごしなさい」
「好きに……」
好きに過ごしていいと言われて頭を過ぎったのは黒竜の姿だ。しかし黒竜に吐露してもらったが名も自分には相応しくないと――夢の世界のような美しさを過ごせぬ今の自分にはフェリークという名は貰えないとして拒絶されてしまった。また、近付いたはずなのに近付けていない
――もう少し、許してもらえるなら……楽しんだり喜んだり……笑ってほしいなあ
何度も接したがそのどれも厳しいものや哀しいものばかりで、一度も笑った事はない。いつまでもそんな顔をさせたいわけではないのだ
「……はい」
――明日は一日時間があるんだし、色々してみよう!
「売上の計算終わったよー」
「お疲れさま」
「あ……お、お疲れ様です」
シェリーが店から住居部分へと戻ってきた。売上を持っており、それをテーブルへと置きエプロンを外した。疲れた様子でやおらに椅子へと腰掛ける。今日は休業日前で客が多かったのだ。致し方ないだろう
腰を落ち着かせたシェリーだが、キッチンの台の上を見遣った。普段ならば果物や野菜などが置かれているがそこには何もない。
「……しまった。悪いんだけどイヴ、棚を見てくれないかい?」
「棚ですか?」
言われた通りに棚を開けて中を覗き込む。棚にはいくつか食材があったがほとんどが豆類だった
「何がある?」
「リエットと……お魚の、塩漬け? あと豆がいくつかあります」
「ピクルスもなしかい?」
「はい……」
「それじゃあ手に入れなきゃねぇ」
「今からお買い物ですか? それならわたし行きます」
魚の塩漬けは量にして一人分しかない。今日はパンはあまり残っておらず食事には少し足りない。買い出しをするような物言いにイヴは遣いを申し出た。心配をかけさせてしまったばかりという事とシェリーが傍目にもわかるほどに疲れてしまっているという事があるからだろう
「いいのかい? 助かるよ」
眉を上げたシェリーにイヴが首肯で応えるとテーブルに手をついて立ち上がった。他の棚へと歩み寄り引き出しを開けた。中から袋を出し、それを持ってイヴの傍らへとしゃがむ。豆をいくつか袋の中へと放り込んでイヴの手の上へと乗せた
「何を買えばいいですか?」
「えーっと……畑まで行ってミランダに渡せばいいよ」
「ミランダさんに? わかりました」
ミランダの名前を聞き首を横に傾けたが袋を握って戸に手をかけた。行ってきます、と声を掛けてから外に出る。中から二人分の声が掛けられてから畑を探して駆け出した
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