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2:かつてない光景
美しきモノ
しおりを挟む「こんにちは、黒竜様」
「…………」
少女は次の日も訪れた
初めは突風で追い返し、再訪時には言葉で追い返した。ニ度と来るなという意味で帰れと言ったのだが、少女は行間を読んでいないのか否か二度追い返されているというのにそれを感じさせない微笑と共にやってきた。黒竜はぎょろりと大きな目玉で睨みつけるだけで炎や風で追い返そうとはしなかった
ただ警戒はしているらしく少女の一挙一動を見ている。少女はというと放置された昨日の薬草と薬品を一瞥して羽を見る。黒色である事と畳んでいる事でわかりづらいが目を凝らせば傷ついているのが見えた。同化している切り傷などもあるため全ては視認できないが、大きく避けていたり穴が空いている箇所もあった
それに少女は自分のことのように悲しげで痛そうな顔をする
「黒竜様、どうか傷を……」
「自然治癒で治る」
「でも……」
きっぱりと言い放ったがその自然治癒で治っていない。すぐに治るものではない事は少女にも今日の様相で理解出来る。少女としては薬草を塗るなり傷薬を飲むなりとしてほしいのだが、竜は少女を拒み突き放す。強く拒絶している以上首を縦に振らせるのは至難の技だろう
少女は傷だらけの翼が気になるのか視線を何度も向けながらその場に膝を崩して座った
両手を膝に置いて黒竜の顔を見上げる。居座る少女に黒竜は鋭い視線で突き刺す。大抵の者は姿を見た瞬間に錯乱もしくは戦意を喪失する。睨まれようものなら賢明で錯乱していない者はなりふり構わずに逃走する。しかし少女は怯まず座したまま動かなかった
無論、少女は力を持っている様子はなかった
剣の鍛錬をしている様子もなければ、魔法使いがエネルギーにする魔力も感じない。何の変哲もないただの非力な少女だ
まずこの黒竜には敵わないだろう
力の差は歴然。一度力を使って見せた。それでも遁逃しない少女。その方がずっと安全だろうに。黒竜にはとんと理解出来なかった
「……人間。私は未だ一〇〇〇と少ししか生きておらぬ。話がしたいということは知恵がほしいのか。それならばもっと適した者がおろう。私に関わるな」
「いいえ」
彼女の言葉の真偽はわからない上に理解不能で話にはならない。それはわかっていたが黒竜は少女をこの場から追い出すために話をするしかなかった。どれだけ追い返しても来てしまうからだ
話をしたいと少女は言っていたため知恵の教授と思い言ったが少女は一度だけ首を振った
少女は緊張した面持ちで深呼吸し、それから真っ直ぐ黒竜を見据えて両手に力を入れた
「あなたと話がしたいの」
「何故私なのだ」
「それは……」
一呼吸置いてから少女は切り出した
「わたし、昔あなたを見たことがあるの」
澄んだ黒竜の瞳を見つめながらも当時のことを思い出しているのか少女は遠い目をしていた
「青空を羽ばたくあなたを」
――雲一つない澄み切った青空、羽ばたく黒い竜。切り取ったような光景だった
「堂々と、大空を飛んでいくあなたを」
少女はとても愛おしそうに目を細める
「黒水晶の艶めきを持つ体、アクアマリンの瞳、どこまでも飛んでいけそうな大きな翼。凛然と、臆する事無く前へと進むその振る舞い。ずっと見ていたいって思うくらいに――――美しいと思った。誰よりも、何よりも。大空さえあなたのためにあるんじゃないかと思うくらい
だから、もう一度、今度はもっと近くで見たいと思った。そうしたら欲が出て、今度は話がしたいって思った」
言い切った少女は我に返って「あ……」と呟くと頬を徐々に紅潮させて俯いた。両手を頬にあてて恥ずかしそうだ
曇りのない想いを聞いた黒竜は天を仰ぐ。晴れた空には雲が浮かび青く不穏など感じさせない
少女の言う昔は黒竜にとっては最近の話だ。魔王の配下でいた頃、もしくは配下となる前。確かに黒竜はこの空を縦横無尽に駆けていた。しかし今はほとんど飛ぶことはない
「――貴様の思い違いだ」
黒竜の発した声は今までとは違い威厳に満ち溢れたものではなかった
少女が顔を上げる。目を丸くして黒竜を見ていた
「私は貴様ら人間に負けた魔王の元一味。それだけだ」
一言二言のみだけ言って黒竜は少女に背を向けた。尾を少女の前に出して
少女が立ち上がる。唇を開き、言葉を出そうとしてその前に黒竜が紡いだ
「背を向けていようと我が尾で貴様を殺せる。妙な真似はしない事だ」
「……黒竜様……わたし、本当に……」
「黙れ。それ以上の戯言は聞かぬ」
少女の二の句を封じ、黒竜は尾を動かし少女との境界を作った。黒竜と少女の距離は遠い。それは心の距離をそのまま示しているかのようだった
少女は数歩後退り、膝を立てて座り込む。膝を抱えて、何も言わずに
瞳から涙が滲んでいく。やがて雫となり、頬を伝って服に染み込んでいった。何度も頬を伝いこぼれていく
想いを否定されたショックからではない
何故だかとても悲しくなったのだ。仔細は少女にもわからない
今は涙が止まるまで膝に顔を埋めるしかなかった
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