執事の喫茶店

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6杯目【中編】

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扉を開けた途端に出迎えられた声に
インフルエンサーはたじろいだ。

(招待状風の告知ページのイメージなのかしら?
しかもあの燕尾服、かなり上等な仕立てよね)

ずいぶんと気合の入った演出だ。
その割に彼女の他に客がいないあたり、
広告は失敗したと思われた。

(まあ、当然の結果だろうけど…)

偶然開いた告知の怪しさを思い返せばこの結果はさもありなん。

正直、来店した自分は酔狂な部類だと
インフルエンサーは思っていた。

店内を見回すと、外観を裏切らない洒落た作りをしている。

つくづくPRが下手すぎてもったいない。

「この店は趣味でして。
来ていただきたいお客様だけお招きできればよいのです」

燕尾服の男が心を読んだかのように声をかける。

「少し当店の説明をいたしましょうか」

ゆったりとした仕草でカウンター席に
彼女を誘導した後、男は語りだした。

彼は店の店主で執事と呼ばれているらしい。
そういうキャラ設定なのだろう。

そしてこの店は客の望みを見極め
おすすめのメニューのみ提供しているという。

「ご満足いただけなければ、お代は結構ですから」

インフルエンサーはその説明に軽くあきれた。

なるほど、確かに道楽の店らしい。

とはいえ、彼女としては不満はない。
少なくとも客としては不利益はなさそうだ。

(まあ、どう考えても一般受けしない
コンセプトだけど、この店嫌いじゃないな)

まだメニューこそ出されていないが
落ち着いた店内を彼女は気に入っていた

少し薄暗い照明にレトロな音楽
艶めくアンティーク風のグラス

目の前では、店主の執事が
自分のための一品を作ってくれている

それなりにインスタ映えするだろうが
なぜか携帯を取り出そうとは思えない

それがよかった
SNSと自分を今ひと時、切り離す口実を
彼女はどこかで求めていたのかもしれない

ぼんやり空間を楽しんでいると
目の前にグラスが差し出された

花が添えられたカクテルグラスだ。
明るいエメラルドのような液体がゆらゆらと光を弾く。

「創作カクテル、エンカウンターでございます。
本来はカクテルなのですが、今回はノンアルコールの
モクテルとしてお作りいたしました」

インフルエンサーは目を見張った。

初めて本格的なカクテルを見たが、こんなにも美しいものなのか。

(きれいすぎて飲むのがもったいない…)

スーパーで売られている缶のカクテルしか知らなかった
彼女にとっては衝撃が大きかった。

冷たいうちに飲む方がよいとのことで、思い切ってグラスに口をつける。

鼻に抜けていくのはライムの香りだろうか。
さわやかな酸味にしつこくない甘さがすうっと喉を通り抜けていく。

(飲んだことない味だけど、これはいい…)

綺麗な色が消えていくのはもったいないけれど
ぬるくしてしまうのはもっと惜しい

インフルエンサーは、こくこくと
モクテル・エンカウンターを飲み干した。

『とても好みの味でしたけど…どうしてこれが私のおすすめに?』

彼女の言葉に、執事は微笑む。

「このモクテルはエンカウンター、つまり
出会いという意味を持っております。
あなたの望みに一番ふさわしいかと」

執事が彼女の目の前に一枚のメモを差し出す。

そこに書かれていたのは、Twitterでの
彼女のアカウント名だった。

『ちょっと、どうして、なんで
あなたが私のアカウント知ってるの!?』

(Twitterでは個人情報一切出してないのに
どうして?)

まさかこんな喫茶店で身バレするなんて思うわけがない

突然の混乱と恐怖にパニックになりかけた
彼女に、執事はこう語りかけた。

「ここは魔界ですから。人間界の常識が
通じないことも時に起こるのです。

ですが、どうぞご安心を。
あなたの秘密を脅かしたいわけではないのです。
情報は一切外に出さないと誓いましょう」

必要なら契約書も用意いたしますとまで言って
執事は彼女の前でメモを粉々に破り捨てた。

警戒してしかるべきだ。
どう考えても不審だらけだ。

それでも、彼の語り口が魔法のように誠実に
響いたから、インフルエンサーはひとまず追及をやめることにした。

悪いことをしているわけでもないし
アカウントなんて最悪閉じればいい。

いっそばれてしまっているのなら
そして秘密が本当に守られるというのなら

自分の悩みだって、もう
話してしまってもいいじゃないか。
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