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4杯目【後編】
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小説家が一歩店に入るとカウンターを挟んで
白い燕尾服の男と客とおぼしき男がやり取りをしている姿が目に入った
「いらっしゃいませ、お早うございます」
燕尾服の男が一礼する
立ち位置からしても、彼が店主なのだろう
風変わりな格好だとは正直思ったが、
世の中メイド喫茶や執事喫茶なんてものもある
その亜流なのかもしれない
まだ夜が明けて間もない
多少店主の風体がおかしくても他の店を探そうとは思えなかった
カウンター席しかないため先客から
ひとつ席をあけて小説家は席につくことにした
「当店はおすすめのみのご提供でございます。
この時間ですとモーニングとなりますがよろしいでしょうか?」
小説家は頷いた
元々300円のモーニング目当てなのだから何の問題もない。
先客をちらっと見やるとすでにモーニングを終えたのだろう
小さなカップでコーヒーを楽しんでいるようだ
かすかに食器が触れ合う音に耳を澄ませながら
彼はただぼんやりと朝食を待った
家を飛び出したときのどうしようもない
胸の焦げ付きはおさまっている
小説家が今感じる感情は虚しいの一言だった
作品のリリースに向けて努力しても
その未来に胸を踊らせても
自分にはどうしようもないところで
状況は一変してしまう
(だったらこれ以上どうしろっていうんだ…)
「何やら落ち込んでいらっしゃるようですが
ひとまず腹ごしらえをされてはいかがですか?」
かけられた声に、落ちる一方だった
小説家の思考が一気に浮上する彼の目の前に置かれたのは
ごく普通のサンドイッチの皿だった
具はハムとチーズそしてきゅうりだろうか
食パンは軽くトースターで焦げ目がつけてあるようだ
「どうぞ、召し上がれ」
店主が薄く笑いながら促す
小説家はサンドイッチを手にとってがぶりと食いついた
一口、二口、三口小説家は無心に、サンドイッチを口に運んだ
「うまい…」
おいしいものを食べると語彙がなくなるものだ
小説家であっても、例外ではない
シンプルだからこそ、素材のよさが分かる
具材とパンのバランスがよいのだろう
食にさほどこだわりがない彼からしても
300円のモーニングとはとても思えない味だった。
気付けばあっという間に、皿は空になっていた
余韻にひたっていたところに
店主がミニカップのコーヒーまで差し出すものだから
つい小説家は思う
ところを口に出してしまった
「これで300円っておかしいでしょ?
…え、本当に300円であってます?」
違うと言われたら家に戻って財布を取りに行かねば
そう覚悟を決めていた彼に店主は笑いながら説明した
店主は、この店では執事と呼ばれていて
この店は、客との会話を楽しむ道楽で運営しているらしい
そしてモーニングは本当に300円でいいとの事。
小説家は値段が間違っていないことに安堵してから
コーヒーに口をつけた
さすが喫茶店、コーヒーもやはりおいしい
小説家がコーヒーをちびちび飲んでいるところで
執事から思わぬ提案を聞いた
「ところで、当店は成功を導く店というジンクスもありまして
もしよかったら先程お悩みだったことを話してみたら
楽になれるかもしれませんよ?」
それまで口を挟まなかった隣の客も言葉を重ねる
「執事さん、特にビジネス関係の相談めっちゃ強いですからねえ、
執事さんはもちろん俺も聞いたことは一切口外しませんよ」
小説家はきっと疲れていた
利害関係もない第三者だからこそ話せることもある
おいしいものを食べると気がゆるむのもそのせいだ
小説家はそう勝手に結論づけることにした。
「…というわけでよりによってライバルの方が影響力も
大きい結果的にパクられて先出しされたような形になったんですよ」
愚痴を吐き出しきると事態は
何も解決していなくても心持ち楽になる
小説家としてはそれだけでもありがたかった
でも、執事は単なる聞き役では終わらなかった
「結果的にパクられるというのは光栄なことですよ。
相手の方が影響力も大きいというのならあなた方の
アイデアが社会に通用することを先に示してもらったとも言えます」
執事は、会話の矛先を隣の客に向けた
「昔、似たようなことがありましたね。
覚えてらっしゃいますか?」
「さんざん叩き込まれましたから忘れるわけないです」
気安く客のほうも言葉を返す
執事と隣の客はかつての、上司部下の関係だったらしい
執事が総括し、多数のクリエイターと組んで
作品を作る側に立っていたと彼らは言った
小説家としてはがぜん彼らの視点に興味が湧いてくる
思わず身を乗り出した
執事は語る
「相手の方が影響力がある。相手の方が上位に表示される。
結構なことだと思います。少なくとも私達が似たような
立場に置かれた時は、ラッキーだと考えました」
影響力が大きい相手の作品の世界観やキーワードが
多くの人の目に止まれば、後追いする類似作品も
注目度が自然と上がる。
作品を作るだけでは終わらない。
先の展開を考え、営業をかけていくときにも、
相手の作品を話題として利用することもできる。
執事の視点は、小説家にとっては斬新だった。
無理やりポジティブに変換しているのではなく、
執事が本当にそう思っているのが声から伝わってくる。
「相手にするだけ時間の無駄ですからねえ。
『気にしなくていい』と言ったディレクターの方の判断は
間違っていないと俺も思います。
気にしてしまう気持ちも分かりますけど」
と言いつつ先客の男性も執事の言葉を補足した。
さらに執事はある問いを小説家に投げかけた。
「先程のサンドイッチ、お気に召して頂けたようでしたが
あれをパクるのは簡単だと思いませんか?」
小説家は考えを巡らせる。
具材を用意して、見た目だけ同じものを作るだけなら
サンドイッチをパクるのは容易いだろう。
けれど、あの完成度のサンドイッチをそう簡単に
真似できるかと言われると、答えはノーだ。
(あれ、それってもしかして…)
「そう全てをパクるなんて無理な話なんです。
似た世界観とキーワードであっても書き手が違えば
同じものなんて出来はしない。だからあなたはあなたの
描きたい世界観を、まずはとことん追求されてみてはどうですか?」
執事の言葉に、小説家の心臓がドクンと脈打った。
300円をカウンターに置き、急いで席を立つ。
ただ無性に作品を書きたかった。
お礼の言葉を残して小説家は扉の向こうへと走っていった。
彼が帰りたい場所へと扉は導くだろう。
帰り道の心配は不要だ。
執事と客は、小説家の後ろ姿を見送った。
クリエイターの衝動は止められないことを
彼らは経験上よく知っている。
「昔は、色々ありましたもんねえ」
執事を見つめながら、客の男は懐かしげに呟く。
「そういえば魔王さまはお元気ですか?」
男の問いに、執事は笑う。
「元気だとは思いますよ。
そろそろ彼にも、店番をお願いしましょうかねえ」
白い燕尾服の男と客とおぼしき男がやり取りをしている姿が目に入った
「いらっしゃいませ、お早うございます」
燕尾服の男が一礼する
立ち位置からしても、彼が店主なのだろう
風変わりな格好だとは正直思ったが、
世の中メイド喫茶や執事喫茶なんてものもある
その亜流なのかもしれない
まだ夜が明けて間もない
多少店主の風体がおかしくても他の店を探そうとは思えなかった
カウンター席しかないため先客から
ひとつ席をあけて小説家は席につくことにした
「当店はおすすめのみのご提供でございます。
この時間ですとモーニングとなりますがよろしいでしょうか?」
小説家は頷いた
元々300円のモーニング目当てなのだから何の問題もない。
先客をちらっと見やるとすでにモーニングを終えたのだろう
小さなカップでコーヒーを楽しんでいるようだ
かすかに食器が触れ合う音に耳を澄ませながら
彼はただぼんやりと朝食を待った
家を飛び出したときのどうしようもない
胸の焦げ付きはおさまっている
小説家が今感じる感情は虚しいの一言だった
作品のリリースに向けて努力しても
その未来に胸を踊らせても
自分にはどうしようもないところで
状況は一変してしまう
(だったらこれ以上どうしろっていうんだ…)
「何やら落ち込んでいらっしゃるようですが
ひとまず腹ごしらえをされてはいかがですか?」
かけられた声に、落ちる一方だった
小説家の思考が一気に浮上する彼の目の前に置かれたのは
ごく普通のサンドイッチの皿だった
具はハムとチーズそしてきゅうりだろうか
食パンは軽くトースターで焦げ目がつけてあるようだ
「どうぞ、召し上がれ」
店主が薄く笑いながら促す
小説家はサンドイッチを手にとってがぶりと食いついた
一口、二口、三口小説家は無心に、サンドイッチを口に運んだ
「うまい…」
おいしいものを食べると語彙がなくなるものだ
小説家であっても、例外ではない
シンプルだからこそ、素材のよさが分かる
具材とパンのバランスがよいのだろう
食にさほどこだわりがない彼からしても
300円のモーニングとはとても思えない味だった。
気付けばあっという間に、皿は空になっていた
余韻にひたっていたところに
店主がミニカップのコーヒーまで差し出すものだから
つい小説家は思う
ところを口に出してしまった
「これで300円っておかしいでしょ?
…え、本当に300円であってます?」
違うと言われたら家に戻って財布を取りに行かねば
そう覚悟を決めていた彼に店主は笑いながら説明した
店主は、この店では執事と呼ばれていて
この店は、客との会話を楽しむ道楽で運営しているらしい
そしてモーニングは本当に300円でいいとの事。
小説家は値段が間違っていないことに安堵してから
コーヒーに口をつけた
さすが喫茶店、コーヒーもやはりおいしい
小説家がコーヒーをちびちび飲んでいるところで
執事から思わぬ提案を聞いた
「ところで、当店は成功を導く店というジンクスもありまして
もしよかったら先程お悩みだったことを話してみたら
楽になれるかもしれませんよ?」
それまで口を挟まなかった隣の客も言葉を重ねる
「執事さん、特にビジネス関係の相談めっちゃ強いですからねえ、
執事さんはもちろん俺も聞いたことは一切口外しませんよ」
小説家はきっと疲れていた
利害関係もない第三者だからこそ話せることもある
おいしいものを食べると気がゆるむのもそのせいだ
小説家はそう勝手に結論づけることにした。
「…というわけでよりによってライバルの方が影響力も
大きい結果的にパクられて先出しされたような形になったんですよ」
愚痴を吐き出しきると事態は
何も解決していなくても心持ち楽になる
小説家としてはそれだけでもありがたかった
でも、執事は単なる聞き役では終わらなかった
「結果的にパクられるというのは光栄なことですよ。
相手の方が影響力も大きいというのならあなた方の
アイデアが社会に通用することを先に示してもらったとも言えます」
執事は、会話の矛先を隣の客に向けた
「昔、似たようなことがありましたね。
覚えてらっしゃいますか?」
「さんざん叩き込まれましたから忘れるわけないです」
気安く客のほうも言葉を返す
執事と隣の客はかつての、上司部下の関係だったらしい
執事が総括し、多数のクリエイターと組んで
作品を作る側に立っていたと彼らは言った
小説家としてはがぜん彼らの視点に興味が湧いてくる
思わず身を乗り出した
執事は語る
「相手の方が影響力がある。相手の方が上位に表示される。
結構なことだと思います。少なくとも私達が似たような
立場に置かれた時は、ラッキーだと考えました」
影響力が大きい相手の作品の世界観やキーワードが
多くの人の目に止まれば、後追いする類似作品も
注目度が自然と上がる。
作品を作るだけでは終わらない。
先の展開を考え、営業をかけていくときにも、
相手の作品を話題として利用することもできる。
執事の視点は、小説家にとっては斬新だった。
無理やりポジティブに変換しているのではなく、
執事が本当にそう思っているのが声から伝わってくる。
「相手にするだけ時間の無駄ですからねえ。
『気にしなくていい』と言ったディレクターの方の判断は
間違っていないと俺も思います。
気にしてしまう気持ちも分かりますけど」
と言いつつ先客の男性も執事の言葉を補足した。
さらに執事はある問いを小説家に投げかけた。
「先程のサンドイッチ、お気に召して頂けたようでしたが
あれをパクるのは簡単だと思いませんか?」
小説家は考えを巡らせる。
具材を用意して、見た目だけ同じものを作るだけなら
サンドイッチをパクるのは容易いだろう。
けれど、あの完成度のサンドイッチをそう簡単に
真似できるかと言われると、答えはノーだ。
(あれ、それってもしかして…)
「そう全てをパクるなんて無理な話なんです。
似た世界観とキーワードであっても書き手が違えば
同じものなんて出来はしない。だからあなたはあなたの
描きたい世界観を、まずはとことん追求されてみてはどうですか?」
執事の言葉に、小説家の心臓がドクンと脈打った。
300円をカウンターに置き、急いで席を立つ。
ただ無性に作品を書きたかった。
お礼の言葉を残して小説家は扉の向こうへと走っていった。
彼が帰りたい場所へと扉は導くだろう。
帰り道の心配は不要だ。
執事と客は、小説家の後ろ姿を見送った。
クリエイターの衝動は止められないことを
彼らは経験上よく知っている。
「昔は、色々ありましたもんねえ」
執事を見つめながら、客の男は懐かしげに呟く。
「そういえば魔王さまはお元気ですか?」
男の問いに、執事は笑う。
「元気だとは思いますよ。
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