性春グラフティ~童貞の親友に奪われちゃいました~

いちき

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椎名汀の青春事情

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椎名汀の青春事情

※汀視点





 ――軽い気持ちで手を出したらずるずる深みにはまっていくなんて、まるで麻薬だ。







 はじめは出来心だった。悪戯で触ってみたら思いの外良い反応をするから、調子に乗った。
 二回目は、勢いだ。前回の快感と、あの声と顔を思い出してしまって、堪えきれずに手を出した。
 三回目が、一番問題だ。超えてはいけない一線を、超えてしまった。――超えてしまったら、際限なく欲しくなる。
 四回目は、もはや自棄だ。全てを失う、覚悟があった。




 違和感に気付いたのは、すぐだった。
 海里と抜き合った二日後だ。そろそろ抜くかと、いつものオカズに手を伸ばしたまではよかった。好みの女優の、コスプレもの。ナースに扮した彼女が診察ごっこをしてくれるという、ありがちだけれど俺のツボをついた展開を見せた動画は、興奮間違いなしの当たりだろう。――いつもならば。
 あんあんと女優が喘ぐ度に頭を過るのは海里の喘ぎ声で、女優が気持ちよさそうにしている顔と重なるのは、海里がイったときの顔だった。更には、そのイき顔を思い浮かべたときが一番の絶頂で、息子を握ったままイったことに気付いて、愕然とする。モニターの中の女優は、着衣が乱れたくらいで、まだ本番にも至っていないというのに。
 男優の手が伸びてナース服を脱がす段階で、動画の画面を落とした。しんと静まる部屋の中で、どくどくと、心臓の音だけがうるさく響く。
 頭の中では、海里の笑顔と、いやらしい顔が、交互に思い出されていた。
 ――いくらなんでも、まずい、まずすぎる。
 そう思っていたのに、走り出したエンジンは、簡単には止まらなかった。







 バイトが重なったり海里が彼女とデートだったりで、共に過ごす時間が少なくなったことに寧ろほっとしていたのも束の間、一緒にご飯の誘いを受けてしまった。何か口実でもつけて断れば良かったのだろうが、海里にねだられると弱い。気付いたら、一緒に食材を買っていた。
 俺の部屋で料理を作ってやったら、あまりにも美味そうに食うもんだからムラっとした。しあわせ、なんて笑われたら、どうしようもねえだろう。ソファに押し倒して、あとは、ネットで仕入れた知識を実践するだけだ。ローションを買っておいてよかった。
 後ろで快感を感じるには慣れが必要だと読んだ気がするが、海里には素質があったらしい。あんあん喘いで痛がる様子も本気でも拒む様子もなかったから、調子に乗って、最後までした。――多分それが、大きな間違いだったんだ。

 それからというもの、俺の夜のオカズが、ナイスバディな女優から、園村海里になった。いや、以前からもその気はあったが、もはや動画要らずだ。抜きたいときに頭に描くのは海里のイき顔、それと中に突っ込んだ何とも言えないあの感覚。初めて覚えた、温かい粘膜全体に包み込まれて搾り取られるような快感が、忘れられなかった。
 ――これじゃ、まずい。本気でまずい。
 一度知ってしまったら、際限なく欲しくなる。
 もっと鳴かせたい、あいつからも求められたい。
 そんなことまで思うようになってしまって、焦る。
 後戻りするなら、今だ。





 「椎名くん、あたしと付き合わない?」

 そう声を掛けてきたのは、バイト先の同僚だった。カフェの有名チェーン店ならではの、今時の女子大生。茶色い巻き髪、濃いめのメイク、流行に乗った服装と、雑誌にでも出てくるような姿かたち。客からもバイト仲間からも人気があるようだった。たまたまシフトに入る時間が重なることが多く、他愛無い話(といってもほぼ彼女が一方的に話すだけで、俺は相槌を打つくらいだったが)をする仲だ。距離の近さや表情で、もしかしたらと思うこともあり、適度に流していたつもりでいたのだが、何かスイッチを押してしまったのかもしれない。
 店を閉めてバイトを上がる頃、二人同時に裏口を出たときに、不意に呼び止められて告白された。さらりとした口調だけれど、顔は真っ赤で、肩先が震えている。いつもなら、興味ないとか、ごめんとか言って考える間もなく断っていた。
 頭の中に浮かぶのは、海里の顔。
 このままだと俺は、あいつのことしか考えられなくなる。
 しかしそれは、恋だ愛だというより、ただの性的対象だ。海里がよくネタにしてからかってくるが、俺は実際女性経験が皆無だった。素人童貞ならぬ、女体童貞だ。目の前の彼女は、顔は悪くない。スタイルも良い。性格はよく知らないが、仕事の態度を見る限りは、明るくて人懐こい。

「いいけど」

 そこまで考えてそう口にすると、彼女は目を丸くした。

「ほ、ほんとに?!」
「ああ」
「あ、あ、ありがと!」

 信じられないとばかりに俺を見て、へにゃりと笑う彼女を見て、ちくりと胸を刺すのは罪悪感。
 だが、これで、大丈夫だ。
 きっとこの子と付き合えば、海里のことは上書きされて、若気の至りで済んでくれるはず、だ。






 ――だが、現実はそう甘くはなかった。

 付き合った日にスマホのアプリのIDを交換してからは、毎日毎日彼女からメッセージが届いて、正直げんなりした。世の中のカップルは、毎日こんなやり取りをしているのか。海里とのやり取りは「今日暇?」だとか「今から行くわ」だとか端的で用件のみを交わすことが多く、「今何してるの?」から始まって終わりの見えない会話に嫌気が差すのは早かった。
 バイトで会うときの彼女は、可愛かった。以前よりも少し態度がちこちなく、意識している様が伝わってきたからだ。同じ物を取ろうとして指先が触れ合ったときの反応は特に顕著で、耳先まで真っ赤にしているのを見たときは、ああ、きっとこの子なら大丈夫だ、と根拠もなく思った。
 バイト帰りに駅までを共に歩いて、彼女の方から控えめに、デートの約束とやらを持ち掛けてきた。頷くとすごく嬉しそうに笑うから、悪い気はしない。きっとこの先、彼氏と彼女として、日々を重ねていくのだろうと、そう思っていた。

 初めてのデートは映画を観てから、夕飯を食べ、夜景を見に行くというものだった。相変わらず彼女が色々な話をして俺は相槌を打つだけだった。夜景スポットでは、他にも多くのカップルがいて、きらきらと輝く夜の街を眺めている。彼女も嬉しそうに笑っていて、きっと、キスをするならこのタイミングだろうと思った。彼女も、それを待っている。
 手を伸ばして、頬に触れた。なだらかな線、柔らかな肌。彼女は少し驚いたようだったが、そこまで初心でもないらしく、瞼を伏せた。長い睫毛が影を作って、あと数センチで唇が触れ合うというときに、頭の中を過ったのは、よりにもよって親友の顔だった。
 ――そういえば、キスは一度もしなかったな。
 考えてしまえば、もう、目の前の艶のある小さな唇に、触れることはできなくなる。
 迷った後、人差し指で軽く触れて、彼女から離れた。不満げな声が聞こえてくるが、俺の心臓は別の意味で速く脈打っている。
 その日は、それで、家に帰った。





 「そういえばさー、彼女とどう? うまくいってる?」

 唐揚げ定食を頬張りながら、此方を見上げて問いかけてくる海里の無邪気さに、呆気にとられた。その後、ふつふつとした苛立ちが込み上げてくる。お前のせいで上手くいってない、と言えればどれだけ楽だろう。彼女が出来たと伝えても、目の前の俺を翻弄してやまない男は、何の変化も見せなかったくせに、こういうところでぶっこんで来やがる。

「なに」
「いや……」
「なんか変なこと聞いた?」

 即答できずに言葉を濁すと、顔を覗き込んでくる海里の視線から逃れるために顔を逸らす。彼女できたんでしょ、と追い打ちをかけてくる台詞に、鳩尾の辺りが重くなった。胃がむかむかして、今食べているカツカレーの味も何も感じない。
 ちらりと視線を流すと、海里は本当に不思議そうで、思わず重く深いため息が零れた。

「なんだよ」

 しっかり聞こえていたらしい海里の声に不満の色があるのに気付くが、俺は一度頷いた。目は、合わせないまま。

「うまくいってる」
「うまくいってるリアクションじゃねえじゃん」

 ああ、怒らせたな。
 海里が怒るのは珍しい。これ以上言うと、まずい。
 頭ではそうわかっているのに、止められなかった。

「お前なー、せっかくできた彼女だろ。大事にしてあげなきゃダメじゃん」

 そう窘める海里の声に、どうしようもなく、苛立った。
 俺が、俺が大事にしたいのは、――

「――お前に言われる筋合いはねえ」

 絞り出した声は、自分で思うよりも、突き放したものだった。
 海里が息を呑み、何か言い返してくるのが聞こえたが、もう顔を見ることができなかった。
 どうせ、傷ついて泣きそうな顔してんだろ、お前。



 それから数日後のことだ。
 大学を出るべく足を進めていると、「椎名くん!」と呼び止められた。高くて柔らかい声の主は、海里の彼女だ。茶色いボブカットがよく似合う、小柄の可愛らしい女の子。ピンクやパステルカラーの女の子らしい服を好んで着ていることが多い、所謂ゆるふわ系で、海里の好みの通りの子だと思う。どういう経緯で付き合ったのかは知らないが、大学に入ってから出来た彼女で、三ヵ月くらいの付き合いだったと思う。あいつの恋愛サイクルは、俺には理解できないほどに速い。
 基本的に大学では俺と一緒にいることが多い海里だから、何回か彼女とも顔を合わせることがあった。

「ん。どうした」
「突然ごめんね、ちょっとで良いんだけど、今時間ある?」
「ああ。……海里ならいねえぞ」
「うん。今日は椎名くんと話したくて」

 そう言う彼女の顔は、陰っている。無理して笑顔を作っているのが嫌でもわかって、話したいという内容にも見当がついた。小さく息を吐き、大学の中庭にあるベンチへと促す。季節の草花に彩られ、小さな公園のようになっている場所だ。講義の時間中ということもあり、今は人も少ない。
 自販機で買ったお茶のボトルを手渡して、俺は缶コーヒーを片手に、ベンチに腰かける。

「あ、ありがと。あの、あのね」
「ん」
「――海里くんが、最近、冷たいの」

 予想していた言葉とはいえ、音に乗ると、きついもんがある。
 俺は眉を寄せて、顔を上げた。空は、青い。からりとした晴天だ。

「何か、知らない? 椎名くん……」

 きっと彼女としては、藁にも縋る想いなのだろう。
 細い肩を震わせて、彼氏の親友に、相談するしかない状況。
 言い合って以来会っていない親友の顔を思い描いては、溜息を吐きそうになって、コーヒーと一緒に飲み込んだ。

「悪いな、俺は何も聞いてねえ」
「そっか……」
「器用な振りして不器用だから、他のことにいっぱいいっぱいなんじゃねえか」

 心当たりは、あると言えばある。
 また、胸の辺りがちくりとした。
 大きな瞳を泣きそうに歪めた後、彼女は、無理して笑った。

「やっぱり、椎名くんには敵わないな」

 私より詳しいね、海里くんのこと。
 そう言う声は震えていて、今度こそ、小さな溜息を吐いた。
 








 結局あれから、海里には完全無視をされている。わざとらしい避けっぷりに、寧ろ俺もほっとしている。今海里の顔を見たら、何するか自分でもわからない。
 彼女とは買い物をしたり、大学が近くということがわかったので一緒に帰ったりしているが、やはり手も繋げないままだ。しかし海里の件以来、早く彼女を抱かなければ、という焦燥感が生まれてしまった。彼女のことが抱ければ、俺はもう大丈夫。そんな思い込みが、確かに心の中にあった。何が大丈夫かなんて、知らない。
 その日はどちらもバイトがなかったから、互いの大学の間で待ち合わせをした。この後どうする、なんて会話をしていた最中、彼女の顔を見つめていたら、何を思ったのか彼女が顔を真っ赤にして俺の服の裾を掴んできた。身長差を埋めるように背伸びをして、「うち、来る?」と耳元で囁いてくるのは、きっと可愛い彼女の見本のような仕草なのだろう。
 邪な気持ち(性的という意味ではなく)しかなかった俺は、にべもなく頷いた。彼女が恥ずかしそうに、だが嬉しそうに笑うのに、ずきりと胸が大きく傷む。





 初めて入った女の子の部屋は、女の子の部屋の見本のような場所だった。いいにおいがするし、家具もパステルカラーが多くてカラフルだ。俺の部屋や海里の部屋と同じくらいの間取りの筈なのに、こんなにも違うものなのか。座ってて、と促されて、ピンクのクッションに腰を下ろす。ピンク色のローテーブルの上にお茶菓子が置かれて、温かい紅茶を入れてもらった。
 彼女が隣に座ったのを合図に、俺は意を決して肩に触れる。熱っぽく見上げてくる彼女の瞳に、期待しているのを知る。細い肩、柔らかい腕、大きな胸。動画で見たどの女優にも引けを取らない。柔らかくてふわふわしていていいにおいの女の子が目の前にいるのに、俺の手は上手く動かなかった。

「汀?」
「いや……」

 付き合うことになった次の週から、彼女は俺のことを下の名前で呼ぶようになった。どこかの誰かと重なるから正直止めて欲しかったのだが、「その方がカレシっぽいじゃん」と楽し気に笑う彼女のことを止められなかった。俺は未だ、彼女のことは苗字で呼んでいる。
 触れるのを躊躇っていると、何を考えたのか、彼女の方から抱き付いてきた。柔らかな身体を押し付けられて、息が詰まる。「なぎさ」と甘えた声で呼ぶのは勘弁してほしい。何故かって、あいつと重なるからに決まってる。
 ――ああ、これはもう。
 ――とうに、後戻りなんてできなかったのかもしれない。
 俺は、そっと彼女の肩を押した。

「ごめん」

 小さな謝罪に、彼女の顔が、歪む。すぐに俯いたけれど、その表情は、明らかに傷ついたそれだった。

「確かめてくる」
「え、ちょっと」
「ちゃんと、報告するから」

 これ以上、彼女を傷つけ続けるわけにはいかない。
 俺は立ち上がって、戸惑う彼女を残して部屋を出た。
 向かう先は、一つだ。
 ――全てを失う覚悟なら、出来た。








 海里はバーでバイトをしている。個人経営のこじんまりとした場所だからか、週三程度の出勤でも、それなりに金になるらしい。曜日も固定だったから、あいつの動向は把握しやすい。十九時という早い時間でも家にいるだろうと踏んだ俺は、迷わずに海里のアパートに行き、チャイムを連打した。一分一秒でも、惜しい。

「うるせー、今出ますよー」

 そう言いながらドアを開けた海里の姿を目にした途端、ぶわ、と言い様のない感情が腹の奥から込み上げてきた。上下共に灰色のスウェットで、気だるげな仕草には色気の欠片もない。しかし久し振りに見る姿と聞く声に、堪えることはできなくて、閉じられる前にドアの隙間に身体を捻じ込んだ。

「!? っ、な、なに、」

 驚く声すら鼓膜を刺激する。
 何気なくドアの鍵を閉めてからそのまま壁に押し付けて、躊躇いなく唇を奪う。硬くて艶のない唇は、けれど紛れもなく海里のものだ。潜もった声も、溢れる唾液も、全て俺のものにしたくて、夢中で舌を絡めていった。
 ――ああ、これが、初めてのキスだ。
 甘酸っぱくは全くない、しかし不思議と、後悔はない。







 なぎさ、と上擦った声が呼ぶ度に、言い様のない興奮が背中を駆け上がる。吐息混じりの声も、涙が滲んだ瞳も、肌に浮かぶ汗も、全てが俺の欲を煽ってきて、手を止めることができなかった。
 フローリングの床に押し倒されて、顔を赤くする海里の身体は、紛れもない男のものだ。ふわふわで柔らかい感触がない代わりに、硬くて平べったい胸の先を捉えると、甘い声で鳴きやがる。
 触ってすらいないのに、俺の息子はギンギンだ。
 ――そりゃそうだ、散々、頭ん中で犯した身体が、目の前にあるんだ。隅々まで弄って、鳴かせたくなる。
 戸惑って嫌がる海里を抑えつけて、無理矢理中に押し入った。直接感じる身体の中は前回と比べものにならないくらいに狭く、熱い。掠れた甘い声も吐息も口角から流れる唾液も震える肢体も吐き出される精液も、全部欲しくて、海里の中でイくと同時にきつく身体を抱き締めた。
 ――もう、誤魔化す気は、ない。







 バイトが終わった後、彼女よりも先に店を出て、出入り口の傍で彼女を待った。彼女の家から出た後は、連絡が来なかったし、今日のバイト中も変によそよそしかった。きっと、気付いているんだろう。裏口のある路地裏は薄暗い、ガチャリと音がして、店の裏口が開いた。

「あ、汀……」

 俺に気付いた彼女が驚いた声を上げる。戸惑ったように視線を逸らして、裏口のドアを閉めた。
 路地裏の先に続く大通りは明るくて、未だ人の通りがある。だが、今ここには、二人しかいない。
 彼女の前に行って、深く頭を下げた。

「悪い」
「え、なに」
「別れてくれ」

 彼女の声を掻き消して口にした言葉は、思いのほかはっきりとした語調になった。息を呑む音が聞こえる。返事があるまでは頭を上げないつもりで、拳を強く握った。

「いいけど」

 耳に入った声が予想外のもので、思わずすぐに顔を上げてしまった。顔を逸らした彼女の瞳には水分が溜まっていて、細い肩は震えている。すん、と、鼻を啜る音が聞こえた。

「覚悟してたから」

 震える声で言うと、彼女は、口許だけで笑った。

「ていうかさ、別に、あたしのこと好きじゃなかったでしょ。一緒にいればわかるし、つうかキスすらしないとか、部屋に上がって何もしないで逃げるとか在り得ないからね。ゲイかと思った」

 早口で紡がれる言葉は、ずっと抱いていた俺への不満や疑問だろう。何も言い返せない。最後の疑惑にも何も言い返せないが、俺が反応するのは男の中でも海里だけだ、とこっそり反論はしておく。「でも、」と、彼女が続けた。

「あたしが汀、……椎名くんのこと好きなのは、本当だから。短い間だったけど、恋人になれてよかった。ありがとうございました!」

 そう言って勢いよく頭を下げた彼女が、顔を上げる頃には、笑おうとして失敗した泣き笑いが見える。頭を撫でそうになったが、きつく指先に力を込めて、堪えた。

「いい女だから、もっといい男見つけて幸せになってくれ」
「なにそれウケるっていうか残酷。ねえ、一つだけ教えて」
「何だ」
「好きな人、いるの?」

 涙目で見上げてくる彼女の問いかけに、瞳を瞠る。
 頭の中に浮かぶのは、バカでチャラい親友の笑顔。
 今までは、何とか掻き消して、誤魔化そうと試みていた。

「ああ」

 しかし今は不思議と、すっきりと認められる。
 ――俺は、あいつが好きなんだ。

「どんな人?」
「バカでチャラくて調子が良いし色々軽い」
「最低じゃん」
「だろ。でも、俺にとっては最高なんだ」

 瞳を細めて告げると、彼女が小さく息を呑んだ。そして、大きな息を吐き出す。

「椎名くんのそんなに優しい顔、初めて見た。絶対敵わないな、その人には」

 そう言う彼女と、海里の彼女が、何となく重なった。
 彼女はすっかりと涙の消えた顔で笑って、俺の腕を肘で突いてきた。

「このあたしを振ったんだから、幸せになんなきゃ許さないからね!」

 ああ、そのつもりだよ。
 







 その次の日、大学で会った海里に、彼女と別れてきたぞ、と報告すると、さあ、と真っ青になった。「えっ、なに言っ、まじ、えっ、え!?」という混乱と動揺が面白くて暫く眺めているが、俺から距離を取って逃げているのに気付いて腕を掴んで引き寄せる。

「ちょっ、ばかお前ここ学食!」
「こないだのこと夢だったら良いなとか思ってんだろ」
「おおおおもってましたまさに!」
「残念現実でした」
「無慈悲すぎる!」

 後ろから抱き締めて耳元で囁いてやるとぞわぞわと鳥肌を立てるからわかりやすい。学食には人も多いが、じゃれついているとでも思われているのだろう。同じゼミの佐東たちは、「お前らやっと仲直りかよー」「よかったなあ椎名」「でも熱烈過ぎ」なんて茶々を入れては自分たちの昼飯を手にしてテーブルへと戻っていく。

「俺を幸せにしてくれ、海里」
「絶対無理! です! 他当たって!!」

 意固地になった海里を素直にさせるのは、大分骨が折れそうだ。
 五回目、に至るのはまだ遠そうだが、こうして傍にいるだけでも、幸せには違いない。




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