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天才パティシエ!

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 放課後、帰り道。

「ハァ……」

 これから予備校だというリカっちと十字路で分かれたあたしは、深いタメイキをついてた。その息が、冬の夕暮れのなかでちょっとだけ白く染まって……わたがしみたい。けど……。
 あたしの心もわたがしみたいに軽かったら、よかったのにな。

 こんな日は、「あそこ」に行くに限る。
 あたしは、方向転換した。

 足が、もう道を覚えてくれている。たんたんたん、って高校生っぽい茶色いローファーが、イルミネーションの光の眩しい住宅街に街音を立てる。

 寒くって、ベビーピンクのマフラーを寄せて上げて、ぶるり。
 もう、冬、なんだ。そう、……高二の冬。

 きょうも、進路についての特別授業があった。
 年明けには、進路希望を提出しなくっちゃいけない……。


  進路、かあ。


 パティシエ志望、ってあたしは家でも学校でも言ってるし、それを隠してはいないつもりだ。

 けど、あたしのクラスは、きっとほとんどが大学や短大に進学する。
 あたしも当然そうするんでしょって思われてる、と思う。お姉ちゃんだって、大学生だし。

 大学。べつに、不満があるわけじゃないけど……
 大学だとスイーツの勉強って、ふつう、できないよね。

 お姉ちゃんは、ぜんぶ言わなくていいんだ黙っとけばいいなんて言うけど、こちとら高校生の身分でさ、好きな調理器具とかキッチンに置かせてもらうんじゃ、そんなのバレるに決まってるじゃん。

 っていうか、っていうか! そのついでにムカムカ思い出すけど。
 あたしは、お姉ちゃんがスイーツ嫌いだってことが、ほんっとに理解できない。食べ物の好みなんて、それぞれ。わかってるよ。あたしだって、お姉ちゃんがなんにでもタバスコかけまくるのほんとに理解できないもん。

 好き嫌いは、しょうがないよね、でも。
 あたし、ほんとにもったいないと思う。お姉ちゃんって。
 甘いものの美味しさを知らないだなんて!


「……お姉ちゃんにもおいしいスイーツ。作れたら、あたしは天才パティシエだなあ」


 あたしはしんどく呟きながら、タン、と足を止めた。
 ごくふつうの住宅街の真ん中に、「そのお店」はある。


 ――「カフェ・ド・ブリュレ」。


 フランス語でそう書かれた、焦がしたブリュレの色そのまんまの、きれいなクリームイエローの看板が目印だ。


 カランコロン。


 お店の扉の鐘が、かわいらしく鳴る。あたしの来店を歓迎してくれてるみたい。

 あっ、クリスマス仕様になってるー。赤と緑のりぼんだ。かーわいい!

「……おっじゃましまあーす……」

 あたしはこそっと顔を出して、そろそろっと店内に入った。
 あっ、ヤマしいこととかがあるワケじゃないからね。
 ただ、あたしにとって、このお店って……ほとんど聖域みたいなものなんだ。



 店内では前のお客さんが買い物をしていた。お客さんの女のひと、背中だけだっていうのになんだかほくほくとしてるのが伝わってくるようで、さ。
 どれどれ、お相手をしてるのは、っと――あれ? あの男性の店員さん、見ない顔……。


 はて、とあたしは首をひねった。


 このお店の店員さんのことなら、あたし、全員欠かさず顔と名字と好みのスイーツ把握して――って、別にストーカーとかじゃなくってね!?

 このお店は――超一流パティシエたちにも全員、接客や店内清掃をやらせることで有名だ。
 キビシーって思うけど、なにせ店長さん本人が率先して笑顔をふりまいてるから、ほかのひとたちもそうせざるをえないんだって。


 ……ってことは、新入りかぁ。うむうむ、などと、何様? って感じであたしは腕を組んでうなずいた。


 前のお客さんが「ありがとうございます」と嬉しそうに言って、帰っていく。


 笑顔で見送るエプロン姿の金髪の彼は――あれ、カッコいいじゃないの……。
 けど、それならなおさら、あたし、……あなたの名前よりもまず、あなたの好きなスイーツのことが知りたい!

 あたしの視線に気がつくと、新入り店員はにこっと微笑みかけてきた。
 あたしもぺこりと頭を下げる。


 レジと、ケーキコーナーの距離感。


 彼は線が細いタイプで、笑うとカワイイ感じになる。
 イケメンはイケメンなんだけど、なんかひょろひょろと気が弱そうでだいじょうぶかなって勝手ながら思った。

「なにか、お探しですか?」
「あ、あの。……お兄さんは新入りですよね?」
「……え?」
「あ、あ、えっと。その。ちがくてっ。べつにあたしストーカーとかじゃなくてっ――」
「……ストーカー、なのですか?」
「ではなくっ。なんと言いますかその、そう! このお店のファン、です。そして、スイーツのファンです!」

 店員さんは怪訝そうな顔をしたけど、あたしの語りは止まらない!

「このお店ってカフェ・ド・ブリュレさんっていいますよね、けどブリュレだけじゃなくて、なんでもとっても美味しくて、あまーいんです。あたし、小さいころから甘いものって大好きで。パティシエになりたい、って……小さなころから思ってました。それで三年前、あたしが中学生のときにカフェ・ド・ブリュレさんができて――あたし、もう、おこづかいつぎ込んで週二は通っちゃってます、スイーツ課金ですね、なんちゃって、えへへ。

ここのスイーツが、ちがうのは、わかりますから。……あの、それなんで、よろしくお願いしますっ。あなたは――なんのスイーツの担当ですか?」


 あたしは、にっこり。
 ……にっこり、した、のに。

 店員さんは――なんだか一変して、ものすごくコワイ顔をしていた。


「……そういうのは、店の仕事です」


 え。なんで!? ナンデ!?
 何で、このひと……怒ってるワケ!?
 なんか絶対零度急降下、ってカンジ。

 あたしもテンパって自分でなに言ってんのかよくわかってないから!

「そ、そうですよねそうやってお店のことはパティシエさんがお店のひとだから考えるんですもんねっ!」
「と、いいますか!」
「ひゃあっ!」

 やっぱりあたし、なんかもうなに言ってるのか、ワカンナイぞっ! 自分で!

「僕はお客さんにはスイーツのことだけを考えていてほしい……!」

 わ。

 えっ?

 んんん?


 あたし、きょとん。

 目がきっと、点ですよ、いま。


 あたしはソローリと自分の顔を自分で指さした。


「……あたしなんかもうずーっとずうううーっと、スイーツのことで頭いーっぱいですけど……? え? っていうか、あたし、なんかしました? っていうか店員さんなんか怒ってました?」

 はてなマークだらけのあたし。
 店員さんはばつが悪そうにあたしから視線をそらしてポリ、とイケメンな頬をイケメンな指で軽くひっかいた。
 おおう。……イケメンパティシエは、なんでも画になって、良いですなぁ。


 バタバタバタバタ……バタンッ!

 店長さんが、勢いよくあらわれた。
 ふだんは仏像のように目が細いのに、いまはクワッと覚醒してる。般若みたい、ってゆーんだって。こーゆーの。お姉ちゃんが教えてくれた。まあお姉ちゃんは鬼姉だけど。

「こらぁ、ミカド! いまだれになにをぉ、怒鳴ったぁ!」
「えっ、ミカド? エンペラー?」
「……ってなんだい、ココちゃんじゃないのぉ。いらっしゃぁい」

 店長さんはふだんの仏像の顔になってくれた。ありがたやー……。
 とか思ったらまた般若になった。

「ミカド! てめ、もしかして、心音の嬢ちゃんに怒鳴ったのかぁい!」
「……いえ。自分は怒鳴ってなど……」
「じゃあさっっっきの声はなんだよぉ、あぁん?」
「あ、あの、てんちょさん。あの、あたし、怒鳴られてたってか、ミカドさん? と、スイーツ談義が盛り上がりすぎったっただけっていうか。……ねっ、ですよねっ、ミカドさん?」

 ミカドさんはまたしてもばつの悪そうな顔であさっての方向を見た。

「ミカドおおお! おま、なに高校生の女の子にかばわれてんだああああ!」
「……かばう、ときましたか。いやあ、困りましたねえ」

 ミカドさんは、あたしの顔を真正面から見て、
 めっちゃまぶしく、かっこよく、
 すっごく素敵な商売スマイルで、笑ってくれた。

「……スイーツのことで頭がいっぱいなのに、かばってくださったんですか?」


 ひそひそひそひそ。


「てんちょさん。なんですか。このひと」
「ううん。なんなんだろうなあ。俺もよくわかってねえんだよ。ただ、天才ブリュレパティシエってことでさぁ」

 ミカドさん、スマイルのままだ。

「……まァ、ブリュレの腕は超一流だ。態度はこんなんだけどな……」
「そもそもスイーツの神職であるパティシエに他の業務をやらせるなど……」
「こんな調子なんだ。ごめんなぁ、ココちゃん。おいミカド、このコは常連の高校生の心音ちゃん。ちゃあんと覚えとけよお」
「はあ。なんで接客まで……って」


 あたしはめっちゃキラキラした目で両手を握り合わせてミカドさんを見上げていた。


「天才パティシエ、なんですかっ?」
「は?」
「ミカドさんって天才パティシエなんですか!?」
「は、え、あっ、ちょ、近い、近いですから常連の高校生の心音さん」
「……ああ。そいつは、パティシエとしては、天才だよ。間違いねえ。日本じゃかえってまだ知られてねえが、本場だと、すごいんだぞ」
「すごい! すごいです……! お願いがあります。あたしを、弟子にしてくださいっ!」


 ぺこりっ!


 弟子ぃ? と、ミカドさんは露骨にイヤな顔をした。



 店長さんが慌てて、とりあえず詫びさせるから、とミカドさんの頭をひっつかんで、下げさせた。
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