白に染まる

スカートの中の通り道

文字の大きさ
上 下
29 / 32

第二十九話 白色

しおりを挟む
 その日から、ノートを通じた文通が始まった。
 期間は、ありさ先輩の体調が回復するまでの数日間。それほど長い時間ではなかったけれど、その数日は僕にとって特別な時間となった。これまで決して口にできなかった気持ちを、ようやく言葉にして伝えることができたからだ。
 文通の始まりは、僕の謝罪からだった。でも、だらだらと長い言い訳を書くつもりはなかった。このノートは過去を蒸し返すためのものじゃない。新しい時間を始めるためのものだと、自分に言い聞かせた。だから、ごめんなさいという一言と一緒に、今の僕が本当に書くべき言葉を添えた。
 その大切な言葉というのは、
『本当のありさ先輩が知りたいです』
 この一言に、僕の想いをすべて込めた。憧れだけじゃなく、もっと深く、先輩の強さも弱さも、迷いも覚悟も全部知りたい。先輩のことを理解することで、自分自身を見つめ直すことにも繋がるからだ。
 その後、返事が返ってきた。少し緊張しながらページをめくると、最初に目に飛び込んできたのは、僕と同じごめんなさいという言葉だった。その文字から読み取れるのは、ありさ先輩らしい真面目さと、どこか迷いのようなものだった。そしてそのすぐ下に、こう綴られていた。
『私も、もっと素直な自分を知ってほしい』
 その言葉を目にした瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。
 もっと素直な自分を知ってほしい……。その言葉が何を意味するのか、すぐにはわからなかった。けれど、それが特別な思いから来ていることだけははっきりと伝わった。ノートを通じて、僕たちはただ相手のことを知るだけではなく、お互いに自分自身とも向き合っているのかもしれない。
 僕はページを閉じる前に、深く息を吸い込んでノートを胸に抱えた。ありさ先輩がこんな言葉を書いてくれたことがただただ嬉しくて、心の中には温かな気持ちが広がっていた。
 正直、もっと違う反応が返ってくると思っていた。たとえば、こんな文通なんてしたくないとか、この前の態度はどういうつもり? みたいな厳しい言葉が並んでいたらどうしようと不安でいっぱいだったんだ。
 心のどこかで、怒られるんじゃないかってビクビクもしていた。でも、先輩から返ってきたのは、全く予想していなかった言葉であり、それと同時に僕は気づいたんだ。やっぱり先輩も僕と同じで、内にたくさんの思いを抱えていたんだということを。無理に言葉にしないだけで、僕と同じように心の中で葛藤している。その発見が、僕の胸に深く響いた。
 それから僕たちのやり取りは少しずつ変わっていった。何気ない言葉の中にも、自分をさらけ出すような内容が増えていった気がする。楽しかったこと、恥ずかしかったこと、ちょっとした失敗や、普段は隠してしまいそうな弱音も。
 ノートに書く言葉の一つひとつが、まるで僕たちの間に一本ずつ橋をかけるようだった。その橋はお互いの心をつなぎ、今まで見えていなかった景色を見せてくれる。
 こうして僕たちは、ノートに書いた文字の数だけ、未来に進むための道を少しずつ作り上げていった。気づけばその道は、まっすぐどこまでも続いているように思えた。
 でも、やりとりを何度か重ねるうちに、思わず笑ってしまう場面もあった。まだお互いほとんど話したことがなかった頃の印象について書き合うことになったとき、ありさ先輩の言葉に僕は目を丸くした。
『実は、体育館裏でいつも一人でいるのを見てたんだよね。暗くて陰険そうで、背中には哀愁が漂ってて……。だから正直、絶対この人と友達にはなれないって思ってた』
 その文字を読みながら、さすがにこれはちょっと失礼じゃないか、と思いつつクスッと笑ってしまった。
 それから僕も、ならばと思い、負けじと反撃することにした。
『それならありさ先輩だって、自分勝手で、頭でっかちで、周りを全然見てないくせに、いじっぱりで……本当に頑固ですよね』
 次にノートが返ってきたときには、大きな字でこんな返事が書かれていた。
『それ、本気で書いてる!? 私、そんなにひどいの!?』
 どうやら、全く自覚がなかったらしい。僕はここでも笑ってしまった。
 その後、僕の一言がきっかけとなり、まるで子どものケンカみたいにノート上での言い争いが始まった。
『いや、本気で思ってましたよ! いつもいつも。特に自分勝手なところは凄く!』
『何それ、そっちだって都合のいいところだけ偉そうにして! ちっとも男らしくないじゃん! 普段はなよなよしてるくせにさ!』
『そっちもですよ! 人に指図するの好きですもんね!』
『だってそれ、当然でしょ。正しいと思ってるんだから!』
『だからそれが頑固だって言ってるんですよ!』
 次第に、一言でページが埋まるくらい文字がどんどん大きくなっていって、それが面白くて、多分僕たちはノート越しにケラケラ笑い合っていたと思う。
『でも、お互いにこうして話せるようになったのは、結構奇跡ですよね』
 それはある日、何気なく書いた言葉が始まりだった。
『うん、本当にそう思う。……ありがとう、みっちゃん。この一年間、いつもそばにいてくれて』
 先輩からの返信にそう書かれていた。その文字は、なんだかいつもと違うように思えた。より丁寧で、どこか特別な思いが込められているような気がした。
 僕はその文字を見た瞬間、ノートをパタンと閉じ、衝動的にスマホを手に取った。なぜなのか自分でもよくわからない。ただ、怖くて胸が急に押しつぶされそうになったんだ。
 コール音が鳴る間、手の震えが止まらない。やっとつながった先輩の声に、僕は息を呑んだ。
「もしもし……みっちゃん……」
 何度も聞いたはずのその声が、今はまるで違って聞こえた。柔らかくて、少し不安げで、それでいてどこか温かい。この瞬間ほど、先輩の声が愛おしいと思えたことはなかった。
「あ、先輩……」
 言葉がうまく出てこない。鼓動が速すぎて、胸の中で鳴る音が邪魔をする。けれど、その音が背中を押してくれている気もした。
「僕は……ありさ先輩が好きです! やっぱり……どんな時でも、どんなことがあっても、うまく言葉にできないけど……ありさ先輩と、もっともっと一緒にいたいです」
 声が震えていたかもしれない。それでも、はっきりと伝えた。その瞬間、自分がどれだけこの気持ちを溜め込んでいたのかを痛感した。ノートに書いてきた何百、何千もの言葉が、たった一言に凝縮されたみたいだった。
 それに、なぜだろう。もっと一緒にいたい、その言葉が、好きという言葉よりも僕らしい本音のように思えた。
 これまで、何度も自分の気持ちをノートに綴った。それを先輩に読んでもらって、時には軽くからかわれたり、真剣に応えてくれたりした。いや、ノートで伝えたものとは全く違う。自分の中にある全てを絞り出したみたいだった。
 きっと……本当の意味で、僕はありさ先輩を知ることができたからなのかもしれない。
 勢いで放った言葉が、電話の向こう側の静寂に溶けていく。鼓動だけが耳に響いて、時計の針の音がやけに大きく聞こえる。
 沈黙が続く。数秒か、あるいはもっと長く感じたかもしれない。息をするのも忘れるほど、空気が張り詰めていた。そして、
「……ふふっ」
 電話の向こうから、先輩の小さな笑い声が聞こえた。驚いて固まった僕は、次の言葉を待つしかなかった。
「ごめんね、みっちゃん。急に笑っちゃって。でも……なんだか本当に、みっちゃんらしいと思ったの」
 先輩の声は穏やかで、少しだけ照れているようにも聞こえた。その言葉に、不思議と緊張がほぐれるのを感じた。
 僕は勇気を振り絞り、深呼吸をしてから、もう一歩踏み込むことに決めた。
「先輩、今度……会えませんか? 二人で、デートしたいです!」
 思い切った言葉に、沈黙が流れた。その後、少しの間があってから声が返ってきた。
「デート……いいよ。でも、ちゃんとプラン考えておいてね」
 その声には、小悪魔的な響きがあった。まさか、こんなにあっさりと返事がもらえるとは思っていなかった僕は、一瞬驚き、その後込み上げてくる嬉しさに耐えきれず、声を上ずらせてしまった。
「え、ほんとですか?」
「うん。でもね、みっちゃん。初めてのデートだから、私の期待値は高いよ」
 その言葉に含まれた挑戦的なニュアンスに、僕はますます身が引き締まる思いがした。先輩が期待している以上のデートを計画しなければ、と思うと同時に、そこに含まれる先輩らしい可愛らしさに、自然と笑顔が浮かんでいた。
「もちろんです! 必ず楽しんでもらえるようにします!」
 勢いよく答えると、先輩はふわりと笑って、楽しみにしてるねとだけ言い残し、通話を切った。
 スマホを置いた瞬間、僕は大きく息を吐き出し、思わず天井を見上げた。胸の中で渦巻く緊張と嬉しさが、身体を宙に浮かせるような感覚を生む。

 ーーこれからなんだ。

 その思いを胸に、机に向かう。ノートを開くと、白いページが目の前に広がった。けれど、今回は先輩への思いを綴るためではない。この新しい時間を、最高のものにするための計画を書くためだ。
 どんな場所がいいだろう?
 どんな話題を用意すればいい?
 先輩が喜ぶのは、どんな瞬間なんだろう?
 頭の中に浮かぶ無数の問いかけが、次々とページに形を成していく。ふと目を上げると、壁のカレンダーが目に入った。八月の数字があと数日を残すのみで、季節は夏の終わりを告げようとしている。少し開けた窓から流れ込む風が、どこか涼やかな匂いを運んできた。
 思い返せば、この一年間は本当に波乱万丈だった。嬉しいこともあれば、苦しくて泣きたくなる夜もあった。いくつもの感情に振り回されながら、僕はここまで走り続けてきた気がする。それでも、心の片隅にはまだ拭いきれないもやもやが残っている。
 置き去りにしてきたもの、曖昧に片づけたままのこと……。犬絵や玉津、和志との関係もその一つだ。ふとした瞬間に胸の奥を締め付ける。あの時、もっと素直になれていたら。僕にもっと勇気があれば、違う結末があったのかもしれない……そんな後悔が、また脳裏をかすめる。
 僕は思い切り頭を左右に振った。
 だけど、今は違う。今の僕には、目の前にある大切な時間に全力を注ぐしかない。

 ――この夏の最後に、先輩と特別な時間を過ごすために。

 深呼吸をして、目の前のノートに視線を戻す。握ったペンが少しだけ震えるのを感じたけれど、心の中に迷いはなかった。
 僕はペンを走らせた。紙の上に刻まれる言葉が、ひとつずつ新しい未来のかたちを描いていく。その瞬間、不安や過去の後悔は小さくなり、胸の奥に熱い情熱が宿るのを感じた。
 次のページには、どんな景色が映るだろう。きっと、それはこれまでのどんな物語よりも色鮮やかで、心を震わせるものになるに違いない……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

ビキニに恋した男

廣瀬純一
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...