白に染まる

スカートの中の通り道

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第二十四話 行き場のない想い

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 その後も、僕とまりあさんの会話は途切れることなく続いていた。まりあさんは相変わらず、シャツとパンツ一枚という無防備な格好をしていて、僕は心の中で一人悶々としながら視線をそっと横に滑らせてはその姿を盗み見てしまっていた。
 やがて会話が一区切りつくと、まりあさんがよいしょっと声を上げて立ち上がり、夕食の準備のためキッチンへと向かった。気づけば、時計の針は午後四時を指しており、依然として雨は降り続いているけど、確かに夕方の気配が部屋に漂い始めていた。
 まりあさんの後ろ姿……いや、その魅惑的なお尻とパンツをぼんやりと見つめていると、突然廊下からドアが開く音がして、僕は反射的に身構えた。
 奥から現れたのは、倦怠に満ちた体を引きずるありさ先輩だった。僕はすぐに駆け寄りその体を支えようと手を伸ばしたが、先輩は何も言わずにそれを軽く振り払い、ゆっくりとソファに腰を下ろした。
 僕はどうすればよいのかわからず、ただ気まずい空気に身を委ねて立ち尽くすしかなかった。そんな張り詰めた空気を破るように、まりあさんがわざとらしく声を上げた。
「あらヤダ、調理酒がないじゃない。もう、私ったらおっちょこちょい。急いで買いに行かなくっちゃ」
 そう言いながら、まりあさんは僕に意味ありげな視線をちらりと送り、手早くズボンをはいて家を出て行った。玄関のドアが閉まる音が静かに響いた瞬間、室内の空気は一層冷え込み深い沈黙が流れた。
 僕は、ぎこちなく先輩の隣に腰を下ろす。でもそこには、一定の距離感があって、今の僕とありさ先輩の現状を表しているかのようだった。
「……えっと、気分はどうですか?」
「……」
 無反応のまま先輩はきゅっと唇を結び、暗鬱な横顔を僕に見せている。僕は焦燥を押し隠しながら、言葉を続けた。
「……寒くないですか?」
「……」
「何か、飲みますか?」
「……」
「お腹は減ってないですか?」
「……」
 ただ一方的に僕が問いかける、空虚なやりとりだった。
 時計の針は冷徹なほどに淡々と進み、秒針が刻む音だけが部屋の静寂を支配していた。胃が痛むほどの緊張感が僕を包み込み、その場の重圧に押しつぶされそうになりながら、ついに言葉を絞り出した。
「……怒ってます……よね?」
 その問いに、ありさ先輩は一瞬の躊躇も見せずに答えた。
「うん」
「あっ、はは……そうですよね……」
 自嘲するような、乾いた笑いが口からこぼれ落ちる。無力感が全身に染み渡り、今すぐにでもこの場を逃れたいという衝動に駆られた。しかし、そんな衝動はすぐに打ち消された。この重い沈黙と険悪な空気を生み出したのは、他ならぬ自分自身の選択の結果だ。ありさ先輩をこんな表情に追いやったのは、僕のせいなのだと痛感した。
 僕が俯き、視線を床に落としていると、
「まず……」
 先輩の低く震える声が耳を貫いた。ゆっくりと顔を上げると、その瞳はまるで深い夜の闇のように哀しみと怒りを宿していた。それは普段の先輩からは想像もできない鋭さで、体育館での出来事が蘇る。
「説明してよ。何があったのか」
 その一言には、疑問以上に切実な訴えが込められていた。僕は息を詰めて、震える胸を押さえるように一度深呼吸をした。そして、昨日の電車内での犬絵とのやり取りをすべて包み隠さずに語った。

 それから、おそらく数分ほどだろうか……。僕が説明を終えると、ありさ先輩の表情には一瞬翳りが走り、その後押し寄せてきたのは明白な悔しさと深い失望の色だった。瞳は鋭く光り、唇は微かに震え、心の中で湧き上がる怒りをかろうじて抑えているのが見て取れた。やがて先輩は、絞り出すように低い声で呟いた。
「じゃあ、全部知ってるんだ……」
 その全部が何を指しているのか、明確にはわからなかった。しかしその言葉の裏に潜む感情は、肌に刺さるように伝わってきた。僕は自分の内に渦巻く罪悪感を押し殺し、真摯な気持ちを込めて先輩の横顔を見つめた。
「ただそれでも、あのとき言ったように僕は何も変わっていません。ありさ先輩を好きな気持ちも、憧れも、尊敬も……そして、優勝を目指して一緒に頑張りたいという気持ちも……」
 僕の言葉に、先輩の表情が怒りに染まった。その目の奥で炎が燃え上がったかのように。
 突然、先輩は声を張り上げた。
「だったら……どうして!」
 その言葉が空気を切り裂いたと同時に、胸を締めつけるような沈黙が部屋に広がる。僕は喉の奥が痛むのを感じながら答えた。
「でも……やっぱり僕にはできないです。好きな人を傷つけてまで、手にしたいものなんてないですよ……」
 しかし、僕の声が消えた瞬間だった。ありさ先輩の顔が赤く染まり、肩がわなわなと震え始めた。抑えきれない感情が限界を超え、言葉が爆発する。
「ねえ……知ってる?  今日、何があったか。みっちゃんは傷つけてまでって言ったけど、そのせいで誰がどれだけ傷ついたか、わかってるの?」
 僕は意味がわからず、呆然とする。
「ほとんどのメンバーが来なかったんだよ!  レギュラーも、サブも、ほとんど!」
「え?」
 信じられない事実に、思わず間の抜けた声が漏れる。僕の胸に突き刺さるような静寂が再び訪れた。
「会場に行ったのは、先生と私と、一年生の子たちだけだったんだよ!」
 その言葉に、僕の全身から血の気が引いた。
 ありさ先輩は涙ぐみながら訴えた。その震える声には、今まで抑え込んできた様々な痛みが詰まっていた。
「……頑張ったんだよ、私たち。必死になって、最後まで……笛が鳴るその瞬間まで戦ったんだよ?  でも、無理だった……。今まで見たこともないくらいの点差で負けて……そしたらお客さんからも色々と言われて……。何の関係もない子たちまで、傷つけちゃった……。それに……私だって……」
 そのとき、ついに先輩の涙が堰を切ったように溢れ出し、頬を伝って次々と滴り落ちた。その涙は、押し込めてきた感情が一瞬で解き放たれた証だった。
「ねえ! それでも傷つけずになんて言えるの!」
 その言葉は、僕の胸を突き刺し、返す言葉を奪った。
「私……今すぐに……みっちゃんのことを嫌いになりたいよ……」
「先輩……」
 震える声で名前を呼んでも、虚しく響くだけだった。
 苦しくて息をするのもやっとの中、先輩は涙に滲んだ瞳で僕を睨むように見つめた。その目は怒りと悲しみ、絶望がぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。
「お願い……帰って……。みっちゃんの顔、見たくない……」
 その一言は、これまでの僕をすべて否定するかのように、重く、痛く響いた。胸が引き裂かれるような感覚に、視界がじんわりと暗くなるのを感じる。
 心の中で、何本もの糸が切れかけるのをかろうじて繋ぎ止めながら、僕は重い足を引きずるようにして玄関に向かった。その瞬間、タイミングよくまりあさんが帰ってきた。
「ただい……」
 まりあさんの声が耳に届く前に、僕はそれを無視し、勢いよく外に飛び出した。
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