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始まり、そして再会のとき-完
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さっきの腹いせと言わんばかりにぐいぐいと背中を押されて、思わず顔を歪めた。僕はあまり体が柔らかい方ではない。痛いとは言いたくなくて、必死に体の力を抜く。
「ねぇ、祐樹先輩」
思ったより近く、顔の横から海斗の声が聞こえて、心臓が跳ねた。耳元をくすぐる息がくすぐったい。
「な、に?」
痛いのと驚いたのと、ほんの少しどきっとした感情がない交ぜになったまま答える。悪戯っぽい声に、嫌な予感しかしない。
「祐樹先輩って、俺に奈海のことを重ねてみてるでしょう」
指摘された事実に心臓が跳ねる。海斗だと思いながら、奈海のことを度々思い出していたのは事実で。
「まぁ全部ではないと思いますけど、それでも俺はちょっぴり悔しいんですよ」
悔しい? 言ってる意味がよくわからなくて沈黙していると、今度はゆーっくりと体重を掛けてくる。
「本当は、奈海より先に会ってるのに」
予想もしない言葉に顔だけで振り向くと、海斗はまっすぐな視線を僕に向けていた。まるで、僕しか見えないと言わんばかりに。
「覚えてないですよね。祐樹先輩は」
「ごめん」
全く覚えていない。責めるでもなく諦めきったその様子に、罪悪感だけが募っていく。
「合同練習のために行った翠前高校で迷子になった僕たち陸上部を、祐樹先輩は部活を抜け出してまでグラウンドまで案内してくれました」
ピンとこない様子の僕に、海斗は言葉を続ける。
「暑い夏で、移動中に熱中症になってしまったのを一目で見抜いて保健室にも。ーー時間ギリギリで焦っていた俺たちにとって、祐樹先輩はまさに救世主でした。どうしたの? そうかけてくれた声が、どれだけ安堵させられたことか」
そう言われればそんな出来事もあったような気がする。けれど、そこに海斗がいたかどうかは思い出せない。
「それからは翠前高校に行くたびに、祐樹先輩を探したんですが会えなくて」
「僕を探してたの?」
荷重がなくなり体を起こす。体は楽になったものの、心はザワついたまま。背中に添えられている海斗の手は小さく震えていた。
「ええ。お礼と、また……声が聞きたくて」
耳を澄ませなければ聞こえないほどの小さな声は、とても切なげだった。
僕は全く覚えていないのに、海斗はそこまで熱心に探していてくれたのだと思うと、心苦しい。申し訳なさから、床に視線を落とした。
「奈海から新しくできたという彼氏の写真を見せられた時は驚きました」
「ちゃんと言ってくれれば会えたのに」
辛うじて絞り出した言葉も、海斗は即座に否定する。
「言えませんよ。俺がずっと会いたくて声が聞きたくて求め続けたのに、やっと会えたときにはもう他の人のものなんですよ」
まるで恋の告白のような言葉に、胸が締め付けられた。
「実際、再会したときに祐樹先輩は俺のことを覚えていなかったでしょう。だから、俺も何も言いませんでした」
海斗に会ったのは一回きりだから、いつのことを指しているかはすぐにわかった。奈海を待ち合わせ場所まで送ってきたときのことで間違いない。
「けれど、二人が別れた今なら、もう遠慮することはありません」
「遠慮?」
「はい。家族である奈海から、恋人を取るのは憚りますから」
視線をあげると海斗は苦笑してみせる。だが、その瞳の奥は苦しみに満ちている。一体どんな思いで僕と奈海が付き合っているのをみていたのだろうか。
言葉の意味を理解しきれないうちに言葉は続く。
「きっと祐樹先輩は俺のことを奈海の弟としかみていないでしょう。もしくは奈海のそっくりだと」
「そんなことは」
「いいえあります。まだ、祐樹先輩の俺を見る視線の前には、奈海が見えているはずです」
確信をもって言われると、否定しきれない。よくよく考えなくても、海斗を見るたびに奈海の影がチラついているのは事実だった。
「だから、手始めに祐樹先輩って呼ぶことにしたんです」
そう言われればそうだ。奈海のことを唯一思い出させない点がそこだった。
「奈海が、名字で呼んでいたから?」
「そうです」
ストレッチの終わりを告げる笛が鳴り、海斗は僕から手を離した。ようやく体ごと海斗のほうを向き直る。改めて見たその表情は愁いに満ちていて、さっきまでの冷静な声は平静を装っていただけだと悟る。まるで泣きだす寸前の海斗に、このままじゃダメだと咄嗟に理解する。立ち尽くしていた海斗を抱きしめると、驚いたように逃げようと身を捩る。僕は逃がすまいと力を込めて引き留めた。
「ごめんな、海斗」
暴れようとしていた海斗にその声は届いたらしく、ぴたりと動きが止まる。
「……ずるいです」
少しして絞り出された拗ねた声に、どうしたら機嫌が戻るのかと忙しなく考える。選択肢を間違えれば、海斗はもっと傷ついてしまうだろう。
「海斗は海斗だってちゃんとわかってるから。それに、海斗は奈海とは全然違うだろ」
「ほんとにそう思いますか?」
「うん。僕と一緒にクレープを食べてくれたのは海斗だし、これから僕と大学生活を過ごすのも海斗じゃないか」
そう言うと同時に、海斗は勢いよく僕の肩に顔を埋める。
「泣くなよ」
「泣いてません!」
僕の言葉は海斗に届いたらしい。声は少し怒っているものの馴染みのあるトーンで、怒った拍子にあげた顔は真っ赤に染まっている。
「そんな照れなくても」
「違います!!」
その態度にほっと胸をなで下ろして、拘束から解放する。痴話喧嘩をしたようなこの空気に、不自然に近いこの距離は普通ではないとようやく気づき、自分でもわざとらしいと思いながら話をそらした。
「ほら、集合だぞ。……海斗」
「あとで覚えといてくださいね、祐樹先輩」
「はいはい」
「ねぇ、祐樹先輩」
思ったより近く、顔の横から海斗の声が聞こえて、心臓が跳ねた。耳元をくすぐる息がくすぐったい。
「な、に?」
痛いのと驚いたのと、ほんの少しどきっとした感情がない交ぜになったまま答える。悪戯っぽい声に、嫌な予感しかしない。
「祐樹先輩って、俺に奈海のことを重ねてみてるでしょう」
指摘された事実に心臓が跳ねる。海斗だと思いながら、奈海のことを度々思い出していたのは事実で。
「まぁ全部ではないと思いますけど、それでも俺はちょっぴり悔しいんですよ」
悔しい? 言ってる意味がよくわからなくて沈黙していると、今度はゆーっくりと体重を掛けてくる。
「本当は、奈海より先に会ってるのに」
予想もしない言葉に顔だけで振り向くと、海斗はまっすぐな視線を僕に向けていた。まるで、僕しか見えないと言わんばかりに。
「覚えてないですよね。祐樹先輩は」
「ごめん」
全く覚えていない。責めるでもなく諦めきったその様子に、罪悪感だけが募っていく。
「合同練習のために行った翠前高校で迷子になった僕たち陸上部を、祐樹先輩は部活を抜け出してまでグラウンドまで案内してくれました」
ピンとこない様子の僕に、海斗は言葉を続ける。
「暑い夏で、移動中に熱中症になってしまったのを一目で見抜いて保健室にも。ーー時間ギリギリで焦っていた俺たちにとって、祐樹先輩はまさに救世主でした。どうしたの? そうかけてくれた声が、どれだけ安堵させられたことか」
そう言われればそんな出来事もあったような気がする。けれど、そこに海斗がいたかどうかは思い出せない。
「それからは翠前高校に行くたびに、祐樹先輩を探したんですが会えなくて」
「僕を探してたの?」
荷重がなくなり体を起こす。体は楽になったものの、心はザワついたまま。背中に添えられている海斗の手は小さく震えていた。
「ええ。お礼と、また……声が聞きたくて」
耳を澄ませなければ聞こえないほどの小さな声は、とても切なげだった。
僕は全く覚えていないのに、海斗はそこまで熱心に探していてくれたのだと思うと、心苦しい。申し訳なさから、床に視線を落とした。
「奈海から新しくできたという彼氏の写真を見せられた時は驚きました」
「ちゃんと言ってくれれば会えたのに」
辛うじて絞り出した言葉も、海斗は即座に否定する。
「言えませんよ。俺がずっと会いたくて声が聞きたくて求め続けたのに、やっと会えたときにはもう他の人のものなんですよ」
まるで恋の告白のような言葉に、胸が締め付けられた。
「実際、再会したときに祐樹先輩は俺のことを覚えていなかったでしょう。だから、俺も何も言いませんでした」
海斗に会ったのは一回きりだから、いつのことを指しているかはすぐにわかった。奈海を待ち合わせ場所まで送ってきたときのことで間違いない。
「けれど、二人が別れた今なら、もう遠慮することはありません」
「遠慮?」
「はい。家族である奈海から、恋人を取るのは憚りますから」
視線をあげると海斗は苦笑してみせる。だが、その瞳の奥は苦しみに満ちている。一体どんな思いで僕と奈海が付き合っているのをみていたのだろうか。
言葉の意味を理解しきれないうちに言葉は続く。
「きっと祐樹先輩は俺のことを奈海の弟としかみていないでしょう。もしくは奈海のそっくりだと」
「そんなことは」
「いいえあります。まだ、祐樹先輩の俺を見る視線の前には、奈海が見えているはずです」
確信をもって言われると、否定しきれない。よくよく考えなくても、海斗を見るたびに奈海の影がチラついているのは事実だった。
「だから、手始めに祐樹先輩って呼ぶことにしたんです」
そう言われればそうだ。奈海のことを唯一思い出させない点がそこだった。
「奈海が、名字で呼んでいたから?」
「そうです」
ストレッチの終わりを告げる笛が鳴り、海斗は僕から手を離した。ようやく体ごと海斗のほうを向き直る。改めて見たその表情は愁いに満ちていて、さっきまでの冷静な声は平静を装っていただけだと悟る。まるで泣きだす寸前の海斗に、このままじゃダメだと咄嗟に理解する。立ち尽くしていた海斗を抱きしめると、驚いたように逃げようと身を捩る。僕は逃がすまいと力を込めて引き留めた。
「ごめんな、海斗」
暴れようとしていた海斗にその声は届いたらしく、ぴたりと動きが止まる。
「……ずるいです」
少しして絞り出された拗ねた声に、どうしたら機嫌が戻るのかと忙しなく考える。選択肢を間違えれば、海斗はもっと傷ついてしまうだろう。
「海斗は海斗だってちゃんとわかってるから。それに、海斗は奈海とは全然違うだろ」
「ほんとにそう思いますか?」
「うん。僕と一緒にクレープを食べてくれたのは海斗だし、これから僕と大学生活を過ごすのも海斗じゃないか」
そう言うと同時に、海斗は勢いよく僕の肩に顔を埋める。
「泣くなよ」
「泣いてません!」
僕の言葉は海斗に届いたらしい。声は少し怒っているものの馴染みのあるトーンで、怒った拍子にあげた顔は真っ赤に染まっている。
「そんな照れなくても」
「違います!!」
その態度にほっと胸をなで下ろして、拘束から解放する。痴話喧嘩をしたようなこの空気に、不自然に近いこの距離は普通ではないとようやく気づき、自分でもわざとらしいと思いながら話をそらした。
「ほら、集合だぞ。……海斗」
「あとで覚えといてくださいね、祐樹先輩」
「はいはい」
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