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19.開いた心

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「辛かったな」

 耳元で聞こえる低いその声に、心が揺さぶられた。
 誰にも言われなかった言葉は、存外私の中に響いたらしい。背中の暖かさもあいまって、涙腺が緩む。

「もう、何年も……前の、話……ですから」

 平静を装おうとしても声が震える。同情はされても、誰も寄り添ってはくれなかった。ナディヤともロイス兄さんとも傷は舐めあったけど、それは同じ境遇の者同士で慰めあっただけに過ぎない。こんな、気持ちを向けられたことは、一度もなかった。

「苦しみや悲しみは、薄れることはあっても消えることはない」

 その通りだ。普段意識することはなくても、ひとたび思い出せばこんなにも心を締め付ける。息を吐きだすのと一緒に、じわじわと涙がにじみ出る。

「見ないで、……ください、ね」
「ああ」

 さっきまでと変わらない声に逆に安心した。袖で目元を抑えて、少しの間だけ泣いた。
 一通り気持ちが落ち着いたところで、すぐ横にあるシルヴェさんを見た。視線が同じ高さにあるのは初めてで、こんなに近くで目が合ったのも初めてだった。泣いて腫れた顔が恥ずかしくなり、再び顔を反らす。

「落ち着いたか?」
「はい……」

 シルヴェさんはそのことについて何も言うことなく、そっと私から離れた。ぽんぽんと二度ほど頭を撫で、さっきまで座っていた場所に戻っていく。

「時間は大丈夫ですか?」

 外を見れば空が赤く鳴りはじめていて、日が落ち始めるのを予告していた。シルヴェさんも外を一瞥してそれを確認してから頷く。

「問題ない。せっかくだから、もう少しいよう」
「じゃあ、良かったらこれを」

 私は棚に並べていた数冊の本を取り出して、シルヴェさんに手渡す。

「これは?」
「私が今までに描いた絵です。こうやって残してあるんですよ」

 パラパラと紙をめくると、様々な色が現れる。

「嫌でなければ、この場所たちの話を聞かせてくれ」

 促されるまま腰掛けたのはシルヴェさんの隣。距離の近さにどぎまぎしながら、本の最初のページをめくった。

「これは、前にお話した王宮の中庭です」

 座ってもなお、かなり上にあるシルヴェさんを見る。無表情の中に、好奇心の色が見えて少し嬉しくなった。

「魔王城の庭とは随分と違うでしょう」

 そう言えば、シルヴェさんも大きく頷いた。

「確かに。見られるための庭だな」
「きっとそう言う意味では、王宮に役立つ植物は植えられていないと思います」
「目的が異なるのだから、そういうものだろうな」

 私は絵の説明をしながら次の絵へと進んでいく。シルヴェさんの興味はどこにでも向いていて、私が当たり前のものとして意識せずに描いていたものも、新鮮に見えたらしい。そういう質問を受けるたびに、いかにオラニ王国とエルヴダハムが異なっているかがよくわかる。
 穏やかな時間と共に外が暗くなり始め、灯りをつけようと立ち上がった時、玄関が勢いよく開け放たれて数人の軽い足音が駆け込んできた。
 誰だろう、とシルヴェさんと顔を見合わせていると部屋にやってきたのはイゾッタさんの息子ティルノーノ、ウェスティーノそれにファビアーノの三人だった。

「リラー」
「来てやったぞ!」
「お邪魔します」

 思いもよらない姿に呆気に取られていると、先に我に返ったらしいシルヴェさんが深いため息をつく。

「お前たち、こんな時間に何しに来たんだ」

 子供は家に帰れというシルヴェさんに、三人は不満を漏らす。

「うっさい、シルヴェストロさまこそ人の家で何やってんだよ!」
「そうだぞー。仕事しろー」
「大体女一人の家にいるなんて、常識ないですよ」
「確かに。あやしーい。リラに変なことしてないだろうな!」

 話が思いもよらない方向に行きはじめ、戸惑いながら見守っていると、ファビアーノが手を叩く。

「あ分かった。二人付き合ってるんですね」

 なるほどー! とあとの二人がにやにやと声を合わせて、私は慌てて静止しようとする。

「ちょっと! 違うから」
「顔真っ赤だぞー」
「それは揶揄うから!」
「その前からだったと思うけどな」
「そんなことないって」

 聞く耳を持たず余裕な顔をしている三人には何を言っても無駄らしい。

「シルヴェさんも何とか言ってください」
「言うだけ無駄だ。さっさと帰ることにする」

 シルヴェさんがそういって立ち上がると、三人はまた嬉しそうにからかい始める。

「なんだよー。少しは言い返してみろよー」
「相変わらずからかいがいのない人ですね」
「俺たちがいちゃ邪魔だって言うのかよー」

 シルヴェさんはこれ見よがしにもう一度ため息をつく。

「その通りお前たちが邪魔だから帰ることにする。こいつに迷惑をかけるのもほどほどにな」

 三人を部屋に置き去りにして出ていったシルヴェさんを見送るためにその背を追いかけた。髪からわずかに覗く耳が少し赤い。
 けれど、玄関で振り返ったシルヴェさんの表情はもうすっかりいつもと同じで、落ち着き払っていた。

「子供の言うことだ。気にするな」

 冷静な言葉にほんの少し残念に思い、そんな自分に驚いた。

「ただ、少しでもそう見えたのなら来た甲斐もあったというものか」
「え?」

 独り言のようにさらっと聞こえた言葉がとっさに理解できず、思わず聞き返す。

「いや何でもない」

 誤魔化すようなシルヴェさんに、もう一度言ってくださいとお願いすると、視線をすっと反らされた。

「また来る。その時に話の続きを聞かせてくれ」
「分かりました」

 シルヴェさんは歩き出して少ししたところで振り返った。別れが名残惜しく手を振ると、シルヴェさんも軽く手をあげ返してくれる。たったそれだけのことが、嬉しかった。
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