消極的な会社の辞め方

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01.会社を辞めようと思います。

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 同じフロアにある営業チームの秋山さんは仕事のできる人だ。秋山さんは自分を曲げずに相手も立てることのできる女性だ。出社時に会社の周りをぐるっと歩いたり、お茶とコーヒーを混ぜて飲んだりと、少し変わったところもあるけれど、優しく素敵な私の先輩だ。もちろん、社内外からの評判も上々。浮ついた噂の一つもないのが不思議なくらいだった。

 そんな秋山さんが珍しく私を食事に誘ってくれた。笑顔を絶やさない秋山さんが困った顔をしているのを見て、レアシーンをゲット、と思ったのは内緒である。定時きっかりに仕事を終えると、二人で近くにあるファミレスに入った。こんな安いところで良いのだろうかと思ったが、一介の会社員である私は懐の痛まない店で安堵していた。

「それでね、本谷さん。ちょっと相談があるんだけど」
「なんでしょうか」
「やだ、そんなに緊張しなくていいのに。相談なんだけど、半分決意表明、みたいなのを聞いてほしくて。ほら、わたしって本谷さんくらいしか仲のいい人いないじゃない?」

 いないじゃない?と聞かれたらそうなんですね?としか答えられないけれど。傍目から見て順風満帆な秋山さんの決意表明とはなんだろう。入社してからもう3年の付き合いだけど、まったく見当もつかない。

「わたしね、会社を辞めようと思っているの」
「え、えええええ!」
「声が大きいわよ。今すぐにってわけじゃないから安心して?」
「安心できません!」

 秋山さんは一度口にしてすっきりしたのか、もういつもの笑顔を浮かべてメロンソーダを飲んでいる。まるで子供みたいで可愛い、と現実逃避したくなる。周りのお客さんの視線が痛いので、声のトーンを落としてもう一度聞いてみた。

「辞めちゃうんですか?」
「うーん。辞めちゃうっていうか、辞めさせられたい?みたいな」
「辞めさせられたい?どういうことですか?」

 退職させられることに何かメリットがあるのだろうか。何も思い浮かばずにオウム返しに返すと、秋山さんも首をかしげていた。

「わからないんだけどね、やってみたいなーって思っちゃったのよ」
「辞めたほうがいいですって。会社クビになったらどうするんですか!今以上にいい会社なんて滅多にないですよ?」
「わたしもそう思うんだけど。でも、一回やったら満足するから」
「一回首にされたらそれで終わりですって」
「さすが本谷さん。突っ込みが的確ね」
「関西の血が入ってますから。ってそういう話じゃないんですよ!」

 べたべたな突っ込みを入れたことに自己嫌悪しつつ、秋山さんを観察してみる。笑顔に陰りがないのはいつも通り。服装も見慣れたルーティーンの服、髪型も特に変わりはない。少し伸びてきているからこの調子だと来週あたり美容院へ行くんだろうと想像できるが、特に生活環境が変わったようには見受けられない。今日の仕事を見ていても、仕事が嫌になったような様子もない。念のため周りを見回してみても、カメラが見ているというわけでもない。本気なのだろうか。

「それでどうするんですか?」
「どうするって?」
「辞めさせられたいならなにか理由を作らないと辞めさせられませんよ」
「そうなの!それでね、本谷さんに相談したかったの」
「辞める辞めないじゃなくて、辞める理由が相談したかったんですね……」

 勢いよく頷かれて、思わず脱力する。説得されてやめるようじゃ、秋山さんとは言えない。けれども、辞めさせられるようなことって何だろうか。まじめに考えれば考えるほど浮かんでこない。ちょうど頼んでいたドリアとピザも来たので一旦この話は切り上げよう。

「考えておくので今日のところは……」
「ほんとに?いいアイデアが浮かんだら教えてね!」
「ちなみに秋山さんはどうやってやめようと思っていたんですか?」
「それがね、ぜんっぜん思い浮かばないの!困っちゃって」
「そうなんですね……」

 可愛い顔で困りきっていても、その内容を知っているだけに応援する気にもならない。むしろ私は秋山さんのせいで困っているので解決してほしいくらいだ。もちろんそうは言えないので、代わりに熱々のドリアを口へと運ぶ。このご飯とクリームの混じった感じがたまらない。秋山さんもピザのチーズを伸ばしながらおいしそうにほおばっている。今日のところはその満足そうな顔が見られたことで良しにしよう。
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