17 / 26
第17話 裕子の言葉、真司の苦悩
しおりを挟む真司は裕子が入院してから、毎日のように彼女の見舞いに行った。彼女が入っている療養所は森の奥にあって、そこへ行くのは容易ではなかった。特に、あともう少しで到着する、というところで道は横に傾く。そうなると慎重な足取りで進まなければならない。
ある日、療養所に着くと、手前の窓に裕子の顔があった。ベッドに腰掛けながら、こちらを眺めている。彼女は真司と目が合うと、優しく微笑んだ。かと思ったら、ちょっと不愉快なことに、とつぜんゲラゲラと爆笑し始めた。何について?療養所に入ってから問い詰めてやる。彼は顔を緩めた。
「裕子!せっかくお見舞いに来たってのに、なんで笑うんだよ!」
真司は冗談っぽく憤怒してみせた。
「いや、ごめんなさいね」
そう言いながら、裕子はまた爆笑している。
何がそんなにおかしいんだよ?真司はさすがにちょっとムッとして、強めの口調で聞いた。
「いやね、あなたが斜めになって歩いてくると、ほんとに『コッコ』って感じするなあって」
「?」
真司がきょとんとしていると、裕子は窓の外を指さした。
「ここに来るまでの道、斜めになっていたでしょう?そこを通ってくるときのあなた、体がじゃっかん、横に傾いてるのよね。そうするとね……あなた、ニワトリみたいにかわいく見えるのよ。それを見ていたら、わたし、ちょっと変な情景が思い浮かんじゃって」
「変な情景?」
「ええ。そこではあなたが、さっきみたいに上半身を傾かせながら調理をするの」
「こんな風にか?」
真司は大げさに上半身を傾けた。
「そう!まさにそんな感じに」
裕子は勢いよくこちらを指さし、満足そうだった。
「そしたらちょっと話題になりそうじゃない?」
「まあ、話題にはなるかもな」
「料理中は周りの失笑を買うだろうけど、あなたの料理で黙らせるの。」
「料理人コッコ、斜めになって復活!料理人グランプリ優勝!ああ!私、そんな記事が見たいなあ♪」
真司は顔をしかめた。
「だから料理は……」
「私、またあなたが作った料理を食べたいの。もしあなたが、心から料理を嫌いになってしまったとしたなら、私なんにも言わないわ。でもね、あなた、いまでも料理大好きでしょ?」
「それは……」
自問してみた。答えは出ない。裕子が続ける。
「料理をやめてからのあなた、明らかに変わったもの。一緒に街を歩いていたって、調理器具屋さんの近くを通ると、必ず反応するのよね。寂しそうな顔でそちらを眺めるの。私が気付いていないと思った?気付くわよ。毎回歩くスピードが落ちるし。」
それは、真司自身が裕子に言われるまで気づいていないことだった。顕在していない意識によるものだった。しかし彼の潜在意識は、料理を強く欲していたようだった。それは、料理こそが「世界の中での自分の役割」だと知っていたのだ。潜在意識は、自分では気づかなくても、ときに他人には見えているのかもしれない。「行動」という媒体を通じて。
「確かに、そうかもしれない」と真司は言った。
「最近、何を食べても楽しくないんだ。おいしいんだが、楽しくない。今までは、料理を食べると、その料理を作った人の工夫なんかが垣間見えた。自分の食べるすべての料理が、自分が調理するときのヒントをくれた。それは……ほんとうに、僕の人生に張りを与えてくれた……」
裕子はじっと黙って、真司の話に耳を傾けていた。
「でも、料理人をやめてからは、ただ食べるだけになってしまった。いや、純粋に食事を楽しむのは決して悪いことじゃない。ただ、最近は料理人の工夫に気付くのが怖くなってしまったんだ。いくら気が付いても、もう自分の料理に活かすことはできない……。この考えが浮かぶ時が、ものすごく苦しいんだ……。すまない。せっかくお見舞いに来たのにこんな話を」
真司が謝ると、裕子はしっとりと涙を流していた。正直に話してくれてありがとう、と彼女は言った。
そのとき真司はふいに「また料理をしたい」と思った。それは彼がかなり久しぶりに感じたことだった。
次の日、お見舞いの際に真司はガーベラの種を持って行った。花屋で聞いたら、「お見舞いにはガーベラの花がいい。演技がいいから。」と言われたためだ。花の色ごとにさまざまな花言葉があるのだが、ガーベラ全般としては「常に前進」が花言葉らしい。真司はそれが気に入った。そして種を買うことにした。この種が花をつけるのが先か、裕子が退院するのが先か、それとも僕が料理人として復帰するのが先か。そんなことを裕子に言ったら、勝負好きの裕子にはいい影響を与えられるんじゃないか。そう思った。
病院に着くと、裕子が歩いてもいいということだったので、彼女と一緒に森のいちばん深いところにガーベラの種を植えに行った。彼女はガーベラのことをとても喜んでくれた。そして、「その勝負、ずるくない?真司のが一番かんたんじゃない?復帰なんて、今日だってできるんだもの」と言った。
しかし、いざ厨房を目にするとなかなか料理する気分にはなれなかった。
裕子の病状が悪化したのは、そんな時だった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
『遺産相続人』〜『猫たちの時間』7〜
segakiyui
キャラ文芸
俺は滝志郎。人に言わせれば『厄介事吸引器』。たまたま助けた爺さんは大富豪、遺産相続人として滝を指名する。出かけた滝を待っていたのは幽霊、音量、魑魅魍魎。舞うのは命、散るのはくれない、引き裂かれて行く人の絆。ったく人間てのは化け物よりタチが悪い。愛が絡めばなおのこと。おい、周一郎、早いとこ逃げ出そうぜ! 山村を舞台に展開する『猫たちの時間』シリーズ7。
小説家の日常
くじら
キャラ文芸
くじらと皐月涼夜の中の人が
小説を書くことにしました。
自分達の周囲で起こったこと、
Twitter、pixiv、テレビのニュース、
小説、絵本、純文学にアニメや漫画など……
オタクとヲタクのため、
今、生きている人みんなに読んでほしい漫画の
元ネタを小説にすることにしました。
お時間のあるときは、
是非!!!!
読んでいただきたいです。
一応……登場人物さえ分かれば
どの話から読んでも理解できるようにしています。
(*´・ω・)(・ω・`*)
『アルファポリス』や『小説家になろう』などで
作品を投稿している方と繋がりたいです。
Twitterなどでおっしゃっていただければ、
この小説や漫画で宣伝したいと思います(。・ω・)ノ
何卒、よろしくお願いします。
リアル・デザイア
桐谷 兼続
キャラ文芸
「自分が本当に欲してるものなんて、自分じゃ分からないものさ」
彼はそう言った。
これは、自身の運命に挑む者達の物語。
ある者は破滅を、そしてある者は平和を、安寧を、幸福を。
敵を、そして自分自身を打ち負かせ。召喚系・デザイア・バトル・ストーリー。
つくもむすめは公務員-法律違反は見逃して♡-
halsan
キャラ文芸
超限界集落の村役場に一人務める木野虚(キノコ)玄墨(ゲンボク)は、ある夏の日に、宇宙から飛来した地球外生命体を股間に受けてしまった。
その結果、彼は地球外生命体が惑星を支配するための「胞子力エネルギー」を三つ目の「きんたま」として宿してしまう。
その能力は「無から有」
最初に現れたのは、ゲンボク愛用のお人形さんから生まれた「アリス」
さあ限界集落から発信だ!
狐の嫁入りのため婚約者のところに行ったら、クラスの女子同級生だったんだけど!?
ポーチュラカ
キャラ文芸
平安時代のある山奥。一匹の狐が人間と愛し合い、子孫を残した。だがその頃は、狐は人を騙す疫病神と言われていたため、ある古い儀式が行われ続けていました…
群青の空
ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ
キャラ文芸
十年前――
東京から引っ越し、友達も彼女もなく。退屈な日々を送り、隣の家から聴こえてくるピアノの音は、綺麗で穏やかな感じをさせるが、どこか腑に落ちないところがあった。そんな高校生・拓海がその土地で不思議な高校生美少女・空と出会う。
そんな彼女のと出会い、俺の一年は自分の人生の中で、何よりも大切なものになった。
ただ、俺は彼女に……。
これは十年前のたった一年の青春物語――
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
宮廷の九訳士と後宮の生華
狭間夕
キャラ文芸
宮廷の通訳士である英明(インミン)は、文字を扱う仕事をしていることから「暗号の解読」を頼まれることもある。ある日、後宮入りした若い妃に充てられてた手紙が謎の文字で書かれていたことから、これは恋文ではないかと噂になった。真相は単純で、兄が妹に充てただけの悪意のない内容だったが、これをきっかけに静月(ジンユェ)という若い妃のことを知る。通訳士と、後宮の妃。立場は違えど、後宮に生きる華として、二人は陰謀の渦に巻き込まれることになって――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる