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5話『向き合う千帆』
勇気を出して電話をかける
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『らぶち』でランチを終えた千帆は自店に入った。
定休日の店内は営業中とは別空間のようだ。カウンター席が10席だけの小さな店が広く感じる。
ガランとした寂しさを感じるのは電気をつけず、薄暗いせいかもしれない。
コートを脱いで壁のハンガーにかけ、入り口から一番奥のカウンター席に腰を下ろす。ここは角田のお気に入りの席だ。
今から母に電話をかける千帆には何かしら後押しが必要だった。冷静に物事を見る角田なら厳しくも優しい言葉をかけてくれるだろう。ここに座ると、力をもらえるような気がした。
震え気味な指で携帯電話を操作して、母親の携帯電話の番号を呼び出した。
自分一人しかいない静かな空間に電話のコール音が響き、その音を耳で聞くたび、千帆の心臓は大きく脈打った。5コールほどで通話に切り替わった。
ーもしもし、千帆?ー
久しぶりに聞く母の声は実家に住んでいたころと変わらず、のんびりとしたものだった。それでも、千帆の心臓は落ち着く気配を見せない。
「もしもし、お母さん? ごめんね、急に電話して。今、話しても大丈夫?」
震える声を抑えようと、いつもよりもゆっくりと話す。電話の向こうでガタガタと音がした。
ーうん、大丈夫よ。今、パッチワークしてたの。ちょっと片付けるわねー
キッチリとした性格の母はやりかけのものを放ったまま次のことをするのは嫌いで、最後まで終わらしてしまうか、続きがしやすいように片付ける。片付けるといっても、まとめて横によけるという程度だが。それを知っている千帆は黙って待つ。
ソファに勢いよく腰を落としたような軽い音が聞こえた。
ーお待たせ。どうしたの。長いこと連絡もしてこなかったのに。元気にしてるの?ー
「うん。元気だよ。お母さんも変わりなさそうね。この間、レイが店に来て、お母さんと会ったって言ってた」
ー前に千帆と会ってから、何も変わらないわよ。元気にしてるっちゃあ、元気にしてるー
母の口調は奥歯に物が挟まったようだった。千帆は唾を飲み込む。
「電話した理由、わかってるでしょ。お母さん、うちの隣の店に入って色々聞いたんだよね」
すぅっと息を吸う音がする。
ーそうよ。直接、千帆の店に行こうとも思ったんだけど、全然話もしてないのに行きにくくてー
「電話してくれればいいじゃない」
ーそれも考えたけどね。電話してから店に行こうかと。でも、千帆は私が店に行くことを嫌がるんじゃないかと思って。お父さんの代わりに偵察に来たんじゃないかって思いそうな気がしてー
千帆は唇をかんだ。確かに、これまでの自分なら母の言うとおりに考えただろう。
今、母に電話したのは蒼市の言葉に、頑なだった自分の言動を振り返らされたせいだ。
「そうだね。そう思ったと思う。だから隣に行ったんだ」
ーレイちゃんや竜真くんにも会って話は聞いてたけど、昔から仲良かったから、店が順調っていうのとか、ひいき目で見てるかもしれないって思ってね。それで、第三者に聞いてみようと思って、『らぶち』だっけ、隣のお店に行ったのよー
視線を窓に向ける。
店の前の通りをサラリーマンやベビーカーを押した母親グループが行き交うのが見える。そんな平穏な光景が別世界のものに感じる。
薄暗い店の中と太陽が差す外。違いはそれだけのはずなのだけれど。
千帆はカウンターに視線を落とした。
「なんで、今になってそんなことするのよ。これまでは放ったらかしだったじゃない。お父さんと同じように会社勤めすることを進めるだけだったのに。店の状況を知ってどうするつもりなの」
電話の向こうから大きめのため息が聞こえてきた。
ー千帆には安定した生活を送ってほしいて、今でも思ってるよ。会社に勤めれば休日も決まってるし、お給料も確実に定額が入ってくるからねー
千帆は視線を感じて顔をあげる。
扉の格子窓から角田がのぞいていた。左手を握りしめ、ガッツポーズを見せている。
目を丸くした千帆に穏やかな表情を見せて、『らぶち』のほうへと歩いていった。
定休日の店内は営業中とは別空間のようだ。カウンター席が10席だけの小さな店が広く感じる。
ガランとした寂しさを感じるのは電気をつけず、薄暗いせいかもしれない。
コートを脱いで壁のハンガーにかけ、入り口から一番奥のカウンター席に腰を下ろす。ここは角田のお気に入りの席だ。
今から母に電話をかける千帆には何かしら後押しが必要だった。冷静に物事を見る角田なら厳しくも優しい言葉をかけてくれるだろう。ここに座ると、力をもらえるような気がした。
震え気味な指で携帯電話を操作して、母親の携帯電話の番号を呼び出した。
自分一人しかいない静かな空間に電話のコール音が響き、その音を耳で聞くたび、千帆の心臓は大きく脈打った。5コールほどで通話に切り替わった。
ーもしもし、千帆?ー
久しぶりに聞く母の声は実家に住んでいたころと変わらず、のんびりとしたものだった。それでも、千帆の心臓は落ち着く気配を見せない。
「もしもし、お母さん? ごめんね、急に電話して。今、話しても大丈夫?」
震える声を抑えようと、いつもよりもゆっくりと話す。電話の向こうでガタガタと音がした。
ーうん、大丈夫よ。今、パッチワークしてたの。ちょっと片付けるわねー
キッチリとした性格の母はやりかけのものを放ったまま次のことをするのは嫌いで、最後まで終わらしてしまうか、続きがしやすいように片付ける。片付けるといっても、まとめて横によけるという程度だが。それを知っている千帆は黙って待つ。
ソファに勢いよく腰を落としたような軽い音が聞こえた。
ーお待たせ。どうしたの。長いこと連絡もしてこなかったのに。元気にしてるの?ー
「うん。元気だよ。お母さんも変わりなさそうね。この間、レイが店に来て、お母さんと会ったって言ってた」
ー前に千帆と会ってから、何も変わらないわよ。元気にしてるっちゃあ、元気にしてるー
母の口調は奥歯に物が挟まったようだった。千帆は唾を飲み込む。
「電話した理由、わかってるでしょ。お母さん、うちの隣の店に入って色々聞いたんだよね」
すぅっと息を吸う音がする。
ーそうよ。直接、千帆の店に行こうとも思ったんだけど、全然話もしてないのに行きにくくてー
「電話してくれればいいじゃない」
ーそれも考えたけどね。電話してから店に行こうかと。でも、千帆は私が店に行くことを嫌がるんじゃないかと思って。お父さんの代わりに偵察に来たんじゃないかって思いそうな気がしてー
千帆は唇をかんだ。確かに、これまでの自分なら母の言うとおりに考えただろう。
今、母に電話したのは蒼市の言葉に、頑なだった自分の言動を振り返らされたせいだ。
「そうだね。そう思ったと思う。だから隣に行ったんだ」
ーレイちゃんや竜真くんにも会って話は聞いてたけど、昔から仲良かったから、店が順調っていうのとか、ひいき目で見てるかもしれないって思ってね。それで、第三者に聞いてみようと思って、『らぶち』だっけ、隣のお店に行ったのよー
視線を窓に向ける。
店の前の通りをサラリーマンやベビーカーを押した母親グループが行き交うのが見える。そんな平穏な光景が別世界のものに感じる。
薄暗い店の中と太陽が差す外。違いはそれだけのはずなのだけれど。
千帆はカウンターに視線を落とした。
「なんで、今になってそんなことするのよ。これまでは放ったらかしだったじゃない。お父さんと同じように会社勤めすることを進めるだけだったのに。店の状況を知ってどうするつもりなの」
電話の向こうから大きめのため息が聞こえてきた。
ー千帆には安定した生活を送ってほしいて、今でも思ってるよ。会社に勤めれば休日も決まってるし、お給料も確実に定額が入ってくるからねー
千帆は視線を感じて顔をあげる。
扉の格子窓から角田がのぞいていた。左手を握りしめ、ガッツポーズを見せている。
目を丸くした千帆に穏やかな表情を見せて、『らぶち』のほうへと歩いていった。
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