28 / 36
5話『向き合う千帆』
『らぶち』で一人ランチ
しおりを挟む
白を基調にした明るい店内は、『らぶち』の店員たちの朗らかな声によく合っている。隣で『フラット』というココア専門店を営む千帆は、定休日の今日、店の買い出しに行った後、1人で遅めのランチをしに来ていた。
店内を見渡せるよう、壁に背を向けて座っている千帆は、キッチンへと目を向ける。
蒼市が銀のトレイを左手に乗せて、こちらへ歩いてくる。
食欲をそそる香りが漂ってくる。
「お待たせしました。ビーフシチューオムライスです」
彼はトレイから右手で皿をとり、千帆の前に置いた。
言葉遣いは店員としての対応だろう。
蒼市は『フラット』の常連客である角田の息子で、『らぶち』の店長、真木唯人の彼氏でもある。連絡が途絶えていた2人は偶然にも『フラット』で再会し、思いの行き違いを解消した。つい、2週間前の話だ。
千帆はスプーンを手に持って食べる格好をしつつ、蒼市を見上げる。
「エプロン、よくお似合いですね。担当はホールメインですか」
彼は照れくさそうに頭をかいた。
「ま、今のところはそう。でも、メニューによっては調理してるよ」
鯖サンドは唯人よりも自分のほうが上手だと、蒼市が以前、得意気に話していたのを思い出す。
千帆はオムライスにのった肉の塊をすくい、口に入れる。立ち去ることなく、千帆の横にたったままの蒼市を見上げた。
ふっと何かを思い出したような表情をした彼は店内を見回した。ランチのかき入れ時を過ぎた今、客はまばらで、皆ゆったりとランチを楽しんでいる。
「結城くん、お昼休憩入っていいよ」
蒼市はバイトの大学生に声をかけ、彼が店の奥にある休憩室に入っていったのを見届けていた。
「唯人、俺、千帆さんにあの話するわ」
キッチンの奥から、唯人が了解する声が聞こえる。その声にうなずいた蒼市は、2人掛けの席に座る千帆の正面に座った。
「あ、そのまま食べてて。俺、勝手に話すから」
言われるまでもなく、千帆は口と手を動かし続ける。
じっくりの煮込まれたシチューは濃厚で薄めのバターライスが入ったオムライスによく合っている。声を出して返事できるほど口に余裕がなく、千帆は頭を縦に振って蒼市に答えた。
「美味しそうに食べてもらうと嬉しくなるな」
そう言った蒼市はキッチンにいる唯人を振り返った。その横顔にはあふれる愛情がにじみ出ている。
しばらく動かずにいた蒼市は我に返ったのか、ひねっていた体を戻して、座り直した。
「話っていうのは、一昨日だったかな、この店に来た女性のことなんだけど」
蒼市は少し前かがみになって声を落とす。
「3時くらいにやってきて、ケーキセットを注文してくださった50歳くらいの女性がね、『フラット』の様子をすっごい聞いてきたんだよ」
千帆は食べている途中のスプーンを皿におき、居住まいを正した。
どこかの席から水のお代わりを頼む声が聞こえる。
蒼市が腰を上げかけたが、すぐに下ろしたので、唯人が対応したのだろう。蒼市が千帆をまっすぐに見てくる。
「客は入ってるのか。店員は何人いるか。評判はどうなのか。そんなことを色々と。個人情報でもないから、正直に答えたよ。客についてはコンスタントに入っているほうだし、悪い評判は聞かない。常連さんもついていて、うちとも交流しながらお互いに売り上げに貢献しあってる。店員は店長さん一人だけど、あの大きさでメニューも限定だから人を雇う必要はないと思うって。うちで聞かなくても、どこでも仕入れられる話だから。遠慮なく伝えさせてもらったよ」
口調は落ち着いていて千帆を安心させた。千帆は口の中のモノを飲み込んで、頭を下げて礼を言う。
蒼市は両手を体の前で振る。
「ああ、いや。それよりも気になるのは、千帆さん個人のことを聞かれたことなんだ」
ふっと息を吐いた。
「どんな印象に見えるか。お付き合いしている人はいそうか。店同士で交流しているなら悩みとかは聞いたことあるか。そんな風なことをね」
千帆の視線が蒼市を通り越したので、それを追って彼が振り返った。カウンター前においたレジで客が会計をしているのだ。唯人が対応している。
会計を終えた客がドアを押して出ていく後ろ姿にかける、唯人と蒼市の声が重なった。
「ありがとうございました」
立ち上がった蒼市は揺れるドアを見ていた。しばらくしてから、千帆に視線を戻した。
「俺の印象は言ったよ。ほがらかで人と話すのが好きそうとか、すぐに人と仲良くなりそうとか、ココアが本当に好きみたいとか、そういうことを」
蒼市の落ち着いた声は薄気味悪い話を聞かされているにもかかわらず、心をざわつかせることはない。
「でも『それ以外は答えられることはありません』って。実際、知らないし、もし知ってたとしても、それこそ誰かわからない人に答えるような内容じゃないからね」
蒼市は両手をテーブルの上で組み、千帆の顔をのぞきこんできた。
「女性に心当たりある? えー、50歳前後くらいで、銀縁の眼鏡をかけていて、髪型は白髪染めなのかメッシュが入ったショート。緩めのパーマが当たってるのかな。その世代にしては背は高めで、どっちかというと細身な体型」
キッチンから勢いよく出る水の音が響く。
唯人がさきほど出ていった客が使った皿を水洗いしているようだ。簡単に流した後、業務用の食器洗い乾燥機に入れるのだろう。
店内を見渡せるよう、壁に背を向けて座っている千帆は、キッチンへと目を向ける。
蒼市が銀のトレイを左手に乗せて、こちらへ歩いてくる。
食欲をそそる香りが漂ってくる。
「お待たせしました。ビーフシチューオムライスです」
彼はトレイから右手で皿をとり、千帆の前に置いた。
言葉遣いは店員としての対応だろう。
蒼市は『フラット』の常連客である角田の息子で、『らぶち』の店長、真木唯人の彼氏でもある。連絡が途絶えていた2人は偶然にも『フラット』で再会し、思いの行き違いを解消した。つい、2週間前の話だ。
千帆はスプーンを手に持って食べる格好をしつつ、蒼市を見上げる。
「エプロン、よくお似合いですね。担当はホールメインですか」
彼は照れくさそうに頭をかいた。
「ま、今のところはそう。でも、メニューによっては調理してるよ」
鯖サンドは唯人よりも自分のほうが上手だと、蒼市が以前、得意気に話していたのを思い出す。
千帆はオムライスにのった肉の塊をすくい、口に入れる。立ち去ることなく、千帆の横にたったままの蒼市を見上げた。
ふっと何かを思い出したような表情をした彼は店内を見回した。ランチのかき入れ時を過ぎた今、客はまばらで、皆ゆったりとランチを楽しんでいる。
「結城くん、お昼休憩入っていいよ」
蒼市はバイトの大学生に声をかけ、彼が店の奥にある休憩室に入っていったのを見届けていた。
「唯人、俺、千帆さんにあの話するわ」
キッチンの奥から、唯人が了解する声が聞こえる。その声にうなずいた蒼市は、2人掛けの席に座る千帆の正面に座った。
「あ、そのまま食べてて。俺、勝手に話すから」
言われるまでもなく、千帆は口と手を動かし続ける。
じっくりの煮込まれたシチューは濃厚で薄めのバターライスが入ったオムライスによく合っている。声を出して返事できるほど口に余裕がなく、千帆は頭を縦に振って蒼市に答えた。
「美味しそうに食べてもらうと嬉しくなるな」
そう言った蒼市はキッチンにいる唯人を振り返った。その横顔にはあふれる愛情がにじみ出ている。
しばらく動かずにいた蒼市は我に返ったのか、ひねっていた体を戻して、座り直した。
「話っていうのは、一昨日だったかな、この店に来た女性のことなんだけど」
蒼市は少し前かがみになって声を落とす。
「3時くらいにやってきて、ケーキセットを注文してくださった50歳くらいの女性がね、『フラット』の様子をすっごい聞いてきたんだよ」
千帆は食べている途中のスプーンを皿におき、居住まいを正した。
どこかの席から水のお代わりを頼む声が聞こえる。
蒼市が腰を上げかけたが、すぐに下ろしたので、唯人が対応したのだろう。蒼市が千帆をまっすぐに見てくる。
「客は入ってるのか。店員は何人いるか。評判はどうなのか。そんなことを色々と。個人情報でもないから、正直に答えたよ。客についてはコンスタントに入っているほうだし、悪い評判は聞かない。常連さんもついていて、うちとも交流しながらお互いに売り上げに貢献しあってる。店員は店長さん一人だけど、あの大きさでメニューも限定だから人を雇う必要はないと思うって。うちで聞かなくても、どこでも仕入れられる話だから。遠慮なく伝えさせてもらったよ」
口調は落ち着いていて千帆を安心させた。千帆は口の中のモノを飲み込んで、頭を下げて礼を言う。
蒼市は両手を体の前で振る。
「ああ、いや。それよりも気になるのは、千帆さん個人のことを聞かれたことなんだ」
ふっと息を吐いた。
「どんな印象に見えるか。お付き合いしている人はいそうか。店同士で交流しているなら悩みとかは聞いたことあるか。そんな風なことをね」
千帆の視線が蒼市を通り越したので、それを追って彼が振り返った。カウンター前においたレジで客が会計をしているのだ。唯人が対応している。
会計を終えた客がドアを押して出ていく後ろ姿にかける、唯人と蒼市の声が重なった。
「ありがとうございました」
立ち上がった蒼市は揺れるドアを見ていた。しばらくしてから、千帆に視線を戻した。
「俺の印象は言ったよ。ほがらかで人と話すのが好きそうとか、すぐに人と仲良くなりそうとか、ココアが本当に好きみたいとか、そういうことを」
蒼市の落ち着いた声は薄気味悪い話を聞かされているにもかかわらず、心をざわつかせることはない。
「でも『それ以外は答えられることはありません』って。実際、知らないし、もし知ってたとしても、それこそ誰かわからない人に答えるような内容じゃないからね」
蒼市は両手をテーブルの上で組み、千帆の顔をのぞきこんできた。
「女性に心当たりある? えー、50歳前後くらいで、銀縁の眼鏡をかけていて、髪型は白髪染めなのかメッシュが入ったショート。緩めのパーマが当たってるのかな。その世代にしては背は高めで、どっちかというと細身な体型」
キッチンから勢いよく出る水の音が響く。
唯人がさきほど出ていった客が使った皿を水洗いしているようだ。簡単に流した後、業務用の食器洗い乾燥機に入れるのだろう。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
さよならまでの六ヶ月
おてんば松尾
恋愛
余命半年の妻は、不倫をしている夫と最後まで添い遂げるつもりだった……【小春】
小春は人の寿命が分かる能力を持っている。
ある日突然自分に残された寿命があと半年だということを知る。
自分の家が社家で、神主として跡を継がなければならない小春。
そんな小春のことを好きになってくれた夫は浮気をしている。
残された半年を穏やかに生きたいと思う小春……
他サイトでも公開中
【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」
そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。
彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・
産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。
----
初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。
終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。
お読みいただきありがとうございます。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
バツイチ子持ちとカレーライス
Crosis
ライト文芸
「カレーライス、美味しいよね」そう言える幸せ。
あらすじ
幸せという日常を失った女性と、日常という幸せを失った男性。
そんな二人が同棲を始め、日常を過ごし始めるまでの話。
不倫がバレて離婚された女性のその後のストーリーです。
【完結】返してください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと我慢をしてきた。
私が愛されていない事は感じていた。
だけど、信じたくなかった。
いつかは私を見てくれると思っていた。
妹は私から全てを奪って行った。
なにもかも、、、、信じていたあの人まで、、、
母から信じられない事実を告げられ、遂に私は家から追い出された。
もういい。
もう諦めた。
貴方達は私の家族じゃない。
私が相応しくないとしても、大事な物を取り返したい。
だから、、、、
私に全てを、、、
返してください。
思い出を売った女
志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。
それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。
浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。
浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。
全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。
ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。
あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。
R15は保険です
他サイトでも公開しています
表紙は写真ACより引用しました
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる